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 (頭が痛い)


 今日一日考えていたのは、そんなことばかりだった。

 吐き気を催すような頭痛が、昼頃から彼を襲っていた。それでも繁忙期で早退、などというものは許される訳もなく、彼は今日も夜遅くまでかけて仕事を終わらせ、帰ってきたのは日が変わってからだった。勿論、近所のクリニックが開いてるわけもなく、真っ直ぐ家に帰ってきた。

 もはや立っていることすらままならない。なんとか布団を敷いてくたびれたスーツのまま転がると、吐き気はそのままでも多少痛みが和らいだような気がした。


 (おかしい。熱は平熱だったし、昨日は上司に付き合わされて酒場をハシゴ、なんてのもしていない。なんだなんだこの痛み)


 痛みでがちがちに固 まっていた身体が重くなっていくにつれて、意識もだんだんあやふやになっていく。

 その感覚に強い不安を覚えながらも、彼はその目を閉じた。




 8月5日、13時47分。

 それが彼、井上玄研(くろと)26歳の遺体が彼の暮らすマンションにて発見された日時であった。

 死因はくも膜下出血。死亡推定時刻は午前1時半。立てないほどの痛みだったろうにと、検死を担当した者達は驚いていた。

 葬儀は身内のみでひっそりと行われ、その後、生活習慣病がどうのと言う健康番組でケースの一つとしてつつきまわされる以外で、彼の話題が出ることは、近しかった者達の間にすらなかったのだった。









 それから、どれだけの時がたっただろう。





 彼は真っ暗な空間に居た。目の前は何も見えず、足元には何の間隔もなく、掲げた手の輪郭すら見えず、その感覚すら判然としない。


 (ここはどこだろう……。僕は、どうなったのだろう)


 ふわふわと、生ぬるい水に全身をつけているような感じだった。真夏の、どうしようもなく暑い日に親に内緒で訪れた浅瀬の感覚は、思えばこんなだったような気もする。


 (死んだの……かな。今まで体験したことない痛みだったからなぁ)


 死んだ。

 その言葉を考えたとき、不思議と納得することができた。普通は死にたくない、とか思ったり、悲観や絶望をするのかもしれないが、彼の心にそんなものは浮かばなかった。

  ただ、あんまり良い人生ではなかったなぁ。やっと終わったんだなぁ。この二つだけが頭にぽっかりと浮かんでいた。

 動こうにも、どこに向かえば良いのかわからない。考えている間に頭がぼんやりとしてきて、そのまま意識は周りの闇へと溶けていった。






 どこかで声がする。


 『あなた、名前は?わたしは―――っていうの』


 甲高い、幼い声。暗闇の中で見えたのは、見知った色彩の、見知らぬ女の子。

 空っぽの意識の中に、学生の頃の初恋に似た、切ないような、温かい感情が生まれた。声がはっきり聞こえるのに、その名前だけが聞こえてくれない。


 『―――、ずっと一緒にいようね』


 聞こえてきたのは自分の知らない 名前なのに、自分に向けられたその名前がやけに落ち着いた。


(うん、約束だ)


 思わず声に出すと、嬉しそうな笑い声。

 

 次に聞こえたのは沢山の人の声、叫び。ピリピリと自分に刺さる感情と目に震える。

 

 (あぁ、あの子が泣いてる。助けに行かないと。)


 手を伸ばしても、その感覚はやはり無い。自分を包むぬるかった間隔が一気に冷えていく。目まぐるしく目の前の景色が変わる。走馬灯にしてはあまりにも見覚えが無い、見たこともない世界。

 ふいに、先ほどの強い痛みがまた頭を襲った。思わず瞑った目をもう一度開けると、自分の腕の中でぐったりとした、大人びた少女の姿。間隔を取り戻した手には軽すぎるその体は、どんどん冷たくなっていく。


 『ごめん、ごめんね―――。結局あなたを助けられなかったね』


 (違う。助けられなかったのは僕だ。お願いだ死なないでくれ)


 発せられる声は自分のものとは思えないほどにしわがれていて、獣のようだとぼんやり思った。


 『その傷なら、まだ逃げられるわ。あなただけでも、生きてちょうだい』


 自分の頬を撫ぜた優しい手が、ストンと落ちていく。命の抜けた身体を、強く抱きしめた。


 『僕は―――だ。人の言うことなど、従うわけが無いだろう』


 自分ではない何かが、この口を使って言ったのを最後に、再び目の前は黒く塗り潰される。しかし、最初の暗闇とは違い、目の前に光がポツン、と浮かんでいる。

 半月のような形をしたそれは震えてい て、何故か迷子になった子犬を思わせる。思わず触れると、怯えるように蠢いたそれは、こちらの様子をうかがうように動かなくなった。

 警戒されてるみたいだ。思わず笑った。


 (おいで、こんな真っ暗なとこで、一人で、怖かっただろ)


 思わずそんな言葉が出たのは、この胸の中が、さっきの映像のせいで「悲しい」という感情にベッタリと塗られていたからだろうか。

 光るそれはおずおずと差し伸べた腕の中に納まる。温かく、柔らかく、どうしようもなく愛おしく感じた。


 (あぁ、これはちょっと、小さい頃に無くした宝物を見つけた感覚に似ているなぁ)


 離さないよう抱きしめながらそんなことを考えると、また意識がうつらうつらと遠のいていく。

 でも今度は光がある。暗闇に溶けるような、不安になるような感覚を感じることは無く、目を閉じたのだった。



 次に目覚めると、尻の下に冷たい石のような感覚があった。思わず目を開ける。暗闇は暗闇だが、今度は景色がはっきり見える。ブロックのような石に囲まれた部屋に居た。


 「お目覚めになりましたか。魔王様。御転生、おめでとうございます」


 いつから居たのだろう。ローブを着たトカゲ顔の老人が、穏やかな声で話しかけてきた。

 マオウ様?誰のことだろう。キョロキョロと周りを見回しても、その暗い空間にいるのは自分とその老人だけ。というか、このおじいさん、どうして顔に鱗があるんだろう。


 「は?」


 思わずすっと んきょうな声が出て、ふと、その声に違和感を覚えた。自分の声ではない。幼く、舌足らずな声。

 声の違和感に気付くと、今度は全身が違和感に包まれる。思わず手を見る。ペンダコででこぼこしていた筈の自分の手が無い。代わりにあったのは人の形をしているのに小さくふかふかとした獣のものだ。頭に触る。硬質で尖ったものが生えている。牛の角のような……というか角だ。

 あまりにも理解できない出来事に固まっていると、トカゲのような老人は気遣わしげ、いや、訝しげに口を開いた。


 「魔王様、どうなされましたか?あぁ、転生したてですからな。じぃになんでも言うてくだされ」



 「え……と、ぼくは井上玄研ともうします。マオウという方ではありません。


  あの、ここはどこなんでしょうか?」



これが17代目魔王「ダークロード」の最初の言葉だと言うのは、勿論どの記録にも記されないのだった。

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