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千年書館

藍 ―嫁と義弟と出会った話―

作者: 琳谷 陸

藍 ―嫁と義弟と出会った話―




 嗚呼(ああ)、こいつだ――――。




 時が止まって見えた。

 振るった曲刀(きょくとう)の刃を足掛かりに、その女は舞う。

 心底愉しそうに唇に笑みを()く。

 懐剣(かいけん)を手にしたまま、抱きつくように自分の首筋に回される白く細い女の腕。

 いっそ見惚れてしまいたい衝動に駆られるほど、美しかった――――。




「なあ、嫁。いつ嫁に来る?」

 晩夏月(ラスサマディア)のとある日。一番暑い時間は過ぎて、あとはゆっくり夕暮れに向かうだけの頃。

 縁側に寝そべり、先日、閲覧(えつらん)の権利を手に入れた書物を()る女に、それを室内の畳で胡座(あぐら)をかいて座り(なが)める男が問いかけた。

「さあ? その気になったらね」

 もういいかい。まぁだだよ。

 そんな鬼遊戯(おにあそび)の気安さで、男女は言葉を交わしていた。

 男の方は輝くような銀髪を肩の上で無造作に切り、白い肌と薄紅玉(ロードナイト)のような(あわ)くも鮮やかな赤い瞳を持つ。歳は二十歳くらい。

 女の方は、肩の骨……肩甲骨(けんこうこつ)の下ぐらいまである艶やかな黒髪に男とは反対の色彩の青い瞳で、先日十五になった。

 二人は共にシャツやズボンというラフな格好の上に、羽織りという伝統的な上着を引っ掛けている。

 ここは律樹花国(つきはなのくに)という大陸から切り離された島国。島国とはいえ、技術も識字率(しきじりつ)も大陸となんら遜色(そんしょく)ないのだが、あえて一つ大きな違いは、未だにお伽噺話(とぎばなし)の住人が人々の思想の中に色濃く姿を残している点だろうか。

「何を用意すれば嫁に来る?」

 薄墨色(うすずみいろ)の羽織を肩に掛けた男がそう言えば、

「あっまいなぁ。言って用意したもので私が嫁に行くと思う?」

 紺色の羽織の女はそう答える。

「それもそうか。失敗したな」

「残念でした。またのお越しを」

 ドアベルよろしく風鈴がチリンチリンと涼しげな音を立てて笑った。

 ふと、女は真剣な表情で顔を上げて男を見る。

「川で冷やした西瓜(すいか)食べたい」

「よし。引き上げてくる」

「よろー」

「よろじゃないでしょ、お姉!」

 そんなツッコミと共に、女が寝転(ねころ)ぶ縁側、庭先に女と良く似た少年が現れた。

「あ。七海。お帰りー」

「お帰りじゃないここ他人様(ひとさま)の家でしょ!」

義弟(おとうと)お帰り」

「アンタの弟になったつもりはない!」

 白い半袖学生シャツと黒い学生制服のズボンに黒い革靴(ローファー)。女と同じ顔に同じくらいの長さの髪を、包帯を巻いた首の後ろで一つに(くく)った少年、七海(ななみ)・ルイス・アカツキ。女の双子の弟で、女こと七羽(ななは)・ルイス・アカツキに誰よりも振り回されている存在だ。

「どういう神経してんの! この間こいつに殺され掛けたばっかだよ!? それも覚えてられないくらい頭が退化したわけ!?」

「えー。七海(ななみ)ん酷いー。ところでお姉ちゃんは白寒天(しろかんてん)が食べたいな」

「ねえ人の話聞いてる!?」

 悲鳴もかくやの声を上げながら、七海は縁側に膝をつき、寝転ぶ七羽の頬を両手でつまんで横に軽く引っ張る。

「ふひゃひ(痛い)」

「ほぅ。僕は首が痛いなー」

 七海の青い瞳が()わった。

「しかも何でこのくそ暑い中、僕がこんな所に来たかわかる?」

「わひゃんひゃひ(わかんない)」

 フッ……と、七海が笑う。そして次の瞬間、七海の表情は抜け落ちた。

「学校から、今日補講で登校予定のお姉が、何時まで経っても現れないんだけど病欠ですか? って確認が来たからだよ! サボったよね? お姉!」

「こひぇんひゃひゃひぃ……(ごめんなさい……)」

 みょーんみょーん。頬を引っ張られつつ、ギブアップを叫ぶ七羽に、男こと二藍(ふたあい)は柔らかく微笑む。

 律樹花国の首都……ではなく、その近辺に位置する山河や自然豊かな県。その中心にある無人駅の町。

 見渡す限り山か森か林か小川に田畑しかないそこから、さらに山に分け入る必要のある集落に、この家はある。

「まあまあ。いいじゃねぇか。カリカリすんなよ」

 カラカラと笑う二藍を、七海はジトリとした目で睨む。

「試しに合格した嫁に、危害加える(ヤツ)ぁこの村にはいないんだからよ」

 七羽が禁書庫の閲覧権を求めてやって来たのは二週間前の花日(フラウ)

 村の古来から掟として、禁書庫の書物を閲覧するには禁書の社を守る、守り番の試しを受け、――――要はねじ伏せて、閲覧権を勝ち取る必要があった。

 それは村の者でも外の者でも例外はない。

 (ゆえ)に、守り番に認められるという事は、村人に認められ一目おかれるという事と同じ事だった。

 ましてや。

(女人村(にょにんむら)とまで呼ばれるこの村じゃ、なおのことな)

 代々女性が村長(むらおさ)となるこの村で、守り番に認められ、なおかつ女性となればもう……。

「俺の嫁なわけだし」

 二藍は村長の息子で守り番である。その自分が認めるのは、次代の村長候補として見るに等しい。簡単に言うと、惚れたので嫁に欲しいという事だ。

「誰がアンタの嫁ですか……」

 七羽の頬から手を離し、七海が目だけで人を殺せそうな威嚇(いかく)を放ってくる。

「うーん。嫌いじゃないけど、候補(キープ)かなぁ」

「お姉まで何乗っかってるの!?」

 もう恐らく反射的にツッコミを入れる習性がついているのだろう。七海は長い髪の間から覗く七羽の首に目を向けた。

 細く白い首に、よく見れば七海と同じく包帯が巻かれている。

「早く。帰るよ」

「えー。まだ読み終わってない」

 一刻も早くここから七羽を連れ出したいらしい七海に、当の七羽は不満げだ。

「流石に貸し出しはできないぞ」

「…………」

 二藍の言葉に、七海は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 無理に連れ帰っても、目的を果たすまで七羽はいくらでもここに通うだろうと、悲しいかなわかってしまう弟の(さが)である。

「飯でも食ってけよ。それまでには読み終わるだろ?」

「今日の夕飯なにー?」

「夏野菜と鶏肉の串焼き、トロ芋おろしと雑穀飯(ざっこくめし)にあら汁、冷やした胡瓜(きゅうり)味噌(みそ)。あとは川魚の塩焼きもつけるか」

「よし、残ろう」

「お姉!」

「決まりだな。義弟、上がれ。西瓜取ってくるからよ」

 腰を上げ、裏手の川に西瓜を引き揚げに行く。

 こまめに手入れをしているつもりだが、また草が伸びているのを見て、二藍は明日あたり草むしりするかなとのんびり考えた。

「ん? どうした義弟」

「だから、アンタの弟じゃないって言ってますよね。夕飯を頂くんですから、何か手伝います。姉がご迷惑掛けてますし」

 二藍に追い付いた七海はため息を交えながらそう言う。

「そうか。悪いな。けど、別に嫁は迷惑じゃないから気にするなよ」

「姉をアンタにやる気は無いんで嫁とか言わないでくれますか変態(ロリコン)

 わりかし自分の興味があるか無いかで多少の起伏はあるものの、おおらかな七羽と顔は同じでも、七海は正反対の細かさと警戒心むき出しで二藍に接する。

 そんな様子も惚れた女と同じ顔で弟と考えると、妙に微笑ましく思えてしまうのが、二藍自身も不思議だった。

「なあ義弟。どうしたら嫁をくれる?」

蓬莱(ほうらい)の珠の枝に火鼠(ひねずみ)の衣、竜の首の珠に仏の御鉢、燕の子安貝を用意した上でそれを上回るものを一つ用意したら考えてあげます」

 遠回しに、やるかボケ、と。

 二藍はそんな七海の態度に怒るでもなく、ただ苦笑した。

 まぁ、無理もない。そんな事さえ考えて。

(確かに、殺し掛けたからなぁ)

 守り番の試しは、守り番を倒すか一太刀浴びせるか。

 銃刀法があるこの文明の世において、武器の使用も許可するそれは、一つ間違えばどちらの命も無いようなもの。命のやり取りに限りなく近い。

 例えば相手を殺してしまっても、ここでは集落全体でそれを無かったことにするので、まかり通るものだが。

 七海はさっさと川にたどり着き、流水で冷えた西瓜を引き揚げている。

(しっかし、双子ってのは不思議だな)

 試しを受けに来たのが紺色のセーラー服という中等院の制服を身に(まと)った、五つも年下の少女であった事も驚きで、しかもその少女が貸し出し武器に妖刀を選んだのも、その刀に操られていたとはいえ二藍に一太刀浴びせるほどだった事も、純粋な驚きだったのだが、二藍としてはその後の方が驚きだった。

 ()らなければ殺られる。

 妖刀に操られ舞う少女は、心底美しかった。けれど命のやり取りであるなら、死ぬわけにはいかない。

 手加減をするのも難しい。

 だから、二藍は白く細い腕が自身の首に回った瞬間、その少女の首を『爪』で掻っ切ろうとしたのだ。

 しかし。

 ――――お姉っ!

 自身の爪が、少女の首の薄皮を赤い糸一筋切り裂いた刹那(せつな)

 少年は(やぶ)を突っ切り、叫んだ。

 少女と同じく、その細首に赤い一筋を浮き上がらせて。



「あの、二藍さん?」

 掛けられた声に、二藍は我に返る。

「ん?」

「西瓜。引き揚げましたけど」

 自身の頭ほどもある西瓜を両手で抱え、七海が(いぶか)しげに二藍を見ていた。

「すまん。考え事してた。ありがとな」

 思わず頭を撫でようとしたのだが、その手は空を切る。

「触らないで下さい。変態がうつる」

「いや、酷いな。義弟」

 ツンとそっぽを向いて(きびす)を返すその様子からは、二藍を本当に変態としか思っていないのがありありと伝わってくるのだが。

(けど、それだけなんだよな)

 二藍が薄皮一枚裂いた所で(とど)まったのと同じく、二藍の首に腕を回して首を取ろうとしていた少女も動きを止めた。

 妖刀は二藍の首筋に(あて)がわれながらも、それが動き二藍をそれ以上害する事はなく。

 ――――七海。

 少年の姿を認めた少女は、花咲くように無邪気に笑った。

 その笑顔に、そして妖刀の支配をあっさり破ったその精神力に、二藍は自分でも驚くくらい、即断したのだ。

 この少女を嫁に貰おう、と。

(ほんと、『姉弟(きょうだい)』そろって大したもんだよ)

 自分を殺そうとした男の求婚を候補(キープ)にする七羽。

 その事実をしっかり覚えていてなお、『そこに恐れを抱いているわけではない』七海。

(普通、恐ろしくて変態(ロリコン)なんて呼ばないだろ)

 それ以前の問題の筈だが、七海が言うのは二藍が七羽に求婚しているその事だけだ。

 クツクツと可笑(おか)しさに笑いが零れ、前を歩いていた七海がいよいよドン引きな様子で身を引く。

 その目には、この変態が、という以外浮かんでいない。

 それが――――どれだけ稀有(けう)なものか。

(飽きねぇなぁ)

 この姉弟がいる限り、退屈は悠久の彼方へ裸足で逃げていく。

「何ですか?」

「いや、嫁と義弟と暮らせるのが楽しみだと思ってな」

 ドン引きの七海が叫んで、二藍は笑う。

 それは夏の終わりで、奇妙な(えにし)の始まり。

 さて、その結末は――――。



 終

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