打たれ屋の見学
「打たれ屋……?」
千代の言葉を繰り返しつつ、タケヒサの記憶を探る。
すると、前の世界でいう殴られ屋のようなものだとわかったが、情報はかなり少なく詳しい事は判明しなかった。
タケヒサは打たれ屋を野蛮なものとして嫌っていた為、情報が少ないのであろう。
「お兄ちゃん、知らないの?」
この世界では誰でも知っているような言葉の為、千代は不思議そうにしている。
「いや、打たれ屋という存在自体は知っている。……だが詳しい事は知らないな。良ければ教えてくれないか?」
「もちろんオッケーだよ。えっとね……簡単にいうと、お客さんの攻撃を避けたり受けたりしてお金をもらう人達、かな。バイト感覚でする人はそれなりにいるよ。」
「あの道着の女性が打たれ屋で間違いないよな?」
「そうだよ。」
「蹴りもありなのか?」
武久は先程の後ろ回し蹴りを思い浮かべた。
「そこらへんは人によって違うよ。打たれ屋の人が何の経験者なのかで条件は決まりやすいかな。」
「というと?」
「たとえば、ボクシング経験者だったら『グローブ着用、突きのみ、急所への攻撃禁止』とかの条件が多いかな。打たれ屋側の回避がありかなしかも人によって変わるんだ。」
「素人の打たれ屋とかはいないのか?」
「……いまどき武術未経験の女なんていないと思うけど。」
千代はさも当然というように首を傾げた。
武久は慌てて頷く。
「あぁ、そういえばそうだな。あー……条件とやらはどうやってわかるんだ?」
「大体わかりやすいように表示してるはずだけど……あぁ、あれだよ。」
千代が指し示す方を見る。
電柱に立てかけた板に紙が貼り付けられており、『15秒1000円、道具使用禁止、頭部(顔面含む)及び急所への攻撃禁止、回避なし』と書かれていた。
「ふむ……あの金額はどうなんだ?」
「相場よりちょっと安いと思うよ。無手限定だけど、回避なしで受けてくれるみたいだから。」
「条件によって相場は変わる、か。……面白そうだな。」
武久が獲物を前にした狼のような獰猛な笑みを浮かべた。
「お兄ちゃん?」
「たーくん、どうしたの?」
「あれ、ちょっと見て行きたいんだが、良いか?」
千代と艶美は顔を合わせた後、武久を見て頷いた。
武久は千代と艶美を連れて打たれ屋を囲む人の後ろにつく。
最初に気付いたのは、観客の女性であった。
足音に気付いた女性は振り向き、武久を見て絶句する。
「えっ…………」
「ん、どうしたの…………っ!?!?」
その連れの女性も釣られて後ろを向き、同じように呆然とした後、声にならない叫びを上げた。
それに反応するように近くの女性が振り向き、さらに周りに伝播していく。
「なに……えっ!?」
「え、嘘……」
「な、何で男が!?」
「え、いや、え……えぇ!?」
「ど、どどどどうしよ…どうしよ……」
混乱が混乱を呼び、収集がつかなくなる。
打たれ屋の道着少女でさえ口を開けて固まっていた。
「やっぱこうなっちゃうよねぇ……」
「どうしましょうか?」
千代と艶美がさもありなんと肩を竦めている。
武久はこの場を収める為に一歩前に出た。
「驚かせてしまって申し訳ない。この通り自分は男ですが、打たれ屋がどんなものかを見る為に並ばせていただきました。どうか自分の事はお気になさらず、続けて下さい。」
『いや無理だろ!』という女性達の心の叫びは武久には届かなかった。
目を爛々と輝かせて打たれ屋の少女を見つめる。
近くで見ると、彼女は武久とそう変わらない年頃の女性であった。
「あ、あの………」
遠慮気味に武久に話しかけたのは、最初に気付いた女性である。
「そ、その、どうして打たれ屋を……?」
この世界の男性は強い女性に惹かれる者が多い傾向にあるが、わざわざ外で打たれ屋を直に見たがる者などほとんどいないといって良い。
その男性である武久が打たれ屋を見たがるなどいかなる理由かと疑問に思ったのは彼女だけではなかった。
全員が息を潜めて武久を見る。
「ふむ……自分も武術の経験がありまして、こういったものに興味を持ったのですよ。打たれ屋をしっかりと見る機会が無かったものですから、今日は勉強させていただこうかと。」
「経験者?勉強?」
聞いた女性が困惑して首を傾げる。
「まぁ、ただの野次馬と思っていただいて結構です。打たれ屋の方、突然申し訳ありませんが、自分も見学させていただきます。」
「ひゃ、ひゃい!!」
目を向けられた道着少女がびくっとして返事した。
「え、えーと、それじゃ……」
武久に促されて再開する事になった打たれ屋がキョロキョロと見回す。
次なる挑戦者を探しているのだが、女性達は武久をチラチラと盗み見るので大変そうだった。
「え、えーっと、誰か……」
打たれ屋まで挑戦者を探しながら何度も視線を武久に向けている。
「………誰もやらないのか?」
武久がポツリと呟きながら首を傾げると、後ろで千代が溜息を零した。
「お兄ちゃんが見てるからみんな緊張してるんだよ。」
女性達の気持ちを代弁するが、武久は眉を潜めた。
「だが、それでは折角来た意味がないぞ。」
「んー、そだねぇ………あっ」
思いついた、と千代は手を叩く。
「お兄ちゃんは強い人と弱い人、どっちが好き?」
「強い人だな。」
わざと聞こえるように問いかけられた言葉に、武久は即答した。
女性達の目が鋭く光る。
一斉に手を挙げて立候補する。
「うぇ!?え、えっとえっと………」
「私がやる!」
「ちょっと、あなたさっきやったじゃない!」
「ならアタシがいく!」
「あんた怪我してるでしょ。」
「わ、わたしやりたい!」
「さっき金欠って言ってただろうが!」
口々にアピールしては周りから反対される。
そのやり取りが暫し続いた時、千代が1人の女性を見つけた。
彼女はただ1人手を挙げずにそわそわしながら立っていたのだ。
「あの人、どっかで見た事ある気が……」
「どの人?」
艶美が問う。
「ほら、あのキャップ被ってる人。」
「ん………あ、あの娘って、ボクシングの日本ランカーじゃない?」
「あっ!そうだ、この前テレビで見たんだ!!」
「ほう?」
2人の話を聞いて興味を持った武久が1人佇む彼女へ話しかけた。
「あの…」
「ひゃっ!」
キャップを深く被って俯いていた彼女は武久の声にびくっとした。
「な、な、なに?」
「ボクシングの日本ランカーとお聞きしましたが、間違いありませんか?」
「あっ……ば、バレてたのか……」
「合っているようですね。貴女は挑戦しないんですか?」
「い、いや、あたしは一応プロだから……」
「お兄ちゃん、こういう一般の打たれ屋にプロが挑むのはマナー違反なんだよ。」
「む、そうなのか……勝手な事を言ってすみませんでした。」
「あ、謝らなくても……アタシもやりたい気持ちはあるけど……一般人に怪我させる訳にもいかないし。」
「わ、私は良いですよ。」
遠慮するボクサーにそう言ったのは、打たれ屋の道着少女であった。
「え……」
「私、打たれ強さには自信ありますし。」
「いや、流石に駄目だって。グローブもないし、危険だから。」
「グローブなら一応持ってます。日本ランカーの打撃を受ける機会なんてなかなかないですし……お願いできませんか?」
「んぅ………」
渋るボクサーと食い下がる打たれ屋。
武久は打たれ屋の少女を『向上心があって素晴らしい』などと考えていたが、実際には少女は『ここで打たれ強さを見せつければ武久の目に止まるかも。』と考えていた。
その考えはボクサーにも通ずるものはあったようで、彼女はチラッと武久を見た後、溜息をつきながら頷いた。
「………わかったよ。でも、怪我しても知らないよ。」
「打たれ屋をしている以上、覚悟の上です。」
覚悟を決めて睨み合う2人の前で、武久は満足そうに頷いている。
その後ろで艶美と千代は顔を合わせて溜息を零した。