第二話「それは借り物の力」 Part1 of 4
喫茶店オウランドは客席が十六席しかないので、そう大きいとは言えません。
けれど、満席となった事は数える程しかありませんでした。
でも、今夜ばかりは違います。
酒場が賑わい始める時間、何時もはラスト・オーダーの時間――十八時半を過ぎても、入店待ちの行列が続いていました。
「アビー。出しっ放しの洗濯物を取り込みがてら、ちょっと、休憩をしてきなさい」
「ありがとう。ママ」
汗だくになっている母パティの姿に罪悪感を覚えながら、アビーシアは階段を二階に上がり、通路の陰で寝ていた弟ノエルを見つけました。
あとで寝れなくなるのでは? そんな不安を覚えるも――。
「あんな事があったんだから……。うん。仕方がないか」
そうボソっと呟くと、屈みこんで、胡坐をかいている弟の頭をそっと撫でます。
「下手な抱き方をすると、起こしちゃうよね」
先程のグレックの眼差しを思い出し、胸が苦しくなるも、意を決したような表情で立ち上がると、胸元の羅針盤をぎゅっと握りました。
「ショー・ミー・マイ・ポテンシャル」
眠っているノエルを起こさないように、慎重に小さな声で唱え、錆びたように動かない方位時針を北東に。
すると、アビーシアの全身は七色の光に包まれます。
「――ッ」
体の底から湧き出すように、噴き上げてくるような力。
思わずあげそうになった声を必死に堪え、アビーシアは――いえ、ナビーシャは静かに目を開けます。
「ほんと、凄いな。こんなマジックアイテムを貰えるなんて」
長く伸びた手足に目をやりながら、不思議なアンティークショップを思い出すと、そうボソっと呟きました。
「うぅーん。ぇちゃん」
寝返りをうちながら、何事か寝言を言い始めた弟をそっと抱きかかえると、弟の部屋の柵付きベッドへ。
** § **
月の光を浴びながらの洗濯物の取り込み作業。
普段の半分程の時間で終えると、ナビーシャは無意識に呟きます。
「身長があると楽なんだなぁー」
ふと、ガラスが自分の姿を映したのを見つけると、初めての変身の時にやったように、顔に体に手をはしらせました。
「グレイは、私には素っ気無い態度しかとってくれない」
「なのに、私にはあんな熱い眼差しを向けてくれた」
それは目の錯覚ではなく――心が見せた幻だったのでしょう。
ガラスの前には冒険者時代の父が使っていたような皮鎧を纏った十八歳のナビーシャが立っているのに、ガラス窓には着馴れたパーカー姿の十二歳のアビーシアが。
「ねぇ……。教えてよ。私と」
「私は何が違うの?」
鏡像に問いかけても、当然、返事はしてくれません。
自問自答した末に『二人』が目元を拭った時でした。
カタン。
部屋の外から、但し、扉の直ぐ近くから。
何かの物音に気づくや、ナビーシャは慌てて、羅針盤の針を北へ。
「――ぅ」
貧血になった時のように目の前が真っ暗になり、一気に力が抜けていくような感覚。
それに必死に耐えながら、アビーシアは扉に向かって走りました。
「トゥレー」
部屋の外に立っていたのは寝惚け眼のノエル。
ほっと一息を吐いた後、アビーシアは弟の小さな手を握りました。
「まだ我慢出来るよね?」
「うぅん。むりゅ」
「え! が、我慢出来るよね?」
アビーシアは聞き違えである事を切に願いながら、震える声で再度尋ねます。
けれど、残念ながら、現実は非情でした。
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喫茶店オウランドは幾つかの料理も出しますが、主力はコーヒーとケーキです。
その為、昨夜の予期せぬ大賑わで生じてしまった食材の偏りを解消する為、昼までの臨時休業を決めて、疲れきった体を休めている両親。
そして、やはり、眠れなくなった為、昨夜は二人と一緒に寝る事になったノエル。
「そぉーと、そぉっと」
三人を起こさないように――という思いからか、つい、そんな声を出してしまいながら、アビーシアは静かに外へ。
「うぅーーーん」
まだ朝八時前だというのに、夏という事もあってか、既に暑くなっています。
ただ、からっとした空気なので、過ごし難さはありません。
皆を起こす事を心配しない場所で、お気に入りのパーカー姿で大きく伸びをして、頭に浮かんだ事は――。
(ちゃんと、落ち着いて考えればさ。別に慌てる必要なんて無いんだよね)
青空の下、軽く体を動かしながらの深呼吸の中、アビーシアは思考の整理も続けます。
(あいつが好きなのが未来の私なら、今の私を好きになる可能性だって……)
だから、祖父母宅の玄関を開けた時には、無意識にハミングまで。
「――ッ」
「――ァ」
(あれ? 何か言い争ってる? 声が遠いから、ジムの方かな?)
アビーシアの祖父でジムオーナーのトレヴァーとグレック。
内容が聞こえないものの、二人の間の空気が穏やかで無い事だけは伝わりましたから、アビーシアは小走りしました。
「グレイ。お祖父ちゃん。おはよう」
空気を変える為に、そう言って、元気良く飛び込もうとした時でした。
「俺、どうしても、隣に並びたい人が出来たんです」
グレイの言葉でアビーシアは矢で射られたように壁に倒れかかりました。
「俺、あの人に見合うような男になりたいんです」
そして、ずるずると壁を伝うように、しゃがみ込みました。
(わかってた……。わかってたけど……。だけど……。グレイの口からは聞きたくなかったよ)
心の中で悲しげに呟くと、膝を抱えました。
もし、全てを聞いていれば――な熱弁は壁一つ挟んだだけなのに、涙を流すアビーシアの耳には届きませんでした。
** § **
その日、トレヴァー・シーアモは朝から頭を抱えていました。
「コーチ! もっと、強くなれるようなメニューを組んでください」
眼前でそう叫ぶ若者――グレック・デイス。
州都で行われている格闘技大会に参加する為、故郷から出てきた十五歳。
旧友の孫なので、半ば物置となっていた空き室に下宿させるだけでなく――ジム設備の利用も認めた。
少し見ただけで、才能を自己流で磨いてきたのが分かった。
だから、時々、助言をしてきた。
おかげで、コーチなんて、大それた名で呼ばれる事になってしまった。
トレヴァーは白くなってはしまったが、ふさふさの頭を掻きながら、心の中で静かに呟きます。
(困った)
そんなアビーシアの祖父の前で、グレックは己が思いを熱く語り続けます。
「俺、どうしても、隣に並びたい人が出来たんです」
あと数ヶ月後ぐらいに始めさせるつもりで、考えていたトレーニング・メニュー。
それをもう、始めてしまっている。
グレックには才能がある。それは間違いない。
成長期に伸ばせるだけ、どんどん伸ばしてやった方がいいのだろう。
だが、それ故に故障が怖い。
トレヴァーは自分が若者の人生を決めかねない事に、少なくない恐怖を覚えるが故に――言葉に詰まっていました。
「ノエルが強盗に捕まった時、俺、何も出来なくて」
グレックはそう言うと血を絞り出さんとしているように拳をぎゅっと握り締め、それは悔しそうに歯を噛み締めます。
「だけど、あの人は凄い落ち着き払って」
抵抗はある。凄まじく抵抗がある。
殴った後に絶対に後悔すると分かってる。
それでも……。
孫を撃ち殺しかねない事をした女だけは殴っていいだろ!
と思うと同時に、話を聞く限り、そのナビーシャという娘が来なければ……。
だから、トレヴァーは件の女性に愛憎を同時に抱き、感情を整理する事が出来ません。
「あいつの持っていたナイフを撃ち落したんです」
「いやな……。孫に矢を当てかねないのはな」
故に、トレヴァーは顔を曇らせながら語ります。
「今回はそれが正解だったが……。蛮勇紛いは見習って欲しくないぞ」
「コーチ! あの人はそんな事はしないって自信があったから!!」
「わかった。わかった」
そして、若者の目が何時もとは、何かが違うと気づきました。
(――ん? はて? 新たな超えるべき壁を見つけた時とは違うのか?)
「俺、あの人に見合うような男になりたいんです」
(初めて恋をした若者の純粋な瞳か? ふむ……。超えるべきライバルであり、共に歩みたいパートナーか)
そう分析をしたトレヴァーは中空を見上げながら、心の中で静かに呟きます。
(また、よりにもよってなぁ……)
自分の言葉をじっと待つ若者を前にし、トレヴァーは――。
(ノエルの件があるとはいえ、惚れた女と戦わせるわけにはいかんよなぁ……。まずは、そっちの矛先を変えさせるか……)
「最近、不定期だが……。ジムに顔を出す若い東洋人がいる」
一つ一つ解決せんと決めると、静かに語りかけました。
「独特の剣を扱うサムライって人ですか?」
「いや。多くを語らんが……あの体つきは」
そこで言葉をきると、腰を深く深く落とす事で極端に重心を下げた体勢で、両手を構えました。
「レスラーだ」
「試合でも、スパーでも、会った事がないタイプか」
まだ見ぬ相手を想像し、拳をぎゅっと力強く握り締めたグレックの瞳を見て、トレヴァーは安堵の一息を吐きます。
「その男との相談次第だが、スパーリングの機会を作れるかもしれん」
「お願いします。是非、その人に挑戦をさせてください」
** § **
「俺、ランニングに行ってきます」
そう言って走り去ったグレックの一声が合図となったように――蹲っていたアビーシアは何時の間にか、閉じていた目を開けました。
(何よ! 朝から、ナビーシャ、ナビーシャって!!)
両手で目元を拭うと、思いっきり勢いよく、一気に立ち上がります。
(うん。未来の私は綺麗だよ。スタイルだって、ママみたいに良いよ)
毎日の運動の成果もあって、練習で作ったケーキを食べ続けても、影響が出ていない歳相応な肢体。
但し、十八歳と比べると平坦なボディラインを見ながら、心の中で愚痴を零し続けます、
(だけどさ……。一度会っただけだよ! ちょっと話しただけの相手だよ。何で簡単に好きになるの? 三ヶ月も経つのに、私には、あんな情熱のこもった目を向けてくれた事ないじゃん! 私にはノエルを見守る時みたいに、ただ優しいだけの目しか向けてくれないじゃん!!)
使い終わった食器を集めながら、手の届く範囲を拭いていくノエルをしっかりと目で追っている。
そんなグレックの瞳を思い出し、苛立ちが募り続けます。
(外見? あいつ、まさか、それだけで? そんなに見た目が大切なの!?)
今の歳相応の手足と体を見ながら、手足が伸びて、スタイルも変わった未来の姿を思って、アビーシアは心の中で叫びます
(いいよ! じゃあ、私もお洒落してやるんだから!!)
思いに気づいてくれないグレックへの不満と、ナビーシャへの嫉妬。
二乗した感情を原動力としたように、猛烈な勢いでアビーシアは祖父母の家を飛び出しました。