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花ひらくまで

作者: 奥山湖都

 ゆりちゃんはお父さんのたからものでした。もちろんお母さんのたからものでもありましたが、お母さんはゆりちゃんが生まれてすぐに病気でなくなってしまいました。ですからゆりちゃんはお母さんのことを少しも覚えていなかったのです。まだ笑ったり泣いたりしかできないゆりちゃんを、お父さんはつきっきりで育てました。目が覚めて泣きだしたらミルクをあたためながら抱き起こし、やさしく話しかけます。

「どんな夢を見たのかい。お父さんに話してごらん。今日はとてもいいお天気だよ。あとでお散歩に行こうね」

お父さんは、お母さんが生きていたらきっとこんな風にかわいがるだろうと想像しながら、ゆりちゃんの小さな指を触ったり、ふんわりとした髪の毛をなでたり、時にはあごの下をこちょこちょっとくすぐってみたりしました。ゆりちゃんはにこにこしているお父さんのそばにいるだけですっかり安心して、周りに見える物にどんどん関心をもつようになりました。向こうには何があるんだろうと重い頭を持ち上げ、手と足を踏ん張ってみました。ミルク以外にやわらかいものから少しずつ、おかゆやすりつぶした野菜も食べ始めました。しっしんが出てかきむしったり高い熱が出てぐったりすると、お父さんはあわててゆりちゃんをお医者さんのところへ連れて行きました。本当に休むひまなどありませんでした。ゆりちゃんはおもちゃを手でさわったり、放り投げてみたり、口に入れたり、いろいろなことをして確かめずにはいられませんでした。どんなことでもゆりちゃんにとっては大きな発見でしたし、つまずいて転んで頭を地面にぶつけても、コップを倒して麦茶をこぼしたりしても、あきらめることはありませんでした。

「あー、あー、ぶー」

ゆりちゃんは少しずつお父さんに何かを話しかけるようになりました。お父さんはうれしそうに目を細めて、耳をかたむけ相づちを打ちました。そのうちにゆりちゃんは大きな声で歌を歌い始め、つかまって立ち上がり、ボールを追いかけて遊ぶようになりました。お父さんはゆりちゃんのできることが増えるたびに驚き、心の中でなんてすばらしいんだと叫びました。

 ゆりちゃんの見える世界には、いつも必ずお父さんがいました。必ずいるっていうのは、ふつうはとても難しいことなのです。お父さんは、ゆりちゃんが眠っている間に、おうちで一生懸命お仕事をしていました。どんなお仕事かというと、物語を書いていたのです。お父さんのお話は、楽しいものが多いのですが、時には不思議なお話や怖いお話もありました。いつの間にかおしゃべりも上手になり、幼稚園に通うようになって、ゆりちゃんはお母さんがいないことや、そのかわりにお父さんがいつも家にいることに気づきました。そんなゆりちゃんに、お父さんは時々お母さんのお話をするようになりました。

「いつも楽しそうで落ち着いていて、周りの人を楽しませようと工夫していたな。けれども一人でいる時はたいていぼーっと空の雲を眺めていたよ」

お父さんは懐かしそうに思い出しては言いました。部屋のあちこちに写真が飾ってありましたし、お母さんの選んだカーテンや食器が今もそのまま使われていて、

「このティーポットはお母さんの好みの色でね、ほらあっちの時計も同じ色だろう?」

なんてお父さんがしょっちゅう説明するので、お母さんがまるでそばにいるみたいだと、ゆりちゃんは思いました。お父さんのお話が作ったお話なのか本当のお話なのか、その頃のゆりちゃんはまだはっきりと区別できなかったようです。

 ゆりちゃんはずいぶんお姉さんになって、おうちのお手伝いがたくさんできるようになりました。学校から帰ってきたら、ランドセルを置いてまず宿題をすませます。わからないところは、お父さんに聞きます。お父さんもわからなければ、インターネットで調べたり、図書館に行って本を探します。それからゆりちゃんは、洗たくものを取り込んでたたみ、晩ごはんのしたくにとりかかります。この日はミートソーススパゲッティでした。ひき肉と玉ねぎを炒めてソースを作り、ゆでたパスタにたっぷりかけて食べます。トマトサラダと卵スープも作りました。お父さんは、ゆりちゃんの料理をいつもほめてくれます。ゆりちゃんは、お母さんにも食べてもらいたかったなと思いました。後片付けをして、お風呂に入り、ゆりちゃんが眠ったあと、お父さんはお手紙を書きました。『今のこの幸せをありがたく思います。どうか一日でも長くゆりと過ごせますように。私にもしものことがありましても、ゆりが寂しがらずにすみますように。』お父さんはいったい誰にこのお手紙を書いたのでしょうか。大切に机の引き出しにしまい、眠りにつきました。

 それからしばらくして、ゆりちゃんの学校で授業参観が行われました。お父さんも楽しみにして、学校に出かけて行きました。ゆりちゃんのお父さんは、お友達のお母さんたちに交じって子供たちが描いている絵を見てまわりました。図工の時間にみんなでお絵かきをしていたのです。思い思いの絵はどれも鮮やかな色合いで、色鉛筆でもクレヨンでも水彩絵の具でも好きなもので描いてよいことになっていました。ゆりちゃんのところでお父さんは立ち止まりました。どうやらゆりちゃんはクレヨンと水彩絵の具を使っているようです。全体的に淡い緑色で、画用紙の左側に木が何本も描かれていました。学校の校舎も真ん中に見えます。右側には空が広がり雲がぽかりと浮かんでいます。よく見ると、木のうちの一本に赤い龍がからまり体を休めているではありませんか。その龍はとてもやさしい目で、子供たちのいる校舎の向こうの空をぼーっと眺めていました。お父さんは目を見張りました。あれこれゆりちゃんに尋ねたいことがありましたが、授業参観の最中ですから遠慮しました。他のお友達の絵も見て回りながら、さっきのゆりちゃんの龍が気になっていました。家で待っていると、ゆりちゃんがやっと帰ってきました。お父さんは手洗いうがいを終えたゆりちゃんにさっそく聞いてみました。

「授業参観で見た、ゆりちゃんの絵の龍のことだけど」

ゆりちゃんは変わったものを描いてしまったかしらと思いました。でも本当に見えたのですから仕方ありません。お父さんはあの龍のことを知りたがっているようです。

「あの龍ね、誰かに似ていると思わない?」

ゆりちゃんは、てっきりおかしなものを描かないように注意されるのだと思っていました。何と答えたらよいか、わかりません。見たままを描いたので、誰かに似ているなんて言われても困ってしまうのです。お父さんは誰に似ていると思っているのでしょう。ゆりちゃんはあの時見た龍の様子を、もう一度思い出してみました。校庭の木にゆったりとからまって、ぼーっと空を見ていたのです。

「あっ」

ゆりちゃんは、思い出しました。そういえば前に、一人の時はぼーっと空の雲を眺めていたとお父さんが話した人がいました。そうです。

「あの龍は、わたしのお母さん?」

お父さんは、深くうなずいて言いました。

「お父さんもそう思うよ。お母さんはゆりちゃんに会いに来たんじゃないか?」

ゆりちゃんは、龍がお母さんだとわかるとほっとして、あたたかい気持ちに包まれていました。

「またあの龍に会えたら、わたし話したいことがたくさんあるの」

お父さんもゆりちゃんと同じ気持ちでした。ゆりちゃんが、大きくなって元気に小学校に通っていること。おうちのお手伝いをがんばっていること。これからもずっとゆりちゃんを見守ってほしいこと。お父さんとゆりちゃんは、今でも昔と変わらず三人家族のままで暮らしている気がすることなどです。

 あの龍がゆりちゃんのお母さんかどうかはわかりませんが、お父さんとゆりちゃんの気持ちはきっと伝わっていると思います。なぜって、龍は人の願いをかなえるのが大好きなのですから。





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