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夏休み最後の日

 

  夏休みも今日で終わりだ。例年であれば宿題に追われた直弥の手伝いをしているところだが、今年は違う。今日は汐里とデートだ。この予定はあらかじめ直弥にも言ってあったので、おそらく宿題はちゃんと終わらせてあるだろう。


  デートの内容はいたってシンプル、汐里の買い物に付き合うことにした。ショッピングデートというやつ。

 

  汐里は先に済ませなければならない用事があるとかで先に家を出ている。が、実際のところは「待ち合わせ」をしたかっただけなのではと睨んでいる。こうも家が近いとそういった恋人らしいこともなかなかできない。

 

 待ち合わせ場所の噴水広場に行くと、まばらに見える人の中に汐里の姿を見つけた。これは念願の「待った?」「ううん、今来たところ」ができるんじゃないだろうか。


  そんなバカみたいな期待を胸に抱きながら汐里に駆け寄っていく。まったく、待ち合わせを楽しみにしてるのは俺の方だな。


「汐里!」


「あ、圭!」


  名前を呼ばれた汐里はすぐに顔を上げ俺を見つけたようだ。顔を綻ばせ同じように俺の名前を呼んだ。


「ごめん、待った?」


「うーん、ちょっとだけね」


  汐里は素直な子でした。

  結局、小声で「あ、ごめん……」と呟いてから目的の店へと向かうことになった。



  このショッピングモール内は女性ものの商品を扱っている店がほとんどだ。なので今回は大したプランも考えず、ただ汐里のあとをついて行くような形になる。多少情けないような感じもするが、そもそも汐里だって俺にそういった「男らしさ」のようなものを求めているわけではないだろう。


  もしもそれを求めるなら、俺ではなく直弥を選んだはずだ。


「まーた、なんかつまんないこと考えてるでしょ」


「ぇっ?」


  無意識のうちに下を向きながら歩いていたようだ。突然前から聞こえた汐里の言葉は驚くほど深く刺さった。


  どうしてわかったんだ? そう口が動くよりも早く、汐里は言う「圭さ、やなこと考えてる時下向いて……ちょっと笑うんだ」


「うぇっ、ちょっと気持ち悪いなそれ」


  素直な自分への感想だったのだが、そう言うと汐里は慌ててそれを否定した。


「ううん、違くて! なんて言うか……」


  そこで汐里はうーんと唸って言葉を探す。汐里に気持ち悪いと思われていないことが分かっただけでとりあえず安心ではあるのだが、それでも無意識のうちに、それも嫌なことを考えているにもかかわらず笑っているというのは自分自身気分が悪い。


「自嘲、っていうのが一番わかりやすいかな。でもそれ以上に思うのは……自分を蔑ろにしてる。そんな感じ」


「蔑ろ……?」


  自分では感じたこともないことだった。俺は、自分の欲望に忠実だと思う。あの日、汐里に告白した時に自分の中に渦巻いていた直弥への嫉妬、あれがその最たるものだ。自分が幸せになるためなら他人を蹴落とすことに何のためらいも持たない。俺はそういうやつだ。


「何かを選ぶ時、平気で自分を秤に乗せちゃいそうで……それがちょっとだけ、怖い」



「俺は、――そんな大層な人間じゃない!」



  自分でも驚くほどに鋭い声が飛び出していた。


  幸い周囲は賑わっていて、俺の声に気付いたものはいても足を止めるようなことはしなかった。汐里は意外なものを見るように俺の方を見ている。当然だろう。俺は昔から怒れない子供だったし、それを一番間近で見ていたのは汐里と直弥だ。今みたいな声を出したことは、なかったと言っていいんじゃないだろうか。少なくとも物心ついてからは。


「あの、ごめん」


「いや、俺の方こそ、急にごめんな。別に悪口言われたわけでもないのに」


  好きな人に、悪く思われていないというのは良いことだと思う。でも、好きな人に本当の自分を知ってもらいたいと思うのもきっと、悪いことではない。


「俺は汐里が思っているほどいい奴じゃないよ。嫌いな人だってたくさんいるし、普通に自分が可愛い」


  努めて明るく言葉を発したつもりだが、それでも汐里は決して納得してないようだった。買い物をしていても、二人で話して笑っていても、楽しいものになるはずだった1日はどこか空虚なまま。上滑りするだけの時間となった。




  帰り道、家からほど近い公園を通りかかった時。


「あれ、圭に汐里じゃないか。ずいぶん早かったんだな」


  後ろからの声に振り返ってみると、すぐそばに直弥の姿があった。


  まるで偶然の遭遇のように振舞ってはいるが、俺にはわかる。こいつ、俺たちをつけていたに違いない。今日の予定は直弥も知っていることだし、何よりタイミングが良すぎる。きっと俺と汐里が気まずい雰囲気になっていなければ声をかけることは無かったのだろう。尾けていたことは後々追求するとして、今の状況に出てきてくれたことには感謝するしかない。


「直弥、こんなとこで油売ってていいのか? 宿題、残ってるんじゃねぇの?」


「ふ、そこは抜かりないぜ。ちゃんと昨日のうちにお前の答案をコピーしておいたからな」


「お前……、国語だけは自力でやってくれよ」


  他愛ない会話に自然、表情が緩む。汐里も小さな声だが笑っていた。どうしてもショッピングモールでの事を思い出してしまう。やっぱり、付き合うのなら直弥の方が。と、そう思わずにはいられなかった。


  そのまま三人で家へと向かう。この住宅街は公園や小学校なんかも近くにあり道の多くが通学路ということもあって歩道はしっかりとした広いものが付いている。子供やお年寄りが多い土地ながら、交通事故なんかも起きた事がなかった。



  だから、考えもしなかった。



  背後から聞こえた異音がまさか、トラックのブレーキ音だったなんて。


  キュルキュルと音を立てながら歩道をかするように通り過ぎるトラック。その通過点に、車道側にいた俺だけが立っているはずだった。


  いち早くトラックの存在に気づいた直弥は、俺の手を引き安全なところまで引っ張る。その反動で自分が車道側に出てしまうことも厭わずに。


  ゴオオォッと唸り声をあげながら通り過ぎたトラックは、そのまま停車することなく近くの交差点を曲がっていった。



「おいおい、危なかったぞ圭。間一髪だ」



  そんな声とともに尻餅をついた俺に手が差し出される。俺は「自分で避けれたっつの」なんて強がりを言いながら伸ばされた手を取り、直弥はその強がりに苦笑いで応える。


  そんな他愛のない光景が生まれるはずだった。


  道路上にころがる直弥には、俺に向かって差し伸べる腕も、苦笑いを浮かべる顔も、ついてはいなかった。


  背後で汐里が倒れる音が聞こえ、騒ぎを聞きつけた住民たちが集まってきて、俺も、そこから先はよく覚えていない。



  本当に一瞬で、あいつは逝ってしまったんだ。



  汐里の病院に付き添っているうちに暗くなり、家に帰った時には夜の十一時を過ぎていた。両親は俺が帰ってくるのを待っていてくれたようだが、帰ってきた俺の顔を見るなり黙り込んだ。よっぽど酷い顔をしていたのだろう、この時の俺は。


  母はご飯出来てるよ、お風呂入る? とか、いろいろ気を使ってくれた。父は黙って俺を見つめ、どこか迷っているような表情をしていた。二人とも直弥のことにどう触れていいかわからないようだった。


「本当のことだよ」


  気づけばそうつぶやいていた。


  両親に対しての言葉か、それとも現実を受け入れたくない自分自身へ向けた言葉なのか、俺には分からなかった。


  自分の部屋で電気もつけず一人、無意識のうちに明日の学校の用意をしている自分が恐ろしかった。



「ああ、もう始業式か」



  直弥がいないまま進もうとしている時間が、ただただ恐ろしかった。




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