トラックは投げるもの
「じゃあ行こうか」
「うん、あなた」
ある平日、俺は仕事の都合で降ってわいた休日を得た。
二番目の息子と娘は学校。折角だからと妻を誘い、逢瀬という程に艶やかでもないが、昼は外で食べようという話になった。
然して趣味のある男でもなし、昼間から酒をやるのも外聞が悪いしと、休日には妻と過ごすことが多いように思う。
うちの家族は俺を“まるで物語の主人公のよう”と評するが、実際は急な休みを貰うと途端に暇を持て余す中年のおっさんでしかない。
だからこそ、こうやってゆったりと夫婦で散策などしていると、時折ではあるが考える。
『人生というやつは、どれだけ途方もない奇跡の上に成り立っているのか』
随分と昔、俺は異形の者達との戦いに明け暮れていた。
俺の運命を捻じ曲げた仇敵、彼奴を討たんと、ただその為だけに生きていた。
もっとも、そんな日々も遥かに遠く。
今では愛する妻や可愛い子供達と穏やかに毎日を暮らしている。
苦難を乗り越え生き残ったこと、その果てに愛した女性と想いを通じ合わせたこと、子供達が産まれ健やかに育っていること。
その全てが俺には途方も奇跡だと思える。
それを考えれば、休日の散歩も貴重な平和の肖像というものだろう。
◆
さて、うちの旦那様は今日お仕事がお休み。
ならちょっとお昼は外で贅沢、と二人でお出かけ嫁子です。
私は夫が大好きなのでこういう機会は素直に嬉しい。勿論旦那も同じ気持ち。
ただ問題があるとするなら、やっぱり街には危険が多い点だろうか。
繰り返すけれど、うちの旦那は元主人公。
昔は仇敵を討つことだけを考えて、強くなろうと命知らずな真似を繰り返していた。
それでも家庭を築けば、変われば変わるもの。
どのような敵にも恐れず立ち向かった旦那も今では一般人(仮)、襲い来る異形の化け物を警戒し剣を携えるより、散歩中の交通事故やトラブルなどを注意するようになりました。
『なにせ父親になったのだ。交通ルールを守る、危ないことはしない。最低限この二つは守らないと子供達に示しがつかない』
などと申しては、交通安全に気を付けたりしております。
そして旦那と一緒に出掛ける時は、私も細心の注意を払って行動します。
そういう私達の、涙ぐましい努力を散歩がてらに紹介しましょう。
「わー、遅刻遅刻ー!?」
例えば、曲がり角では一度立ち止まり、左右を確認します。
パンを口にくわえたまま走るセーラー服の美少女と衝突する可能性があるので危険です。
昔は恋愛が始まる程度で済みましたが、今は謎の組織との戦いに巻き込まれたり、縁が出来て異世界に飛ばされたりしてしまうので注意します。
まずねー、普通の人はそんなベタな出会いしないんだけどなー。
なんてデキる妻は口にしません。旦那は律儀に大真面目に曲がり角で立ち止まっているのですから。
今日もセーラー服美少女パン子が走り去っていきます。
遅刻も何も既に十時を回っており、どんなに走っても間に合わない訳ですが、これも主人公補正のうち。都合いいタイミングで現れる美少女なんて、気にしたら負けです。
「この辺りは車通りが多いな……」
第一の関門を突破した後は、お昼ごはんのお店を探しに大通りまで。
昼前ですが、旦那の言う通り車通りが、特にトラックがこの辺りは非常に多いです。
ですので信号機の無視は絶対にやめましょう。
飲酒、または居眠り運転のトラックが突っ込んできます。これにぶつかると高確率で異世界へ転生してしまいます。
更には歩道に侵入してくるケースもあるので、信号待ちの際は道路際で待たないこと。歩行中も警戒は怠らないようにしないといけません。
「いやぁあああああああああああああああ!? 誰かぁぁぁぁ!?」
これだけ注意しても、公園で遊んでいた小さな女の子が急に道路へ飛び出してきて、そこにトラックが来るケースもままあります。
こうなると旦那は止められません。
家族の為にも危ない真似はしない。それは大前提。
けれど家族に恥ずかしくない父親である為にも、年端もいかない女の子を見捨てる選択など初めからありはしないのです。
当然ながら、旦那は小さな女の子をかばい暴走するトラックの前にその身を晒します。超カッコイイ。
ただし彼も考えなしという訳ではなく、轢かれると間違いなく異世界へ転生すると分かっているので、ちゃんと対処をする。
変形頭捻り“巻鎖”。
旦那は突っ込んできたトラックの車体前面を掴み、上半身を傾け、頭を軸に回転、そのまま捻り倒しました。
襲い掛かる鉄の塊は、あらぬ方向へ吹っ飛んでいき、またしても彼はヒーローの如く少女の窮地を救ってみせたのです。
ちなみ巻鎖は、元々は相撲の『頭捻り』という決まり手を基にした技で、旦那の高校時代の友人が得意としていた一手です。
高校の頃に旦那は、人数の足りない相撲部に頼まれ、助っ人として大会に出場したのですが、その機会に友人の技を視認しコピーしておいたのでしょう。
トラックは投げ飛ばすもの。転生トラック対策に相撲は効果的なので皆さんも覚えておいて損はありません。
「あ、あ……」
「ああ、大丈夫!? あの、ありがとうございますっ!」
女の子は無事、慌てて駆け付けた母親は安堵に目を潤ませながら感謝してくれる。
ただ此処で下手に会話をすると長くなると思ったのか、旦那は私に一声かけ、お礼も適当に受け流しその場を後にしました。
「ねえ、あなた。いいの?」
「ああ。大したことはしていないし、長々と話しても仕方ないしな」
それよりも嫁とのデートが大事。
妻の手前、女生徒長話は。そういう気遣いだった筈。
しかし実際やったことは『ピンチに颯爽と現れ、それを討ち破れば名も告げず去る』。つまりはいつも通り、少年漫画読み切り的主人公でした。
「っと、すまない。先にコンビニへ寄ってもいいか?」
ちょっとしたトラブルを躱して、向かう先はコンビニ。
財布の中身が心もとない為ATMで降ろしておく。なお此処で間違っても銀行になど寄ってはいけません。
七割がた、銀行強盗が入ってきます
やはり普段使いをするならコンビニATMの方が安全。
それでも時折強盗はあるし、タチの悪い客が店員(女の子)に絡んでいる場合も少なくない。
「はなせよ、おっさん!」
「店員相手にはしゃぐ真似は見っとも無いぞ、男の子」
もっとも今日は店員をねちっこくいやらしい感じでナンパする大学生がいた程度なので手早く済んだ。
当然ながら助けられた店員の女の子は感謝しているけど、旦那に見惚れる前に「あれウチの旦那なんすよwww」とか最高にウザい客演じてみせたから大丈夫。まず間違いなくお近づきになりたくないと思っているでしょう。
そうして些細なトラブルに遭いつつもお金をおろし、向かうのはお気に入りの中華料理屋。中華はどちらかというと私の好み、オシャレーなランチよりがっつりご飯。ここのレバニラ炒めが最高です。
途中、包帯を体に巻き付けて、刀を手にしたロングコートの男性とすれ違いましたが、そこは完全に無視の方向で。
「あいつ、出来るな……」
とか旦那が呟いていましたが、実害がなければそれでいい。
そう思った矢先、すぐに新たな刺客が訪れる。
「ようやく見つけた、六色に選ばれた操者、ぞるげふぁっ!?」
来ました。
ド定番、いきなり現れる訳知り顔な謎の少女。
こういう手合いに遭遇すると、結局なんやかんやで異世界へ行くことになります。
なので会った瞬間にブレーンバスターをかましましょう。注・バックドロップ、パイルドライバーでも可。
どうせ精霊とか神獣とかの加護を受けてるだろうから防御力は高いので全力でイってください。
「なあ、嫁子。今のは……」
「大丈夫よ、あなた。あの子、古い友達だから。挨拶にガチるのはいつものことなの」
「わりに角度がヤバかったように見えたんだが」
「そうだね、脳天から落としてこそ深まる友情もあるんだー」
「……そうか。女の友情って、過激なんだな」
旦那も納得してくれたので問題なし。
ていうかさっきからヒーローフラグ叩き折ってんの私じゃね? と思わなくもないですが、夫婦は支え合うもの。
旦那が大変な時は、妻が頑張ればいいのです。
◆
時折、考える。
人生というやつは、どれだけ途方もない奇跡の上に成り立っているのか、と。
「やっぱりここのニラレバ美味しねー」
妻はニラレバで白米を頬張りご満悦。流石に中華料理屋での自問自答では様にならない。俺も余計な考えは至高の隅に追いやり、注文した炒飯を食べる。
美味しい、と思う。それ以上に嬉しいと感じる。
勿論子供達のことは愛しているが、やはり偶には妻と二人きりの時間も作りたい。
なんて言うと娘などは呆れた目で見てくるのだが、まあそこは惚れた弱み、勘弁してほしところだ。
「どうしたの?」
これでも表情は変わらない方だと思う。
けれど妻はいつだって些細な変化に気付いてくれる。
「いや、幸せだなと」
あまり重くならないよう口にすれば、彼女は何処か気の抜けた笑みを返す。
「ここまで来るの、大変だったからねぇ」
「……ああ、本当に、そうだな」
その言葉に間違いはなく、だが自然と優しい気持ちになった。
苦難の日々を乗り越えて手にした、得難き幸福の日々。
積み重ねた幾つもの奇跡が、こうして愛する人と穏やかに過ごす今を作り上げた。
それを思えば、確かに大変ではあったけれど。辿った道程は決して無意味ではなかったのだと自惚れられる。
「だが、その分今日の飯を旨く感じられる。そいつは、いいことじゃないか?」
「うん、それは私も思うなー」
そうして二人笑い合う。
くすぐったくて、心地よい。
つまるところは単なる惚気話の類だ。
追記
今日も中華料理屋へ行くまでに沢山のフラグを叩き折ってきましたが、ちゃんとご飯に在りつけました。
多分、「ここまで来るの、大変だったからねぇ」の意味を旦那は勘違いしてるけれど、そこは指摘しない方がいいんだろうなぁと思いました。