記憶バンク ~悪役になりそこなったご令嬢、平行世界にいるもう一人の私~(後編)
遂に迎えた卒業式の日。
卒業式を終え、謝恩会のパーティーが始まった。
学院のホールを使った盛大な立食パーティーに、生徒の親たち、つまり政財界の大物たちも一堂に会した。そんな和気藹々とした雰囲気の中、二人の男女がステージへと上がっていく。
何かの余興かと大勢の目が向く中で、『苛烈女王』の婚約者が前に出た。
始まりは教師や保護者への感謝の気持ちを述べるという、なんてことはない挨拶だったが、最後に『苛烈女王』の名前を唐突に呼んだ。
呼ばれた彼女は、悠然とした態度でステージの前へと進み出た。
「ワタクシにも、挨拶をせよということかしら?婚約者様?」
扇を広げ上品に微笑む姿は女王に相応しく、みなを感嘆させた。圧倒的な存在感は、ただそこにいるだけで、ある種の畏怖をもたらす。
彼女の雰囲気に飲まれまいと、婚約者はまなじりを上げた。
「俺を婚約者などと呼ぶな。貴様との婚約は今日をもって破棄する!」
そして、転入生の肩を抱き寄せ、さらに叫んだ。
「俺は、ここにいる彼女と婚約することをここに誓う」
途端に、ざわざわと保護者の一帯が騒がしくなった。彼の親の顔色を見るに、事前に話を通していなかったようだ。
家同士の誓いである婚約を、彼が一方的に破棄し、新たな婚約宣言をしたところで、何の効果もない。それよりも、『苛烈女王』は貴様と言われたことに、腹を立てた。
「ワタクシ、あなたに貴様などという下品な呼ばれ方をされる覚えなどありませんわ」
話を聞いていた一同は思った。怒るところはそこじゃないだろうと。
「黙れ。貴様が卑劣な策略を巡らせ、彼女をいじめていたことは分かっている。貴様は自分の手を汚さないようにしていたが、詰めが甘かったようだな」
婚約者……いや、(ここまで大ごとにされれば婚約はどちらにしても取り消されるだろうから)元婚約者となった彼は、指をパチリと鳴らし、一人の男子生徒を召喚した。
「君は、あの女に命令されて彼女を階段から突き落とした。それを証言してもらおう」
「いえ、あの、直接命令されたわけでは……」
もごもごと、召喚された男子生徒は言った。
それはそうだろう。『苛烈女王』は暴力を伴った処置を美しくないと感じている。ゆえに、彼女の心棒者も、直接力で訴えることはしない。
あの男子生徒は新参者だったのか、はたまた彼女の意向を理解できない無能かどちらかだったのだろう。
「続けて」
今まで黙っていた転入生が、男子生徒に続きを促した。
遂に反撃を開始するのだろうか。卒業式の今日まで終ぞやられっぱなしで沈黙していた転入生に少々失望していた彼女は、期待の眼差しを向けた。
「あ、あの、暗黙のルールがあって。彼女が不快だと示した人には、僕たちが対処してあげないといけないんだ。言葉にしなくても主の意向を酌みとって動ける者が、使える人間だって……」
「つまり、そうしなければ、父親の会社と取引をやめさせるなどと脅されたのだな?」
元婚約者が誘導するように尋問した。なんと失敬な話である。『苛烈女王』は確かに両親に可愛がられているが、彼女の一言で取引が左右されることはない。そんなことをしていれば、彼女の父が所有する会社は既にいくつか潰れているだろう。
「い、いえ。そこまでは言ってな……」
「なんてひどい人なの!」
男子生徒が答えようとしたところ、被せるように転入生が声を上げた。
『苛烈女王』は感心したように転入生の言葉を待った。やはり転入生は、ただの善人で素直な人間ではなかったのだ。
周りにとって、『苛烈女王』の印象がいかに悪くなるかを計算した上で話を進めようとしている。学院一の才女なのだ。それぐらいはできて当然だろう。
「立場が弱い人たちを精神的に追い詰めて、そうまでして自分の手を汚したくないんですか!?あなたの婚約者に心が惹かれていたのは認めます。でも、あなたが彼にふさわしい人であれば、私は身を引くつもりでした。それなのに、こんなひどいことをするなんて、信じられません!」
「あらまあ、ふさわしいかどうか、あなたが判断なさるの?随分と下に見られたものね」
こんなひどいこと、と転入生が大げさに語ることによって、周りにそう思わせる技術。まるで女優さながらのパフォーマンスに、『苛烈女王』は感心した。さすがは、自分が強敵と認めた人物。この目に狂いはなかった。
おそらく、今日という舞台……謝恩会までずっと我慢をしていたのだろう。より効果的に、保護者のいる前で断罪するために。
泥水をすすりながらも、一矢報いようとするその意気やよし。
『苛烈女王』は、手に馴染んだ扇をパチリと閉じた。
彼女は反論しようと思えばいくらでもできたが、それは美しくないと感じた。
あの証言した男子生徒の名前も覚えていなかったが、手駒を管理できなかったのは、確かに『苛烈女王』の失敗だった。
その結果であれば、甘んじて受けるしかない。
「素晴らしいわ。この勝負はあなたの勝ちよ。敗者はただ去るのみ。ごきげんよう、みなさま」
『苛烈女王』は最後まで毅然とした態度を崩さなかった。一挙一動ですら、優雅さを損なわない、令嬢の中の令嬢。
「あなたと別の形で知り合っていたら、友達になれたかもしれないね」
「さあ、どうかしら?」
互いにだけ通じるような視線が、一瞬だけ交差した。彼女は、元婚約者を一瞥もせず、会場を去っていく。
「おお、ブラボー」
令嬢とは、かくあるべき。彼女はそれを周囲に見せつけた。
たとえ糾弾されても、一切取り乱さずに彼女は自ら幕を引いた。転入生が語った真偽はともあれ、その潔さは称賛に値する。
婚約破棄の場であったはずなのに、なぜか今は健闘を称える拍手が沸き起こった。
一人成り行きについていけず、元婚約者だけが呆然としている姿は、想像に難くなかったが。
その後、『苛烈女王』は正式に婚約を破棄され、家からも勘当された。その辺りのことは、なぜかモヤがかかったように鮮明ではなかったが、家から追い出されたのは確かだった。
彼女の行方は、分かっていない。
ワタクシの不思議な夢はそこで終わっていた。まさか、彼女が家から追い出されて死んでしまったとは思いたくないけれど……。
平行世界のワタクシは、ワタクシが憧れるような毅然とした令嬢だった。けれど、彼女のようになれば、それこそ婚約破棄をされ、勘当されてしまうかもしれない。
彼女のような令嬢のことを、何と呼ぶか知っている。
A子かB子に借りた少女向け小説に、確かそのような令嬢がいた。その令嬢は、もう一人のワタクシの足元にも及ばないような小物だったけれど、婚約者に婚約破棄され、家から追い出されたところは同じだった。
「そう、悪役……悪役令嬢でしたわ」
まるで、悪の役を演じているような呼び方だった。
『苛烈女王』ならば、嬉々として受け入れたかもしれない。でも、ワタクシには到底耐えられない。何より、婚約者のことが好きなのだ。婚約破棄をされて、あんなに平然となどしていられない。ならば、ワタクシは、どうしたらいいのしょう?
「お嬢様、ミルクをお持ちしましたよ」
「ば、ばあや。いつからそこに」
どうやらノックの音にも気づかずに、考えに没頭していたらしい。
「つい先ほどですよ。お嬢様は何かに悩まれているご様子。ばあやでよければ、相談に乗りますよ」
幼い頃からワタクシの世話をしてくれた、ばあや。彼女は、心に武装した鎧を簡単に剥がしてしまう。ワタクシは、誰に対しても気丈に振る舞う、完璧な令嬢にはなれなかった。
「ワタクシは、どうしたら、婚約破棄されずにすむのかしら」
「おやまあ、そのように思いなさることが、何かがあったのですか?」
のんびりと訊ねるばあやに、ワタクシは3日前に学校で起きたことを語った。そして、先ほどまで見ていた夢の話を聞かせた。婚約破棄をされたのが、平行世界にいるもう一人のワタクシとは、さすがに言わなかったが。
「お嬢様は優しいお方と、私は知っていますよ。それとも、夢の中のように、邪魔な者を排除したいとお思いですか?」
「……彼に、近づかないでほしいと思うわ。でも、排除したいとまでは思わないの」
ワタクシは、正直な気持ちを告げた。
「でしたらお嬢様。邪魔だと思う者と仲良くしてみたら、いかがでしょう?」
「え……?仲良く?」
思いもしなかった提案に、ワタクシは目を丸くした。
「そうです。邪魔者を排除できないなら、逆に味方にしてしまえばよいのです。夢の中のお嬢様にはできなかったことでも、ここにいるお嬢様ならばきっとできると、ばあやは信じていますよ」
「そうね、ばあや。分かりましたわ。ワタクシ、やってみます」
小娘と仲良くすることなど考えたこともなかったけれど、解決策が見つからなかったワタクシとっては、一筋の光明とも言える案だった。
いえ、仲良くする者を小娘と呼ぶのはよくないわ。
「まずは、名前を訊ねるところから始めないといけませんわね」
同じクラスに所属していながら、ワタクシは彼女を知ろうともしていなかったことに気付く。
「もしかして彼が言いたかったのも、そういうことなのかしら……?」
婚約者がワタクシに投げかけた忠告。
冷静になった今、ようやく飲み込むことができた。
それからワタクシは彼女……花沢桜さんと仲良くなるために尽力した。
最初は怯えられてしまったけれど、ワタクシの気持ちが本当だと知ってもらい、徐々に打ち解けていった。今では婚約者よりも、ワタクシの方とが親しいくらいだ。
取り巻きのA子とB子についても、関係を改めることにした。ワタクシには、夢の中のワタクシのように手駒を指先一つで人を動かすことなど、できやしない。
だから、今までのようにワタクシのために何かを率先してやらなくてもいいと伝えた。ワタクシに従うことで、家に利益があることは一切ないと告げると、彼女たちは離れていった。少し悲しくはあるけれど、そういう関係しか築けなかったのだから、甘んじて受け止めるしかない。
ワタクシは、平行世界のワタクシのことを思う。
願わくば、どこまでも孤高であった彼女にも、心が許せる人がどうか見つかりますようにと。
「ワタクシの記憶は、お役に立てたかしら?」
屋敷の応接間に座る美女が、紅くひかれたルージュの口端を薄っすらと持ち上げた。
「ああ、姉さんの記憶のおかげで、娘の悩みは解消したようだ。娘は、姉さんのことをパラレルワールドにいる自分……娘が辿ったかもしれない可能性の一つと認識しているらしい」
「ふふふ、あの子はワタクシの若いときにそっくりですものね。扇もワタクシが使っていたものを、使っているのでしょう?」
美女は、新進気鋭のデザイナーがデザインしたという、奇抜な柄の扇を開いた。
「あれは、この家に生まれた長女に与えられるものだからね」
代々と受け継がれてきた扇は、歴代の娘たちが愛用したものだ。
「そうね。ワタクシはこの家を出た人間ですもの。あれを持つ資格はもうないわ」
婚約破棄された後、『苛烈女王』への評判が大して落ちることもなく、新たな婚約申し込みは意外にも多かった。謝恩会での糾弾も誇張されたものだと、多くは分かっていたからだ。
けれども令嬢は、新たな婚約者を選ばなかった。
「びっくりしたよ。まさか姉さんが、熱烈に誰かに恋をして、駆け落ちまでするなんて思わなかったから」
「苛烈女王の名は、伊達ではなかったでしょう?」
今では大会社の社長となった姉の夫だが、当時は小さなベンチャー企業の社長でしかなかった。親たちがそんな者との付き合いを認めるはずもなく、二人を別れさせようとしたが、姉は頑として聞き入れずに二人で海外へと渡り、行方を眩ませてしまったのだ。
そして数年後、アメリカで大成功をした夫と共に、姉は再び帰ってきた。だが、両親とは今でも和解できず、こうして弟である自分とだけこっそりと会っている。
『記憶バンク』のことは、姉の夫から知りえたことだった。人の記憶を保存し、別の人間へ見せる研究とサービスを提供するという、公には知られていない組織。
初めは本当にそんなことができるのかと思ったが、数々の成功例を聞かされ、娘の手助けになればと、今回サービスを利用することにしたのだ。
「それでは、ワタクシは失礼するわ。姪っ子……もう一人のワタクシの幸せを願っていますわ」
かつて悪役令嬢であった美女は、優雅に、そして颯爽と屋敷を去っていった。
シリーズ管理にしました。




