第六話「ラフ・ファイター 事件編」 Part2 of 3
恐怖で目を瞑ったアビーシアの耳にグレックの叫びが響く中、その細い肩をしっかりと掴んで、優しく声をかける人がいました。
けれど、それは――。
「大丈夫か?」
「ありがとう……ございます」
恐々と目を開けた時、側にいたのがグレックでなかった事の残念さに、助けてもらった感謝がない交ぜとなった――のが顔に出るのを隠せていない。
そんなアビーシアを見て、ロラルドは苦笑いをすると、拳を握って対峙する二人の方を睨みました。
「この野郎ォ! よくも、アビーをッ!!」
レオンは兄の助けで、自分がアビーシアが怪我させないで済んだ事に安堵の一息を吐きながら、グレックに拳を向けます。
「へへ。相手になってやるぜ」
叫び声を轟かせるや、構えもとらずに、一気に踏み込んで距離を詰めてくる。
そんなグレックを迎えうたんと、挑発的な笑みを浮かべながら、レオンは両脇を締めると、まるで浮いているかのように、前後左右に軽やかな動きを。
そして――。
「止めないかッ!!」
ロラルドの一喝が開始の合図となってしまったかのように、レオンも距離を詰める事で戦いが始まりました。
レオンは路面を蹴るや飛ぶ様に宙に跳び、グレックは路面を滑るように更に前へ。
グレックが腰を落としつつ、右肘を構えると――レオンは宙で両の拳を更に強く握りこみます。
(え、あの人! あんななのに、何で、グレイと同じくらいに速いの!?)
拳の一つが打ち上げられ、拳の一つが振り落とされ、接触すれすれで交差する様にアビーシアは息を飲みました。
(かなり重そうなのに)
なんて、ちょっと、失礼な事をアビーシアが考えている間も、二人の戦いは続きます。
レオンの拳に空を裂かせると同時に、膝を折り曲げ、更に腰を深く落としたグレック。
それに対して、レオンの握っていた左拳もカーブを描くボールのように飛びました――と言っても、足場のない空中でです。
グレックの狙いは読めても、それに対応出来る程の細かい動きは出来ません。
「ちぃッ」
レオンが着地直後に跳びかかってくるだろうグレックに備えんと、悔しげに唇を噛んだ時でした。
「お前達、いい加減にしないかッ!!」
まるで落雷の如き一喝が路上に響くや、ドスンとまでは言わないまでも、重い何かが降りる音が路上に響く。
と同時にバネのように体を縮めていたグレックも、ゆっくりと、立ち上がりました。
「グレック! 俺が彼女を助けていたがな……。お前の連れだろうッ」
多少の躊躇いはあったものの――アビーシアを心配するよりも、傷つけた者への怒りを優先してしまった。そんな後悔を露わにした顔で、グレックは呟きます。
「すみません」
「謝る相手が違うだろうが」
ロラルドの一喝を受けると、グレックはアビーシアに申し訳なさそうに顔を向けます。
「アビー。ごめんよ」
「ううん。グレイは私の為に怒ってくれたんだし」
(直ぐに駆け寄ってくれる方が嬉しかったけれどね)
実際に声に出したくなるのを飲み込んで、アビーシアは優しく微笑みます。
「レオン! それにお前達も、俺達がやっているのはスポーツだ! 喧嘩じゃないって事を忘れるな!!」
「でも、ロラルドさん。一番怪しいのはこいつでしょう」
ジャケットを着ていた男の一人が叫ぶと、ロラルドは無言で睨みつけました。
「ロラルドさん。いい加減、事情を話してくれよ」
彼らに起きた何かの為に、自分が疑われている。
それを察したグレックの弱々しい声を聞くと、ロラルドはゆっくりと口を開きます。
「アンダーエイティーンの参加者が襲われている事件は知っているか?」
「はい。コーチ達から」
「俺達も少し前にそいつに遭ってな」
そう言うと、顰め面で表情を強張らせたのを見て、グレックは驚愕を露わに叫びます。
「え! まさか、ロラルドさんも」
その後に言おうとした事。
それを実際に声には出さなかったものの――意図は伝わったのでしょう。
「兄貴がよォッ! 不意討だろうが負けるかよ!!」
「手前ッ! ロラルドさんを馬鹿にしてのかァッ!!」
一斉に叫び声を上げた彼らに呆れとも、諦めともとれる表情を。
だが、彼らを手間のかかる愛すべき弟達とも思っている。
そんな表情を向けるロラルドを見て、アビーシアは硬くしていた表情を和らげました。
「後ろから、ここに一撃をもらってしまって」
そう言いながら、ロラルドは左脇腹を押さえました。
嘘だろ?――と言いたげな表情で固まったグレックを見て、アビーシアは再度、ロラルドに目を向けます。
(この人、グレイよりも、そんなに強いんだ)
次にロラルドに全幅の信頼をおいている。そんな男の子達に目をやりました。
彼らがロラルドに向ける目は、アビーシアがグレックに向ける目と同じですが――それを彼女が客観的に知る事は出来ません。
「その後はお互いに有効打無しだったからな。試合ならば、判定負けだ」
「不意討ちした時点で、試合なら、そいつの負けでしょう?」
グレックの冷静な指摘にロラルドは苦笑いを浮かべます。
「けど、試合じゃないんだから……。もしかして、犯人に逃げられた?」
嘘だと言ってくれよ――そう言いたげな問いかけが、レオン達の顔を高潮させ、唾を路面に吐き捨てさせる。
「ああ。顔を覆っているフードで目線が読めないのもあったが……単純なバックステップだと思っていたのに、ウサギの獣人並みの勢いで走り去られてしまったよ」
ロラルドは淡々と答えた後、弟達を諌めるように視線を向けます。
「あの……。それで、何でグレイがその犯人って?」
聞きに徹する事が出来ずに、とうとう、アビーシアが問いかけると、ロラルドは一呼吸置いた後に口を開きました。
「俺達の知る限り、あんな動きを出来るのは数人しかいない」
「数人? だったら」
グレイ以外を疑ってよ!!――アビーシアがそう叫ぼうとした瞬間でした。
「そいつらは全員がギブスを着けてるか、入院中だ。路上で野良試合なんて無理なんだよ」
それぐらいは調べてる。
レオンはそう言いたげにアビーシアとグレックを睨みます。
「それに……。グレックは目をやってるだろ。だから、どの程度、自分が動けるかを確かめる為にな」
だから、路上で手軽に喧嘩をしている――のだと語ったレオン。
「それなら、お爺ちゃんに頼んでいるみたいに、スパーリングを組んで貰えばいいだけじゃん」
週に何度か見かける光景を思い返しながら、気軽な口調で返したアビーシアにグレックは顔を顰めました。
「アビー。そんな簡単に言うけどよ」
怪訝な顔をしたアビーシアに、レオンが不満を露骨な態度で露わしながら叫びます。
「俺達はなッ! 相部屋で宿代を節約しなきゃならねぇし、バイトの合間に練習をするしかねぇんだよ!!」
その意味が分からずに、アビーシアが困惑していると――。
「相手の方の都合を優先するのは当然だし、仕事を疎かにするわけにもいかない。スケジュールの調整というのは難しくてね」
ロラルドが冷静に諭そうとするも、レオンが再び咆哮します。
「真っ昼間に可愛い子と気楽にデートを出来るような、恵まれた環境の奴とは違うんだ」
売り言葉に買い言葉と言うように、当然、アビーシアだって、黙っていません。
「グレイはお爺ちゃんのジムを手伝ってるし、うちのお店も手伝ってくれてる。ノエルの面倒だって」
唾を飛ばす勢いで叫ぶ様子に呆れながら、グレックが止めに入ります。
「アビー。落ち着けって」
「何よ! 私はグレイの為に!!」
レオンは最初は睨んでいたものの、アビーシアの風貌に似合わない暴れ続ける姿に毒気を抜かれたのか――。
「わかった。わかった。俺が悪かったよ」
見せつけるように、溜め息を吐きながら、そう呟きました。
そんな軽い調子で謝られても、許せるもんか!――そう言いたげにキッと睨みつけるアビーシアを前に、レオンは髪を掻き毟ります。
「悪かったって言ってるだろ」
レオンはそう言うや、逃げるように走り去り――仲間達も続きました。
「待てッ! グレイにちゃんと謝れ!!」
そう叫ぶと同時に、遂にグレックの拘束を抜け出したアビーシアが走り出そうとするも、その両肩に、すっと、優しい温もりの手が置かれます。
「弟達がすまなかった」
アビーシアは尚も燻る怒りを露わに振り向くも、心底申し訳なさそうな顔をしていたロラルドには何も言えませんでした。
だから、ちょっとした唸り声をあげると、ぷいっと、そっぽを向き――そんな彼女にグレック達が苦笑を浮かべます。
** § **
アビーシアが喫茶店の夜の仕込みの手伝いを済ませ、祖父の経営するジムに顔をだすと――。
祖父が若い頃に手に入れ、何度も修繕を重ねて、継ぎ接ぎだらけになったサンドバックが左右に激しく揺れた後、音が遅れて響く。そんな不可思議な現象が起きていました。
床に汗で小池を作り、尚も全身から湯気を立ち昇らせている。
そんなグレックを見て、アビーシアは自宅に駆けると、レモンの果汁を混ぜた氷水を片手にジムに戻ります、
「グレイ。ちょっと、休憩してよ」
グレックは一度は手に取ろうとするも――何も言わずに、今度は、持ち運びを出来る運動器具を納めた棚に向かいました。
「――ッ!?」
走り寄ろうとした瞬間、急に誰かに肩を掴まれ、声にならない悲鳴をあげたアビーシアが振り向くと――。
「今は、やりたいようにやらせてやれ」
祖父であり、ジムのオーナーのトレヴァーの無力感に苛まされた顔がありました。
(半ば八つ当たりだとしても……疑われたのは辛いよね)
グレックの心中を想像し、アビーシアは顔を曇らせます。
「ついさっき、ロラルドの奴が来てな」
「そうだよ! ロラルドさん、何で犯人を捕まえくれなかったの!? グレイ並に強い人なんだよね?」
アビーシアの叫びじみた問いかけにトレヴァーは腕を組みました。
何も言わずに、じっと自分を見つめている祖父の目。
そこに哀れむような何かを感じて、アビーシアは自分も八つ当たりじみた事をしていた事に気づき、ばつの悪い顔で黙りました。
けれど、頭で理解は出来ても――。
「いいよ! だったら、私が」
そう叫ぶや、駆け出します。
「アビー、最後まで話を聞かんか」
祖父が何か――きっと、絶対に聞き逃してはならないだろう何か。
それを言おうとしている事に気づくも、アビーシアの足は止まりませんでした。
** § **
アビーシアは自宅に駆け入るや、ダダッダっと乱暴に階段も駆け上がります。
「アビー。階段は静かに」
母親の叱り声を背景に、バンッと勢いよく、自分の部屋の扉を開けると――ガァッンっと、部屋の模様替えの為、一時的に場所を変えていた棚にぶつけてしまいました。
「痛ッ」
アビーシアが八つ当たり気味に扉と棚を睨んでいると、パイプ煙草を咥えた男性と小太りな男性――そんな二人が表紙に描かれた本に目がいきました。
「そうだ」
お客さんが忘れていったのを預かったのが切っ掛けで、読むようになったジャンルの小説を手に呟きます。
「そうだよ! こういう物語の主役みたいに!!」
アビーシアは本を棚に戻すと、胸元の羅針盤をぎゅっと握り締めながら、喜色満面で部屋の隅へ走ります。
モンスター達が脅威だった時代には、その巣穴を調査したり、移動経路を探し当てていた専門家――偵察係や斥候役と呼ばれていた冒険者達。
その脅威が薄らいだ代わりに――の現代では、未解決となった事件の裏側を調べ、真相を解き明かす。俗に探偵と呼ばれる人達。
姿見鏡の前で、そんな彼らと共に並び立つ自分を想像しながら、魔法の言葉を唱えます。
「私は私の可能性を信じる」
そう口にした瞬間、つい先程に見た表紙の影響でしょうか? パイプ煙草を口にした自分を想像してしまいました。
「駄目! 駄目よ!!」
アビーシアは慌てて、それを振りはらわんと、頭を乱暴に振ります。
お店でお客さんが吸っているのを間近で嗅いでしまって、危うく、嘔吐しかかった。
ノエルが生まれる前なので、とっくに忘れているべきなのに。
そんな嫌な思い出が蘇ってしまって、可愛い顔をくしゃくしゃに歪めました。
「グレイに嫌われちゃうッ!」
そう叫ぶと同時に、ぎゅっと握ってしまった両の拳。
羅針盤の四方から伸びる尖りに右手の内を刺激され、今にも唸り声をあげそうな不機嫌顔になります。
「あんなのは無し!!」
痛みが刺激となったのか、不意に思い出したのは、かつて、寝物語に聞かせてもらった両親の冒険譚。
旅先の村で行方不明となってしまった子供達の捜索の手伝いを頼まれ、複数の痕跡を見つけた事で、ちょっとした隠れ家にたどり着いた話。
泊まり宿の番犬が家出。目撃談を集めていき、メスの野犬との巣穴を見つけて、二頭を無事に保護した話。
「そうだよ! 小説の登場人物みたいな姿になる必要は無いんだ」
二人の思い出話を意識しながら、指先を動かない針にそっと乗せました。
「私は私の可能性を信じる。皆が見落としていた、些細な何かにも気づける」
アビーシアは羅針盤の針を西に向かって、ゆっくりと動かします。
「だって、私はパパとママの子供だもの」
元気一杯の笑顔で高々と宣言。
「グレイに、ロラルドさんに、皆に迷惑をかけてる人を見つけられる。ショー・ミー・マイ・ポテンシャル」
そして、少女の全身は姿見の前で七色に包まれ、その足元から噴き出したような熱い何かが体中を駆け巡りました。




