第八話「未来へ導いてくれた羅針盤」
昼の営業が終わって、両親が夜の仕込みを始めるまでの一時。
カウンターの裏で寝てしまっていたノエルをベッドに運ぶと、アビーシアは一階の奥の席へ戻りました。
「どうだったかな?」
そう自信無げに訊ねた相手は赤黒いゴシックなドレスを纏った人とは思えない程の美少女のベルゼと、揃いの燕尾服を着た山羊と羊の獣人達。
「とても美味しかったです」
まったく同時に口を動かすと、同じ感想を語った獣人達。
「けれど、それだけです。お父上のケーキとは違います」
(やっぱり、そうだよね……)
二人が淡々と付け足したのを聞き、分かっていた事だけどと意気消沈していると――。
「うん。厳しい事を言うけれどさ。アビーちゃんのケーキって、美味しいだけなんだよね」
小首を傾げて小指を唇に当て、何かを考える仕草をしていたベルゼも追い討ちとばかりに語りました。
「グレイにも同じ事を言われたな。パパのケーキにあって、私のケーキに無いのって何なんだろ」
アビーシアは溜め息混じりに呟くと、もたれかかるようにテーブルに顎を乗せました。
「さっきも訊いたけれど、アビーちゃんは応援に行かなくていいの?」
そう。グレックが疑われた事件から、数日が経ち――彼は明日の試合の為、余裕をみて、日が昇る頃に出立していたのです。
「列車駅のある隣町に行って、州都まで行って戻って……往復で約三日間も、お店を手伝わないわけにはいかないし」
それは明らかに未練を感じさせる声。
「乗合馬車の時間もあるし、列車代に宿代に、何より……年齢制限で会場に入れないし」
続きは溜め息混じりの声でした。
「それならば、未来の姿になれる羅針盤を使えばいいじゃないですか」
山羊の獣人がアビーシアの耳元で、甘い蜜で虫を誘う食虫植物のように囁いた時、隣の羊の獣人は何かを取り出そうと懐に手を。
「それならば、遠い所にも一瞬で行ける品がありますよ」
(但し、帰る手段と言い訳は御自分で御用意を)
羊の獣人が心の中でそう呟くのと、アビーシアが顔を左右に振って、お断りを態度で示すのは同時でした。
「ううん。そういうのに頼るのは駄目なんだと思うの」
羊の獣人がワンテンポ遅れたものの、今回も、二人は両手の平を上に向けて、ヤレヤレという同じポーズを。
そして、二人は彼女を心底哀れむような表情を浮かべると、拳をぎゅっと握りました。
「我慢はよくないです! 欲望に忠実に生きる事は悪い事じゃありませんッ!!」
「そうそう! ヒューマンなんて、どんなに頑張っても、生きられるのは僅か百年!!」
だから、彼を応援に行きましょう。
二人は口を揃えて言おうとするも、アビーシアに全ての邪悪を打ち滅ぼすような爛漫な笑みを向けられると、そそくさと逃げるように縮こまります。
「だから、十三歳のお誕生日お祝いとして、その月の試合の時にグレイとお爺ちゃんに同行させてって、パパとママにお願いしてるの」
その言葉に獣人達はお互いに顔を見合わせ、お手上げだ――そう言いたげなジェスチャーを。
「ふぅーん。@!#$%&」
突然、まるで別の何かに変わったように低くなり、聞き取り難くなったベルゼの声。
(今のって母国語? 家名も聞きなれないし……。ほんと、ベルゼちゃんて、何処の国の出身なんだろう?)
「じゃあ……。私が好意であげた羅針盤は要らない。返そうって言うのかな?」
所々聞き取り難いものの、一応は英語。
但し、妙に言い回しが古かった為、アビーシアは直ぐには理解を出来ませんでした。
「ううん。あっ! もしも、返してって言うならば……直ぐに返すけれど」
そんな事は言わないよね?
そう言いたげな顔で胸元の羅針盤をお守りの様に、アビーシアはぎゅっと握りました。
「けど、使わないんだよね?」
羅針盤を何の為に使うのか?
君は興味が尽きない――そう書いてある顔で、ベルゼは尋ねます。
「自分のあり得る未来を六つも見ておいて、一番知りたかった自分の可能性を確かめてないし」
ベルゼの一言に――あれ? その話をしたっけ? そう言いたげに戸惑いの表情をしながら、アビーシアは口を開きます。
「うん。私も何時か、パパみたいなケーキを作れるようになるのか? それが不安で、確かめたかった」
自分の進む道を選んで、走り続けるグレックと出会った事で――日に日に強まる自分の将来への思いと不安。
そんな時、偶然、見つけた不思議なアンティークショップで貰った魔法の羅針盤。
「だけれど、今は知りたいとは思わない」
満面の笑みで自信満々に宣言したアビーシアに、ベルゼと二人の獣人は揃って、其々の綺麗になったお皿を指差しました。
君のケーキは美味しいけれど、それだけだよ――そう言いたげに。
「もしも、無理だと分かったら……その時は諦めて、別の道を進む。それが賢い選択なんだと思う」
自信の無さと不安。それが如実に表れた声で語るも、グレックがやるように拳をぎゅっと握って、アビーシアはすっと突き出します。
「だって、それは成るって決めた事。だから、出来るか出来ないかなんて関係ないんだもん」
アビーシアがきりっと決意の表明をすると、ベルゼは心の底から祝福していると分かる顔を向けて、すっと、小さい手を差し出しました。
思い出したのは初めて会った日、アンティークショップでの奇妙で不可思議な握手。
一瞬、ほんの一瞬だけ――躊躇をするも、アビーシアは手を握り返します。
「羅針盤を使いたかった目的の為には使わない。けれど、持っていたい。その理由は?」
不可思議な獣人二人に尋ねられ、アビーシアが考えた事は――。
何時か、自分も、今の自分には無い『力』に酔って、それを悪い事に使うのでは? そう不安に駆られた時に打ち払ってくれた。
今の自分の力だけではどうしようも無い時に、今の自分には無い『力』を使って人を助けている――と語ってくれた青年の事でした。
「この『力』は困っている誰かの為に使おうと思うの」
口をポカーンと開けた獣人達の隣で、ベルゼは手を握ったままのアビーシアの目をじぃっと見詰め――。
「人を超える力を得ても、一度も、それを自分の為には使わずに永久の眠りにつく……か」
呆れ、尊敬、冷笑、感動が入り混じった貌を、やがて――心の底から満足している顔に変えました。
「人間は面白い。君の未来に@!#$%&」
「ありがとう」
最後が聞きとれなかったし、不穏な単語も聞こえた気がした。
けれど、その手の暖かさから、悪い意味は無かったのだろう。
そう思えたから、アビーシアもニコヤカに微笑みを返しました。
** § **
** § **
そして、数年後のアメリカ合州国のとある州。
巡回班所属の衛視として、人々を守り、非番の日には――な夫と、両親から受け継いだ喫茶店を経営する妻。
グレックとアビーシア夫妻の住む――とある小さな街には、母親達が子供達に伝える物語がありました。
あなたが困っている時――。
あなたが危ない目にあった時――。
あなたが誰かの助けを必要とした時――。
可憐な姿の女の子が助けに来てくれる。
けれど、彼女が助けてくれるのは善い子だけ。
ただし、彼女が助けてくれるのは頑張った子だけ。
なので、人に優しくしないといけません。
だから、出来る事は自分でやらなければいけません。
そして、事故や事件に巻き込まれ、九死に一生を得た子供達は語ります。
「おねぇちゃんが助けてくれたんだ」
けれど、誰もが異なった特徴をあげるのです。
そう――まるで、そんな不思議で、優しい女の子が何人もいるように。




