告白
今日だ。
今日ですべてが決まる。彼女に選んでもらわなければならない、俺かあいつか。もちろん他に想い人がいるというのなら結構なことだが、彼女にそんな相手がいないことは知っている。あいつにももう了解はとってある。この夏休み前最後の登校日に、俺たちは彼女、鈴谷汐里に告白する。
あぁ、毎度毎度この瞬間は緊張する。自分の想いを伝えることは慣れるものではないらしい。まあ、それも当然か。今回こそ失敗するわけにはいかないんだ。
七月だというのに肌に感じる空気は嫌にひんやりとして、まるでお化け屋敷にでもいるみたいだ。いや、恐怖の感情で言えばこの状況はそんなものよりもずっと怖い。一体どれだけの時間をこの三人で過ごしてきたと思っている。それがこの一瞬で、今から自分が放つ一言で終わってしまうかもしれないんだ。それが怖くないなんていう人は、本当に大切なものが何なのか知らないに違いない。
HRが終わり、クラスの友人達がこれから始まる夏休みに思いを馳せ散り散りに帰っていく。そんな中、俺を含め三人がまだ教室に残っていた。
汐里は今、何を思っているのだろう。窓枠に背中を預け俯く彼女の表情はここからではよく見えない。今にも心臓が止まってしまいそうなこの緊張を、彼女も感じているのだろうか。
「あ……悪いな汐里。せっかくの午前授業なのに引き止めちゃって」
意味のない言葉が宙を滑る。自分の口から出たはずのそれを、俺はどこか遠いところから聞いていた。どうしてこんな空っぽの言葉が口から出る。台詞なら、言葉なら、昨日嫌ってほど考えたじゃないか。どうしてそれが出てこない?
窒息してしまいそうだった。
苦しくて仕方がなかった。
「そんなことを言うためにここにいるんじゃないだろ」
助け舟か、死刑宣告か。
直弥は机に腰掛けたまま厳しめに声を出した。普段おちゃらけている分、少し怖いくらいだった。
好きになった時期は、きっと俺とそう変わらないだろう。ずっと一緒にいて、気付いたら好きになっていた。以前そんな話をした気がする。正直言ってその時は驚いた。直弥はお調子者を絵に描いたような男だったから。授業中に笑いを取り、教師に廊下に立たされ、休み時間は馬鹿をやるかクラスのカップルを冷やかして回る。そんな奴でも恋をするんだと、妙に感心してしまったきらいがある。
後になって、その告白が宣戦布告で、俺はとんでもない競争相手を持ったのだと認識した。
……お前みたいな奴でもこんな時は真面目になるんだな。それとも、今になって点数稼ぎのつもりか? 親友がビビってるのをいいことに、男らしさでも見せようってのかよ。
親友を貶める思考しか出てこない、これが俺の本心か。思った以上にエゴイスティックで吐き気がしそうだ。
引き立て役として俺は実に都合の良いやつだったろう。良くも悪くもなく、極めて凡庸。もしかして今まで付き合ってきたのもそれが理由か? 自分の優位性を保ちたいから、わかりやすい比較対象をそばに置いておきたかった。ただそれだけなんじゃないのか?
一度思い始めればキリがなかった。それほどまでに俺は、この直弥という親友に劣等感を感じて生きていたのだ。
無論、彼がそんな人間では無いことは百も承知だ。もしそんな性格だったら早々に縁を切っているし、競争相手とも認識していないだろう。彼が親友だからこそ、俺は今、途方もなく不安で、どこか安心している。
彼は、直弥は正直者だ。思ってることしか言えない。嘘をつこうとしても体に出るんだ。今だってそう、俺と同じくらいに緊張している。机に腰掛けてるのは、いつも通りの余裕な自分を演じて、今にも座り込んでしまいそうな自分を誤魔化したいだけ。足がちょっと震えてるの、貧乏ゆすりじゃないだろ。
今朝だって、遅刻してきたのは昨夜眠れなかったからだろう。終業式の間ずっと爆睡してたし。これまで皆勤だったのに。眠れなかった理由はきっと、俺と同じだ。
だから、あんまりカッコつけようとすんな。自然体の方がかっこいいんだから。
汐里と目が合う。彼女も直弥の強がりはお見通しのようで、二人で一緒に少し笑った。
「俺、汐里のことが好きだよ」
溢れた思いが自然と言葉になった。その言葉はまるで呼吸のようで、それが自分の発した言葉だと理解するのに少しかかった。
柔らかくなりかけた空気は緩やかな緊張に包まれる。
「だから、これからは恋人として一緒にいたい」
昨晩徹夜して考えてきた告白の言葉は一言も出てこなかった。
緊張の隙間を縫うようにして出てきた俺の言葉は、どうやら二人の耳にはやや不意打ち気味に聞こえたようだ。汐里は微笑みのまま固まり、直弥は不可思議なものでも見たかのように俺の顔をガン見していた。
「……駄目、かな」
正直言って自信はない。汐里とは言ってしまえば幼馴染というだけだし、それなら直弥だって幼馴染だし、運動だって直弥の方ができるし、頭は俺のほうが良いかもしれないけど、顔面偏差値は負けてるし。あれ、こうして考えてみると、俺ってすごく勝ち目の低い勝負に挑んでないか?
ようやく出た言葉を今度は飲み込みたい。その思いはどうやら赤面するという形で表に出たようだ。首の後ろあたりがくすぐられたようにムズムズし始めた。急に恥ずかしくなって下を向きたい衝動に駆られる。けど、駄目だ。どんな答えにしろ、返事は正面から受け止める。ずっと思っていたことじゃないか。一度ゆっくり目を閉じ、再び汐里を正面に見据える。
汐里の微笑みは消えていた。
そこにあったのは、俺に負けず劣らず顔を紅潮させ瞳を潤ませた彼女の姿だった。
広々とした教室に雲間から覗く光が差し込む。
時間が止まったんじゃないか。
それほどに信じられない光景だったけど、そんな馬鹿げた感想は、今もなお空気を震わせる汐里の嗚咽に否定された。彼女のその反応に俺は戸惑いを隠せなかった。どういうことなんだろう、彼女の示す答えが俺の望むものなのか、確信を得ることができずにいた。
こんな顔を見るのは初めてだったから。
「……なんだ」
沈黙を破ったのは直弥だった。
「こちとらまだなんにも言ってねーってのに」
下を向いたまま直弥は机を降り、そのまま足早に教室を去った。ちらりとしか見えなかったその表情に諦めと、安堵の色が見えたのは、俺の願望なのだろうか。
汐里と二人、教室にいる。普段であれば心躍る状況なのだが、場合が場合だけに、今自分がどんな気持ちになればいいのかわからなかった。
それは汐里も同じのようで、
「…………ふふ」
目が合うとどちらともなく苦笑した。
何を言うこともできずに、苦し紛れに出た微笑。そんな笑顔でも、このしょうもない緊張を溶かすには十分だった。
「……実はね」汐里が話し出す。「呼び出された時から決めてたんだよ。最初に告白してくれた方の誘いを受けようって」
「え、でもそれって」
だって選べるわけないじゃない、と彼女は言った。
「ずっと一緒だったんだよ? どっちかを選ぶなんてできなかった。だから」
「俺たちに任せることにした、のか」
どこか申し訳なさそうな顔で汐里は首肯した。
聞き方によっては「どちらでもよかった」と、そう捉えられる決め方だ。その表情はむしろ、そんな決め方しかできなかった自分を糾弾してほしいと、そう願っているようにさえ見えた。本気でどちらでもいいと思っている人間には到底できない表情だ。
だがそんな決め方をしていたのなら、少し気になる点がある。
「でもそれだと今回の場合、実はかなりのグレーゾーンだったんじゃ……」
先に告白したのは俺の方だが、直弥の言葉が無ければちゃんと想いを告げられていたのかも怪しい。それだけ直弥には助けられたし、自分自身、恐怖と緊張でどうにかなりそうだった。完全に腰が引けていた。
俺の困ったような顔を見てか、汐里は声の調子をワントーンあげた。
「そうなんだよね! このまま決まっちゃうのかなって、思って……」
――そう思ったら、悲しくなった。
勢いのまま飛び出した言葉は次第に尻つぼみになって、汐里の言葉はまた涙で濡れたようにおとなしくなる。
「ホントに、よくわかんない。ずっと親友だったんだよ、二人とも。なのにさ」
そこまで聞いただけで汐里の言いたいことは伝わった。
「いつ、変わってたんだろ」
俺と直弥は、お互いに確認できた。汐里とは幼馴染で親友だけど、いつか親友以上になりたいんだって。きっと二人だったから気づけたんだ。お互いがお互いに、鏡写しみたいに同じ想いを抱いていたから。
「……普通に考えれば、俺じゃなくて直弥だよな」
思わず出てしまった。
俺は別にネガティヴ思考では無いけれど、自分をある程度客観的に見れるくらいの冷静さは持ってるつもりだ。あんなにさらりと告白の言葉が出てきたのは、ある種の諦めが自分の中にあったからだと思う。クラスの女子に俺か直弥かどちらかと聞けば、十中八九直弥を選ぶだろう。なのに、
目の前の彼女は俺を選んだ。
どうして? なんて聞くわけにはいかない。一番わからないのは汐里自身だろうから。
自信も何もないままで、本当に彼女と付き合ってもいいのだろうか。迷いはとめどなく身体中を這い回る。けれど。
「そんなこと言わないでよ」
湿り気を帯びた声色はそのままで、
「理由なんてわかんないけど、圭を選んだのは私なんだから」
精一杯の笑顔を浮かべて汐里が言うのだから、今はそんなこと、気にしないでおこう。
「うん」
絶対に後悔はさせない。自分に誓うだけでいい。




