事件報告書File.12「存続殺人」-2/3
◆◇◆
――午前十一時四十分。
東京都千代田区霞が関二丁目 東○メトロ有楽町線 桜田門駅。
「須川さんは、お昼はどうします?」
階段を昇り地上部に出た有村警部補は、傍らで大きな荷物を抱えた須川巡査部長に尋ねる。彼は全ての荷物を持たされていた。大きめの紙袋を二つ両手に持つ。有村の小さめのカバンも入っていた。自分が持つと固持した以上、苦情は言えないでいた。
「エエ……」
須川は右手に皇居の桜田壕を見ながら、警視庁の地上十八階建ての建物を見上げる。今月一日から、所属が警視庁捜査一課・第九強行犯捜査・殺人犯捜査第13係から警察庁特別広域捜査班・第一班に変わった。
場所としては、大勢が集まる大部屋から、資料保管室を間借りした場所へと引っ越しさせられた。折りたたみ式の長いテーブルとパイプ椅子が並ぶだけの部屋。
彼の周囲の友人は左遷だと笑っていた。
「出前のお蕎麦で良いですね。鴨南蛮蕎麦を二つです。そんな気分です」
須川の希望も聞かずに、勝手に決める気ままな手ぶらの上司だった。
疲れ切っていた彼は、頷くことしか出来ない。
二人して、警視庁の大仰な建屋に向かう。長い警棒を持った警備の警察官が敬礼をして来た。両手の塞がっていた彼は、荷物を一旦道路に置いて、それから敬礼をする。
「よう! 有村ちゃん! カワイコちゃん連れてるね。デートだったの?」
資料保管室に戻るなり、声を掛けられた。カワイコちゃん? 誰の事だ? 須川は思う。
振り返り声の主を見やる。三十歳台前半と思われる――かなりの美人だ。須川は始めて見る顔だった。
「“死に神”さん。大阪からようやく戻られたのですか?」
“死に神”? 聞き間違いかと思い、上司の有村の顔を見る須川巡査部長だった。
「“死に神”は止めてよねぇ~有村ちゃん。5○1の豚まん、お土産であげるからさぁ~。そうそう、アッチの事件は無事解決したわよ。今回は、死人も出ずに……。“死に神”の二つ名も名折れでしょ?」
そう言って立ち上がった派手めの美人は、須川の目の前に立ちふさがる。茶髪で軽くウェーブした長い髪の毛を、高い位置でポニーテールにしている。高級そうな黒いスーツを着込んでいた。柑橘系の香水の匂いが立ちこめる。胸元が大きく開いたピンク色のシャツ。大きめの双丘が覗いていて、目線が自然と向いてしまう。
相手の方も、須川の顔をジロジロと眺めて値踏みをしていた。
「でも、事件では十六名が亡くなっているのでしょう。首謀者も警察の留置場で自殺未遂したと聞きました」
須川の紺色のスーツ。その左手の袖を引っ張る有村だった。座れと促していた。嫉妬している?
「それは、過去に起きた事件が隠蔽されていただけ。自殺未遂は、死者数にカウントしないでしょ。それに、アタシが出張って行ったときには事件はほぼ終了してたじゃない!」
ああ、関西のあの事件か……須川は得心し、パイプ椅子に腰掛ける。
「それに比べて、今回の事件。キャリア官僚様がお出ましになって以降、何人死んだのかしら? 犯人も含めて、何人死んだ?」
有村警部補に矢鱈と食って掛かる美女だった。ライバル視しているのは確定だが、有村の方が相手をして無い……そんな印象だった。
「たった六人です! それが、どうかしましたか!」
「たった――と来たか! この疫病神! 死に神はそっちじゃねえか!」
「エ?」
須川はズッコケそうになる。子供じみた言い争いが始まっていた。十分に相手をしているじゃあないか! 彼は呆れた顔を二人に向ける。
「あ、須川さん。紹介が遅れましたね。こちらの大人げない御仁は、警察庁特別広域捜査班の任命班・班長の“白神 怜子”警部です。三十二歳の未だに独身さんです。異名は“死に神怜子”なのですよ。白神警部が事件に関わると、同じく事件に派遣された捜査員が誰かしら、必ず非業の死を遂げるのです」
生き生きとした表情で、饒舌な有村警部補だった。始めて見る姿だ。仲が悪そうに振る舞ってはいるが、お互いに気心の知れた相手なのだろう。二人は共に笑顔だった。
「ま、事実だからシャー無しだね!」
白神警部は大きな動作で自分の頭を掻いていた。そこは、否定はしないらしい。
「で、お二人は熱心に何やってたの? 事件報告書は読んだわよ。色々と苦心の跡が見て取れました。先生は90点の点数を与えます。ま、後ろに控えている事件が大物過ぎたわね。そっちには触れられないからね。んで、事件の首謀者は元刑事で、その人物と自分の母親を殺して逃亡した女の子が実行犯なのでしょ。その子が自殺したって本当?」
良く知っているじゃないか――須川は感心していた。女の子とは梨田樹里の事だ。
「うーん。遺書を海辺の断崖絶壁の上に残していただけ。本人の持ち物もありましたが、偽装自殺と見るべきでしょう。遺体も出ていませんし……」
梨田樹里の逃亡後、彼女の財布と靴、そして遺書が発見された。場所は自殺の名所として良く知られた場所だった。
「ふーん……」
神妙な表情を浮かべたまま、白神警部は黙り込む。
「私も確信を持ちました。白神警部が日夜追っている……殺し屋集団の影……。ですから、泣く泣く身を引いたのです。愛する部下の命を守らなくてはならないですから」
須川は有村の言葉の「愛する」の部分で、彼女の顔を見ていた。その須川の様子に気が付いたのか、見る見ると顔が赤くなる警部補。
「違うんです! そうじゃないんです! 私の言った意味は、広義で『愛すべき』部下達のことなのです!」
慌てふためく有村の姿が可笑しいのか、白神警部はお腹を抱えて笑い出した。
「あひゃひゃ。面白いわ……ヤッパ、アンタ面白い」
「面白い……って……」
白神女史は有村の背中をバンバンと叩いていた。仲の良い姉妹……いや、調子の良い親戚のお姉さんに絡まれる――大人しめの従姉妹の女の子。そんな風に見える。
「あ、そうそう。君が大切に抱えている、それは何?」
笑い涙を右手の人差し指で拭った白神警部は、須川が胸で抱える大きな紙袋二つを同じ指で差していた。
「あ、珍しい品を手に入れましたよ白神さん。元・死刑囚“原 光”の生原稿です。これを読むと、彼が死刑判決の確定後に直ちに執行された理由が分かります。オークションに出したら相当な値段が付きますよ」
自慢げな顔をする有村だった。不謹慎なことも遠慮無く語る。
「原……光……?」
思わず声に出す須川渉巡査部長だった。
「ええ、『原光』ですよ。ホラ!」
右上を黒い紐で綴じられた原稿を取り出していた。彼女が帰りの電車内で熱心に読みふけっていた文章。表紙には作者名が書いてある。『近原 光二』しかし、「近」と「二」の二つの文字だけ明らかに筆跡が違う。ペンの色も太さも違う。真新しい。後から書き加えられた証拠だ。
“原 光”……二十年前に起こった『幼女誘拐殺害事件』の犯人。三人の少女を惨たらしく殺して、遺体を辱めた死刑囚。確定後に直ちに死刑が執行された。
噂を聞いたことがある――須川は思い出す。彼の影響を受けたのは、西宮和也巡査部長一人だけでは無かった。
原光を取り調べた警察官。検察官。彼の国選弁護に選任された弁護士。彼の精神鑑定を行った鑑定医師の精神科医。裁判のために供述調書を読まされていた裁判官。判決を受けるまで拘置された拘置所の刑務官。そして、拘置中の他の刑事被告人である未決囚にも多大なる影響を与えたと聞いた。悪影響も悪影響だったと云う話だ。精神に異常を来した者も、数多く居たと伝え聞く。
そんな男が書いた文章――少し心配になり、警部補の顔を見た。
「え? どうしました?」
杞憂だった。彼女の心根は強いらしい。中々折れないタフさは知っている。
「エ、イエ……」
「何、見つめ合ってるの? ねぇ。それより、このイケメン君を紹介してよ有村ちゃん。アタシの部下にならないかい? 胃袋と肝臓が鍛え上げられるよ。アタシゃ鬼軍曹だよ。夜の盛り場で猛特訓だよ」
大きな口でニンマリと笑う白神警部。それより、彼女から発せられたイケメンという単語に顔を赤くする巡査部長だった。
「須川さん。やめといた方が得策です。彼女の部下になったら、途端に警部に出世です。まあ、殉職して二階級特進扱いですけどね」
「君は、須川……何君だい? 巡査部長君」
少し日に焼けた白神怜子警部。光る白い歯が眩しかった。彼の目の奧を覗く。
「す、須川 渉です。ここに配属になる前は、刑事部・捜査一課・第九強行犯捜査・殺人犯捜査第13係に所属してました。係長は“古田 宗治”警部です。い、今のところは、警部に出世する案件はどうも……僕の人生設計の中には無い。是非、遠慮させて下さい!」
丁寧に頭を下げる須川だった。
「あはは、冗談、冗談。君は、古田のおっさんの元部下かいな。それよりもアタシに見せてくれるかい? その重要機密書類とやら。園城寺管理官に見つかったら即刻ボッシュートだもんね」
須川は「古田のおっさん」と聞かされて当惑する。そんな風に呼んでるのは、彼女だけだ。そして園城寺司管理官は、ここでも煙たがられているのだな。納得する須川だった。
だが、この間借りしている場所は、未解決事件の資料置き場となっている。お邪魔虫なのはこちら側だった。思い起こす。
「どれどれ。ふんふん……」
椅子に座り腰を落ち着かせた白神警部は、原稿用紙を早いペースで次々と捲っていく。本当に読んでいるのか? 須川が疑いたくなるようなスピードだった。速読なのだろう。捜査官として身に付けられた特技だ。
「面白いわね……」
「でしょう……」
二人の系統の違う美女が、悪い顔をして笑っていた。
「こりゃ、三井寺の和尚さんには見せられないわ」
警部はそう言って腕を組む。「三井寺」とは園城寺管理官の別名だ。刑事部・刑事部長の兄と区別している。彼の短髪姿を思い出して、クスクス笑い出した須川だった。
「私が、どうかしたのかね?」
その噂していた当人が、資料保管室に入って来た。警視庁刑事部捜査一課・第一特殊犯捜査・特殊犯捜査第1係 特命捜査対策室・特命捜査第5係 兼任管理官の“園城寺 司”警視だった。
「イエ! 何も!」
パイプ椅子から立ち上がり、直立不動の姿勢となる須川巡査部長だった。
「白神君か……また、私の良からぬ噂話を喧伝していたのかね?」
園城寺管理官は横目で警部を睨んでいた。そのままファイルの収納されている棚から、資料を幾つか取り出していく。
須川は戦慄するが、警部の方は至って呑気な姿勢を変えてなかった。
「そうですね。三井寺の和尚さんが、若い女性警察官にセクハラしたお話とか、酔って上司のカツラを取ってしまったエピソードとか……」
園城寺管理官の後ろで、有村警部補が声を出さずに笑っていた。口とお腹とを押さえている。
「そ、その話、何処で聞いた!」
管理官の顔が見る見ると赤くなる。こめかみ部分に血管が浮かび上がっていた。
「せ、セクハラなど、断じてしてない! 警護の女性警察官が車から降りるときに、よろけたから体を支えただけだ。その時に偶然にも運悪くも、胸に触れただけだ! 他意は無いし、邪心もない!」
取り乱す園城寺警視だった。
「美人の奥様と、お嬢様が泣きますよ……」
追い打ちを掛ける有村警部補だった。二人の美女の連携は凄まじい。決して敵には回してはならない――心に誓う須川巡査部長だった。
「妻と娘の話を持ち出すのは勘弁してくれ……。それより、君の読んでいる原稿……実に興味があるね。私には見せることが出来ない人物の書いた原稿と、お見受けする。水谷課長や兄には黙っている。是非見せて欲しい……私の知識も役に立つはずだ」
『お見受けする』と、わざわざ部下に謙っていた。それほどの興味をそそられるのだろう。死刑囚“原 光”の名前は資料室に入る直前に小耳に挟んだのかも知れぬ。
ちなみに、登場する水谷課長とは、警視庁刑事部・捜査一課・課長の“水谷 隆”警視正の事だ。須川も顔だけは知ってるが、殆ど会話したこともない。雲の上の遠い遠い存在だ。
「ちわー、出前です!」
おどけた声を出し、資料室に入ってきたのは古田警部だった。須川の元上司。蕎麦屋の銀色の岡持ちを抱えていた。警視庁の建物でも、この資料室のあるエリアは一般人は立ち入れない。その為、昼時には手の空いた刑事が店屋物をそれぞれの部署に配っている。以前の須川もその役目だったが、今は広域捜査班に配属になって出前仕事からは遠ざかっていた。
「ふ、古田さん! 何してるんですか! ぼ、僕が運びますよ!」
慌てて岡持ちに取り付く巡査部長だった。
「いいって事よ。私も、出前の天ぷら蕎麦を受け取ったついでだ。鴨南蛮蕎麦は誰?」
「ハイ! 私と須川さんです!」
丼を手に持って古田警部が尋ねると、有村が手を挙げた。汁が溢れないように被せられたラップに、「鴨南」と黒マジックで書かれていた。
「カツ丼の大盛りは?」
「アタシ!」
白神警部は舌なめずりして、大きめの丼を古田から受け取る。赤だしの味噌汁の椀も受け取っていた。丼の蓋の上にのったお新香を一つつまみ食いしている。
「オムライスは……他の部署?」
「いえ、私です」
園城寺管理官は、ラップのかかったお皿を受け取る。紙ナプキンの巻かれた銀色のスプーンを嬉しそうに岡持ちから取り出していた。
「お茶を入れてきます!」
須川は給湯室に走って行った。これぐらいしか、今の彼には仕事が無いのだ。
「ふーむ……」
食事をしながら原稿を読む園城寺管理官。ゆっくりとオムライスの乗ったスプーンを口に運ぶ。目は真剣だった。
「しーはー」
とっくに食べ終わった白神警部が、爪楊枝で歯を掃除していた。須川は彼女の食べっぷりに圧倒されていたのだった――大きな口に運び込まれる肉、玉子、玉ねぎ、米。凄い肉食系です。
「どうですか? 管理官?」
長ネギをワリバシで須川の丼に移しながら、有村警部補が尋ねる。替わりに鴨肉を一切れ奪って行った。
「有村君は、『横浜市港北産婦人科医院』の事件を覚えているかい?」
管理官はお茶を飲みながら警部補に尋ねる。
『横浜市港北産婦人科医院』? 須川には記憶が無い。
「ええ、父に聞かされました。今は、『大倉山産婦人科医院』に名前が変わってますね」
「なる……!」
思わず声を出して手を叩いた須川は、途中で押し黙る。皆が一斉にこちらを向いたからだ。天ぷら蕎麦のエビ天を大切そうに食べている古田警部も向いていた。
あの事件の被害者、横田すばると、参考人の渡辺昴の生まれた個人医院だ。ここまでは調べていた。だが、赤ん坊の取り違えの事実は無かった。
「へー。そこに辿り着くんだ。見直したよ和尚さん」
白神警部は尊敬しているのか、バカにしているのか、曖昧な表情を園城寺管理官に向ける。
「確か、色々と問題有りの産婦人科医院でしたね。精子バンクに、最終的には代理母出産でしたか……」
蕎麦の汁を残らず飲み干してから、有村が言った。彼女の目が光る。そこを見逃さない須川だった。
「動機なんです。全ては動機に帰結するんです。西原真理亜の個人的な復讐が、あの事件の根底にはある。それを実行したのは梨田樹里。ただ、長らく関係性が謎でした。西原真理亜は、横田家一家殺害を命じたのは西原夫妻だと考えている。調べました。調べ尽くしましたが、そんな証拠は何処にも無かった。西宮巡査部長が近藤浩二に一家殺しを持ちかけた話。それは存在するのですが、それが西原夫妻だとする物証は、どうしても出てこないのです」
有村警部補はそう言ってから、黙ってしまった。
「『横浜市港北産婦人科医院』の精子バンクの件って……精子の提供者が、高学歴、高身長のイケメンだけど、実は犯罪者の精子だった……ってオチの話でしょ。それがこの事件と……」
そう言って白神警部は押し黙り、園城寺管理官の顔を見た。
「まさか! 和尚さんが読んでる……それのこと?」
和尚さんの単語に、右頬が痙攣した園城寺管理官だったが、彼女の言葉には黙って頷いた。そして口を開く。
「有村君。『横浜市港北産婦人科医院』の事件に関連したファイルがそこの棚にある。目を通すといい」
園城寺管理官はそう言って、オムライスを平らげた皿とスプーンとを岡持ちに仕舞う。そして、資料室を出て行った。原稿はテーブルの上に置いたままだ。
「精子バンクに、法的にグレーゾーンの代理母……これらが、動機の根底に横たわっている……出かけますよ! 須川さん! 腹ごなしには丁度良い運動です! あと……直接に彼女に会って、止めなくちゃならない」
「え? 彼女って? 止める?」
ようやく蕎麦を食べ終えた須川は尋ねる。上司の言葉の意味を理解出来ないでいた。
「西原真理亜ですよ。彼女は大きな勘違いをしている。このままだと、再び事件を引き寄せます。さーて、直接対決と行きますか!」
元気よく立ち上がる有村警部補だった。
◆◇◆
――午後二時十五分。
横浜市港北区 私立大倉山学園 二年三組教室。
「昴……。うふふ、昴……」
オレの机にピッタリとくっつけられた真理亜の机。
ただいま絶賛授業中である。
夏服姿の真理亜は、オレの体にしな垂れかかり、オレの顔を見つめて、ただそれだけを呟いていた。
クリーム色のベストを着て、白いシャツに青いリボン。眼鏡は掛けて無く、最近はコンタクトのままだ。開いた窓からの風で、時々揺れる長い黒髪。
その姿は麻由美そっくりだった。相変わらずの美人ぶりだ。
「あのさ、真理亜……邪魔」
オレの言葉に、教室中の連中が反応した。同級生は勿論、教師までもだ。真理亜のこんな態度は終始変わらない。あの事件以降は一貫している。
誰も注意しない。否、注意できないのだ。
私立大倉山学園――そこの女帝として、西原真理亜は君臨する。
「昴、邪魔だった? ゴメンネ……お姉ちゃんは、本当に悪いお姉ちゃんでした」
そう言った瞬間、クラスの空気の感触が変わった。オレには手に取るように判る。生徒も教師も総毛立っていたに違いない。
恐怖だ。恐怖心なのだ。
恐怖で学園を支配している。
真理亜は少し体を離す。でも、再度オレの体に密着してくる。人の忠告など聞いていない。
「私立大倉山学園」の土地建物は、「星神社」の隣に住む、故・菅野絹子おばあちゃんの持ち物だった。それを、「大倉山学園」を運営する学校法人が借り受けているに過ぎない。
菅野絹子さんが亡くなり、莫大な遺産が相続されることになった。対象は彼女の長男夫婦だ。絹子さんは夫の俊郎さんの遺産の他に、自身でも資産を抱えていた。その為に、巨額な相続税が課せられる。長男夫婦は国庫に大金を納めるために、菅野絹子さん名義の財産を殆ど処分した。
その不動産を二束三文で買い叩き、購入したのが「株式会社ウエスト・プレーリー」であった。
「株式会社西原トラベル」その社長を務める“藤島 豊”氏が「ウエスト・プレーリー」の社長も現在は兼任している。
西原真理亜の後見人。彼女が将来座る社長の椅子。学校法人「大倉山学園」も買収されて「ウエスト・プレーリー」の系列となった。
この学園の実質的オーナーは、真理亜なのだ。
だから、誰も彼女に意見できない。逆らえない。
オレは振り返り、梨田樹里の座っていた席を見つめる。
空席だった。
梨田樹里は西原真理亜の忠実なる僕だった。学園の中等部以来の親友だった。親友以上の関係。彼女たちの三文芝居に騙されていたオレ。
真理亜の望むことは、何でも実行した彼女。それは、殺人も例外ではなかった。
樹里がオレ宛てに送ったメール。事件の真実が書かれていた。同様の内容は、マスコミにも送られたが、報道されることは無かった。
事件の裏にある、権力の存在。大きな存在。
自分の母親を殺し、首を切り取った樹里。自分の意思で殺した最初の相手は、自分を産んだ母だった。
親殺しの「尊属殺人」
悲しすぎると思った。
樹里のことは、一緒に暮らしていた母親が死んだため――遠くに引っ越しをした――と学校では聞かされる。
学校内で真相を知るのは、オレと真理亜しか居ない。
真理亜には聞けないでいた。
両親と、妹と、菅野のおばあちゃんと、学園の教師。そして、彼女をレイプした外国人二人に、西宮刑事……樹里の父親。
樹里に殺せと命令したのは、君なのか?
「どうしたの昴……。顔が恐いよ……」
そう言ってから、オレの胸に顔を埋める真理亜。オレは、彼女の所有物になってしまった。
オレの事を弟と呼び、時には恋人のように振る舞う。
田園調布の豪邸に、彼女と二人きりで住む。
真理亜は本当に何を考えているのか、不安になる。
「私の家族になって……」
ある日、真理亜に涙ながらに懇願されたオレには、断ることなど出来なかった。
そして同時に、嬉しかったのは内緒だ。
そうそう、俺の住んでいたマンションは取り壊しが決定した。住人達は次々と引っ越しして行く。引っ越し先は「ウエスト・プレーリー」関連のマンションである。管理人の“佐藤 繁”のおじいちゃんは、ほど近い新築の「ウエスト・プレーリー白楽2」の管理人になったと聞かされた。
殺人事件の起きたマンション。「ウエスト・プレーリー綱島」の二○二号室。梨田樹里が母親と住んでいた部屋。
その部屋の大家が、菅野絹子さんだった。父親と離婚し、母娘の二人暮らし。菅野のお婆ちゃんは何かと気を揉んで、梨田樹里を自宅に招いたそうだ。仕事で夜遅くなる母親の替わりに、夕食をごちそうしてたり、泊めていたりしていた。そんな恩人さえ、手に掛けた樹里。
オレは全く知らなかった。
西原麻由美は三○一号室から、階下の二○一号室のオレの家へと逃げ込んだ。そして、ドアの外で待ち構えていた梨田樹里は、自室に誘い込んで麻由美を絞殺する。
その遺体をオレの部屋へと運び込んだのだ。
何故? 真理亜が命令したのか? 下半身が剥き出しの死体をオレに見せつけて……。麻由美を辱める事が目的だったのか?
そして、麻由美の遺体を損壊したのは、樹里の自宅浴室だった。
事件の真相。
恐くて聞けないでいた。
真理亜の心の奥底を覗くのが恐いのだ。
生徒会長の麻由美が死んで、新しく生徒会長になったのは、副会長だった三年生の“長谷川 幸介”だった。
オレと真理亜を、麻由美の仇として襲った男。
今の彼は、宗旨替えをして真理亜の熱狂的な信徒となっていた。そして副会長に就任する真理亜。
彼女は生徒会も操り、学園の権力を完全に掌握する。
来年には生徒会長に就任することが約束された真理亜。彼女の恐怖政治の片鱗が見え始める。
抹殺される麻由美の痕跡。麻由美の存在。
オレだけが麻由美のことを思い出してやる。本当に可哀相な女の子だった。
オレとの交際を了承した麻由美。
本当は、オレに助けを求めていたのかも知れない。
「昴……こんな場所には用は無いわ。行きましょう!」
真理亜が立ち上がった。今も授業時間中である。彼女は一人で教室を出て行く。黙って続くオレ。クラスの誰も、教師さえも、言葉も無くオレ達の行動を見つめているだけだった。
明日19時に、続きを更新します。




