バカしかいない頭脳戦
お父さんの服は臭いから一緒に洗濯しないで、っていうのは思春期女子の定番セリフ。
確かにツレの中にも「オヤジがうぜー」って言ってる子は多いし、年頃の女の子が男親を嫌がって仲違いしてしまうのは珍しくないケースなんだろう。
だけど幸いにもアタシはパパとの関係は良好だ。
有難いことにギャルっぽい格好してても文句は言われないし、連絡さえすれば夜遊びもある程度はおっけー。
だからといって放置されてるとか関心がないとかではなく、自分で言うのはすっごい恥ずかしいけど、パパはちゃんとアタシのことを大切にしてくれている。
外見若いし、禿げても太ってもない。イケメンというか男前な感じで、顔立ちだって悪くない。
モンスターを倒したりと世界を救ったりと、ちょっと常識から外れている部分もあるが、総合的に見ればいい父親だ。
ただ引っ掛かるところがない訳でもない。
「ねーねー、ギャル子。これはどう?」
「んー、似合ってんじゃないの?」
「ちょ、真面目に手伝ってよ! 今度あんたんち遊びに行くんだから、気合入れてかなきゃいけないのに!」
我が親友であるクロスケからパパに会う為の服を選んでと頼まれるのは、正直なんかだかなぁと思わざるを得ないのである。
◆
「どうも、おじゃましまーす!」
とある休日のこと、娘のギャル子が友達を家に連れてきた。
あれである。この前旦那に助けられて堕ちた黒ギャル、クロスケである。
一応スカートの中を見てもう一回あだ名をつけ直すべきかとも思ったが、それは流石に失礼なのでやめておいた。
「こ、こんにちは、パパさんっ! 遊びに来たよー!」
ギャル子とクロスケは部屋にはいかず、まずはリビングでくつろいでいた私と旦那に挨拶しに来てくれたらしい。
しかしまあ、随分と露出がすごい。
クロスケは白のノースリーブトップスにホットパンツと、暑い季節だからって腋も太腿もおへそも惜しげもなく晒している。小麦色の肌のエロスも相まって、同年代の男だったら一発で急所を貫かれる即死級の出で立ちだ。
「ああ、いらっしゃい」
まあそんなことで動揺する我が旦那ではありません。
高校生なんてまだまだ子供、旦那を誘惑するにはちょっと手管が拙いようだ。
「ねぇパパさん、ウチの服どう?」
「ん? よく似合っているよ。ただ、あまり肌を晒すと帰りが心配にはなるかな」
「へへ、そう? 似合う? 心配?」
それでもクロスケは結構嬉しそうだ。
初心なんだろうなぁ。そこら辺は格好とは関係ない。真面目な格好のクズだっているし、軽い性格でも身持ちが固い子もいる。外見や表面的な言動で決めつけるのはよくないことだ。
「おばさんもよろしくねー」
「うん、ゆっくりしていってね」
そうかー、私はおばさんかー。
いや、ギャル子の友達なんだから別におばさん呼ばわりは気にしないんだけど、旦那と差があるのに引っ掛かるなー。
とかなんとか思っているうちに、クロスケはリビングのソファーで新聞を読んでいた旦那の隣に座り、腕を組んで体を寄せた。
「パパさんもギャル子の部屋で喋ろうよ、ウチ色々聞きたいし」
「ああ、いや。折角なのにおっさんが混ざるのもな」
「なに言ってんの! 寧ろ大歓迎、サービスするよ?」
サービスってなんだ。
あれかJKサービスか。というか嫁の前でそんな暴挙に出るとか、どういう了見なのか。
「後、あまりくっつかないでくれると嬉しいかな」
「えー、なんで。気持ちよくない? ウチ結構大きいしさ」
「こら、女の子がそういう真似をするんじゃありません。それに、惚れた弱みでな。あまり妻の前でだらしないところを見せたくないんだ」
あー、もう旦那ってば。子供の前でそんなこといっちゃって。
大丈夫、私も同じ。好き好き大好き超愛してる。
「えー、じゃあ見えないところでならいい?」
「そういう話じゃないよ」
「もう、つれないなーパパさん」
やめる気がないと悟ったらしく、旦那はソファーから立ち上がった。
ていうかクロスケがしがみ付いてた筈なのに、強く振り払った訳でもなく、するりと腕が離れた。しかも彼女の方は体勢が崩れた様子もない。あれ、どうやったんだろうか。あ、手を放すつもりがなかったであろうクロスケも困惑している。
ともかく、離れたのは幸い。子供がじゃれつくのに目くじら立ててもしょうがないし、ここは暴挙も寛大な心で許そう。
「あ、そうだ! ならウチが妻になれば全部おっけーじゃん」
……………あ?
お前今何を言いやがった?
「はぁ!? ちょ、なに言ってんのアンタ!?」
「いいじゃん。パパさん的にも女子高生の嫁とかロマンじゃない? 大丈夫、ちゃーんとギャル子のことも義娘として可愛がってあげるから」
ギャル子が止めようとしても関係なし、クロスケはなんらおかまいなし。
きゃはっ、と笑いながらこっちを向いて、
「ねーねー、おばさん。離婚してよー」
そんなことを言いやがった。
「こら、そういう発言は流石に怒るぞ」
「はーい、ごめんなさーい」
旦那に窘められてようやく謝るも、てへっと舌を出して頭下げても全然反省したようには見えない。
悪意がったのか、なかったのか。それは分からない。
ただ一つだけ理解する。
この娘はドロビッチと違い、私を立てる気がない。
そうハーレム要員になろうとしてるのではなく、正妻の座を狙っているのだ。
「ほう……つまり、敵か? 敵だな? あっはっはっはっ、そうかそうか。敵なのね? いいじゃない、楽しいわ。こういうの久しぶりよ」
敵ならば容赦はしない。
ただそれだけのこと。
クロスケ……お前は、徹底的に叩き潰すと決めた。
◆
折角お昼時に来てくれたのだから、ご飯を食べていって。
そう誘ってみると、クロスケは「いいの? ありがとー!」と素直に喜んでくれた。
あれ、意外といい子? やっぱり、あんまりひどい目に合わせるのも可哀相かな。そう思ったのもつかの間、
『おばさんの料理の腕把握しといたら、今後色々役に立つもんねー』
などと付け加えおった。
ほう、つまり私より料理上手になれば旦那の胃袋を掴めると?
そうかそうか。これで私に残された慈悲も完全に消え去った。
貴女はもはや敵。年齢など関係ない。私の大人げなさと性格の悪さを見せてやろう。
「えーと、ギャル子のお兄ちゃん?」
「うん。二人いるんだけど、下の方。アタシらと同じ高校」
「へー。ちょっとパパさんと似てるね。よろしくー」
「ああ、こちらこそ」
初顔合わせになるムッスコとクロスケが一応挨拶を交わしている。
ただ旦那と似ていると言っても然程興味はないのか、ギャル子とのおしゃべりにすぐ戻った。
それでも時々話を振っている辺り、根っからの悪い子じゃないのだと思う。
しかしもう止まれない。
そう私は、旦那を愛しすぎてしまったのだ。
「さあ、召し上がれ」
そうして食卓に並べられたのは、今日のお昼の冷やし担々麺。
暑い日においしい、冷た辛くて喉越しの良い逸品だ。
平皿に乗せた麺に辛みそが混ざり合えば最高。子供達も大好きなメニューである。
「お、うまそー!」
「いただきまーす」
テーブルを囲むのは五人。
旦那にギャル子とクロスケ。
休みだけど特に予定のなかったムッスコに、わたくし嫁子。
みんな私特性の冷やし担々麺を喜んでくれている。特にクロスケは冷たいのは初めてだったらしく、かなり気に入ったようだ。
「からっ! でもうまっ! おばさん、すげーね! メッチャ美味いねこれ!」
「ええ、でしょう?」
卵麺に絡む辛い肉みそ。冷製のスープに浮かぶ氷は、溶けて味が薄くならないようにスープを凍らせたものだ。
こうも暑いと辛味が嬉しいだろう。舌が刺激されてドンドン食欲がわいてくる。
「あーでも辛い!」
しかし美味しいが、やはり辛い。
その分飲むお茶の量も増える。麺類の後に飲むお茶とか水って、とても美味く感じる。
だから辛い辛いと言いながらも箸は進み、お茶の消費も激しくなっていく。
そうすれば、袋小路へと辿り着く。
「はぅっ……!?」
その瞬間は、程なくして訪れた。
先程まで美味しい美味しいと凄い勢いで冷やし担々麺を食べていたクロスケの箸が止まる。
それに顔色も少し悪い。
ああ、なんて簡単なの。私は内心せせら笑った。こうも見事に目論見に嵌ってくれるとは。
そう、彼女は今大変な窮地に陥っている。でも顔色を変えず、なるべく優しい声色で話しかける。
「どうしたの、クロスケちゃん。箸が止まっているようだけど」
「え、はは。だいじょうぶ、ちょっとがっつきすぎたかなーって……」
「そう? 作った方としては、ああやって食べてくれると嬉しいな」
何気ない会話。
しかしクロスケの表情に悟る。今彼女はこう思っていることだろう。
────ぽんぽん、メッチャ痛い。
◆
(なにこれ…ぽんぽん、メッチャ痛い……)
クロスケは青い顔で微かに呻いた。
先程まで美味しく冷やし担々麺を食べていたのに、今は物凄くお腹が痛い。
なんだ、なんなのだこれは。彼女は大いに戸惑った。
「どうしたの、クロスケちゃん。箸が止まっているようだけど」
「え、はは。だいじょうぶ、ちょっとがっつきすぎたかなーって……」
「そう? 作った方としては、ああやって食べてくれると嬉しいな」
恋敵である女性、嫁子は笑顔で話しかけてくる。
しかしそれによって悟る。この痛みは、あの女によってもたらされたのだと。
まさか下剤?
一瞬過った考えをすぐに否定する。それは本当にまさかだ。薬を盛るような女に、パパさんが惚れるとは思えない。
つまりこの腹痛は、他に要因がある。
いったい、どうして。決して良くない頭を懸命に働かせ、クロスケは食卓を見る。
メインの冷やし担々麺と、箸休めのザーサイ等。それに冷やしたお茶くらい。別段怪しいものはない。
どれも冷たくて美味しかったし。
(……はっ!)
そこまで考えて、はたと気付く。
冷やし担々麺にはスープで作った氷が入っており、とてもよく冷えていた。お茶も暑い時期なので、氷をしっかり入れてキンキンに冷やしてあった。
つまり、どちらも冷たいのだ。
そこに気付き、顔を上げたクロスケは嫁子を見た。
(その顔、気付いたようね。そう、下剤なんて無粋な真似はしない。そもそも私は特に何もしていない。ただ冷たくて美味しい料理を作っただけ……その食べ方は、自由よ)
やられた。
辛くて美味しい冷やし担々麺を食べ、その辛さに大量の冷たいお茶を飲む。
美味しいから次が食べたくなって、また冷たいお茶。
クロスケの腹部はその繰り返しによって急激に冷やされたのだ。
飲食物は体内に入ると、吸収しやすい成分に分解される。
これを一般的に消化と呼ぶが、このメカニズムには消化酵素が大きく関わっている。
そして消化酵素は食べ物を分解するが、その働きに適した温度があり、あまり温度が低いと酵素の働きが急激に弱まり、消化不良を起こす。
同時に冷たいものは刺激となり、腸のぜんどう運動を活発化させる。
また辛み成分であるカプサイシンが胃に刺激を与えるのも有名な話だ。
即ちクーラーのよく効いた部屋、冷やし担々麺、冷たい氷を入れたお茶。
更に彼女はへそ出しルック、お腹を守る布地はない。
これら数多の要素が重なり合うことで、クロスケのお腹は急激に冷やされ、結果として腹痛が引き起こされたのだ。
意訳・冷たいの食べて冷たいの飲んだからお腹冷えて痛くなるよー。
(でも、おかしい! 条件はおばさんも、パパさんもギャル子もあと一人も同じ筈。なんでウチだけお腹が痛く……!?)
旦那は普通に完食している。ギャル子も、嫁子も特に問題なく食べている。
にも拘らずクロスケだけが腹痛に苦しむのか。
(……って顔してるわね。はっ、甘い。甘すぎるわ)
自ら仕掛けた罠だ、当然対処策はあってしかるべき。
嫁子は軽く自分の腹部を撫でる。そこには、じんわりとした温かさが。
(私のお腹には……“貼るカイロ”がある。外からじんわりと暖めることで、ダメージを最小限に抑えているの)
それが傍目からは分からず、顔色を変えず冷たい料理を食べ続ける嫁子に彼女は驚愕する。
次いでギャル子の方に目をやり、今度は違いに気付いた。
「ね、ねえ。ギャル子。あんたの、それ……」
「んー? ああ、辛いの苦手だからアタシのだけ辛みそ抜きなの。これもおいしーよ?」
よく見ればギャル子のお茶は殆ど量が減っていない。
辛みそ抜きの為、水を殆ど飲まずに済んだのだ。
なんて幸運……いや、幸運ではない。
娘の嗜好など母親なら知っていて当然。
(こいつ……最初っから、ウチだけを嵌めるつもりでっ!?)
つまり端から狙いは一点。
これは、クロスケのみにしかけられた罠なのだ。
(ギャル子の親友に下剤なんて盛る筈がない……いつもありがとう、これからも仲良くしてあげてね。でもそれはそれとして、旦那に色目を使った罰は受けてもらう!)
げに恐ろしきは女の嫉妬。
もしもクロスケが少しでも気を遣っていたならこうはならなかっただろう。せめて“おばさん”ではなく“ママさん”と呼んでいれば。
しかし最早遅い。彼女は自ら墓穴を掘り、途切れることない腹部の痛みに、微かな呻きを上げた。
(さあ、どうする? 愛しい愛しいパパさんの前で“ごめーん、ちょっちトイレ行ってくる”なんて、貴女に言えて? もし言えたとして、トイレで頑張った後に先程のように彼の隣に寄り添えるかしら)
(……無理っ、絶対無理。そんなの恥ずかしくて、絶対。でも、お腹痛い……)
交錯する思考。
停滞する状況。
しかしそれを打開したのは、意外な人物だった。
「ごちそうさま。嫁子、美味しかったよ。さて、私は部屋に戻るかな」
先に食事を終えた旦那が、食休みもせずに席を立ったのだ。
「ああ、ムッスコも早めに戻ってあげてくれ。女の子達が集まったんだ、男に聞かれたくない話もしたいだろう」
「あ、そっか。わかった」
言いながら旦那はリビングを出ていき、ムッスコも食事のスピードを上げた。
しまった、と嫁子は思った。
ああ見えて旦那は気遣いの人だ。
おそらくクロスケの変化を悟り、自分はいない方がいいと判断し早々とこの場を後にしたのだろう。
その上、ムッスコにも早めに離れるよう指示して。男性陣がいなくなれば、トイレには行きやすくなる。
(やった、パパさんがいないのなら恥ずかしさはちょっと薄れる。後はお兄さんが、いなくなってくれれば……!)
光明が見えた。
少なくともクロスケにはそう思えた。
だがここで、旦那にとっても予想外の出来事が起こる。
「おう、ぐぅ、ああ……」
ムッスコが思い切り青白い顔をしていた
(ムッスコぉぉぉぉぉぉぉぉ!?)
嫁子は動揺する。
何故だ、ムッスコはこの冷やし担々麺を食べ慣れている。いくら急いでいるとはいえ、お腹が痛くなるような食べ方はしない筈なのに。
しかし彼女は見逃していた。
ムッスコは幼馴染が父親の愛人になりたいと言い出して以来、「貴方の父親に貢ぐ為アルバイトを始めた」とか夜遅くまで「旦那さんカッコイイ」とか色々聞かされ続けてきた。
自分が好きな女の子から、である。
思春期の彼にとって、それがどれほどの負担になったことか。
有り体に言えば。
普段からのストレスでムッスコの胃腸は普通に弱っていた。
どっちかというとカプサイシンが彼を苦しめていたのだ。
(ちょっ、お兄さんなんで箸止めんの!? ファイト、もうちょっとファイト! ウチ男の人の前でトイレ行くとか、むりだから……っ!)
(ムッスコが、ムッスコが!?)
(やべえ……でも、エロ可愛い妹の友達の前で恥ずかしい真似は、できねえっ。男なら、カッコつけて、なんぼだろうがっ)
(んー、美味しかった。やっぱ暑い日は冷たい麺だよねー)
四人の思惑が絡み合う。
しかし明確な打開策は打ち出せず、またも硬直した状況は、今度は外からの干渉によって動き出す。
「あ、チャイム鳴った。アタシ見てくんね?」
ぴんぽーん。
インターホンの音に一番早く反応したギャル子が玄関へ向かう。
郵便かと思ったが、聞こえてきた声にそうではないと知る。
「あれ、ビッチ姉ぇ?」
「あ、ギャル子ちゃん久しぶりー」
「ほんと、最近あんまり来ないね」
「アルバイト始めたから。高校の近くの喫茶店なんだけど」
「聞いた聞いた! あれでしょ、チョコ系が絶品ってお店!」
「そうだよ。実はね、時々ケーキの切れ端休憩時間に出してもらえるんだ」
「えー、いいなー!」
「ふふ。そうだ、嫁子さんたち今いる?」
「うん、ちょうどお昼食べてる」
ドロビッチだった。
ムッスコと幼馴染の彼女は、当然ながらギャル子とも仲が良い。
愛人宣言をした後も険悪な関係にはならず、昔と変わらない姉妹のような気安い遣り取りをしている。
そんな彼女はギャル子に案内されて、リビングへ足を踏み入れた。
手には、何やら小さな箱があった。
「嫁子さん、ムッスコ君、こんにちは。後……ギャル子ちゃんのお友達、だったかな?」
長い黒髪の少女は丁寧にお辞儀をして、徐に箱を食卓へ置いた。
その所作に悪意はなく、しかし思惑は読み切れない。
あれは、いったい。
誰もが抱いた疑問は、すぐに戦慄へと変わる。
「最近暑いですから、スイカのシャーベットを作ったんです。お食事の後のデザートにどうぞ」
ドロビッチは料理もお菓子作りも得意。
スイカのシャーベットはお手製だ。ほのかな赤色が美しい氷菓は、暑い日には心地よいだろう。
だが、今はそれが恐ろしい。
赤は血の色にしか見えず、漂う冷気は心までも凍てつかせてしまいそうだ。
「わあ、おいしそうねー」
そうは言ったが、嫁子もまた恐怖している。
ムッスコやクロスケは言わずもがな。
幾ら張るカイロがあるといってもこれ以上のダメージの緩和は不可能。おそらく、スイカのシャーベットは致命的な一撃になる。
しかしクロスケにとっては救いはあった。
(でも、数は五個っ! この女の子、ウチは頭数に入れてなくて、ギャル子家と自分の分しか用意していない! なら、遠慮しても不自然では)
「あ、私は家でしっかり食べたので、これは皆さんでどうぞ」
彼女の計算は、打算のないドロビッチの善意によって崩れ去る。
逃げ道は塞がれた。
行くも地獄、行かぬも地獄。ここは、絶氷の死地だ。
クロスケも、嫁子も。これ以上お腹を冷やしては、きっと取り返しのつかないことになる。
どうすればいい。心が怯えに竦んでいる。
「ありがとう、ドロビッチ。うまそうだなー、早速頂くよ」
その中で、ただ一人動いた男がいた。
ムッスコ。
ドロビッチに恋をする彼に、手作りのシャーベットを拒否するという選択肢はなかった。
たとえ、それが。
────己を、滅びへ導くとしても。
「ムッスコ……やっぱり、貴方はあの人の息子ね」
若い頃の旦那もそうだった。
立ち塞がる壁が困難であればある程、不敵に笑ってみせた。
世界を滅ぼす敵と相対しながら、迷い傷付き、それでも後ろには退かなかった。
決意を固めた息子の横顔には、愛した人の面影が宿っている。
なら、逃げてはいられない。
この子の母として、恥ずかしくない姿を見せないと。
嫁子もまたシャーベットを手にした。
冷たさに、ひりつく皮膚。
けれど胸には息子のくれた暖かさが灯っていた。
「じゃあ、ウチも貰おうかな」
正直に言えば、今でも拒否はしたい。
だがクロスケは思う。
お兄さんはシャーベットを食べると決めた。
おばさんもそれに追従した。
きっと、黒髪の少女が傷付かないように。せっかく作ったのに誰にも食べてもらえないなんて悲しい結末を突き付けないように、彼らはこの氷の試練に挑むのだ。
ならここで一人だけ逃げる訳にはいかないではないか。
我ながら損な性分だと思う。
だが、それもいい。誰かの為に損を選べる自分は、あまり嫌いではなかった。
「作ってくれてありがとう。では、いただきまーす」
そうして三人は、氷菓を口にする。
目に見えた地雷を踏みぬいて。
それでもみんな、笑顔のままだった。
追記
結局、この後わたくし嫁子とクロスケとムッスコはみんな仲良くお腹を壊しました。
ただ、これによって妙な連帯感が生まれたのか、クロスケとも和解。「しかたないなー、第一夫人はママさんに譲ってあげる。でも、第二はウチね」とのこと。
今度はクロスケの好きな料理を作ってあげようと思います。
追記の追記
ママと下兄ちゃんがお腹を壊した。
どうも昼に冷たいものを食べ過ぎたせいらしい。アタシは大丈夫だったのに、変なの。
「パパー。お風呂あがったよー」
「そうか。風呂掃除、ご苦労様」
「あはは、アタシが最後なんだからそれくらいやるって」
ママ達は部屋でうんうん唸っているので、リビングにはアタシとパパだけ。
二人でこうやってのんびりはちょっと珍しいかも。ということで、今晩はアタシがパパを独り占め。
「そういえば、今日ビッチ姉にシャーベット貰ったんだ。ママ達はお昼に食べたけど、アタシらの分二つ残ってるよ」
「なら、いただこうかな」
「おっけー」
お風呂上りに火照った体を冷やすスイカのシャーベット。
冷凍庫からとってきて、パパと並んで食べる。
うん、いい感じ。ビッチ姉はお菓子作りも上手なので楽しみだ。
「はい、パパ。あーん」
「おいおい、中身は一緒だろう?」
「いいじゃん、こういうのはノリだって」
じゃれ合いながらのシャーベットは冷たいのに暖かくてとても美味しい。
ただちょっと不思議なことはあった。
「ママ達、“お腹いっぱいだから後で食べるね”じゃダメだったのかなー」
アタシはぽつりと呟き、まあどうでもいいかとすぐに忘れる。
そうしてアタシはパパとビッチ姉特性のシャーベットを堪能した。