7月20日 その⑨ 異世界人と鮮魚コーナー
■食料品売り場
さて、今日あと買うものは一週間分の食糧だけだ。
服や下着の購入で出費が嵩んだ分、食料品は普段より安くなっているものを買い少しでも財布の負担を軽くしたいと考える。
今日の特売品はなんだったか、今朝みた広告を思い出す。
卵と、牛乳と、……あとなんだったか。
一時は妄想のパンツで塗りつぶされた思考を正常なものへと再構築し、今日買うべき掘り出し物の記憶を探る。
「ソウタソウタ、あれはなんですか!」
先ほど俺を失意のどん底に叩き落とした性悪魔法使いが、ショッピングカート(小さな子供が乗れるやつ)の座席から細い腕を伸ばして訪ねてくる。
「いや、いい加減そこから降りろよ……」
「ここが楽ちん!」
何度か繰り返した押し問答、シオンが乗ったショッピングカートを押す俺もかなり恥ずかしいのだが、諦めるしかないのか。
当の本人はというと羞恥の色を一切表に出さず堂々としており、時折すれ違う本来その座席に座るべき幼子たちにドヤ顔を向けている。
13歳でその座席に座れてしまうコイツの体格を憂いていると、シオンが服の裾をぐいぐい引っ張ってくる。さっさと私の質問に答えろとの催促だ。
シオンが指差しているのは鮮魚コーナーにある冷蔵ケースで、すのこの上に氷が敷き詰められ、その上に様々な魚介類が陳列してある。
「あれか、あれは海で獲れた魚とか、貝とかエビを売ってるケースだ」
「海! 海のお魚ですか!? 見たい見たい!」
ショッピングカートを漕ぐようにシオンが両手をわたわたさせる。
手の動きに合わせてカートを魚介ケースに横付けしてやると、シオンは身を乗り出してケースの中を眺める。
氷の上に晒された魚は今朝獲れたばかりなのか、口をパクパクさせ新鮮さをアピールしている。
「もしかして、海のものを見るのは初めてか?」
「初めてです、私が住んでいた国には海がありませんでしたから」
そう言うとシオンは自分の小指を魚の口元に持っていき、魚の口でパクパクさせはじめた。
「もっと、元気に動くところが見てみたいです」
「つってもなあ、この鮮魚コーナーに生簀のようなものはないし……」
異世界人の我儘に少しだけ頭を悩ませていると、冷蔵ケースから聞こえるファンの音――、ぶーんという音が一瞬止み、またすぐに聞こえ出した。
その瞬間――
ビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビ
「うおっ!」
ケースに入れられた魚介類が一斉に跳ね上がった。
魚は尾ひれをビッタンビッタンと叩きつけ盛大に氷を撒き散らし、エビは背筋にものを言わせ何十センチも飛び上がり、カニやタコに至っては冷たすぎるケースから脱出を図っている。
「わあ! すごい!!」
シオンが目を蘭々と輝かせ、のたうち回る魚介を見回す。
絶対こいつが何かしやがったなと頭を抱えていると、異変に気付いた店員さんがケースに駆け寄り、逃げ出したカニやタコを一心不乱で捕まえている。弾丸のように弾かれたエビが店員さんの顔面に直撃しかなり痛そうだ。
「あら~、今日の魚はずいぶん新鮮ねえ~」
「ほんと! 見て奥さん、アサリが潮吹きの推進力で店員さんに体当たりしてるわよ」
「何か買って帰ろうかしら」
鮮魚コーナーにいた奥様方が新鮮な魚介を求め殺到する、タコに巻き付かれた店員さんは必死に接客し、みるみる商品は売れていく。
そんな中、俺は足早にショッピングカート押し、未だ熱気が冷めやらない鮮魚コーナーが見えなくなった所で足を止めると、シオンの顎に手のひら当て頬を押し潰す。
「むぎぎ……!」
「何をした? 正直に答えろ……」
タコのように尖がった口先をピクピク動かしシオンが答える。
「か、回復魔法、使いました……」
やはりか、瀕死だった魚介類が息を吹き返したもんな。
手はそのままで、シオンの耳元に口先を近づけ小声で囁く。
「いいか、外で勝手に魔法を使うんじゃない」
「……」
「あと、人様の電気……、魔力を使うのも厳禁だ」
「……」
「分かったら返事、従わない場合は今日のお昼ご飯は抜きだ」
「ふぁい!」
「よし」
シオンの頬を解放して、おそるおそる鮮魚コーナーに戻ってみたが、戦場となっていた冷蔵ケースは空っぽになり、傍らには、顔にタコの吸盤の跡がびっしりついた店員さんがぐったりしてへたり込んでいた……。
タコは洗濯機で洗おう