事件報告書File.12「存続殺人」-3/3
◆◇◆
――午後三時四十五分。
横浜市港北区 星神社。
神社の祠に、熱心に手を合わせている西原真理亜の姿があった。斜め後ろに立つ少年はキョロキョロと、落ち着き無く神社の周囲を見渡している。
「この『星神社』の本来の祭神は、大己貴命。いわゆる大国主命の事ですね。因幡の白兎で有名な大国様です」
「だれ?」
一心不乱に拝んでいた真理亜は、大きな動作で体ごと振り返る。
祠の奧にあるケヤキの木の枝が、風で大きく揺れていた。
男女の二人組が、神社の敷地に踏み入っていく。先ほど語っていた女性の方が、再び口を開く。
「始めまして、西原真理亜さん。渡辺昴さん。警察庁特別広域捜査班・第一班・班長の“有村 陽子”と申します。どうぞ、お見知り置きを……」
丁寧に礼をする警部補だった。後ろに控えている“須川 渉”巡査部長も慌てて頭を下げていた。
「なに?」
真理亜は一歩踏み出して、有村に迫っていた。
表情が強ばっている。珍しく緊張している? 傍らの渡辺昴は――そう、感じていた。
「大国様は、大黒天にも通じています。ですから農業の神、商業の神、医療の神として、長らく民間の熱心な信仰を受けました」
ゆっくりと歩き出した有村警部補は、鳥居を潜る。そして、真理亜の目の前で立ち止まった。二人共に、同じくらいの身長である。その二人の女性を、ハラハラと落ち着かない様子で見つめる二人の男性の姿があった。
「この神社は、元々は愛知県にあった神社をわざわざ分霊しているのです。正確に言うと、尾張国山田郡鎮座の坂庭神社から分祠されたのですね。坂庭神社は延喜式神名帳にも載っている由緒正しき神社です。さて、『星神社』のもう一人の祭神は天香香背男ですが、こちらの神様の方が厄介なのです。この辺は、西原さんもご存じなのでしょう。釈迦に説法、孔子に論語、糠に釘、豆腐に鎹、暖簾に腕押しとなりますが、まあ、お聞き下さい。お聞き流し下さい」
相手に対して謙ってはいるが、一歩も引かないと云う表情の有村だった。二人は見つめ合う。二人の視線が交差する場所で、火花が散っている。一色触発――そう感じた須川だった。彼は傍らの少年を見つめる。二人の思いは一緒らしい。アイコンタクトを交わしていた。キャットファイトが始まったならば、体を呈してでも何としても止める覚悟は出来ている。
「天香香背男は、日本書紀の葦原中国平定の話に登場します。いわゆる『国譲り』の神話ですね。『まつろわぬ神』天香香背男こと天津甕星は、国譲りには納得せずに、服従しない星の神様だったのです」
「それが、どうしたの……」
真理亜は視線を外し横を向く。しかし、今度は須川巡査部長と向き合う形になっていた。仕方無く腕を組み目を瞑る。険しい表情のままだ。
「この神社は、言うことを聞かない、不順ぬ、横田一家を封印するために作られたのです。慰霊の目的、鎮魂の目的ではなく、封印です。怨霊調伏です。服従しない横田星彦さん一家の殺害を命じ、実行させ、隣に住む菅野さんに頼み、お金を出して神社を建立したのが、そう……渡辺さん……アナタのご両親なのです」
有村警部補はそう言って、一切が他人事……そんな表情だった渡辺昴を指さした。
「嘘よ! それに!」
目を見開き、大声を出す真理亜。
「彼は、横田すばる君との取り違えでもありませんよ。横田夫妻の子供では、決してありえません」
警部補は先手を打ってそう言った。
「え……」
西原真理亜は沈黙する。驚きの表情で傍らの少年の顔を見た。
「オレが……」
自分を指さす渡辺昴。その手が震えていた。
「渡辺さん。アナタのご両親のお仕事は、精子・卵子ビジネスのコーディネーターだったのです。不妊に悩むご夫婦達に紹介をしたのが『横浜市港北産婦人科医院』でした。しかし、この医院はすこぶる評判が悪かった。その事実を公に告発しようと試みたのが、横田星彦さん、沙織さんのご夫妻でした。その家族諸共に皆殺しを命じたのが、渡辺俊彦さん、真澄さんご夫妻なのです」
「ウソ……だろ。オレの両親が……真理亜の仇」
渡辺昴は、驚愕の表情で有村警部補を見つめる。
「ウソではありません。考えてもご覧なさい、ね、西原真理亜さん。アナタが横田家に養子に出されたのが、生まれてから半年目の時期でした。子供が産まれるには十月十日の月日が掛かります。横田すばる君を沙織さんが妊娠していたのなら、すばる君の誕生日を考えても、アナタを養子に迎える必要は無かった。そして、ここで登場するのが『横浜市港北産婦人科医院』です。不妊に悩む横田さんご夫妻が、渡辺夫妻を通じて知ったのが、この医院です。そして西原さん。アナタのご両親も又、不妊に悩んでいた。しかし、横田家とは事情が違ってくる」
真理亜に向け、一気に早口で巻くして立てた有村は、深く息を吐く。そして一息置いてから続けた。
「不妊の原因にも違いがあるのです。西原さんの場合は、夫の精子に問題があった。ですから、渡辺夫妻の立ち上げていた精子バンクの会社から提供を受けます。横田さんの場合には、色々と事情が複雑なのです。夫婦共に不妊の原因を抱えて、更には横田沙織さんは子宮ガンにより、子宮と卵巣の全摘出手術を受けていたのです。その横田夫妻は、渡辺夫妻からの朗報を受けて、生まれた子供を自分達の息子として迎えようとした」
「お母さんは、私と同じだった!」
真理亜が叫んでいたが、渡辺昴の方はブツブツと何事か呟きながら俯いていた。
「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか……オリオンの綱を解くことができるか……」
昴は、真理亜が同じ場所で言っていた言葉を思い出していた。
「それは、旧約聖書『ヨブ記』の第三十八章三十一節の言葉です。唯一神ヤハヴェは、エドム王国の王である『ヨブ』に問います。『あなたは宇宙を創造することが出来るのか?』――とね。『ヨブ』は大金持ちで、権力を欲しいままにしていました。そんな彼も、宇宙を創造することは出来ないではないかと、創造主である神に諫められます。人の傲慢な行いも、神の前では無力なのです。運命の皮肉ですね。さて、そこに登場するプレアデスとは六連星……『すばる』の事です。ですよね、渡辺昴君。そして、先ほどの言葉を、自分の文章に頻繁に用いていた人物がいました。その人物の名前が“原 光”。二十年前に起こった『幼女誘拐殺害事件』の犯人です」
「そ、それじゃあ! 有村さん!」
須川巡査部長が叫ぶと、渡辺昴はその方向を向いた。
「『原光』の著作……いえ、本になる前の原稿でしたね。『シリアルキラーの作り方』の中にあった文章です。生涯独身の彼は、自分の分身の名前に『スバル』と名付けるようにと、知人に頼み込んでいました」
「なに?」
西原真理亜は呆けた顔を有村に向ける。有村の言葉がオーバーフローとなって、真理亜の脳髄から溢れ出していた。頭の良い彼女だが、言語野にはリミッターか掛かってしまったらしい。決して踏み入ってはならない。彼女と彼の出生の秘密。
「渡辺夫妻は、高学歴で、高身長、そして美貌の人物のクローンを作ろうと画策し、その子供を他人に寄生させ、その家庭の子供として育てさせるはずでした。そこで暗躍したのが『横浜市港北産婦人科医院』です。しかし、人間のクローン……ヒトクローンの作成は、流石に当時の……今から十八九年前ですか……無理な話でした」
ヒトクローン? 突飛な話に須川は有村の表情を確認する。上気した彼女は赤ら顔で饒舌に語っていた。何者かが乗り移った様相だ。須川は小さな神社の境内を見渡す。この場所で三人の家族が殺されて、隣では資産家の老婆が刺殺されていた。良くない空気感だ――初夏なのに、うすら寒さを感じていた。須川は自分の肩を抱く。
「プレアデスとはギリシャ神話に登場する七人の姉妹の事です。近藤浩二に殺された女の子の数は六人です。そして、アナタ……横田真理亜ちゃんが七人目の犠牲者になるはずだった。これは悪い偶然ですね。いや、因縁ですか……。元・死刑囚『原光』の影響を受けていたのは、近藤浩二も同様でした。彼は、西宮が手に入れた原光の原稿を読まされていたのです。原光が意図したのか、七人の少女の生け贄を捧げさせようとした」
これはオカルトの世界じゃないか! 須川は有村の肩を叩いて、正気に戻そうとする。しかし、止めない警部補だった。
「いえ、良いんですよ須川さん。西原真理亜さんには言っておかなければならない重要な事実なのです。私も俄には信じられなかった。でもここには、元・死刑囚『原光』に作られてしまった、哀れな男女が存在する」
「男女ですか……」
「ええ」
有村の言葉を受け、須川は渡辺昴と西原真理亜の二人の顔を見る。
「ああ! 眼鏡を掛けた姿はそっくりだった!」
須川が奇声をあげた。真理亜を指差す。西原真理亜の眼鏡を掛けていた姿。その顔立ちは、資料の写真で見た『原光』の顔写真とそっくりだった。
「そうなのです。西原夫妻は不妊に悩み、検査の結果、夫である西原慎司氏の精子に質的欠陥が見つかりました。その為に、優秀な遺伝子を求めて、精子バンクから提供を受けたのです。しかし、冷凍保存されていた精子の正体は、連続殺人鬼の元・死刑囚『原光』のモノだったのです。『原光』は○京大学医学部出身で、当時のIQは180あったと言われています。そして、身長も180センチメートル以上と高身長でした。大学入学時に撮影された彼の写真を見ましたが、美男子に分類される顔立ちですね。西原夫妻は写真の人物の正体を知らされずに、精子の提供を受けたのです。そして西原真名美さんの卵子に体外で受精させる。その後、卵子は真名美さんの子宮に戻されて、一卵性の女子の双生児であることが判明する」
西原真理亜は、有村の顔を強く睨みつける。彼女には知らされて無かった真実。真理亜の遺伝学上の父親は、元・死刑囚『原光』なのだ。
「横田家の場合は、更に複雑に絡み合います。横田夫婦共に子供が作れない為に、それにつけ込んだのが渡辺家だったのです。横田夫妻に提供された精子と卵子は、共に渡辺夫妻のモノだった。当初の計画とは違ってね。その時、取り違えが起こったのです。赤ん坊の状態では無く、体外受精させた段階での取り違えです。渡辺夫妻もまた、不妊に悩んでいた。こちらの場合は、夫人の真澄さんの卵管に問題があった。卵巣と子宮には問題がなかったので、夫の精子を体外受精させた真澄さんの卵子を培養後、代理母に移植する手筈が整っていた。ここで、もう一つの精子と卵子が登場します。精子の方は先ほどの『原光』のモノでした。そして卵子の方は……」
「黙れ! 黙れ!」
大声を出した真理亜を、驚いた顔で見つめる渡辺昴だった。
「聞きたくない! 聞きたくない!」
自らの両耳を押さえて、地団駄を踏む真理亜だ。我が儘いっぱいに育った、幼児の姿がそこにある。
「真理亜……落ち着け……」
彼女の両手を押さえつけ、荒ぶる神を鎮めようとする昴だった。
「五月蠅い! オマエなんか知らない! 何処かに行け!」
真理亜は少年を突き飛ばす。彼は神社の石畳の上に転んで、頭を打ち付けていた。鈍い音が響く。
「君! 大丈夫か!」
須川渉巡査部長は駆け寄り、渡辺昴の上半身を抱えて起こす。少年は側頭部を打ったのか、血が滲んでいた。少年は自らの白いハンカチをシャツの胸ポケットから取り出して、傷口に当てていた。
「す、すばる……ゴメンなさい……お、お姉ちゃんは、ダメなお姉ちゃんです……」
急に取り乱した真理亜は、両目から大粒の涙を流す。次々と頬を伝っていた。そして、声を出して泣き始める。本当に子供なのだ。
有村陽子警部補は当惑する。激しい罵倒が帰って来ると覚悟をしてはいたが、相手は泣き出してしまった。小学六年生の時、口喧嘩で男の子を泣かせてしまった過去を思い出す。
その時、渡辺昴は黙って立ち上がり、しゃくり上げている西原真理亜を強く抱きしめていた。
「えっく……。ゴメンなさいすばる。ゴメンなさい……。何処かに行けと言ったのは、ウソです。本心ではありません……。行かないで! 何処にも行かないで! 私のそばに居て! 消えてなくならないで!」
彼にすがりながら、崩れ落ちていく彼女。彼のお腹に顔を押しつけて再び泣き出した。
「真理亜に家族になってくれって……お願いされただろ。オレはその約束は、決して破らないよ……誓うよ」
真理亜の頭をクシャクシャになるまで撫で続ける昴だった。
「ほんとう?」
顔を上げ、昴を見る真理亜。
「ほんとうだよ」
そう言って、跪いていた彼女を立たせてやる彼だった。
「ありがと。自分で立てる」
「そうか、真理亜。刑事さんの話を最後まで聞くんだ。この刑事さんは、真理亜を救うために訪れたんだ。オレは確信している」
「救う?」
真理亜は有村の顔を見つめる。警部補は黙って頷く。
「アナタは……今のところは、罪を犯してはいない。梨田樹里は、アナタのノートに書かれたことを実行したに過ぎないのです。決して、アナタが命令したのでも指示したのでも無い。証拠も証言も無い。だから、今のところは罪には問えないのです。ただ、事実を知って下さい。アナタは頭が良い。無知は罪ではない。だが、知らないそぶりを続けるのは、それこそは罪なのです。大罪です。アナタは横田すばる君と、横田ご夫妻の血液型が合わないことで、同じ日に、同じ産婦人科医院で生まれた、同じ名前の子供を、本当の弟だと信じ込もうとした。でもこの人は、運命の人ではありませんよ」
有村は渡辺昴を指さした。
「だって!」
反論しようとする真理亜を制止する昴。
「横田ご夫妻の血液型は、二人共にO型。横田すばる君の血液型はAB型。渡辺昴君の血液型はO型。これでは勘違いしても仕方の無いことです。でも、違うんです」
真理亜は眼を閉じて、有村の言葉の重圧に耐えていた。歯を食いしばる。
「手違いが生じてしまったのも仕方がなかったのです。『横浜市港北産婦人科医院』では、渡辺夫妻の精子と卵子とを体外受精した後に、夫人の真澄さんの子宮に戻してしまった。当初は代理母の子宮に移される予定でしたが、医院では担当した医師が当然の如く、卵子の持ち主である真澄さんの子宮へと戻してしまった。まあ、『横浜市港北産婦人科医院』で行われていた不妊治療の殆どが、このケースであったので、間違えを犯してしまった。無理は無いですね。そして、真澄さんが人工分娩で産んだ赤ん坊が、横田家へと引き取られ、横田すばる君となった。渡辺夫妻の血液型は、俊彦さんがA型。真澄さんがB型です。だから二人の子供はAB型で不思議ではない。では、渡辺昴君の遺伝学上の本当の父親と母親は誰なのか……そこが肝心なのです」
渡辺昴は自身の出生の秘密となり、固唾を飲んで有村の話に聞き入っていた。
今度は、西原真理亜が彼に寄り添い、手を握ってやる。彼女の顔を見る少年は、不安そうな表情だったのが和らいで来た。
「精子の提供は、西原さん、アナタと同じ『原光』なのです。父親の遺伝情報は同じなのです。ですから、真理亜さんと昴さんは姉弟だと言える」
真理亜の顔が明るくなり、昴の方を向いた。強く手を握る。少年の方は、当惑したままだった。
「先ほど、渡辺夫妻はクローンを作ろうと画策したと言いましたね。母親として選ばれたのは『原光』の双子の姉の卵子でした」
「双子?」
須川は有村に向けて言う――始めて聞く話だからだ。
「『原光』には一卵性の双子の姉がいました。その辺の詳細は、彼の著作『シリアルキラーの作り方』に載っています。姉の『量子』は『光』が高校三年生の時に自殺しています。私も調べましたが、自殺の理由は良く解っていません。遺書も無かったと、当時の捜査記録が残っていました。単なる自殺事件なのに警察に徹底的に捜査されていたのです。何故ならば、姉の死後『量子』さんの遺体は『光』に解剖をされて、卵巣から卵子が取り出されていました。その卵子が凍結されて、保存をされる」
須川は驚いた顔を有村に向ける。
「ええ、卵子の冷凍保存は二十四年前の当時としては難しい技術でしたが、『原光』はいとも簡単にやってのける。その技術と知識を生かして、精子バンクと卵子バンクを立ち上げたのが、○京大学の医学部で同じゼミを受けていた渡辺夫妻でした」
「え? 親父とお袋が?」
不服そうな顔を有村に向ける渡辺昴だった。自分の両親の出身大学は、そんな超一流だとは知らされて無かったのだ。
「二人は、在学中に倫理的問題を起こして大学を放校にされました。その為に、無名の私立大学の医学部に転学しました。しかし、生命倫理上の問題だったため、二人は医学界から追放されて、医者にはなれなかった」
有村はふぅーと、大きく息を吐いていた。
「生命倫理上の問題とは、ヒトクローンの作成です。当時には、ヒツジの初期的なクローンが完成していましたからね。それを一足飛びにヒトに応用しようとしたのが、『原光』と渡辺夫妻のプロジェクトチームでした。彼らは冷凍保存された『原量子』さんの受精卵を使って、胚性幹細胞を作成し、ヒトクローンに利用することを考えたのです。『原光』は、姉のクローンの作成に拘っていました。それらが全て否定された後に、一連の凶悪事件を引き起こしています」
渡辺昴は理解の範疇を超えてしまったのか、困った顔を隣にいた西原真理亜に向けた。彼女は無言で、彼の手を再び強く握り返すだけだった。
「チョット待って下さい有村さん。僕には判らなくなってしまった。渡辺夫妻は自分達の本当の子供を、代理母の子宮ではなく間違って夫人本人の子宮に戻したと聞きました。渡辺夫人がお腹を痛め産んだその子を何故、横田夫妻の子供として育てさせたのですか? そして、『原光』の精子を双子の実の姉の卵子に受精した受精卵は、本当は渡辺夫人の子宮に移す予定だった。その目的が判らないんです。結果的に、渡辺夫妻は横田家に引き取られた自分達の本当の子供を、近藤浩二に殺させている」
須川巡査部長は、ずっと理解出来ないでいる点を警部補に質問していた。
「そうですよね。そうですよね。私も最初は理解出来なかった。渡辺夫妻は『原光』と『原量子』の一卵性双生児同士の子供から、両方の長所を受け継いだ子供が生まれると考えたようです。それらは『シリアルキラーの作り方』の中にも載っています。『原光』の超天才の頭脳と『原量子』の美貌を引き継いだ女の子が生まれると思っていたようですが……そういえば『原量子』の顔写真を見ましたが……西原真理亜さん、麻由美さんのお二人にそっくりだった。そんな美貌の超天才が生まれ育った場合に、お腹を痛めて産んだ渡辺夫人が親権と損害賠償金とを揃って請求する予定でした。しかし代理母から、『原光』と『原量子』の遺伝子を引き継いで生まれて来たのは男の子でした。計画は失敗し、『原光』の母親の容姿と『原量子』の知能を受け継いで生まれた子供は、ごくごく普通の男の子だったのです」
そう言って、有村陽子は渡辺昴を指差していた。ごく普通……そう指摘され、そんなのは納得済みだ! そんな表情を浮かべていた渡辺昴だった。
「すみません。君を傷つけるつもりは毛頭無いのです。事実だけを申し上げている。渡辺夫妻の倫理的にも問題のある行為は、西原夫妻、横田夫妻に知られることになります。西原夫妻は提供された精子が、『シリアルキラー』の元・死刑囚のモノであるとは知らされていませんでした。それを本能的に悟った西原慎司氏の母親……双子の女の子の祖母が、真理亜ちゃんの方を養子に出させたのです。体が弱く、気も弱い麻由美ちゃんの方を自分の子供として育てたのです。そして、横田夫妻です。西原さんとは『横浜市港北産婦人科医院』で知り合っただけの関係性だった。代理母からの子供の提供を快くは考えてなかった横田夫妻は、西原さんの申し出を受けました。しかし、代理母……本当は渡辺夫人から生まれた子供を引き取らざるを得なくなった。でも横田夫妻は、全く血の繋がらない真理亜ちゃんとすばる君を立派に育て上げます。しかし、ずっと疑問を持っていたご夫妻は、渡辺夫妻と『横浜市港北産婦人科医院』の告発を決意します」
長く喋って疲れたのか、有村はゆっくりと歩き出し、真理亜が拝んでいた祠の前まで進む。徐に、扉を開いていた。
「な、何をするんですか有村さん! ば、罰が当たりますよ!」
須川巡査部長は、慌てて扉に取り付こうとした。
「罰当たりなのは、この神社を作った人物です。ホラ、ご覧なさい。石碑に彫られた横田夫妻の名前。そして、隣の『すばる』の文字の大きさと、彫られた六つの星……」
有村は石碑を指差す。一同がそちらを向いていた。すばるの文字が不自然に大きい。
「これは渡辺夫妻が、自分達の本当の息子を生け贄とし、横田夫妻を縛っているのです。こんなのは冒涜です! 死者を死後も縛り続けているのです。でも、渡辺夫妻にもやがて不幸が訪れる。彼らは、今度は西原夫妻を脅迫しようと考えた。一年前のことです。二人の娘達の本当の父親は元・死刑囚の『殺人鬼』であるとね。それを、世間に公表すると……。しかし、ここで一計を案じた人物がいます。当時、西原慎司氏の秘書をしていた“藤島 豊”氏です。彼は、真理亜さんが麻由美さんや梨田樹里を操っている事実を知っていた」
「麻由美を操る?」
渡辺昴は、有村の顔を見た後に、真理亜の方を向いた。
「ウソよ! デタラメよ!」
真理亜が叫ぶが、その声は昴の耳には届かなかった。
「刑事さん。それって……」
有村に尋ねる。彼女は頷いてから、再び話し出す。
「先ほど、麻由美さんが体が弱くて、気が弱い赤ん坊だったと言いました。西原夫妻には、麻由美ちゃんの方が手放してしまうには可哀相と考えて、自分達で育てたのです。本来の麻由美ちゃんは大人しくて地味な子供だと、小学校の教師や同級生は証言しています。そんな彼女が変わったのは、真理亜ちゃんが西原家に戻ってからです。傷ついて入院した真理亜ちゃんは、我が儘放題の傍若無人ぶりを発揮していたとの証言を、当時の病院の関係者から入手しています。人心を掌握する術を身につけていた真理亜ちゃんは、妹の麻由美ちゃんに自分の影武者として……いえ、自分の考える理想像として、振る舞わせます。姉である真理亜ちゃんが妹の麻由美ちゃんに振り付けをして、頭が良く、勝ち気な少女を演じさせていた。時期を見て、入れ替わる事を考えていたのですね」
「違う! 昴……違うの!」
真理亜の言葉を無視して、有村は続ける。
「秘書の藤島氏は、双子の姉妹を良く観察していました。真理亜さんが中学に上がり、梨田樹里と知り合った時から、おかしな事件が起こる事も把握していました。藤島氏は、真理亜さん。アナタの最初の信奉者だった。横田夫妻亡き後の、早くからの後継者にと考えて居たようです。ですから、横田夫妻の仇が西原夫妻だと真理亜さんに吹き込んでいたのは藤島氏だった。そしてその前に、渡辺夫妻が『西原トラベル』の障害として立ちはだかった。だから今度は、渡辺昴君が横田すばる君の取り違えだと吹き込み、真理亜の手元に来るように煽っていたのです。証拠はありません。今のところはありません。しかし、渡辺夫妻が、事故に遭遇したオーストラリアに旅立った時と同時期に、梨田樹里が日本を出国し、同じくオーストラリアを訪れているのです。方法は解りませんが、何らかの手段を使って、渡辺夫妻の乗った飛行機を墜落させたのです。ですが、これは結果的に横田夫妻の仇を討つ行為になりました。凄まじい因縁を感じますね」
「藤島さんが……まさか……」
暗い顔で俯く、西原真理亜。今度は彼女を励ますのは渡辺昴の役目だった。
「西原真理亜さん。アナタは他人を上手く操縦していると考えているようですが、反対に操られていた。梨田樹里の件もそうです。実は、アナタの考えを一つの方向へと誘導していたのは梨田樹里も同様でした。アナタのあのノート。神の言葉として記入していたのは梨田樹里だったのは知っていますよね。彼女は真理亜さんが、他人を憎み、殺させようと誘導しています。ですから、本来は殺すべきではない人物が含まれている」
「え?」
渡辺昴は言った。
「西原夫妻と妹の麻由美さん。西宮刑事と、その配下の外国人。この人物達は、売春組織の背後に控えている大きな影にとっては邪魔な存在でした。ですから、とある集団が梨田樹里を使って殺させたのです。ええ、真理亜さんが考えたのではなく、別の大いなる意思が存在します。そして、菅野絹子さんの場合は藤島豊氏の思惑が絡みます。大資産家ですからね。『ウエスト・プレーリー』と『西原トラベル』に多大な利益をもたらすことを約束されていた。そして、殺された学園の数学教師、“内田 誉”さんです。彼は、真理亜さんと麻由美さんの入れ替わりに早くから気が付いていました。真理亜さんの方が麻由美さんを操っていることも、気が付いています。彼は……麻由美さんに恋をしていたのですね。ですから、二人の入れ替わりの事実を知る。そして、ノートの存在です。数学の宿題提出時に、間違ってあのノートを内田教諭に提出してしまった。その時にノートの内容を読んでしまって、真理亜さんと神の存在に気が付いてしまった。ノートを取り戻したのは梨田樹里です。そんな偶然にノートの存在を知ってしまった教師を殺したのは、梨田樹里の意思です。そして彼女は自分の戸籍上の元・父親に近づき、拳銃を譲り受けて、組織の邪魔になった外国人を射殺する。真理亜さん、アナタは二人の外国人に暴行など受けていないのでしょう。小指を切断後に、西宮は直ちに品川の『西原トラベル』本社に向かった。そして工場跡地で様子を伺っていた梨田樹里は、二人の外国人をトイレにおびき出して射殺する。そして元・父親に、逃走のチケットを渡すと呼び出して射殺した。更に、拳銃自殺に見せかける工作をしたのです。そして、実の母親の茉莉さんを殺して、梨田樹里の計画は完遂する。彼女は自由になりたかった。両親と、アナタの束縛から逃れるためにね」
真理亜は聞いているのかいないのか、フラフラと動きだし、歩き始めた。足元が覚束ない。
「真理亜! どうしたんだ!」
追いかける渡辺昴の言葉も届かない。
「逃げても、逃げ出しても、無駄ですよ真理亜さん」
有村は彼女の前に立ちはだかっていた。両手を横にあげている。後ろに控える須川巡査部長は、拳銃が収納された胸のホルスターの安全カバーを外していた。
「聞かなくちゃならない。確認しなくちゃならない。樹里と……藤島さんと……」
譫言のようにブツブツと呟いている真理亜だった。
「そうですよね。利用していたと思っていた相手から、まんまと操られていた。真理亜さんアナタは、抜群に頭が良い。でも、圧倒的に経験が不足しています。ですから、アナタの知識を凌駕する相手には、簡単に手玉に取られてしまう。でも、気が付いていたのでしょう。二人は、アナタの思い通りには動かなかった。小指を切り取られたのは計算外だ。でもヤッパリ、アナタは狡猾だ。その遥か依然に、今度は寄生する――依存する相手を渡辺昴君に乗り替えようと考えていた。昴君に麻由美さんの遺体を見せつけて、それを陵辱させ、嬉々として遺体損壊を行う相手なら、再びアナタの手足として自由に出来ると考えた。シリアルキラー『原光』の頭脳と精神とを尤も強く引き継いだのは、他ならない真理亜さん、アナタだ。同じ血を引く麻由美さんも昴君も、優しい心を有していた。それは、『原量子』さんの影響を強く受けていたに違いない。優しい『量子』さんは、恐らくは双子の弟『光』の残虐性に早くから気が付いていた。その彼を止めるために自殺をしたのかも知れない。真実は全て、闇の中です」
有村は、全てを言い切って真理亜の肩を抱く。
「昴君……。昴君! お姉さんの真理亜さんを頼みます。君が救ってあげるのです。君にしか出来ない!」
有村に呼ばれ、渡辺昴は替わりに真理亜を抱きしめる。
「すばる……痛いよ……」
真理亜の感情の無い言葉。
「真理亜……告白するよ。オレは、君に家族になってくれと頼まれた時に、嬉しかったんだ。本当に嬉しかったんだ。一人ぼっちなのは、二人とも一緒だからな。昔からそうだったんだ。偽りの家族に囲まれていると考えて居たのは、君もオレも一緒なんだ。真理亜……お姉ちゃん。呼ばせてくれ。オレは横田すばるの替わりじゃない! 正真正銘の君の弟の昴なんだ! 君を守る! 絶対に君から離れない!」
「ほんとうに? ほんとうなの?」
真理亜は昴に何度も確認していた。その度に、涙を流しながら頷いていた少年……弟の姿があった。
「昴君。お姉さんを見張っていて下さいね。今度こそ、道を誤ったら二人共に破滅しますよ。警告します。真理亜さんが道を外れたのなら、君が正しい道を、道筋を導くのです。夜空に輝く六つの星のように……」
有村警部補は、渡辺昴の頭に右手を優しく乗せた。星の見えない空を、左手で指し示していた。
少年は声が出せないでいた。涙ながらに頷いていた。
あ、何かドヤ顔だ。上司である警部補の外連味たっぷりの言葉を聞き――彼女の顔をチラリと見る須川巡査部長だった。鼻の穴が大きく開いた場面を見逃さない。
「須川さん、帰りますよ!」
有村陽子警部補は、そうキッパリと言い切ってから踵を返していた。スタスタと大股で星神社を後にする。
「ま、待って下さいよ! 有村さん!」
星神社の隣、旧・菅野絹子邸の玄関前に停めてあった黒塗りの国産車。その助手席ドアの前で立っていた警部補だった。
「須川さん。晩ご飯は、焼き肉でもどうですか? 須川さんの奢りで……」
「どうして、僕が奢らなくちゃならないんですか?」
慌てて、電子錠で車のロックを解除する巡査部長だった。有村の方はさっさと助手席に乗り込む。慌てて運転席の方に廻る須川だった。
「バタム。バタム」
重厚な音を立てて、両方のドアが閉まる。
「誰かに、奢られたいな……。優しくされたいな……。そんな気分なんです」
助手席でシートベルトを締めながらの有村の言葉。
「勝手に決めないで下さいよ!」
シートベルトを装着した須川は、エンジンONのスイッチを押し、ブレーキペダルを踏む。シフトレバーをドライブに入れると、パーキングブレーキは自動で解除された。そして、アクセルを緩りと踏み込む。
国産の最高級ハイブリッドセダン車は、ゆっくりと動き出した。
「あ、そうそう有村さん。渡辺昴を産んだ代理母って誰なのですか? 彼も、生みの母には会いたいだろうに……『瞼の母』ですよ」
車は加速をし、やがて環状二号線に合流する。
「さあ、どうでしょう。『横浜市港北産婦人科医院』にも記録が残っていませんでした。もしかすると『人工子宮』だったかも……知れませんよ」
助手席の椅子を倒して、眠りの姿勢に入る有村だった。
「え? 人工……」
須川はそこまで言って黙る。オカルトからマッドサイエンティストの領域に突入するからだ。
「須川さん……『瞼の母』とは、記憶に残る母親の面影ですからね。生みの母より育ての母ですよ。須川さん、到着したら起こして下さいね」
そう言って直ぐに、軽い寝息を立て始める有村だった。
赤信号で止まる。
上司の、あどけない少女に思える顔。それを優しく見つめる須川渉だった。
◆◇◆
「二人は行った?」
暫く抱き合っていたオレと真理亜だった。刑事二人が車で立ち去って、かなりの時間が経過していた。真理亜は片目を開けてオレに尋ねる。
「うん。行ったよ」
優しく真理亜に声を掛けた。
すると彼女は、オレの手を振り払い神社の外の路地まで走り出る。車の走り去った方向を向いていた。
「あっかんべーだ! 死ね! 二人共! 死んじまえ!!」
オレには真理亜の表情が見えないでいたが、どんな格好をしていたのかは容易に想像が付く。それこそ、子供のように右手で右目の下瞼を押し下げて、舌を長く伸ばしていたに違いない。
「真理亜……」
オレは呆れ果てていた。あの二人の前で、神妙な顔付きをしていたのは演技だったのか?
「昴。行きましょう! これからは悪者退治です! 裏切り者の『藤島豊』は、私が社長に就任後に放逐します。それ以外にも、私を裏切って利用する奴らは、全て始末します」
「真理亜!」
多分、オレは恐い顔をして叫んでいたのだろう。真理亜は少し怯えた表情を見せていた。
「昴……」
そう言って近づいた彼女は、オレの右手を取った。何をするのだ?
「ま……」
オレは言葉が出ないでいた。真理亜は……オレの右手を自分の左胸に押し当てていたのだ。
「柔らかいでしょ……気持ちイイでしょ。ねぇ、おウチに帰りましょ。おウチに帰って、お姉ちゃんとイイことしよ……」
真理亜はそう言って、淫靡な笑いを顔に貼り付かせる。彼女はオレの右手を掴み直して、今度はシャツの下に入れて来た。ブラジャーが上にずれる。露わになった真理亜の左胸を……乳房を直接掴んでいた。
「ま、真理亜……」
困惑の表情を彼女に向ける。
「おウチに帰ったら、もっと気持ちイイことしてあげる。だから、お姉ちゃんの話を聞いて……」
真理亜は上目遣いにオレを見てきた。
「昴……お願いがあるの……殺して欲しい人……人たちが居るの……」
◆◇◆
強い風が吹いた。神社のケヤキと、椿の生け垣が大きな音を立てて揺れた。
神聖なる「星神社」の境内。
それを冒涜するかのように、抱きしめ合う弟と姉。
弟の方は、姉の唇を貪るように吸い付いていた。姉の胸を直に揉みしだいていた。
求められた姉は、弟の要求を拒まない。
弟は一つの考えに思い当たる。
遺伝学上の自分の父親と母親。双子の弟と姉。
『原光』と『原量子』の関係は――こうだったかも知れない。
快楽に押し流されてしまった昴は、虚ろな目で真理亜の顔を見た。
彼女は笑っていた。
涙を流して笑っていた。
完
これにて完結しました。
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