事件報告書File.05「広域操作」-1/2
事件報告書File.05「広域操作」
◆◇◆
――午前十一時五十分。
神奈川県横浜市港北区綱島。
渡辺昴の自宅マンション、一階管理人室。
「おお、そうじゃった。綺麗なお姉ちゃんが、昨日の帰り際に尋ねて来なさったよ。名前は確か……」
マンション「ウエスト・プレーリー綱島」の管理人“佐藤 繁”は、警視庁捜査一課の須川渉巡査部長に答えていた。
「西原真理亜ですか?」
警察庁特別広域捜査班の有村陽子警部補が尋ねていた。
「うーん? どうじゃったかのぅ」
老管理人は首を捻る。
「では、西原麻由美?」
「そうそう、麻由美の方……。昔、時代劇の女優で西田麻由美ってのが、おってだな。この女優はお姫様役をやらせたら日本一で、綺麗な富士額が……」
途端、生き生きと話し出す。
「イエ、いいんですよ佐藤さん。それよりも、その時の状況をもっと詳しく……」
そう言った須川は、苦笑いして傍らの有村の顔を見た。援軍を仰ぐ。
「知っています佐藤さん? その、西田麻由美は演歌歌手としてもデビューしているんですよ」
「おお、知ってる知ってる! ○映映画の『またたび女笠』で、男装していたのが可愛くてなぁ~。その主題歌を歌っていたよ! お姉ちゃんは若いのに、よく知っているのぅ~」
管理人の佐藤は目を輝かせる。
「はい。父が時代劇のファンで、小さい頃から見せられていました。ドラマも映画も……」
有村も、にこやかに答えていた。管理人室のブラウン管テレビでは時代劇専門のケーブル放送が流されている。
「そうかい! で、確か昨日は、鬼○の再放送が終わったところで声を掛けられたな。時間は夕方の四時五十分頃じゃのぅ」
佐藤翁は管理人室の壁に掛かった時計をチラリと見た。次に始まる時代劇の再放送のプログラムに関心が移っているのだ。
「お爺ちゃん。その部屋に入られるかな?」
有村は管理人室の小窓から顔を突っ込んで尋ねていた。珍しく甘えた口調だった。
「渡辺さんは、二○一号室じゃったの……ホラホラ、入りなされ」
管理人は合い鍵を差し出して来た。オートロックの自動ドアが開く。
「行きます!」
鍵を受け取った有村警部補は、マンション一階のエレベーターエントランスに入る。
「え? いいんですか? 令状も無しに?」
エレベーターに乗り込む有村に、須川は小声で尋ね続く。ドアが閉まった。
「裁判所の発した捜査令状が無くとも、家宅捜索する権限は警察庁特別広域捜査班に与えられます。捜索差押許可状は、事後に裁判官の了承を得れば発行されます」
彼女はそう言って、最上階の十二階のボタンを押していた。
「え? 部屋は二階ですよ!」
須川は、思わず大きな声を出していた。
「いいんです」
有村は少女のような笑顔でそう言った。思わず見とれる須川だった。「広域捜査」とはこう云うものなのだと、勝手に納得をしていた。
最上階に到着する。真っ先にエレベーターを降りた有村は、突き当たりまで進み外の景色を眺めていた。
「良い見晴らしですよ。ほら!」
指さした先の方向には多摩川が見えた。少し霞んではいるが、西原麻由美の遺体が発見された現場も見える。
「エエ、そうですね」
同意の言葉を述べたが、そんなことをしているヒマは無いだろうと須川は思う。
「気持ちいい風……」
初夏の爽やかな風が、彼女の長い髪の毛を揺らしていた。
「ここですね」
――午後零時二十分。
渡辺昴の自宅マンション、二○一号室。
開錠したドアをゆっくりと開ける有村だった。二人共に、白い手袋をはめていた。
「僕が先に入ります」
須川は右手で胸ホルスターの拳銃を確認してから、玄関でゆっくりと靴を脱ぐ。有村も玄関に入り、慎重にドアを閉じる。
「用心は、して下さい」
小声で有村が言った。彼女が指示した方向は浴室であった。須川は頷いて、廊下を真っ直ぐに進む。突き当たりの右隣のドアを開け入って行く。
暫く、十秒ほど経過する。
「何も無いでーす」
浴室の検分を終えた須川が、小声で有村に呼びかけた。
「そうですか」
普通に言った警部補は、玄関で無造作に靴を脱ぎドタドタと大きな足音を立てて浴室までやって来た。
「血液を洗い流した痕跡とかは、ないのですね?」
内部を覗き込む。脱衣所と洗面所が一体になっている構造だ。その先に半透明のガラスがはめ込んである。割と大きめな浴室だった。扉が開いている。浴室乾燥機が使用されたのか、カラリと乾いた印象を受けた。浴槽も足を伸ばして入れるほどの大きさだった。
「エエ、そうですね。綺麗すぎると言えば、綺麗すぎる。そんな印象です」
内部を見た須川は、屈託のない感想を述べた。
「鑑識を呼びましょう。ルミノール反応検査で丹念に調べる価値はあります」
有村は携帯電話を取り出して、田園警察署内の捜査本部と連絡を始めた。そのまま歩き出してリビングを抜け、キッチンの方に向かっていた。
それを見て、須川は他の部屋の様子を伺う。ダブルベッドのある寝室ではクローゼットのドアが開いていた、中に入る。
「シーツ?」
クローゼット内の引き出しが一段開けられていた。その中にはシーツや枕カバーが入っている。
「須川さん!」
キッチンの方から有村の自分を呼ぶ声が聞こえた。そちらに向かう。
「ハイ!」
対面キッチンの流しの前に立つ警部補だった。
「包丁がありません!」
彼女の指さした場所は白いシンクの引き出し、包丁が仕舞われる場所だった。
「遺体発見現場で見つかった遺留品の中に、文化包丁が二本とありました」
須川の言葉に頷き、次に有村が見せたのはナイフの木製ケースだった。
「果物ナイフも発見されていましたよね」
有村は手に持ったソレを振って見せる。
「この場所が、殺害現場なのでしょうか?」
須川の問いには答えず、他の部屋に入る有村だった。須川が出てきた寝室に踏み入る。真っ先に向かったのは。ベッド横のドレッサーだった。鏡の前の椅子に座る。
「男子高校生が、一人暮らしをしているのですよね」
化粧道具を手に取っていた。そして、ゴミ箱の中から化粧パフを取り出して匂いを嗅いでいた。
「そうです。名前は渡辺昴……。西原真理亜と同じクラスです」
「ふむ……」
そう言って立ち上がり、隣の部屋に入った。
「ここは……」
須川は部屋を見渡す。この場所が渡辺昴の部屋なのだろう。ベッドと机しかない質素な部屋だった。
有村はノートパソコンが置かれた机まで歩いて行く。
そして、机の上に置いてあった眼鏡を掛ける警部補だった。
「女性用の眼鏡ですね。今は、レンズは入っていないけど……つい最近までは入れられていた……」
「何故、分かるんです?」
聞かれて彼女は振り返る。目の合った有村は、恥ずかしそうにして眼鏡を外す。眼鏡姿も可愛いと思った須川だった。
「最初から伊達用の眼鏡ではありません。レンズを留めているネジに細かい傷が認められました」
外した眼鏡を元の場所に置いて、ベッドに向かった。掛け布団の上、薄手のクリーム色のカーディガンを右手で取り上げ匂いを嗅ぐ。そして、青いリボンを左手で取り上げてコチラも匂いを嗅いでいた。
そして、ベッドの下を覗き込む有村だった。丸まった白い布を取り上げる。広げたソレは女性物のパンツだった。その匂いを嗅いで顔をしかめる。
「匂いで、何か分かるんですか?」
須川の質問には答えない。次に、机の上のノートパソコンを開いていた。パソコンを起動させる。カリカリとハードディスクが音を立てていた。旧式のOSなので、立ち上がるまで時間が掛かる。その間に彼女は部屋のカーテンを開けてベランダ部分を覗いていた。
「須川さん!」
指さした先、ベランダの手すりに何かが結びつけてある。巡査部長は靴下のままベランダに出て、下を見る。結びつけてあったのはシーツだった。何枚かをつなぎ合わせて紐状にしている。所々に大きな結び目があった。
「警部補! 下の階まで続いています」
須川はシーツをたぐり寄せて有村に見せようとした。しかし、彼女はノートパソコンに何かを打ち込んで、その画面に注目していた。
「ふむふむ……。須川さんこちらを見て下さい」
呼ばれて、部屋の中に戻る。
インターネットのブラウザが立ち上げられていた。検索画面には「私立大倉山学園」と打ち込まれてある。
「これが、制服ですね」
須川は画面を画像検索に切り替えて、画像をクリックする。学園の公式ページの画像だ。女子の制服には多様のパターンが有った。冬服は基本、茶色のブレザーに青いチェックのスカートだった。学年別に色分けがされているネクタイと、青いリボンがある。クリーム色のセーターやカーディガンまで用意されている。ベッドの上に置いてある服と合致する。
「ええと……」
須川はパソコンのキーボードを叩き、検索欄に文字列を加えていた。
「あった! ビンゴです!」
画面を指さす。熱心に見つめる有村の目付きが鋭く変わった。画面に写し出されていたのは「私立大倉山学園 生徒会長 三年:西原麻由美」の顔写真だった。
◆◇◆
街の喧騒から外れた、神社の裏手。
オレは真理亜の顔を見つめていた。何も言わずに見つめ合っていた。再び、色々な謎がオレの頭の中を巡る。
真理亜と麻由美は双子だった。そっくりな容貌は、コレで理解が出来る。しかし、仲の悪さはどう説明する? 真理亜が姉だって? 真理亜の子供っぽさは何なんだ? 性格から何からして、似てなさ過ぎる!
彼女の口から、小学四年生の時に大怪我をしたと聞いた。傷口を見せられた。真っ白な腹部に、赤い傷跡が艶めかしかった。麻由美の下腹部も見てしまっていた。頭から映像が離れない。
見つめ合っていた真理亜が、視線を落とした。彼女も色々とあったんだな。
小学四年生と言えば、九歳か十歳の年齢。麻由美と同い年なので、九年前にあたるのか。女の子には、とっても多感な時期だろう。オレが九歳の時は、世の中が全てバラ色に見えていた。だから、こんな子が出来上がったのか……これは二人共に共通している。
「なに?」
視線を落としていた真理亜と、再び目線が交差する。
「君のことを知りたいな。聞かせてくれるかい?」
彼女の左頬に右手を当てる。オレは頬を伝っていた涙を拭ってやる。
「昴も家族を亡くしたんだよね。私は……」
オレの胸に体を預けてきた。彼女を優しく抱きしめる。オレの父と母が死んだ時は……涙を流すヒマも無かった。そんな半年前を思い出す。
「ぐぅ……」
真理亜のお腹が、空腹を主張した。そういえば時刻は、お昼を過ぎていた。朝食を食べたのは朝七時前だから不思議では無い。ハンバーガーショップでソーセージマフィンとホットケーキをペロリと平らげていた彼女。割と大食漢なのかも知れない。真理亜が学食で食べていた小さなお弁当箱を思い起こす。午前中の休み時間に姿を消す彼女。その僅かな間、きっと何かを食べていたんだな。早弁ってヤツか。
彼女の顔が、見る見ると赤くなる。学食で見た時と同じ、恥ずかしさでうろたえていた。
「何処かで食事をしようか?」
オレが尋ねると、真理亜はコクリと小さく頷いた。可愛いと思っていた。
「待って!」
神社の敷地から出ようとして、真理亜に止められる。離れた通りを制服警官が二人歩いていた。
「アッチ!」
警官の居ない方向に小走りで向かう。大通りに出た。コチラではパトカーが赤色灯を回転させながらゆっくりと走っている。
「妙に警戒厳重だな」
オレの言葉を聞いて、彼女は呆れた顔をオレに向ける。
「私たちを追っているのよ!」
小さな路地に引っ張り込まれる。
「そ、そこまで大事になっているのか?」
「三人が死んでるのよ。警察も必死になるわ!」
民家の敷地内に踏み入った。他人の家の庭先を突っ切る。
「いいの? こんな場所を通って?」
「良くはないわ。でも、気にしていられない……」
そのまた隣の家の芝生に踏み入る。そこの飼い猫が威嚇してきた。
再び大きな道の前に出る。工場が目の前にあった。
「で、ここは何処?」
学校のある場所から、かなり外れていた。真理亜は自分の場所を見失っていたのだ。
「いやぁ~」
オレも頭を抱える。
「アッチに、新横浜のプ○ンスホテルが見えるから、学校がアッチかな?」
丸い高層ホテルを指さして、適当に答える。真理亜は諦めた顔をしていた。
「それよりも、お昼にしましょう」
彼女の、指さした先はコンビニだった。
◆◇◆
「ええ、そうです。全て凍結です。二人共です。家族名義分を含めて……」
有村陽子警部補は、携帯電話で各所に指示を出しながら渡辺昴宅の捜索を続けていた。
――午後零時五十分。
玄関脇、収納棚の扉を開けて中の靴を一組取り出した。
「な、何をしてるんです……有村さん!」
靴の匂いを嗅いでいる。他の靴も取り出して一足ずつ嗅ぎ出した時には、須川も呆れてしまっていた。彼女の鼻は警察犬張りに大活躍だ。
「この靴だけ、カビ臭くありません。鑑識が到着したら、分析をお願いして下さい」
黒い女性用の小さな革靴を差し出した。手入れが行き届き、磨き上げられている。
「エエ、分かりました」
須川は手袋をはめた手で、丁重に受け取る。
「ああ、そうだ!」
何かを思い出したのか、有村警部補はキッチンの方に向かう。リビングとダイニングの境界部となっているチェストの上の電話機に注目していた。
連絡先などが書かれたアドレス帳をのぞいていた。そうか!
「有村さん! コレで潜伏先を調べるのですね!」
目を輝かし、須川は彼女の手元を覗き込む。
熱心に電話番号を指で追う警部補だった。
「おそば屋さんとか、載って無いのですね。ピザで良いですか?」
「へ?」
相手の顔をマジマジと見つめる須川だった。
「果報は寝て待て、です……お昼にしましょう。一番安い奴のMサイズで良いですね。飲み物はコーラでいいですか?」
ピザ屋に渡辺家の電話で掛け始める有村だった。
「あの、ウーロン茶で……あと、ピーマンは抜いてもらって下さい」
そう言って須川は窓の外を見る。隣の昼下がりの公園では、子供達の遊ぶ声が響いていた。
続きは明日19時更新です。