初めての外出
家族以外のメインキャラがまだ出ない……
「ちーちゃん、今からたーくんとお出掛けしてくるけど、ちーちゃんはどうする?」
すっかり目が覚めた千代が顔を洗ってリビングに戻ると、思い出したように艶美がそう言った。
「え、どこ行くの?」
「駅前のショッピングモールよ。たーくんの日用品とか、必要な物を買いに行くの。」
「なるほどねぇ……駅前のモールって大丈夫なの?危なくない?」
千代が武久を気遣う。
駅前のショッピングモールはただでさえ多くの人が集まる上に、今日は日曜である。
女という獣が群衆を成している危険地帯に、特に目立つ容姿と体格をしている武久を連れて行く事に危惧を示したのだ。
だが、千代の心配を理解した上で、艶美はそれを否定した。
「大丈夫よ。何かあればお母さんがいるし……それでなくても何とかなりそうっていうのは、もう確認できたし。」
「どういうこと?」
今朝のプチ立ち合いを知らない千代が首を傾げる。
「仮に変な輩に絡まれたとしても、対処できる実力は十分にあるって事よ。ちーちゃんもそのうちわかるわ。」
「ふーん?」
あの僅かな時間で、艶美は武久が並みの実力者でない事を理解していた。
剣術家としての眼が、武久の異常性を見抜いていたのだ。
故に過保護になる必要はなく、武久という存在を、ある程度は女性と対等に扱うべきだろうと考えた。
千代は艶美の言葉を訝しみながらも、自らの剣術の師でもある母の言う事ならばと納得する様子を見せた。
「まぁ、本当はネット通販でも良いかと思ってたけど、すぐに必要な物もあるかもしれないし、たーくんが直接見て考えたいって言うから。」
「そういう事だ。千代はどうする?」
ソファに座った武久が振り返って千代を見る。
「行く!」
千代が即答した。
「わ、私もお兄ちゃんとデートしたい!」
顔を赤らめながら千代がそう言うと、聞いていた艶美まで赤面した。
「ちょ、ちょっと、そんなんじゃないんだから!」
「ほんとにー?お母さん、お兄ちゃんと2人でお出掛けでデート気分だったんじゃないのー?」
ジト目で見る娘の視線に、母は狼狽する。
「そ、そんな訳ないでしょ!まったくもう!」
「どうだか……まぁ、別に良いけどねー。それじゃ私、準備してくるね。あ、お昼ご飯どうするの?」
「外で食べる予定だが、良いか?」
千代の質問に武久が答えた。
「もちろんオッケーだよ。じゃあ待っててね。」
「おう。」
セミロングの黒髪を揺らしながらリビングを出て行く千代を見送り、武久は未だ赤面している艶美を見る。
「母さん、本当は2人が良かったのか?」
真顔で尋ねる武久。
「そ、そんな事ないわっ!」
「そうか?……俺は家族団欒が好きだ。でも、母さんと2人でも楽しそうだなと思うが。」
「うっ………そ、それは私だって…その……」
「なら、またいつか2人で出掛けよう。」
「……良いの?」
「当たり前だろ。」
「……うん、わかった。約束ね。」
艶美は嬉しそうに笑った。
家を出て20分強。
武久達は駅前の繁華街にある大型商業施設へ到着した。
艶美はタクシーを呼ぼうとしていたのだが、武久の要望で徒歩で向かう事になった。
人通りが多くなるにつれて武久へ向けられる視線が多くなっていき、艶美と千代は周囲への警戒と威嚇を強める。
数人の女性が偶然を装ってついてこようとしたが、艶美と千代の鋭い眼光に気圧されて脱落した。
当の本人はそれらの気配に気づきながらも、自然体で歩いていた。
「やっと着いたね。お兄ちゃん大丈夫?疲れてない?」
「問題ない。この程度で疲れるような柔な鍛え方はしていないさ。」
「そうそう。たーくんなら大丈夫よ。」
何故か艶美がドヤ顔で頷く。
「むぅ……なにその"私はわかってる"感……」
「なに言ってるのよ、ちーちゃんったら。…それよりたーくん、まずは何から見ようか?」
「そうだな……」
「わたしお腹空いた……」
千代がぽつりと呟く。
そして言った直後、あっと気付いて口を塞ぐ。
思わず言ってしまったという感じだ。
「そういえば千代は朝食も食べてなかったな。ちょっと早いが、先に昼食にしようか。」
「……良いの?」
「良いに決まってるだろう。そういうのは遠慮せず言ってくれよ。」
「う…わかった。」
気恥ずかしそうに頷く。
まだ武久の前で自分を出すのに戸惑いがあるようだ。
武久はその程度は我儘の内に入らないと思っているのだが、千代が慣れるにはまだ時間がかかりそうだった。
「……そうね。ならお昼ご飯にしましょうか。何が食べたい?」
「ここに何があるのかわからないしな……千代は何か食べたいものあるか?」
「わ、わたし?えっと………あっ!」
可愛らしいポニーテールがピコンと跳ねる。
「ラーメン!3階に新しくできたんだって!」
「ちょっとちーちゃん。」
目を輝かせる千代を艶美が嗜めた。
「あっ……ご、ごめんお兄ちゃん!」
「……何を謝っているんだ?」
不思議そうに首を傾げる。
「だ、だって…お兄ちゃん、ラーメンとか……嫌でしょ?」
「何故だ?」
「何でって……たーくん、ラーメン嫌いだったでしょ?」
艶美は困惑しているようだ。
武久ははっとして記憶を探る。
その結果、タケヒサはラーメンが好きではなかったらしいという事がわかった。
というか、この世界ではラーメンや焼肉などは女の食べ物という観念が強いらしく、男は基本的にそれらを苦手としているようだ。
特にタケヒサはその傾向が強く、ラーメンの臭いを嗅ぐだけで癇癪を起こした事もあったらしい。
武久は深く溜息を零した。
「あー……母さん、千代、実はこの数年で食べ物の嗜好もかなり変わったんだ。昔は嫌いだったが、今はラーメンは大好物だ。」
「え!?」
「ほ、本当に?」
艶美と千代が驚きに目を剥く。
「あぁ、特に豚骨が好きだ。」
九州の奥田舎で暮らしていた武久は、ラーメンといえば豚骨というくらいに豚骨ラーメンが好きだった。
「と、豚骨!?」
「豚骨ラーメンなんて、死んでも食べたくないって言ってたのに……」
「……まぁ、そこらへんはかなり変わったという事で…受け入れてもらえると助かる。」
タケヒサの記憶には、まともにラーメンを食べた記憶などない。
"男の食べ物ではない"という一心で毛嫌いしていたようだ。
つまりは単なる食わず嫌い。
武久はこの世界の自分に腹が立った。
武久からすれば大好物のラーメンを、試しもせずに嫌うなど……と。
「お兄ちゃんがそう言うなら……」
「わかったわ……」
呆然としつつ頷く2人。
艶美と千代からすればそれほどまでにショッキングな内容だったのだろう。
そんな2人を見て武久は咳払いを一つ。
「……という訳で、昼飯は千代の言うラーメン屋へ行こう。」
「あ、う、うん!わかった!」
「…そうね、たーくんが良いなら、行きましょうか。」
千代の先導で、3人は歩き出した。
「千代、ちなみにそこは何ラーメンなんだ?」
「豚骨だよ!確か…博多ラーメンだったかな。」
「ほう、良いな。」
「……たーくんのそんなに嬉しそうな顔、初めて見たかも。」
「だね。」
ちなみに作者は長浜派です。