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第四話「勇気を振り絞っての一歩」 Part1 of 2

「違う」


 差し込む陽光を浴びながら、ドレッサーの前に座り、唸り声をあげそうな勢いで不満を零した一人の美少年。

 否――淡いメイクによって、年相応の美少女の顔立ちとなったアビーシア。


(ママにやってもらった時みたいに上手くいかない)


 握っていたパレットを置き、次に手に取ったのは、昨日、グレックのお見舞いの帰りに購入した『はじめてのメイク』という本。

 初めて自分でするのだから、手馴れた大人の女性である母親にしてもらったように上手く出来るはずはない。

 それが頭では分かっていても、心の中では――。


「むぅ~」


 とうとう唸り声をあげ、穴を開けそうな勢いで睨むように、ページを捲り始めた時でした。


「――ィ」

(ママ?)


 本をドレッサーの所に置き、廊下へ駆けると、手摺から体を乗り出させます。


「ママ。呼んだ?」


 落ちないように気をつけながら、階下に呼びかけると、フライパンを片手にした母パティが顔を出し――娘がしていた事に気づくと、微笑ましい光景を見ちゃったと言いたげに頬を緩めました。


「アビー。後でいいから、デリオさんの所まで行ってくれないかしら?」


 調理場の器具の保守点検をお願いしている鍛冶師の名前を聞き、アビーシアは不安で顔を曇らせます。


「え! 何かあったの?」


 数週間前の強盗騒ぎの後の開店以来の大賑わい。あの影響が今頃? そう問いたげに憂鬱な表情をした娘に対し、母は優しく首を振りました。


「ううん。パパが新しいお鍋を。たしか」


 パティは首を傾げ、片手の指を頬に当てながら言葉を続けます。


「寸胴鍋って名前だったかしら? それの製作をお願いしていたの」

「あぁ。吃驚した」


 アビーシアはふぅっと安堵の一息を吐くと、しゃがみ込みました。


(パパ。今度はどんな料理を作るのかな? どんどん、新しい事にチャレンジ出来るのっていいなぁ……)


 前に前へと挑み続けられる父親を尊敬すると同時に、湧いたのは少なくない嫉妬。

 それに顔を曇らせた料理人の娘は頭を振るって、負の感情を払い落としてから、元気よく立ち上がります。


「うん。わかった。後で行ってくるね」

「お願いね」


 二人は親娘だからか、まったく、同時に顔を引っ込めると、其々の作業に戻ります。


**  §  **


 鍛冶師といっても、武器防具は一切扱わず。生活雑貨だけを取り扱っているドワーフのデリオ。

 ただ、剣や斧は置いていないといっても、包丁などの切れ味鋭い生活雑貨は取り扱っています。

 だから、母親と姉はまだ幼い弟が同行する事に難色を示すも、結局、泣く子には勝てませんでした。


「走っちゃ駄目ー」


 最初、ノエルはアビーシアが物置から出した手押しの台車に大人しく座り、石畳でガタガタ揺さぶられるのを喜んでいました。

 けれど、まだ行動が突発的な幼子は不意に降りるや、走り出してしまいます。


「お姉ゃん。きゅうすう」

「待って」


 十二歳の女の子と四歳になる前の男の子なのですから、何もなければ楽に追いつけるはずです。

 けれど、台車を押しながら走るのは、ちょうどいいハンデに。


「こら! 待ちなさいって言ったでしょ!!」


 結局、三十メートルちょっとを逃走。

 デリオの店まで、残り数メートルのところで襟を掴まれると、ノエルは最後まで走らせろとばかりに暴れます。


「やぁ」


 ある人は、ちょっと遅めのランチを食べに。

 また、ある人は取引先へ書類を届けに。

 各々の理由で木々が並ぶ通りを歩いている人達が、次々に二人の側を通り過ぎました。


「帰ったら、ママにお尻を叩いてもらうからね!」

「やッ」

「嫌じゃないッ」


 可愛らしい少女とはいえ、姉からの一喝にノエルは黙ります。


「悪い事を二度としないように、真っ赤になるまで、叩いてもらうから」


 更に一押しとばかりに圧を加えた後、力が抜けたように、地面にしゃがみ込んでいる。

 そんな幼い弟に姉が目線を合わせます。


「それが嫌なら、二度と、こんな危険な真似はしない。そう、約束を出来る?」

「ぅん」

「うんじゃない。どんな悪い事をしないのか、ちゃんと言って」


 昼前という事で、飲食街の方に人が向かっている為でしょうか。幸い、人通りが少ないとはいえ、商店街でのやり取り。

 商売の邪魔をしかねない事に罪悪感を感じながらも、アビーシアは日除けの下で、ノエルの返事を優しく待ちます。


「街の中をひつりで走りましぇん」

「よし」


 アビーシアは立ち上がると、片手で台車を器用にコントロールしつつ、そっと、ノエルの手も握りました。


「じゃあ、今回だけは許してあげる」


 ガラ、ガラガラ。

 台車は再び、走り始め、姉弟と共に包丁の絵が刻まれた木板を掲げる店の中へ。


**  §  **


 一目で年代物とわかるが、綺麗に手入れがされている為、汚れなど一つとしてない。

 そんな木製の棚を正面のカウンターに繋がるように、逆さまにしたL字の形で右側に配置。

 左の壁側には等間隔で釘が打たれ、お玉のような片手で扱える調理器具が吊るされていました。

 棚と同様に使い古されてはいるものの、根を張るようながっしりとしたテーブルが店の中央に置かれ、その上には大きさも深さも異なる鍋が並べられています。


(棚が倒れても、零れ落ちないようになってるのは知ってるけど……)


 固定されているとはいえ――切れ味鋭そうな刃を剥き出しにした用途別の包丁群を納めた棚を見ながら、アビーシアは眉を顰めました。


「お鍋ッ」


 店の厨房で見かける以上の種々様々な鍋を見て、楽しそうにしている弟の手を絶対に離さない。

 そんな思いで、可愛い顔をキリッとした表情に変えながら、アビーシアは出入り口(そば)に台車を停めました。


「デリオさん。こんにちはー」


 アビーシアはノエルの手をぎゅっと握りながら、更に一歩、店内に足を進めました。


「オウランドのアビーシアとノエルです」

「ドワーフのお爺ちゃーん」


 デリオはまだ四十代前半です。

 けれど、幼子から見れば――ふさふさのお髭が生えている人はお年寄りなのです。


「お爺ゃん。お出かけしちゅるのー」


 ノエルが再度呼びかけても、店主からの返事はありませんでした。

 アビーシアはゼンマイ式の壁掛け時計に目をやり――。


(14時少し前だし)


 喫茶店と鍛冶屋で取り扱う品に違いはあっても、接客業という点では同じです。だから、自分達を基準に考えます。


「ランチを買いに行ってるのかな?」


 けれど、直ぐに自分で自分の言葉を打ち消さんとばかりに、アビーシアは頭を振りました。


(いくら暑い昼日中だからって、扉を開けっぱなしで……って事はないよね)


 一瞬の隙をつくように、ノエルの手がアビーシアの手をすっぽ抜けるや――。

 とてとて。

 そんな足音をさせながら、幼子はカウンターの裏側――鍛冶場の方に走り出し、アビーシアは慌てて、その手を伸ばします。


「ノエル! ここには色々と危ない物があるの。一人で動き回っちゃ駄目!!」

「だってぇ~」

「だって、じゃないの」


 叱られると、ノエルは静かに指先を何かを指し示すように動かしました。

 まるで背中に氷を入れられたよう。

 そんな急な寒気を感じながら、アビーシアは恐る恐ると、弟の指先に目を向けました。


「お爺ゃん。あそこで寝てるー」


 目線の高さが違うが故に、ノエルが自分とは別の世界を見ていた。

 それに気づくと、ゆっくりと、恐々と屈んだアビーシアの顔に緊張の色が浮かびます。

 今の位置では重量のある槌の落下から、足を守れる分厚さを持つ革靴と、刃を通さない厚さのズボンの一部しか見えないので、倒れているのが店主かは分からない。

 けれど、明らかに不自然な体勢で、誰かが床に突っ伏しているのを見つけたからです。


(どうしよう……。此処に一人で残す? 手を握って連れて行く?)


 逡巡するアビーシアの視界には、小さな子供の手は届かない高さとはいえ――幾つもの包丁がありました。

 やがて、意を決したように幼い弟の手をぎゅっと握ります。

 鍛冶場に連れて行くのは怖い。

 けれど、ここに一人で残すよりは――と。


「デリオさんの様子を見に行くけど、手を離しちゃ駄目だからね」


 自分をじっと見つめる姉の表情で、何か大変な事が起きたを理解。


「ん!!」


 小さくても男の子。ノエルは力強く、大きな頷きと共に返事をしました。


**  §  **


 カウンター裏は工房に繋がっており、部屋中央の金床と左端の煉瓦製の(かまど)の中程に男性ドワーフが倒れ伏しておりました。

 その頭の直ぐ側には重そうな金槌が一つ。

 足元には、半分にはなるも原型を留めている皿の一部と、その残りが欠片として広がっていました。


 アビーシアは工房の中を見回し、左右の壁際の棚の上に幾つかの工具が置かれ――というよりも、放り投げた後のように乗っかっているのを見つけます。


(あんな風に置いてるから……)


 職人にとっては使い易い配置なのだとしても、鍛冶の知識も経験もないアビーシアには、無造作に器具や道具が置かれているようにしか見えない。そんな乱雑な光景が広がっていました。


(落ちてきて怪我をするのよ)


 アビーシアが半ば呆れつつも、倒れているドワーフに恐る近づこうとすると、一刻も早く駆け寄らんとばかりにノエルが暴れだします。


「お皿の破片が散らばってるから、待って」

「ぅん」


 行儀が悪いなと顔を曇らせるも、アビーシアは散っていた欠片をブーツの足先で集めます。

 そうやって、通り道を作り終えたので、恐る恐るデリオに向って歩き始めると――。


「お爺ゃん」


 遂に手綱の様だった姉の手を強引に振り払って、ノエルがたったっと走りました。


「ドゥワーフのお爺ちゃん」


 寝ているのを起こさんとばかりに、小さい体の全てを使って必死に揺らします。

 そんな奮闘を見て、アビーシアは冷水をかけられたような表情で慌てて、走り寄りました。


「駄目! 揺らさないで!!」


 ノエルを強引に引き離すのと、そう叫ぶのは同時でした。


「お姉ゃん。お爺ゃんが」

「うん。わかってる」


 泣きはらしたノエルの隣に屈んだ事で、デリオが僅かな呻き声をあげる事もしていない。

 それがよく分かって、アビーシアの顔の緊張の色は更に濃くなりました。


(出血は無いよね? けれど、頭の側に工具が転がっているって事は……。ええっと、出血はしてなくても、頭をぶつけて倒れたんだから……)


 アビーシアは前に母から教わった事を思いださんとし、険しい顔で唸り声さえあげそうになります。


「お姉ちゃ」

(そうだ! 内出血!! 体の中で出血した時は、えっと……ノエルが木から落ちた時、ママは氷を腿に)


 母が血管を収縮させる事で出血を抑えたのを思い出し、アビーシアは周囲を見渡します。


(勝手にお店の中を探すのは……。けど、このままだと。あれ? 私が木から落ちて、頭をぶつけてこぶが出来た時って、冷やしたっけ?)

「お姉ちゃ」


 判断を間違うと、助かる命が助からないかもしれない。

 アビーシアは何をするべきなのかが分からずに、動けなくなりました。


「お姉ゃん!」


 自分と同じようにデリオを助けようとしている。

 結果的に危険に晒したとしても、積極的に助けようとした。

 そんなノエルに助けを求める目を向けられているというのに、アビーシアは自分の無力さを痛感したが故に叫んでしまいます。


「ノエルッ! 黙ってッ!!」

「うぅッ」

「今ね! お姉ちゃん、必死に考えているのッ!!」


 怒鳴られ、涙目になると――動けないのが明らかでも、ノエルは逃げ場を求めるようにデリオにすがりつきました。

 そんな弟の姿を見て、姉は自分の浅慮を自覚すると、悔しそうに唇を噛みました。


「ごめん。ごめんね。ノエル」


 必死に謝っても、自分に向けられる目が変わらない事がアビーシアの自責を加速させます。

 今直ぐにでも、ここから逃げ出したいのを堪え、ノエルの隣に屈みました。


(このまま、何もしなければデリオさんは……)


 アビーシアは身動き一つしないデリオにそっと片手をのせると、自分の心臓が恐怖で止まっていない事を確認するかのように、残る手を胸元にやります。


(怖い! 嫌だよ!! 助かるかどうか、それを私が決めかねないなんて!)


 そして、胸元から手を離した手で羅針盤へ。


(けど……何もしないで後悔するぐらいなら)


 だから、アビーシアは羅針盤をぎゅっと握りました。


「ノエル。誰かを」


 勢いよく立ち上がると同時に、グレックの応急手当てをしてくれた人達や、搬送先の病院の人達の事を考えます。

 だけど、それは直ぐに別のイメージに変わりました。


「そう!」


 冒険者時代に多少の医学を学ぶ機会に恵まれただけ。

 そんな風に謙遜して語るも、近隣で事故があった時には、駆けつけている母。

 小さい頃、庭の木から落ちた時や、台所で火傷をした時。常に自分を助けてくれた母の姿へ。


「ママみたいに手当を出来る人を探してくる」

「ぁかった」


 鼻をぐしゅぐしゅとさせながらも、ノエルは力強く返事をします。


「いい? ここにある物には、何も触っちゃ駄目だからね」

「ぅん」


 まだ小さい弟を危険な器具――金物を手入れする為の道具が多数置かれた場所に残す事に、少なくない恐怖と不安を感じました。

 けれど、弟を信じ、見守る優しい姉としての微笑みを残して、アビーシアは工房を飛び出します。

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