7月20日 その④ 異世界人と路線バス
■バス車内にて
「ねえお母さん、あのお姉ちゃんは大きいのになんでおんぶしてもらってるの?」
「まーちゃんダメ……! あっ、す、すみません……」
「いえ、いいんですよ、もっと言ってやってください」
なんとかシオンをバスに引きずり込んだのだが、バスに触れるのが怖いらしく俺の背中から降りようとしない。
そんなわけで、俺たち二人は乗客の奇異の目に晒されている、せっかく席が空いているのに座ることも出来やしない。
「お嬢ちゃん、外人さんかね?」
優先座席に座るニコニコ顔のお婆さんがシオンに話しかけてきた。
「い、異世界人ですっ……!」
恐怖で震える声が耳元から絞り出される。
「よお来なさったねえ、でも、そんなに怖がらんでもバスはお嬢ちゃんを取って食ったりしゃあせんよ」
異世界人というフレーズをお婆さんは華麗にスルーし、バスを過度に怖がるシオンを優しく諭すのだが、シオンは目を瞑って顔を左右にプルプル振っている。
こりゃダメだ、俺はお婆さんと顔を見合わせてお互い苦笑いをする、シオンはしばらくそっとしておこうと思ったのだが……。
「ソウタ……、ソウタ……!」
俺の肩に顎を乗せ、シオンが小声でうめき声を上げる。
「どうした?」
「バスの揺れが気持ち悪いです……、吐きそう……!」
「乗ってからまだ5分も経ってないぞ!? あと10分も掛からないから何とか我慢しろ」
「無理……です、このままだと、ソウタの背中に朝食べたものをぶちまけることにっ……!」
「よしわかった、とりあえず俺の背中から降りろ」
「ソウタの背中は、私が守ります……うっぷ!」
「それは今言うセリフじゃねーだろ!!」
非常にまずい、シオンは両足を俺の腰に回しがっちりしがみついているので、とてもじゃないが振りほどけそうにない。しょうがない、目的地はまだ先だが次のバス停で降りるしかない、そこからだとかなり歩くことになるが背中をエチケット袋代わりにされるよりましだ。
善は急げ、バスの降車ボタンを押そうと手を伸ばした時、シオンの様子に変化があった。
「ふぅ……」
ん……?
さっきまで切羽詰まった声を出していたのに随分落ち着いた声に変わったな?
降車ボタンはまだ押さずに指を置いたままでシオンに問い掛ける。
「おい、吐き気は?もう大丈夫なのか?」
「あ、はい、このまま安静にしとけば大丈夫だと思います」
安静って、さっきから状況は変わってないはずなのだが……。
まあ、シオンが大丈夫というなら問題ないだろうが念のためだ。
俺は降車ボタンから指を離し、両手で吊革を掴む。
そして両足を肩幅に開いて軽く踏ん張る、未だ俺の背中から離れないシオンになるべく振動が伝わらないようにとの配慮だ。
バスの揺れに合わせて体を支える、振動を吸収するサスペンションの動きだ。
俺は精神を集中し揺れに即応する態勢をとっているのだが……、なんかおかしい。
バスは普通に赤信号で止まり、青になると進み、交差点を曲がる、一見どこもおかしくはないのだが、妙な違和感の正体に俺は気づいた。
バスが全然揺れてねえ!? いや、違う! 揺れていないのは俺だけ?
ばっと首を振り自分の足元を確認する。
「……ちょっと浮いてる」
俺の体がバス通路の床面からわずか2~3センチばかり離れて浮いていた。こんな事が出来るのは俺の背中を占拠するポンコツ魔法使いしかいない。
「おいバカ魔法やめろ、誰かに見られたらどうすんだ!」
俺は小声で叫ぶように『まほうつかうな』と命令するが、シオンは顎を俺の肩に乗せたまま太々しい返事する。
「イヤですぅ〜、また酔っちゃうじゃないですかあ〜」
「いいか? この世界の人間は普通浮いたりしないんだ、見られたらやばいんだって!」
「大丈夫ですって、ちょっとしか浮いてないし、それにバスの動きに合わせて浮いてるから違和感もありません」
バスが止まるたびに俺の体が僅かにつつーと横滑りし、慌てて隣の吊り輪に持ち替える俺、違和感アリアリじゃねーか!シオンに話し掛けてきたお婆さんが『あら〜……』とか言いながら俺の足元を見てるし、まずいまずい!
シオンが俺のスマホの電気を用いて浮遊魔法を使っているとは思うのだが、俺はシオンにスマホを渡していない。スマホは俺のケツポケットの中にある。
まさかこいつ、直接触れなくてもある程度近くに魔力の源となる物があれば魔法を使えるのか……?
俺は試しにケツポケットから身を捩りながら指先でスマホを取り出し、目一杯腕を伸ばしてシオンからスマホを遠ざけてみた。
「ゆ、揺れがっ!? 気持ち悪うぅ……!!」
やっぱりか、魔法が使えなくなったシオンは再びバスの揺れに悶え始めた。
「ソウタ! それを私から遠ざけないで!」
シオンが小声で抗議してくる。
「だから魔法使うなっての!」
「揺れと地震で攻撃してくるモンスター相手に飛翔魔法で身を守るのは当然の行為です!」
「バスはモンスターじゃねえっつのに!」
シオンが背中に張り付いたままスマホを奪おうと手を伸ばしてくる、もちろん渡す訳にはいかない。俺は猫が伸びをするように体をぐぐっと伸ばし、さらにシオンからスマホを遠ざける。シオンも負けじとハムスターが伸びするように体を伸ばすが俺とのリーチの差は歴然である。それにしても、これだけぴったり背中に張り付いているのに背中に柔らかい感触がまったく感じられないのが残念でならない、本当に、残念でならない。
「ふ~~……」
「うぃ!?」
スマホを奪われることはないと高を括っていた俺に、シオンが耳に息を吹きかけてきた。びっくりして腕が縮んだところをシオンがすかさず狙ってくる。慌てて腕を伸ばすも再び耳を攻められ思うように体を動かせない。
「ちょ、耳に息吹きかけるのやめ……んふっ!」
「ふ~! 弱点を攻めるのは基本中の基本ですよ、はむ」
「はんっ……!」
右の耳たぶに噛みつかれ、俺は情けない声を上げてしまう。これ以上弱点を攻めさせまいとスマホを持った右手で耳を防御しようとしたのが間違いだった。
「とったー! あっはっは! 私の勝ちですソウタ! さあ、この不快な揺れから解放してあげますよ!!」
「くっ……!」
ついにスマホを奪われてしまった、なんてことだ……! このままでは俺の体は2~3センチ宙に浮かされてしまう。な、何か手はないのか!?
ぷしゅうぅぅぅ~、ガチャん!
「○〇駅前ぇ~」
「……あ、着いた」