事件報告書File.03「死体意気」-2/2
「昴……気が付いたの」
オレを心配そうに見つめる真理亜の顔が近くにあった。涙ぐんでいる。こんな子だったっけ? オレは首を上げて周囲をみる。状況を把握しようと努めていた。
ベッドに正座した彼女の両太ももを枕に、寝かされていたのだ。起き上がろうとする。どの位、意識を失っていたのだろうか?
「お、オレ……」
やっと言葉が発せられる。体が小刻みに震えているのだ。
「恐かったよね。恐かったよね」
そうだ、自宅に戻ったら麻由美の「死体遺棄」現場に遭遇してしまった。恐ろしい体験だった。全てが夢であってくれ……そう願う。
言いながら、オレの頭を優しく撫でてくる真理亜。母親にもされた事は無かったのに……。
「真理亜ごめん……」
上半身を起こしたオレは、彼女に抱きついてしまっていた。庇護してくれる対象に無性に甘えたくなっていた。彼女の身体はとても柔らかだった。良い匂いがした。
「昴が謝ることは無いよ。私が守るから……」
彼女も、オレをきつく抱きしめていた。二人はお互いを求め合っていた。キスしようと考えた。
――その時だった。
「ブブブ」
オレの制服の胸ポケット、携帯電話が唸っている。唸り続けている。メールの着信ではない。電話が掛かっていた。
真理亜が体を離す。オレは電話を取り出した。
「知らない番号だ」
二つ折りのままの携帯電話。サブ・ディスプレイに番号が表示されているのを、彼女に見せる。真理亜は奪い取るようにして電話に出た。
「もしもし……私は、西原麻由美です――」
オレは驚いて真理亜の顔を見た。驚いた原因は彼女の声だった。姉の……生徒会長西原麻由美そのものの声だからだ。
「――ハイ、渡辺昴の携帯電話です。彼は今出られません。そうです、トイレです。ええ……。イイエ、知りません。今は……私の自宅です。ええ、タダのお友達です。そう伝えます」
そう言って電話を切った。
「ハアー」
息を大きく吐き出していた。
「あ、相手は?」
「昴は迂闊者なの? 下四桁が『0110』は警察署からの電話でしょ。百十○番!」
真理亜の声は元に戻っていた。何だったんだ今のは? 声色を使ったんだと、ようやく把握する。
「け、警察……」
呆けた顔でオレは彼女を見た。確かにオレは迂闊だが、麻由美として電話に出たのもどうかと思う。麻由美の遺体が発見されれば、逆に不審に思われてしまう。
「昴の家に、女の子が助けを求めて逃げ込んだという話だそうよ。売春組織から逃げ出したのは西原麻由美。でも、警察が踏み込んだときには昴の家には何も無かった……」
そう言って携帯電話を突き返してきた。
「何も無かった?」
理解出来ない。麻由美の遺体を置き去りにしてきたのに、何も無いだって?
「死体も発見されていない……。何者かが運び出した」
矢張り背後に何かが有る。売春組織が、麻由美とその両親を手に掛けた? でも、死体を運び出した理由は? そのまま置いておけば、疑いはオレの方に向く。
「連絡があったのは、神奈川県警から……。こちらは東京都で警視庁の管轄だから、多少は時間が稼げるでしょう」
そう言った真理亜は、思い出したかのようにベッドの上に立ち上がる。
そうだった、都と県の境の一級河川を超えていたのを思い出す。
「昴は、体調の方は平気?」
オレの頭に手を置いた。
「うん……」
万全では無いが、再び逃亡が始まる。
「よし!」
彼女はベッドの上から飛び降りた。
「こうするのは母親から禁止されていたの……」
そう言って笑顔を向けて着た。確かに激しい音がした。階下には響くだろう。
「ベッドから飛び降りることが?」
何でもないことで、子供のように喜んでいる。
「九年前、この家に来てから……」
この時は、彼女の言葉の意味を深く考えていなかった。
「大丈夫そうね」
真理亜は、鉄門横の扉を開けて外を窺っていた。
閑静な高級住宅街。確かに、静かすぎる。時々、遠くで犬の鳴き声が聞こえる程度だ。番犬だな。声が太いので中型から大型の犬種だろう……ジャーマン・シェパードやドーベルマンぐらいは飼っていそうだ。
二人して駅の方向に向かう。
「靴のサイズはどうだったの?」
オレはサンダルから彼女の父親の靴に履き替えていた。ジョギング用の白いシューズだった。
「サイズはピッタリだよ」
「そう、よかった」
真理亜は嬉しそうだった。
――駅。
「待って!」
改札前に立つオレに、彼女が声を掛けてくる。丁度、携帯電話をタッチしようとしていた。
「え?」
「切符を買うわ」
真理亜は姉の小銭入れを取りだして、券売機にコインを三枚投入する。
「切符なの? 何で?」
「ピッピ! カシャカシャン」
券売機から切符が二枚とお釣りが出てきた。
「ハイ♪」
笑顔で乗車券を渡して来た。百二十円の初乗り運賃だった。隣の駅なのか?
「乗り越したら精算ね♪」
彼女は、そう言いながら自動改札に切符を挿入する。オレもそれに倣う。
二人が乗った電車は、神奈川県に戻る方向だった。
「窓を開けて」
乗って直ぐに、県境の鉄橋に差し掛かる。真理亜が声を掛けてきた。
オレは彼女が気分でも悪くなったかと思い、窓の上を少し開ける。
「これでいい?」
尋ねるまでもなく、更に窓を大きく開いて、手に持っていた携帯電話を投げ捨てる真理亜の姿。長い髪の毛が風に揺れていた。
「え! ちょっと!」
オレは周囲を見渡した。時刻は夜の十時を回ったところ。各駅停車のこの車両には、乗客は他には居なかった。
「アノ女の携帯電話よ。電話が掛かりっぱなしだったから、いい加減に頭に来た!」
ヤッパリ短気な女の子だった。
「そんなことして大丈夫なの?」
漆黒の闇の中に投げ込まれてしまった携帯電話の軌跡を、オレは目で追っていた。
「麻由美は何者かに連れ回されて……」
真理亜はそう言って、ゆっくりと席に座る。オレは激しく風が吹き込む窓を閉めて彼女の隣に座っていた。
何者か……それはオレの事じゃ無いのか?
――午後十時二十分。
「横浜?」
降り立った駅は、神奈川県随一のターミナル駅だった。
オレの自宅のある駅も、学校のある駅も素通りした。ここが真理亜の目的地なのか? 私鉄駅の地下深いホームで、オレは彼女に尋ねていた。
「そう、人を隠すには人の中ね。反対方向の渋谷の地理には疎いから、こっちを選んだの。時々、本屋さんに行くくらいだけど」
真理亜には友達は居ないから、一人で放浪していたのだろ。オレ自身も、この方面はよく知らない。
彼女は、再び手を握ってきた。オレは顔が赤くなっているのだろう。今更ながら照れてしまっている。
「この時間帯には、制服姿の高校生は逆に目立ってしまうと思うんだ」
オレは偽らざる言葉を口にする。
他の乗客達は、訝しげに二人を見つめて地上へのエスカレーターを昇って行った。特に、美人の真理亜が注目されていた。直ぐ隣にいるオレは、他の男性からの反感を買ってしまうのか、ジロリと睨まれてしまった。仕事帰りのサラリーマンさん……済みません。
「堂々としてればいいのよ」
ホームから他の乗客が居なくなった。二人してエスカレーターのステップに同時に足を乗せる。
「どこに行くの?」
真理亜に案内されて出た場所は、歓楽街だった。帰宅もせずに、酔っ払った皆々様の喧騒が響いていた。
「よー姉ちゃん! 彼氏さんかい?」
早速、道を歩くおっさんが声を掛けてきた。赤ら顔で酒臭い。しかし、下らない質問だと思った。オレが彼女の彼氏だとして、このおっさんには何の利益も不利益も無いのに……。
「そうよ!」
真理亜はそう言って、オレの腕を掴んで組んできた。体が近くなる。彼女の胸がオレの右腕の肘に触れた。姉も巨乳だったが、妹の方もこれはこれで……。多分、オレの顔はにやけていたと思うよ。
「で、どこに行くの?」
彼女の答えは聞けなかった。居酒屋やカラオケ店などの並ぶ通りを抜けると、大きな道に突き当たった。幹線道路のため、この時間帯も交通量が多い。
「行くよ!」
歩行者用の信号が青になる。四車線の道路を突っ切って、真っ直ぐに細い路地に入っていった。道路を隔てると、人通りは全く無くなっていた。
そこを左に曲がる。低い位置にネオンサインの看板群が見えて来た。
「え?」
その細い通りには、ラブホテルが建ち並んでいた。
「泊まる場所が無いでしょ……」
真理亜に腕を掴まれたまま進む。すると、ホテルの一つからカップルが出てきて、こちらに向かってきた。お互いに気まずいのか、オレ達の方向を見もしなかった。
そのカップルが出ていったホテルに入る。制服姿の高校生だけど、大丈夫なのか?
入って直ぐの場所に、部屋などの写真が並んでいた。真理亜は明かりの付いたパネルのボタンを押している。特に選んではいない様子だ。部屋番号と利用料金が載っていた。
全くの初心者なので、戸惑う。
「ジジジ」
音がした。パネル横の発券機から紙が出てくる。それを、何でもなく受け取った真理亜が、オレを部屋まで引っ張っていく。
今のところ、他人とは接触していない。良くできたシステムだと思う。
「り、利用したことがあるの?」
恐る恐る尋ねる。
「さあ……」
言葉尻を濁して部屋へと入っていく。何もかも手慣れた印象だった。再び、彼女への疑念が首をもたげる。
援助交際のグループ。本当に妹の真理亜は無関係なのか?
「どうしたの?」
部屋に入って逡巡しているオレを眺めていた。初めてのラブホで、戸惑いを隠せない『童貞君』の図だよな。
腹を括る。彼女が敵だった場合には完全にアウトだ。良くて逮捕。最悪だと死に繋がっているかも知れない。だが……優しく頭を撫でてくれた彼女の姿を思い出す。
騙しているんなら、とっくに捕まっていて、留置場で眠りに就いていた頃合いだろう。
「な、何もしないよ」
オレは部屋の中央の大きめのベッドを見つめていた。
「分かってる。私は、シャワー浴びて来るわ。入ってきてもいいから」
そう言って服を脱ぎだした。
「ちょっと! そこで脱ぐなよ!」
「えへへ」
笑いながらバスルームに向かったが……。
「昴!」
ベッドの隣のカーテンの掛かった壁から真理亜の声が聞こえた。カーテンを開けると、ガラス越しにバスルームが丸見えだ。
白いシャツ姿の彼女が手を振っていた。慌ててカーテンを閉める。
「な、なんなんだ」
鼓動が早くなってきた。胸を押さえてベッドに腰掛ける。
「そうだ、ラブホテルだった」
今更のように思い出す。オレの知らない数々の罠が仕掛けられているに違いない。
あまり動かない方が賢明だ。どこかのギミックを作動させてしまう。
ベッドに横になった。
――朝だった。
二日目早朝。
ベッドに備え付けの時計を見ると、時刻は午前五時。ベッド横のハンガーに男子制服のブレザーが掛かっている。横を向いた。バスローブ姿の真理亜がこちらを向いて軽い寝息を立てている。彼女は、髪の毛を丸めて白いタオルを巻いて寝ていた。
白いバスローブからは彼女の胸が覗いていた。部屋の淡い照明に照らされて、怪しげに輝いていた。目が釘付けになる。
ゴクリと唾を飲み込む。そうだ、オレは現役高校生なんだぞ。一晩眠って、別な方も元気を取り戻していた。
「触ってもいいわよ」
目を瞑ったまま真理亜が喋った。
「え! え!」
オレは取り乱し、起き上がる。薄い掛け布団が捲れてしまった。彼女の着たバスローブはえらく丈の短いタイプだった。真理亜の白くて細い足に目が行ってしまう。
「襲っていいわよ」
大きく足を開いて仰向けの大の字になる彼女だった。少し首を上げてこちらを見ていた。
「いや……あの……」
オレは自分の姿に気が付く。制服のズボンが脱がされていた。ボクサーパンツの前が膨らんでいる。
「うふふ……」
意味ありげに笑った後に、彼女が起き上がる。バスローブの胸の部分がはだけて半分以上が見えていた。
「オイ、真理亜……」
「さて、行くわよ!」
ベッドに立ち上がった半裸の真理亜は勢いよく立ち上がり、飛び降りて言った。
◆◇◆
二日目。
――午前五時三十分。
場所は、多摩川河川敷。
「ジョン! どうしたの?」
早朝に愛犬を連れて、河川敷の野球グラウンド周囲を散歩していたのは、近所に住む“水元 香織”だった。
実家の愛犬、ゴールデンレトリバーのジョン号を連れていたのは、二十歳の女子大生だった。こうやって親の機嫌を取っている。夏休みに友人達と旅行をする費用を捻出してもらう為だからだ。
「待って! ジョン!」
大型犬は、飼い主をリードごと引っ張っていく。水辺の草むらに向かっていた。
「もう……ウ○チなの?」
香織は、白いビニール袋から赤い移植ごてを取り出す。
幸い朝早い時間帯で、川辺近くには人が居なかった。時々遠くに、ジョギングする人を見かける程度だ。
愛犬の粗相は川に投げ捨てよう。そう思い、リードを外してジョンの好きにさせる。
喜んだ犬は、草むらに走り込む。そして、内部からボールのような球体を、野球の芝生に鼻で押して勢いよく出してきた。転がるそれは真っ黒な物体だった。
「何なの? ジョン……」
飼い主は近づいてそれを見る。香織はマネキンの首だと思った。そのぐらい現実感が無かった。長い髪の毛がまとわり付いている。首の部分は赤黒く変色していた。
本物の人間の生首だと分かる。
「へ……」
香織は腰を抜かせてしまったのか、その場にへたり込む。
「だ、だれか……」
弱々しい声で、周囲へ助けを求めていた。