事件報告書File.04「憐続殺人」-2/2
◆◇◆
――午前十時四十五分。
神奈川県川崎市中原区。
多摩川河川敷野球グラウンド。
たくさんの神奈川県警のパトカーが、グラウンドの内野部分に停まっていた。規制線が敷かれている。少々の野次馬の中に混じって、報道関係者までいた。
取材のテレビカメラが、現場である川沿いの草むらを狙っていた。その先では、鑑識班が黙々と作業を続けている。
バラバラにされた西原麻由美の遺体は、既に運び出されていた。解剖に回されているのだ。
それらの様子を眺めながら、有村と須川の二人は遺体が放置されていた場所に向かって行く。ブルーシートで周囲が覆われている中に入る。
「バラバラにされた部位は、全て揃っていたのですね?」
顔色も変えずに、現場責任者の“戸部 裕”に尋ねる有村警部補だった。隣の須川は戸部に頭を下げる。
「よう、久しぶり」
低い渋い声で、須川の背中を叩く戸部警部だった。顔見知りの様である。
「ああ、発見されたよ。遺体は司法解剖の手続き中だ。全ての部位が被害者のものだと思われる」
戸部は、白い手袋の右手を差し出して来た。
「警察庁特別広域捜査班・第一班・班長の有村陽子警部補です」
怯まずに手を握る有村。戸部は長身で、背の低い彼女は見上げる形となる。戸部のスキンヘッドの頭が周囲から一つ抜け出していた。いつ見ても強面だ――須川はそう思っていた。
「神奈川県警察・中原署、捜査一課課長の戸部裕警部だ。噂は、かねがね……」
娘を見つめる優しい父親のような目線だと、須川は感じていた。警視庁と神奈川県警の合同捜査の時に、彼には怒鳴り飛ばされた思い出がある。
噂? 須川は戸部の顔を見る。
「発見の状況を、説明願います」
有村は、階級が上の戸部にも臆していない。現在の指揮権は全て彼女に集中している。最大の権力が与えられるのだ。
彼女の命令一つで、警視庁特殊部隊“SAT”さえも自由に動かすことが出来る。出番は無いとは思うが……須川は周囲を見渡した。
遺体も運び出され、河川敷の遠くの方ではテニスに興じている女性の歓声が聞こえていた。良い天気だった。この場所以外は、至ってのんびりとしている。
「第一発見者は、近所に住む大学生の水元香織二十歳。午前五時半頃、飼い犬をこの辺りで散歩させている最中に発見したそうだ。通報者はジョギング中のタクシー運転手、“田中 宗一”三十六歳。田中氏は、水元嬢の携帯電話で通報したそうで……時刻は五時三十七分」
手帳を出し、辿々しく読み上げる戸部課長。それを聞きながら、現場に数ヶ所残された血痕を指で追う有村だった。鑑識が印を付けて、ナンバーが振られている。しゃがんで熱心に見つめていた。
「バラバラにされたのは、この場所ではありませんね?」
戸部に背中を向けたまま、尋ねる有村警部補。
「ああ、遺体の他に被害者の衣服と、損壊に使われたと思われる道具類が見つかっている。流れ出た血液の量は少なく――他の場所で殺され、損壊されて――この場所に遺棄されたと思われるな」
「道具ですか?」
有村は立ち上がり、戸部の方を向く。
「そちらは鑑識科学班で分析中だ。文化包丁が二本、果物ナイフが一本。糸のこぎりにノミに木槌。砥石まであった。砥石が特殊なので、入手経路を追っている所だ」
「特殊?」
首を傾けたままやって来た有村だった。須川は何もすることなく、戸部と彼女を見つめている。
「製作者の銘入りで、ナンバリングまでされている。まあ、購入先はホームセンターの店舗と思われるが……」
「その店の袋に入っていたのですね。ふむ……」
西原麻由美をバラバラにするために使われた工具類は、購入先の袋に入れられたまま捨てられていたのだ。解決は近い――須川にはそんな手応えがあった。
「うーん。少しも隠そうとはしないのですね。この犯人は……」
腑に落ちない顔で有村は唸っていた。三人はブルーシートの外に出る。
「怨恨ですかね。遺体を衆目に晒して被害者を貶める。まだ、若い娘さんなのに可哀相に……」
やっと須川が言葉を発した。
「オイ! 若造! 警部補さんは、お前の意見なんて聞いちゃいねえ!」
戸部がドスの利いた声で、怒鳴ってきた。しかし、ニヤリと笑みを浮かべる。
「す、すみません。出過ぎた真似をしました」
須川は慌てて、頭を下げる。
「いえ、いいんです。それよりも気になることがあります……」
そう言って、一人の考えに没頭し始める有村警部補。その時、戸部が須川の傍らに寄ってきて脇腹を小突いていた。
「古田の奴は元気かい?」
笑顔だったので、須川巡査部長は安心する。新人時代に何度も怒鳴られていて、トラウマになっていたのだ。
「ハァ……元気も元気です。現在は、この子の両親の殺害現場に掛かり切りですが……」
「何だと! それを早く言え!」
戸部警部の大声が響く。首をすくめる須川だった。
「れ、連絡は入ってないんですか?」
不思議そうな顔で尋ねる巡査部長だった。
「すみません。恐らくは県警と警視庁の上層部の方でゴタゴタしてるんだと思います」
右手を挙げて、有村警部補が発言する。
「まあ、あり得るな……」
そう言い、黙る戸部だった。
「神奈川県警の生活保安課で近々大きな動きがあると聞いていました。主軸はそちらに向いていたので、連絡系統に混乱が生じているのでしょう」
有村の言葉を聞いて須川は思う。生活安全部の生活保安課? 風俗・賭博等に対応する課だ。神奈川県警は何を狙う。
「それより……水辺……。戸部課長は気になりませんか?」
有村は、直接戸部に尋ねていた。
「まさかね。『連続幼女殺害事件』かい? 年齢が違いすぎるし、バラバラにするのは初めてだ」
戸部が言い切っていた。須川にも聞き覚えがある。
「連続幼女殺害事件」――十二年前に起こった未解決の事件。関東地方で行方不明になった七歳から十歳の少女が、およそ一年間の間隔で次々に殺害される事件であった。
「六年前に見つかった幼女の事件で、犯行はパタリと止んでいます。そもそも同一犯であるのかさえ分かっていません。犯人は遺体発見現場に何の痕跡も残していないのです。捜査本部も警視庁に設置されたまま。発見現場の共通項は、全て『水辺』であると云うことだけ……」
多摩川に掛かる鉄橋を電車が通過していく。それを眺めている有村だった。
「警察にとっては、悔やまれる事件だったな」
戸部が悔しそうな表情を浮かべる。須川も事情はよく知っている。
最初の事件の被害者は、十二年前に東京都と埼玉県の境の荒川の河川敷で発見された。当時十歳の幼女が腹部を刃物で刺されて殺され、全裸で放置されたむごたらしい事件であった。
埼玉県警は総力を挙げて捜査し、幼女への強制わいせつの前科のある男が逮捕された。本人が自白し、事件は解決したかと思われた。
その事件のほぼ一年後、神奈川県の山奥のダム湖畔で七歳の幼女の全裸遺体が発見される。今度の遺体には、胸に数ヶ所の刺し傷があった。そして、丹念に遺体を洗い上げた痕跡が認められる。それは、一年前の事件と同様であった。
世間は大騒ぎを始める。荒川河川敷の事件では物証もなく、男の自供だけが頼りだった。始まった埼玉地裁の裁判で、男は一転、供述を全面的に否定したのだ。
警察には、当然の如く非難が向かう。自白を強要したのではないか? 拷問さえ行われたのではないのか? その後、裁判は最高裁まで争われ、男は無罪を勝ち取った。
その間、事件は続いていた。
「連続殺人」……警察は犯人をむざむざ放置していた事になる。
翌年には、千葉県の海岸で九歳の女の子の遺体が発見された。この時は着衣を身につけていたので、同一犯視する向きは少なかった。しかし、着衣の下に刃物の刺し傷。そして、犯人の指紋やDNAの痕跡は発見されなかった。勿論、精液さえも……。
三つの事件に共通しているのは、全て水辺で発見されたが遺体は水には浸かっていない事。洗われてはいるが、水中には遺棄されていないのだ。そして、刃物による刺し傷で殺されている。しかし、凶器の刃物は同一ではない。そして、生前も、死後も遺体は陵辱を受けていない。
マスコミを始め、事件の犯人探しに焦点が当たる。精神医学者は、幼女を刃物で刺して性的快楽を得ていると解説する。一方で、女性が犯人ではないかとの意見もあった。
被害者達の共通項の一つに、いずれも自宅周辺で連れ去られているのだ。
幼女を警戒させずに連れ出し、遺体発見現場近くまで連れ回す。実際に千葉県の事件では、遺体発見現場の最寄り駅の切符から被害者の指紋が発見されているのだ。
もしくは犯人は、性的不能者……の殺人鬼。そんな推理まであった。
ただし幼女の目撃情報も、連れ回す犯人の目撃情報も無い。監視カメラの目を巧みにかいくぐっている狡猾な犯人だ。連れ去りや、遺体発見の現場は監視カメラの無い、人影少ない場所だった。
そして幼女達の共通項目に、「とても可愛いらしい」があげられるのだ。
犯人の好みなのか、目が大きくてハッキリとした顔立ちが特徴であった。髪の毛もさらさらで肩口辺りまである女の子ばかりだった。
しかし、九年前には同様の事件は起こらなかった。警察がホッとしたのもつかの間、八年前の事件は様相が変わってきたのだ。発見されたのは東京都の山奥、多摩川の源流……奥多摩だった。
清流脇の岩場に置かれた、九歳の幼女の全裸遺体。胸への刺し傷はそのままだったが、遺体の右手小指が切り取られていて、その部位は発見に至っていない。
そして、これは警察関係者でも一部しか知られていない事実。幼女の性器に異物が挿入された痕跡が発見されていたのだ。しかし、犯人のDNA情報は残されていない。
犯行はエスカレートする。
七年前には、多摩川の河川敷で同様の遺体が見つかる。この時の捜査担当者が戸部だった。この話を聞かされて、須川も事件の暗部を詳しく知っているのだ。
だが六年前の事件を最後に、同種の事件は発生しなくなった。世間も警察も安堵する。
今回の西原麻由美の遺体が発見された現場は、七年前の現場に近い位置にあった。ここから見える私鉄鉄橋の真下が発見現場だったのだ。
「警部補さんは、同一犯と推理するのかね? 失礼するよ……」
戸部警部は、愛用のオイルジッポーでタバコに火を付けた。ライターの金属音が、小気味よく響く。
気持ちよさそうに紫煙を吸い込む戸部。その様子を須川は黙って見つめていた。有村の方を向く。
「分かりません。模倣犯かも知れないし、断言は出来ません。確かに状況は大きく違っています。今回の被害者は両親まで殺されています。そして姉が、現在行方不明中」
有村は須川に向けて言った。
「確か神奈川県警が行方を追っているはずですが……」
「そうなのか?」
コッチも初耳だと、戸部は須川を睨みつける。
「エエ、神奈川県警の港北署の刑事が彼女の学校にまで出向いています。そして先ほど、彼女の自宅を捜査していた古田係長から連絡がありました。昨日の夜に、西原真理亜が自室に帰った跡が発見されたそうです。彼女の部屋からは、飲みかけのコーヒーカップが二つ見つかっています。事件に関わっていると見られるので、最重要参考人として手配しています」
須川はパトカーの車内で受けた古田からの連絡を伝える。
「そうか、両親が殺されて、姉が行方不明中。身柄を早々に押さえないと厄介な事になるな……」
腕組みした戸部が有村に向けて言った。その時だった。
「電話です……」
話を止めて有村が携帯電話に出る。
「そうですか……」
彼女は、そう言って押し黙ってしまった。後は頷くばかりである。
「かんばしくない、話のようだな」
戸部が須川に話しかける。警部の吐き出したタバコの煙が目にしみる巡査部長だった。「そうですね」
目をしばしばさせて須川が言った時、有村は電話を切り二人に向いた。
「学校にいた西原真理亜を保護しようとして、逃走されました。同級生の男子と一緒に逃げています」
「恋の逃避行かい? 若いねぇ」
戸部が言った。
「逃走時に、県警の刑事の一人が昏倒させられたそうです」
有村の報告を聞き、須川はメモを見る。
「横浜市の私立大倉山学園に通っていますね。向かいますか?」
「そうですね。一緒にいると思われる男子生徒の身元を、至急確認して下さい。多分、そちらの線で辿れると思います」
有村は再び大股で歩き出して、乗ってきたパトカーに向かう。慌てて須川もついていった。
「全く、騒々しい連中だな」
戸部は胸ポケットから携帯灰皿を取り出して、短くなったタバコを押し込んでいた。
◆◇◆
「ハァハァ……に、逃げ切れるかしら?」
大きく肩で息をする西原真理亜だった。学校から逃走したオレ達は、駅とは逆方向に逃げていた。学校の方向をうかがう彼女だった。
「……」
真理亜に聞きたいことは沢山あったが、声が出せないでいた。激しく胸が上下している。息をするだけでも苦しいのだ。全力疾走した。自宅から逃げたときもここまでは激しくなかった。
「さて、どうしようか? 昴」
彼女はスッキリとした顔で、オレに聞いてきた。
「……へぇあ?」
情けない声が出た。呼吸も落ち着かない。
「こっち」
周囲に人影を認めて、近くの敷地に踏み入った。
「か、ここは?」
住宅街にあるこの場所は、小さな神社だった。石畳の上を歩いて小ぶりな赤い鳥居をくぐる。
「へぇ、こんな場所があったんだ」
真理亜は物珍しそうな顔をして周囲を眺める。椿の生け垣があり、周囲からは目隠しされている。更に奧へと進む。大きなケヤキの木が一本が生えていた。この部分だけが薄暗い。神社のご神木なのだろうか。
小さな祠があった。この辺りの土地神を祀ってあるのか。
何故か熱心に手を合わす真理亜。オレも右隣の彼女に倣い、手を合わせた。さて、何を願う?
「さて、ご免なさいね」
真理亜はご神体に断って祠の裏手に回った。オレも付いていく。
彼女は石畳の上にハンカチを敷いて腰を下ろす。オレは直に腰を下ろして体育座りの格好となった。
「そうだ、聞きたいことがあったんだ!」
真理亜の方を向く。彼女の顔が近くにあった。思わず見つめていた。
「なに?」
大きな目がオレの心の中まで見据えていた。幼い女の子の様な、純真で透き通った瞳をしていた。吸い込まれそうになる。茶色い虹彩が大きく開く。
「刑事が言っていた、生徒会長が妹って……」
「ああ、それね……」
真理亜は真上を見上げた。オレも同じ動作をする。空が見えた。良い天気だった。
「私は、戸籍上は麻由美の姉になるの。私たちは双子なの」
「双子……」
梨田樹里の言葉は正しかった。
「でも……」
学年が違うのは、どう説明する?
「私は、小学校四年生の時に大怪我をしたの……。それで一年間学校には行けなかった」 真理亜はゆっくりと立ち上がる。
「傷口を見る?」
ブレザーを脱いだ彼女は、スカートからシャツを出す。下の方のボタンを外していた。
「いや、いいから。信じないとか、無いから!」
オレも立ち上がり、彼女を止めようとした。服を全て脱ぎ出す勢いだ。
「昴には見て欲しいの。私の背負った十字架……」
シャツを捲って、下腹部を見せつける。横一文字の大きな傷跡が見えた。
オレは何も言えないでいた。彼女の顔を見る。少し哀しげな顔だった。
「誰にも見せた事は無いのよ……」
そう言ってオレに抱きついて来た。
「また、一人ぼっちになっちゃった」
彼女の声は、涙で掠れていた。彼女の泣き顔を始めて見たと思う。