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嫁子の戦い・後編

 

 昔、誰かが言っていた。

 未来には無限の可能性が広がっている。


 笑わせるな。

 そんな言葉、大嘘だ。


 目の前は壁だらけで、逃げ道は塞がれて。

 選べる道なんて幾つもなかった。


 それでも、数限りある選択肢の中で、精一杯マシな道を選んできた。

 少なくとも、自分に胸を張れない生き方だけはしてこなかったと断言できる。


 だけどいつだって道程は困難。

 例え可能性とやらが存在していたとして、まっすぐ歩いていくには相応の力が必要になる。


 だからきっと、私は強くなりたかった。

 敵を倒す力じゃない。

 誰かを守る力じゃない。

 願ったのは、本当に些細な。

 自分が正しいと信じた一歩を、躊躇いなく踏み出せる強さ。


 ───そう、 私はいつだって。


 このちっぽけな意地を、張り通すだけの力を求めていた。




 ◆




「なんだぁ、お嬢ちゃん」


 店長さんに絡んでくるヤクザの下っ端は、私の介入に威圧的な態度で睨んでくる。

 でもその程度で怯える私ではない。私は嫁子、旦那の嫁だ。これくらいで尻込みするようなら彼と結ばれるなんてありえなかった。

 いや、だって旦那モテるもん。惚れた腫れたが絡むと、凄む男より女の笑顔の方が怖いからね。


「お嬢ちゃんじゃない、既婚者よ。子供もいるわ」

「はっ、すぐバレる嘘を吐くなや。その胸で子供育てられる訳ねぇだろ」

「え、なに? そこ態々指摘するほど重要? そんなに憐れか私の胸は」

「割とな」


 なんなのこのアウトロー。いきなり戦意削ぎにくるとか想定外なんですけど。

 いやいや、ここで退いてなるものか。店長さんの為、旦那のハーレム阻止の為。こいつらを追い払わねば。


「ま、まあいいわ。ともかく、店長さんに絡むのはやめなさい」

「あん?」

「どうせどこかのヤクザもんの命令でショバ代せしめに来て、無理だって言ったら店長さん攫おうって魂胆なんでしょ。そもそもここら一帯がシマってのも嘘で、いい感じの女の子いやらしい目的で囲いたいだけのくせに」

「なんだ、お前。読みが正確すぎんだろ」

「分からいでか」


 伊達に旦那の嫁やってないの。

 どうしてこう、悪人っていうのは遣ること為すことに通ってるのか。そんな色替えの水増し敵キャラみたいな真似せず、もっと個性を押し出してきてほしいものだ。いや、実際に来られたら困るけど。


「いけません、お客様。お気持ちは嬉しいですけど、貴女に迷惑を」

「いいのいいの。こんな雑魚、私一人でじゅーぶん」


 にっ、と安心させるように店長さんへスマイルをプレゼント。

 ソレが多分、男どもには挑発と映った。びきびきと青筋を立てて、怒りに顔を赤くして、青だの赤だの忙しないことこの上ない。


「おうおう、威勢のいいお嬢ちゃんだなぁ。なんならそこの美人店長さんと一緒に風呂に沈めてやってもいいんだぜ。何度も言ってるが、ここは俺らの組のシマだ。てめえら舐めてんなら家族ごと面倒みんぞ?」

「はっ、脅しならもうちょっとマシなことを言いなさい」


 私は、刺々しいあからさまな殺気を涼やかに受け流し、不敵な笑みを見せつける。

 そして、拳を軽く握り、引き足に重心をかけ、ゆっくりと構えをとった。


「私は妻で、母なのよ。そんな脅しで退いてあげられるほど、弱くは為れない」


 私は静かに目を閉じる。

 思い浮かべるは心の形。

 願ったのは、本当に些細な。

 自分が正しいと信じた一歩を、躊躇いなく踏み出せる強さ。


 ───そう、私はいつだって。


 このちっぽけな意地を、張り通すだけの力を求めていた。




 ◆




 愛されている。

 その事実に胡坐をかく女には価値がない。嫁子はそう考えている。


 確かに旦那はまっすぐな愛情を今も注いでくれている。

 だがそれを当たり前のものと甘受するのは間違いだ。愛を与えられたならば、愛されるに足る女であらねばならない。

 俺が愛した女は、確かにそれだけの価値があったのだと。

 生涯を共にする伴侶には、そう思ってもらいたいではないか。


 そして愛されているからこそ、時に女には戦わねばならぬ瞬間というものがある。

 それか今だ。

 ここで旦那が喫茶店の美人マスターを助けてしまえば、また惚れられる。ハーレム要員が増えてしまう。

 そうならぬよう、この身が彼の嫁であるならば、主人公補正にも抗わねばなるまい。


 では、どうすればいい。

 思索に耽る嫁子は、瞬きの間にごく単純な真理へ辿り着く。

 

1・事件発生

2・襲われる美女もしくは美少女もしくは美幼女

3・旦那が助ける

4・惚れられる


 上記は旦那が惚れられる時のパターンだ。

 正直、1と2は止められない。不確定な要素が多すぎて、対処し切れない。

 そこで嫁子が目を付けたのは3。多くの女性は旦那に助けられ「きゃあ、旦那さんカッコイイ」となって惚れるのだ。

 であれば答えは簡単だ。

 旦那が助けるよりも早く、私が先に助ければいい。


 だから強くなりたかった。

 彼の為に。彼の妻である為に。


 そうして嫁子は出会った。

 主婦として働く彼女でも力を得られる手段。

 彼女の求めてやまなかった、愛を貫く術。



 ───通信空手。



 なんと家で毎日30分トレーニングするだけで、黒帯レベルの空手を収めることができるのだ。

 怪しいと思うなかれ。嫁子が選んだ通信空手は、非常に信頼できるシロモノ。

 この通信空手、正式名称は『沢渡式インターネット空手講座』という。

 沢渡という部分でぴんと来た人もいるだろう。

 そう、実はこの通信空手、国内に五十校以上もある有名空手スクール『隆心会りゅうしんかい』の代表取締役、沢渡修一が手掛けたものなのである。

 

 沢渡修一に関しては今更説明するまでもないだろう。

 自身も有段者で、肉体の練磨による健全な精神の育成をモットーとしてスクール展開をしてきた、戦後の空手普及の第一人者である。

 つまり、そこらの胡散臭い通信空手とはわけが違うのだ。

 

 しかも通信空手と言っても教本が送られてくるだけではない。

 一緒にDVDが付いてきて、動画で動きを確認しながら練習ができる。

 更に要点を効率よくまとめたテキストも素晴らしい。

 体の動かし方などを分かり易く図説し、テキストの隙間にはカラフルなキャラクターたちの掛け合いがあるので楽しく読める素敵な仕様だ。


 それでいて内容自体はしっかり充実。

 一日の練習メニューが細かく指示された練習教本では、初心者の為に基本の防御技・攻撃技だけでなく、空手の道着はどうやって着ればいいのか、帯の結び方から洗濯の方法やたたみ方まで解説している。


 その上、気軽に電話やメールで質問を受け付けてくれており、分からないところが出てきても安心。

 ここまで至れり尽くせりなのに、なんと月謝は6980円。

 ランチを何回か我慢するだけで済んでしまう、とてもお得な値段設定だ。


 また『お友達紹介プログラム』なるものがあり、紹介した友人が入会すると、月謝が千円引きされる。

 おまけに、一か月無料キャンペーンも行っているので、思った以上にお財布に優しいと驚くことだろう。


 発行元への信頼。

 充実の内容。

 お値段。


 総合的に見れば、やはり『沢渡式インターネット空手講座』しかない。

 これさえあればたった一日たった三十分で黒帯レベルになれる。

 引きこもりの男性や時間のない主婦にはおすすめである。


 そうして得た力で、嫁子は今、戦いに挑む。

 旦那の代わりにヤクザどもを叩き伏せ、主人公補正に抗うのだ。

 瞼の裏に、ああ、見える。

 崩壊するハーレム。

 やはり君だけしかいないと、熱い視線を注いでくれる旦那。

 どちらからともなく伸ばされる手、触れ合う指先は絡み合い、やがて……。

 完璧だ。まさに、完璧だ。

 幸せは沢渡式インターネット空手講座と共に在るのだ。


 さあ、では行こう。

 早急に男達を片付け、


「もう大丈夫ですよ、店長さん。お怪我はありませんか?」

「あ、その。……はい、大丈夫です。お客様、助けてくださって、ありがとうございました」


 そうそう、そんな感じで美人店長さんからの感謝を独り占めするだけ。

 なんて簡単な……え、お客様?

 嫁子は、ていうか私は、喜びに満ちた店長さんの声に再び目を開いた。


「旦那さん、カッコイイ……」

「本当に、どうお礼をしたらいいか」


 広がる光景に戸惑う私。

 目がとろんとしたドロビッチ。

 頬を赤く染めた店長さん。

 床に転がっているヤクザの下っ端。

 その中心で、ぽりぽりと頬を掻いている私の愛しい旦那様。

 え、なにこれ?


「……いや、嫁子。すまない。邪魔をするのは申し訳ないと思ったんだが、男どもが殴りかかっても反応も見せないので。つい、な」


 なんか言い難そうに旦那は弁明するも、私は今一つ理解できていない。

 いったいどういうことなのか。

 混乱していると、なんだか興奮気味なドロビッチが嬉しそうに話しだす。


「嫁子さんが目をつぶって動かなくなったと思ったら、あの怖い男の人達が嫁子さんや店長さんに襲い掛かったんです! そうしたら旦那さんが割り込んで、あっという間に倒しちゃったんですよ! すごいです、まるでアクション映画みたいでした!」


 どうやら、そういうことらしい。

 まあ旦那にとってはチンピラなんて物の数じゃない。そりゃ楽勝だよ。

 つまり結局、男達は旦那が片付け、ドロビッチは惚れ直してしまった訳だ。


「助けてくださって、本当にありがとうございます。でもこれで、お客様にまで迷惑をかけることに」

「いえ、お気になさらず。彼らが起きたなら上役の方へ赴き、少し“おはなし”をしてきます。この店も、悪いようにはなりませんよ」

「そこまでしていただく訳には」

「なに、大した手間でもありません。感謝していただけるのであれば、次来た時にも美味しいケーキを食べさせてください」

「お客様……」


 しかも美人店長さんは、“ぽっ”とか“ほわわわーん”みたいな擬音が似合いそうなお顔をしてらっしゃる。

 ドロビッチやクロスケほどあからさまじゃないけれど、間違いなく恋しちゃってる。


「と、嫁子。そういう訳だ、こいつらが起きたら組の方で話をつけてくる。君が最初に買って出た面倒ごと、奪うような形になってしまって済まない」


 旦那はそう言って、真剣に頭を下げた。

 キミの決意を邪魔するような真似をして申し訳なかったと、私の心を慮ってくれるのだ。


 そうだ、私は強くなりたかった。

 敵を倒す力じゃない。

 誰かを守る力じゃない。

 願ったのは、本当に些細な。

 自分が正しいと信じた一歩を、躊躇いなく踏み出せる強さ。

 私はいつだって。 

 このちっぽけな意地を、張り通すだけの力が欲しくて。


 なのに、鍛え上げた力は何の役にも立たず。

 だから私は己の無力への嘆きと、


「は、謀ったな沢渡修一ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」


 何の意味もない講座を高額で売りつけた最悪の男への怒りから、空気が震えるほどの叫びを絞り出した。

 通信空手とかやっぱクソだな!

 陰キャ御用達の詐欺商売だよ!

 旦那が「え、誰それ?」とか呟いていたけど今はそちらに反応も示せず、しばらく私はただ地団太を踏み沢渡修一への呪詛を垂れ流し続けた。






 追記


「どうぞ、こちらドライフルーツのパウンドケーキです」

「ありがとうございますー」


 叫んだらちょっとすっきりしたので、全部が終わった後は普通にお土産を買って帰りました。

 いいお店なので、ハーレムどうこう関係なく常連になると決めたのです。

 ただ不思議なのは、あの一件から街を歩いているとガラの悪いお兄さん方に、


「どうも、姐さん! ご機嫌いかがですか」

「旦那さんによろしくお伝えください!」


 みたいな感じで話しかけられるようになった。

 不思議なこともあるものですね。



 追記の追記


『それでねそれでね、旦那さんがとってもカッコよかったの!』

「へえ」

『やっぱり素敵……ねえ、聞いてる?』

「うん、聞いてる」


 ムッスコは夜遅くまで、ドロビッチより旦那の武勇伝を電話で(家の電話)で繰り返し聞かされ続けたそうです。

 あの子の死体蹴りは正直ひどいと思いました まる






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