妹への謝罪と願い
艶美からの武久の呼び名を変更しました。
前話から修正しております。
「ここがたーくんのお部屋ね。もう荷物は届いてるわ。後で荷解きしましょう。」
玄関から移動し、艶美が武久を部屋へ案内した。
「いや、とりあえずは一人でやるから大丈夫だ。もし人手が必要だったらお願いするかもしれないが。」
「そっか、わかったわ。………それにしても…たーくん、見た目だけじゃなくて話し方まですっかり変わったわね。」
艶美が首を傾げて武久を見上げる。
「……そうか?」
「とっても大きくなってるし、男の子っぽくなくなってるし……喋り方も、お堅い女の子みたいね。」
この世界の男性は、基本的になよなよした体格の者がほとんどだ。
喋り方もやや子どもっぽい柔らかめの口調か、逆にプライドが高くて偉そうな口調かのどちらかだったりする。
祖父の影響を受けて堅い口調が自然になった武久は、こういう面でも特異な存在であった。
「……そうか?」
「もう少し男らしくしないと、変な目で見られちゃうかもしれないわよ……?」
艶美が遠慮気味にそう言った。
ここまで口を出して反発されたらどうしようか、と不安に思っているのである。
ただ純粋に愛する息子を心配しているのだ。
その気持ちは武久にも伝わり、彼は一度目を瞑り、数秒して開いた。
「……俺にとっては、これこそが"男らしさ"だ。そう簡単に変えられるものではないし、変えるつもりもない。」
祖父から受けた教え。
タケヒサの記憶でしか知らないこの世界において、祖父の教えは武久が武久たる確信を持てる数少ないものの一つだ。
武久の静かだが力のこもった宣言を聞き、艶美は息を飲んだ。
だがすぐに武久の眼を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと頷いた。
息子の力強い視線に頬が赤く染まったのはご愛嬌である。
「そう……何があったかわからないけど、たーくんがそう言うなら、もうお母さんもこれ以上言わないわ。でも、もし悩む事があればいつでも言ってね。」
「あぁ、そうするよ。ありがとう、母さん。」
武久が慣れない微笑みを浮かべる。
「うっ……か、カッコいい女の子みたいなキャラの男の子なんて、まるで漫画の世界の生き物じゃないのよ……」
赤面し胸を抑えてブツブツと呟く艶美を、武久が不思議そうに見る。
「母さん、どうした?どこか痛むのか?」
「あっ、う、ううん!大丈夫だから!ちょっとたーくんがカッコ良すぎて心臓発作起こしかけただけだから!」
「それは普通に大丈夫じゃないと思うんだが……病院行くか?」
心底心配そうに艶美を見つめる武久。
艶美は慌てて首を振って否定した。
「いや、大丈夫!ほんとに大丈夫だから!それに、もうすぐちーちゃんも帰ってくるし!」
「ちーちゃん……千代か……」
武久はタケヒサの記憶を探り、艶美がちーちゃんと呼ぶ存在が自らの妹である事を理解した。
妹である逆瀬川千代は、武久の3歳下で現在は中学二年生のはずである。
今日は休日だが、部活の為に学校へ行っている。
「たーくん?」
「千代は……千代も、俺を受け入れてくれるだろうか?」
タケヒサの記憶によると、妹の千代はあまり武久に懐いていなかった。
兄と仲良くなりたい気持ちはあったのだが、妹に対しても昔からぞんざいな接し方をしていた武久の事を、怖がってもいたのだ。
だからこそ、こうして戻ってきた兄を受け入れてくれないのではないかと武久は危惧していた。
「……当たり前じゃない。きっと大丈夫よ。」
しかし、艶美ははっきりと頷いた。
「……どうしてそう言い切れる?」
「確かにちーちゃんはたーくんの事をちょっと怖がってたし……ここだけの話、最近ちーちゃんはずっとそわそわして、不安そうだった。」
「やっぱり…そうか。」
「でもね、今ならきっと大丈夫。だってたーくん言ってたじゃない。変わったって。たーくんは、もうちーちゃんに酷い事言ったりしないでしょ?」
「当たり前だ。俺は千代の事も、母さんと同じくらい愛してる。」
「……も、もう、今はそういうのナシ!」
赤い顔でそっぽを向いた後、コホンと咳を一つ。
そして改めて武久の目を見る。
「……もしかしたら最初は接し方がわからなくて戸惑うかもしれない。でも、たーくんが優しくしてあげれば、自然とちーちゃんも受け入れてくれるわ。」
「……そうか。母さんが言うなら、そうかもな。」
「うん!だから安心して、いっぱい優しくしてあげて?かっこよくて優しいお兄ちゃんに憧れない女の子なんていないんだから!」
「そういうもんか………よし、わかった。そうしてみる。」
素直に頷く武久に応えるように、艶美もまた満面の笑みで大きく頷いた。
部屋に案内されてから1時間が経った。
現在、武久と艶美はリビングでコーヒーを飲みながら談笑している。
ちなみに、既に届いていた荷物は、タケヒサではなく武久の物であった。
前の世界で、祖父の家から叔父の家へ送ったはずのものである。
ご都合主義でもなんでも、武久にとっては大変都合が良かった。
前の世界での男らしい武久と、この世界での男らしいタケヒサでは趣味も嗜好も何もかもが違うし、そもそも体格からしてまるで違っている。
もしタケヒサの服などが届いていれば、ほぼ全てを処分する必要があっただろう。
いずれにせよ、自らの物が届いているのを確認した武久は、備え付けのクローゼットに上着類を掛けた。
ハンガーにかけないようなものはひとまずそのまま段ボールに入れておいた。
とはいっても武久は元々あまり衣類を持っておらず、荷物のほとんどは祖父との鍛錬で使った道着や木刀などの武器類だ。
このマンションで振り回す機会はほぼないだろう、と段ボールに入れたまま隅に置いた。
壁際には見覚えのない大きなベッドが置いてある。
武久…いや、タケヒサが帰ってくるという事で、艶美が予め買っておいたものだ。
部屋の大きさもさることながら、ベッドのサイズも武久が使い慣れた一般的な敷布団とはレベルが違う。
武久が見た事のあるダブルよりも明らかに一回り大きい、クイーンサイズ。
しかも縦も従来のものより長いロングバージョンである。
小さくも大きくもない布団で寝慣れている武久であるが、大きなベッドに心踊らないかといえば嘘になる。
相変わらずの無愛想な顔のまま、彼は真新しいベッドに横になり、想像以上の柔らかな寝心地に身を委ねた。
それから15分ほど経った頃、艶美が部屋に訪れ、武久をお茶に誘ったのだ。
これからの生活の話や武久の私物を買いに行く予定などを立てていると、玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー」
やや幼さの残る女の子の声。
「千代か。」
「そうみたいね。お出迎えする?」
「そうだな、行こう。」
寝転がれるくらい大きなL字のソファから立ち上がり、二人は玄関へ向かった。
千代は学校指定の革靴を脱ぎ、丁寧に踵を揃えて並べていた。
しゃがんでいる千代の背に、武久は声をかける。
「おかえり、千代。」
一瞬で千代が動きを止めた。
時間そのものが止まっているのではないかと錯覚する程、微動だにせず静止している。
「……千代?」
その背に再度声をかける。
今度は体を小さく震わせ、立ち上がりながらゆっくりと振り向いた。
黒髪のセミロング、やや高い位置で結ばれたポニーテールがゆらりと揺れる。
本来なら可愛らしいはずの大きな猫目は、警戒するように細められている。
これまた大きくて綺麗な瞳には、不安の色が浮かんでいた。
「………お……うっ………」
口をパクパクとし、額に汗が浮かんでいる。
その原因が自分にあると知っている武久は、無意識に悲しげな顔をした。
そこで艶美が助け舟を出す。
「ちーちゃん、おかえりなさい。ほら、お兄ちゃんにただいまの挨拶は?」
艶美は笑顔で千代を見た。
「……う………た、ただ……いま………」
「あぁ……おかえり、千代。」
武久は再度妹の名を呼ぶ。
千代は目は開いて驚いた。
先程は兄の声に驚き、警戒し、名を呼ばれた事を実感していなかったのだ。
「な、名前……」
「これからは、ちゃんと名前で呼びたいんだ。千代とも、仲良くしたいと思ってる。」
「え…え……?」
警戒が困惑に変わる。
想像していた、記憶していた兄とは明らかに違う目の前の武久に戸惑っている。
武久は隣にいる艶美を横目で見た。
艶美はにこやかな笑顔のまま、小さく頷いた。
武久も小さく頷きを返し、そっと息を吐く。
「なぁ、千代。」
「え、あ……な、なに?」
「俺が、千代にしていた事は無かったことにはならない。今更謝ったところで、千代は許してはくれないだろうし、意味もないだろう。」
「そ、れは………」
千代は武久の真意が読めず、瞳を震わせている。
「でも、それでも俺は謝りたい。ただの自己満足だったとしても、俺が変わったという事を証明する為に。そして……千代と、新たな関係を築く為に。」
「変わった……?新たな関係……?」
「俺は以前の俺とは違う。それは単なる意識の違いとか、見た目とか、そんなものではない。だからこそいま、俺は千代に謝りたい。過去の自分と決別し、今度こそ千代の兄として誇れる俺でありたいから。」
「…………。」
「千代……今まで、本当にすまなかった。守るべき妹を蔑ろにし、兄としての本分を怠った。俺は、最低の兄だった。」
武久は深々と頭を下げる。
「え、ちょ……えっ……!?」
「俺は、今度こそ千代と本当の兄妹になりたい。千代と共にありたい。」
武久は下げていた頭をゆっくりと上げた。
千代の瞳を真っ直ぐに見つめる。
武久の真剣な眼差しを受け、千代は息を飲んだ。
「俺は、千代を愛したい。それを、許してはくれないだろうか?」
武久の心からの言葉を受け、千代はその眼を潤ませる。
「わ、わたし…は………」
千代がぽつりと話し始める。
「わたしは、お…お、お兄ちゃん…が、ちょっと…苦手…だった。」
揺れる瞳で、それでも真っ直ぐに武久を見つめる。
「優しいお兄ちゃんに憧れて……い、一緒に遊んでくれるお兄ちゃんが欲しくて……でも、そんな事は一度もなくて………」
千代がぎゅっと胸を抑える。
彼女の葛藤は、武久には慮る事しかできない。
だからこそ彼は、何も言わず妹の言葉を待った。
「き、急に変わったって言われても…わかんないし……でも、嘘だとも思えなくて……でも、やっぱり怖くて………だ、だから……だけどっ……!」
ぐっと歯を食いしばり俯く。
「わ、わたしはお兄ちゃんを……信じたい!!」
拙いながらも一生懸命に心の叫びを伝えようとする。
「わたしも、お兄ちゃんと兄妹になりたい!遊びたい!一緒にいたい!お、お兄ちゃんに……」
顔を上げ、決意を秘めた眼で武久を見る。
「お兄ちゃんに……愛してほしいのっ!!」
最後まで言い切り、ぎゅっと目を閉じた。
小さな肩が震えている。
武久はゆっくりと千代に歩み寄り、優しく彼女を抱きしめた。
「……え……あっ………」
一瞬身を固めた千代がおそるおそる目を開き、現状を理解して呆然とし、武久の顔を見上げた。
「千代……ありがとう。これから宜しくな。」
「あっ……うん。よろしく、ね…お兄ちゃん。」
薄らと涙を湛えた瞳を閉じ、兄の温もりを求めるように、その胸に頭を預けた。