第一話「未来に導いてくれる羅針盤」 Part3 of 4
初対面の大人の男性二人に挟まれた事で、少なくない圧迫感を感じながら、アビーシアは口を開きました。
「私は将来、何になれるのか? そんな不安を何とかしたい……です」
半ば、強要されたような気もする。
それでも、最期は意を決して――自分の抱えてきた悩みを、己が思いを口にした。
そんなアビーシアを前にして、ベルゼと獣人二人が浮かべたのは困惑の表情。
もっと、単純明確に欲望を口にしてくれ。
そう言いたげな二人を残して、はたと何かに気づいたベルゼは店内を右に左に、また右に。
遂に店内を一周以上した末に、窓から差し込んだ陽光を反射する何かを手に戻って来ました。
「これなんてどうかな?」
それはアビーシアと獣人二人が覗き込む様を鏡のように映し出す――そんな綺麗に磨かれた蓋がついた羅針盤でした。
ただ、東西南北を示す印が棘のように外にも突出。
シルエットだけ見れば、忍者の十字手裏剣の一種のようにも見える不思議なデザイン。
但し、羅針盤なのに、肝心要の方位磁針は錆びついたように一切動きません。
「あぁー。その品がありましたね」
異口同音でそう語った獣人二人と違って、唯一人状況が飲み込めない。
そんな疎外感を感じながら、今度はアビーシアが困惑の表情を浮かべました。
「羅針盤の意味はご存知ですか?」
「七つの海を旅するのに必要な道具?」
アビーシアが船乗りの叔父の事を思いながら、獣人二人の問いかけに返事をすると――珍しい事に山羊の獣人、羊の獣人が一人ずつ語ります。
「この羅針盤が案内するのは」
「あなたの未来の可能性です」
「私の可能性?」
二人の説明が分からない――そう言いたげな表情で、アビーシアが助け舟を求めて、ベルゼの方に顔を向けた時でした。
「説明を聞くよりも、経験していただく方が早いでしょう」
白山羊の獣人は受け取っていた羅針盤を、半ば強引に右手で握らせました。
刺さりはしなかったものの、四つの出っ張りの尖りが、アビーシアの顔を苦痛で歪めさせ、白山羊に非難の目を向けさせます。
「想像してください。未来のあなたの姿を! 成ってみたい姿を! 見てみたい光景を!」
黒羊の言葉に誘導されて、アビーシアは未来の――と言っても、そう遠くない自分を想像。
最初に見たいと思ったのは――。
自分のケーキが喫茶店の看板料理となっている光景。
但し、そんな風に店をまわしている自分を具体的には想像出来ませんでした。
苦痛を我慢するように顔を歪めたアビーシアを見て、獣人二人は不満気に顔を顰めます。
次に浮かんだのは――。
(もう、パパやママみたいに、モンスターと戦うなんて時代は来ないだろうけれど……)
父のように分厚い皮鎧に身を包み、剣を背負ってはいるが、母のように素敵な大人の女性としての姿。
両親が冒険者引退の直前に描いてもらったという。
今は夫婦の寝室に飾られている肖像画の二人を合わせたような姿でした。
(私も、グレイと並んでいるのを描いて欲しいな)
まるで夢見心地のようにリラックスし、体から力が抜けている。
それでいて、しっかりと両足で床を踏みしめている。
そんなアビーシアを見て、獣人達は異口同音で続きを促します。
「今、方位磁針は北を指していますね? それを北東に向けてください」
アビーシアは目をつむったままでしたが、不思議な事に、その指先は指示された事を行えていました。
「こう唱えてください。『ショー・ミー・マイ・ポテンシャル』と」
「ショー・ミー・マイ・ポテンシャル」
二人の言葉を復唱した途端、右手の放つ七色の光。
いいえ、右手に握られた羅針盤が放っている光によって、アビーシアは意識を一気に引き戻されます。
そして、それが右手を始点として、体全体を覆っていっている事に気づきました。
「え! 何、これ!?」
戸惑いの声を漏らすと同時に、突然の苦しさに襲われる。
そう。まるでサイズの合わない服を無理に着た時、胸元を締め付けられるように。
アビーシアはそれに我慢出来ずに蹲りました。
「あァッ――くぅ」
体の底から湧き出す熱い何かが、体内を駆け巡るような感覚。
だけど、不快ではない。
むしろ――心地良い。
朝のランニングをしている時に苦しくなって、一休みしたくなっても、そのまま走り続けた時のような――そんな何かを為した時のような感覚。
それに突き上げられられる様に、勢いよく、跳ぶようにアビーシアは立ち上がりました。
「え?」
そして、自分の視野が――幼い頃、父親に肩車されて見たような光景に変わっている事に気づき、戸惑いの声を漏らします。
何かに誘導されるように自身の両手を見れば、それが自分の手であると分かると同時に、自分の手でない事も分かりました。
後頭部をさっと撫でた何かによって、自分の髪の長さが変わっている事にも気づかされます。
「嘘! 何で!?」
混乱し、困惑し、不安に駆られ、落ち着かない。
そんなアビーシアに『答え』を教えようと、獣人達は店の奥に走り去り――大きな姿見鏡を抱えて、戻って来ます。
アビーシアが鏡の前で右手を自分の顔に、左手を自身の体に這わせると――。
鏡は十八歳程のショートカットでは無い髪型の女性が右手を彼女の顔に、左手を彼女の体を覆った皮の鎧に這わせる様を映しました。
「彼女が……これが……今の私なの?」
アビーシアが口を動かすと、鏡に映っている見知らぬ――だけど、よく知っている誰かも、同じように口を動かしました。
「はい。これが、あなたの可能性の一つ」
「はい。これが、あなたの未来の姿の一つ」
一仕事終えたとばかりに、満足気な笑みを浮かべた獣人達。
二人の手は何時の間にか、小皿が握られていました。
「今、あなたは将来、学ぶ事になる知識を持っています」
「今、あなたは将来、身につける技術を使えます」
(本当だ。パパが素振りの時にやっていた奇妙な足の動かし方が、重心移動だったんだって分かる)
つい数瞬前まで何も載っていなかったはずなのに、今度は小皿に各々のチーズケーキを載せながら、獣人達は語りました。
「但し、それは可能性があり得る時のみ」
「たどり着けない未来の姿になる事は叶いません」
二人は今度はフォークを片手にしながら、悪戯を成功させた悪ガキ達のような笑みを浮かべます。
そこには厭らしさはない。
だけど、何故か、言い知れない不安を感じさせるもの。
そんな彼らを前にしても、アビーシアは自身の変化の方が気がかりで、二人の方には意識がいきませんでした。
着ている鎧を触って、感じた事は――父親が冒険者時代に着ていて、今は物置に仕舞われているのと同じ手触りだという事。
次に恐る恐る背負った鞘に手を伸ばすと、何年もそうしてきたように――自然な感じで剣を引き抜けました。
(パパが使っていたのと比べると小振り? これが私の体格に合ったサイズって事なのかな?)
つい振ってみたくなるも、ここがお店の中である事。
何より、刃物の危険さは喫茶店での手伝いで、体に染みついています。
抜いた時のように、何十何百としてきたように、しゅっと鞘に剣先を収める事が出来ました。
(将来の私って、そっか……。ママみたいなスタイルになるんだ。でも、髪は……)
鏡に映っている自分の髪、ふんわりとした髪。
エアリーヘアと呼ばれる髪型を顔の向きを変える事で、色んな方向から見るも――。
(今みたいに単純なショートでもないし、ママみたいにロングでもない。うーん。似合う? 似合うのかなー?)
やった事がない髪型故に不安が生じ、それが呼び水となったように積み重なり続けます。
「その髪型って凄い似合ってるよ」
まるで心を見透かしたように、絶好のタイミングでのベルゼの一言。
「ありがとう」
アビーシアは不思議に思うのも一瞬。似合うと言われた喜びで頬を緩めました。
(漠然と未来の私をイメージしたけど……。肖像画のパパとママを合わせたみたいな姿になっちゃったな)
そんな事を考えながら、自分の全身を鏡に写して楽しみます。
「お喜びのところ、申し訳ありませんが……これは絶対に聞き逃さないでください」
今や、目線が少し高いぐらいの位置になった獣人達。
二人はアビーシアの目を見ながら、真剣な顔つきで言葉を続けます。
「この羅針盤の秘密を私達三人以外に話してはいけません」
「この羅針盤の秘密を私達三人以外に知られてはいけません」
「もし、誰かに話した時」
「もし、誰かに知られた時」
アビーシアが二人の言葉の続きを待ち、緊張で唾を飲み込み――十秒? 一分? 一時間? 一日? が経った時でした。
バァーン。
突然、晴天だというのに一つの雷が街の近郊に落ちました。
晴天の霹靂という言葉があるように、一見快晴でも、落雷が起きる事はありえます。
けど、まるで――。
「『お前』の未来は全て閉ざされる」
ベルゼの警告を最大限に印象付けるかのようなタイミングでした。
「ひゃん」
アビーシアが可愛らしい悲鳴をあげて、尻餅をついた時――その右手の指先が方位磁針に触れて、針を北へ。
すると、再び、全身が七色の光に包まれました。
けれど、今度は映像を逆回しにするように、光は羅針盤の中に吸い込まれていきます。
と同時に、彼女は貧血を起こした時のように、目の前がぼやけだし、体の中から急激に力が抜けていくのを感じました。
カラン。カララン。
突然の事態に戸惑ったアビーシアの手から、零れ落ちた羅針盤がコロコロと店の床を転がります。
そして、目の前が見えるようになると共に――ゆっくりと立ち上がったアビーシアは、ベルゼと同じ目線にいる事に気づき、自分の両手足に目をやりました。
戸惑いを露わに周囲を慌てて見回すも、やはり、身長は縮んだまま。
いえ。元の身長に戻っていました。
そんなアビーシアに、ベルゼは拾っていた羅針盤を誇示するように見せつけました。
「それでも……この羅針盤が欲しい?」
ベルゼはニンマリと口を大きく――まるで裂けたかのように開きながら、誘うように問いかけます。
(つまり、秘密を守ればいいって事だよね?)
アビーシアは少なくない躊躇いを感じました。
それをやっては駄目だと分かっていても、パパとママに相談してから決めるべきだ。そう思いました。
けれど、それ以上に――将来の自分は何を出来るのか? を知りたいという誘惑には勝てませんでした。
だから――。
「うん。欲しい」
「じゃあ。これはアビーちゃんにあげるね」
微笑んだベルゼに差し出された羅針盤を何の躊躇いもなく――本当に、こんな高そうな物を貰っていいのだろうか? そんな罪悪感を感じつつも、嬉しそうに羅針盤を受け取ってしまいました。
そんな彼女を心底楽しそうに眺める三人の目つきには気づけずに。
「あれ?」
ふと気づくと、何時の間にか、北を指す箇所から金色のチェーンが伸びています。
戸惑いを覚えながらも、アビーシアはチェーンを手にとって、首にかけると――まるで計ったかのように、ネックレスのように掛けるのに最適の長さでした。
「あの。ほんと。ありがとう」
アビーシアは愛おしそうに羅針盤に手をやりながら、ゆっくりと頭を下げました。
故に、彼女が頭をあげるまでの数秒の間だけ、ベルゼが人とは思えない貌で笑っていたのを見ないで済みました。
「これで私、自分の色々な可能性を試せるんだ」
楽しそうなアビーシアを見ると、獣人二人は両手の平を上に向けて、ヤレヤレというポーズをとり――心底哀れむような表情を浮かべます。
「世の中、そんなに甘くは無いんだよ」
決して人には出来ないだろう邪悪な笑みを浮かべていたベルゼ。
その声は冷たい氷水を直接注がれた様に、アビーシアの耳に届きました。
「羅針盤とは七つの海を旅するのに使う道具」
「これも同様に七つの未来に導いてくれる道具」
「でも、一回既に使っちゃったよね。だから、知れる可能性は残り六つなんだよ」
山羊の獣人、羊の獣人、人とは思えない美貌の少女。
三人はリレーのように引継ぎながら、説明を終えると、目の前の少女かどんな反応をするのか?
それを楽しそうに笑みを浮かべて待ちます。
「それって……。あと、六回も自分の未来を知る事が出来るって事なんだよね?」
三人以上の快活な微笑みを見ると、ベルゼは不満気に唇を噛んだ後、ゆっくりと開きました。
「悔しくないの? そんな説明されてないって怒らないの?」
「うん。だって、私は他の人が得られないチャンスを貰えたんだよ。これって凄い幸運な事だよね?」
建前や強がりを言っているのではない。
そう本音を語る声を聞くと、三人は心底居心地が悪いと言いたげに顔を歪めます。
「あ! でも、やっぱりさ」
不満を匂わせる声を聞くや、獣人二人は揉み手をしながら、即座にアビーシアに駆け寄りました。
「何? どんな不満があるの? 言って、言って」
ベルゼも、どんな不満だろうと聞いてはあげる。
だから、早く、聞かせてよ。
そう言いたげにアビーシアに続きを急かします。
「さっき渡したケーキは、パパに『ご近所のご挨拶』として頼まれた品だったから」
思わぬ言葉に三人はぽかんと口を開けました。
「私のお小遣いで、皆にお礼をさせて」
やがて、ベルゼは本当に困ったと言いたげでありながら、同時に嬉しそうでもある。
そんな顔をしながら、口を開きます。
「ほんと、人間は面白い」
それは、まるで『自分は人間を騙っている』と語っているような声音でした。
「今度はレア・チーズケーキを食べよう」
気分転換だとばかりに、白山羊の獣人が黒羊の獣人にそう勧めれば――。
「今度はベイクド・チーズケーキを食べよう」
空気の入換えだとばかりに、黒羊の獣人が白山羊の獣人にそう返します。
「チョコレートケーキもある?」
二人のコミカルなやり取りを見た後、ベルゼは期待を隠そうとしない声で尋ねました。