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変わらない日課と息子の経験

朝、目が覚めた武久は枕元に置いていたスマホを取って時刻を確認した。


「5時半か……」


以前の世界において、武久は早起きの祖父に合わせて早朝に起床するのが習慣となっていた。

その後柔軟してランニング、そして水浴びをするところまでが朝の日課であったのだが、それをこの世界に、ましてやこの都会に持ち込むのもいかがなものか。

そう考えた武久であるが、ひとまず柔軟だけでもする事にした。


一人部屋にしてはやけに広い部屋に敷かれたふかふかのカーペットの上に、田舎から送っておいたマットを敷く。

その上で武久は全身の筋肉を入念に伸ばしていく。

更に股割り等で関節の可動域を広げた。

呼吸法にも気を遣いながら続けること30分。

終わった頃には身体の内からじんわりと熱を発し、額にうっすらと汗をかき始めていた。


「ふぅぅぅ………」


柔軟を終えて深く息を吐く。

武久はこれを毎日行なっており、その屈強な見た目からは想像できない程の柔軟性を持っている。

いつもならここから走りに行くのだが、周辺の地理をほとんど把握していない為、今日はやめにした。

その代わり、体幹トレーニングで身体の内側を鍛える事にした。


一通りの体幹トレーニングを終えた時には、起床して1時間が経過していた。

誰かが廊下を歩く足音が聞こえる。

艶美か千代が起きたのだろう。

そう思い武久もマットを片付けて部屋を出た。




武久がリビングの方へ向かうと、キッチンから音が聞こえてきた。

彼がキッチンを覗くと、そこにはボールに入れた何かを菜箸で混ぜている艶美がいた。


「おはよう、母さん。」


武久が挨拶をすると、振り向いた艶美がデレッとした笑みを浮かべた。


「あら、おはようたーくん。」


「何か嬉しそうだな?」


「たーくんからおはようって言われちゃったもの。」


「これからは毎日言うさ。」


気恥ずかしげな艶美に武久が微笑む。

艶美が惚けた顔で武久を見つめた。

頬がほんのり赤くなっている。


「……母さん?」


「……はっ!」


武久が訝しげに首を傾けると、艶美は目が覚めたように目を開いた。


「どうかしたか?」


「あ、い、いえ、何でもないのよ!おほほほほ!!」


誤魔化すように笑う艶美。

女性と接する機会の少なかった武久は、表情の変化は読めても、そこから感情を察する事ができないようだ。


「大丈夫なら良いんだが…」


「大丈夫大丈夫!そ、それより、ちょっと汗をかいてるみたいだけど、どうかしたの?もしかしてあのベッド寝苦しかったかしら?」


武久の部屋にある大きなベッドは、武久の為にと艶美が用意したものだ。


「いや、寝心地はとても良かった。ただちょっと運動していたから暑いだけだ。」


「運動?」


「柔軟と軽い筋トレをな。向こうにいた頃からの日課なんだ。」


「あら、健康的ね。女の子みたい。」


この世界における男子は、身体を鍛える事をしない。

中には奇特な者もいるが、一般的ではないのだ。


「あとはランニングもしたいところだが、まだこの周辺について詳しくないからな。」


「ランニング……それはやめた方が良いかもしれないわ。」


艶美が顔を顰めて苦言を呈す。


「どうしてだ?」


「たーくんみたいなワイルドなイケメンが走ってたら、女の子に襲われちゃうかもしれないでしょ?」


この世界にはワイルドな女はそれなりの数いるが、ワイルドな男は存在しないと言っても過言ではない。

男にしては珍しい鍛えられた身体が飢えた女達の目に晒される事に、艶美は危機感を持った。


「…いや、大丈夫だろ。」


艶美が真剣な表情でワイルドだのイケメンだの言った為、武久は呆れた顔をした。

だが、この世界の常識からすれば、艶美の危惧は決して間違ってはいないのだ。

しかし武久にはその実感もない。

むしろ武闘狂いの武久からすれば、襲ってくるなら来い、という感じですらあった。


「大丈夫じゃないわよ!女なんて皆ケダモノなんだから!」


「母さんも女だろうに……」


「女だから言うのよ!よーくわかってるんだから!」


「なら、母さんも俺に欲情するのか?」


「………えっ」


「え?」


からかうような武久の言葉に艶美が言葉を無くし、顔を赤くする。

思わぬ反応に武久まで言葉を失った。



「あっ…う……あぁ………」


「………まぁ、それは別に良いんだ。」


口をパクパクさせる艶美を見かねた武久が話をそらす。


「そ、そうね…………い、良いんだ…そっか……」


慌てて頷いた艶美は、ボソボソと呟きながらニヤついていた。

それを気にした様子もなく、武久は話を続ける。


「仮に襲われても俺は大丈夫だ。返り討ちにするから。」


むしろそれを望んでいる、というのは言わなかった。


「そ、そんな、いくらたーくんが鍛えてても、女の人に襲われたら……」


「そこらの奴には負けないさ。そんなに柔な鍛えられ方……鍛え方はしていない。」


「でも………」


「というか、実は既に実証済みだ。」


「え、どういう事?」


「昨日、ここに来る途中で3人組の女に襲われたんだ。」


「えっ……えぇ!?」


艶美が目を見開いて驚愕する。


「そ、そんな!大丈夫だったの!?怪我は!?て、貞操は!?童貞は!?」


「落ち着け母さん。流石におかしいぞ。もし何か問題があれば昨日の内に言っているだろう。」


「あっ…そ、そっか……はぁ………」


少し正気に戻った艶美が安堵の息をもらす。


「もちろん大丈夫だったし怪我もしていない。そもそも俺は童貞ではない。」


「それなら良かっ……え、ちょ、ちょっと待ってぇ!!」


「何だ、本当に怪我はしていないぞ。なんなら確認するか?」


服を脱ごうとする武久。


「え、あ、その……か、確認はしたいけど…それよりっ!!」


「ん?」


「た、たーくん!ど、ど、童貞さんじゃないの!?」


艶美がこの世の終わりのような顔をしている。


「………そんなに騒ぐような事か?」


武久は高校生となったその日に、祖父に連れられて行った店で卒業していた。

生まれてくる時代を間違えた祖父は、男は15歳から大人であるという、現代的観念をぶち抜いた考えを持っており、年齢的に大人になった孫を様々な意味で大人にしてやろうとした。

しかし15歳といえども義務教育中の中学生に大人の遊びを教えるのは偲びなく、高校入学まで待った次第だ。

修行に行くぞと言われて大人の店に押し込まれた武久の気持ちを慮る者はいなかった。


そのような背景を知る由もない艶美は、混乱の極みにあった。



「だ、誰よ…誰がたーくんの…貞操をっ……!!」


「いや、誰と言われても……」


初来店以降、何度か祖父に連れられて通ったが、祖父の意向により同じ女を二度抱く事はなかった。

祖父は孫を男にするつもりはあっても、そこで恋をさせるつもりは無かったのだ。

万が一、孫が騙される事があってはならないと、毎度違う女を用意させていた。


ちなみに、武久に彼女と呼べる者がいた事はない。

つまり、経験人数こそそれなりだが、彼はある意味では童貞(素人)であった。


「そ、その女とはまだ付き合ってるの!?」


「いや、そもそも付き合った事などないぞ。俺に恋人がいた事はない。」


「なのに非童貞!?に、妊娠させたの…!?」


「そんな訳ないだろう。ちゃんと避妊したさ。」


「に、妊娠もさせないのに……付き合ってもいないのに……む、息子が知らない内に痴漢(ビッチ)に………」


「人聞きの悪い事を言わないでくれないか……」


顔を顰める武久だが、世界の常識的に艶美の言葉は正しかった。

この世界の男は性欲が極端に薄く、子を作る際しか精を吐かない者がほとんどだ。

ましてや恋人でもない女に貞操を捧げるなど、考えられる事ではなかった。



「たーくんが……私のたーくんが………」


艶美が虚ろな目でブツブツと呟く。

その様子に、マズイ事を言ったかと武久は頭を掻いて眉を顰めた。


「あー……母さん。」


「たーくん…たーくん……」


武久の呼びかけにも反応しない。

重症であった。


「む……おい、母さん!」


「ひゃっ!」


武久が艶美の肩を両手で掴み、無理矢理に目を合わせると、流石の艶美も反応して飛び上がる。


「た、たーくん!?」


「母さん、やっと気付いたか。」


「き、気付いた!気付いた、けど……」


「…ん、けど?」


「ち、近い!近いよたーくん!!」


艶美が煙を出しそうなくらい赤面している。

武久は艶美と目を合わせようとして、顔をかなり近付けていた。


「ん、あぁ、すまん。」


普通に謝って顔を離す武久。

艶美はほっと安堵の息をついた。


「ま、まったく、心臓に悪いんだから……これ以上母さんを困らせないで………」


もじもじと悶えている艶美の姿は、完全に女のそれであった。


「悪かったよ。」


「ま、まぁ別に良いんだけどね……心の準備さえさせてくれたら、いつでも……」


「そうか。」


「うん……って、そうじゃなくて!」


「あぁ。」


武久が短く頷いて艶美を見つめる。



「た、たーくんはほんとに、その……ど、童貞さんじゃない…のよね?」


「あぁ、そうだ。」


武久本人はそう大した話だとも思っていない。

だが母である艶美がこれほどの反応を示すのだから、大事な事なのだろうと思っていた。


「そっか………」


「……まぁ、それも過去の話だ。暫くはそんな機会ももうないだろうさ。」


武久も健全な男であり、そういった行為は嫌いではなかったが、自ら店に通う程ではない。

ましてやここはかつての世界とは違い、性的な観念がほぼ逆転している。

祖父に連れられたような店がそう簡単に見つかるとは思えなかった。

かといってすぐに恋人を作る予定もアテもない。

その為、武久は暫く経験の機会はないだろうと考えていた。


「そう…たーくんの身体はたーくんのものだし……私のいなかった過去の事を言っても仕方ないわよね。」


「……そう言ってくれると助かる。」


「はぁ……それにしても、あの女嫌いだったたーくんが、ねぇ……」


艶美は憂鬱そうに溜息をついた。


「男児三日会わざれば刮目して見よって言うだろ。」


「それを言うなら女児三日会わざれば、でしょ。」


「………そうだったかな。」


細かな世界の違いを実感した武久であった。





その後。


「随分話がそれたが、俺は襲われても何とかできるから大丈夫だ。」


「んー…たーくんを疑う訳じゃないけど……」


「なら、俺の実力を母さんに見せて納得させたら大丈夫だろ?」


「ん…まぁそれなら。」


ということになり………




無駄に余っている広い部屋。

武久と艶美は動きやすい格好に裸足で向き合った。


「なら、俺の動きに反応できたら母さんの勝ちで良いな。」


「私は勿論良いけど……逆に大丈夫なの?このルール、たーくんに厳しすぎる気が……」


「これで俺が勝ったら母さんも認めざるを得ないだろ?」


「それはそうだけど……まぁ良いわ。でも、後悔しないでよ?」


「おう。…それじゃ行くぞ?」


「……えぇ、来なさい。」


武術家の顔になった艶美から濃密な闘気が迸る。

武久は額に汗が浮かぶのを感じながら、無意識に好戦的な笑みを浮かべた。


「すぅ……ひゅぅぅぅ……」


深く呼吸をし、祖父直伝の技を使用する準備に入る。

全身を脱力させ、気を高めた。

予想以上の気の強さに艶美の表情が張り詰める。



そして、限界まで高められた気が、弾ける瞬間に、ふっと消えた。


「……え?」


警戒の糸を張り詰めていたところに突如できた空白。

次の瞬間、艶美の目の前には武久の姿があった。


「かぁっ!!」


硬く握り締められた拳が艶美に迫る。

彼女が反応を示すその前に、武久の拳は艶美の顎先で止まった。


「なっ…あ……」


「ふぅ………」


息をつきながら拳を下ろす武久を、艶美は呆然と見つめていた。



「………俺の勝ちだな、母さん。」


「え、えぇ………」


艶美はただ頷く事しかできなかった。

祖父直伝の縮地法。

不思議なぱぅわーとかはありません。

力学的身体操作と相手の認識操作の為せる技です(適当)



ちなみに艶美さんは決して弱くありません。

ただ今回のルール上、たった一度のスーパーハイスピードが出せれば良く、その術を武久が持っていただけです。

艶美さんが剣を持って何でもありになったらまた変わってきます。

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