事件報告書File.12「存続殺人」-1/3
事件報告書File.12「存続殺人」
◆◇◆
――約一ヶ月後。
――午前十時三十分。
東京都大田区蒲田 糀谷出版社。
京○急行電鉄 空港線。糀谷駅の近くに、そのこぢんまりとした会社があった。
一階は不動産屋の店舗である。ガラス戸一面に貼られているワンルームのアパートの相場を探る一人の男性。羽田空港に近い場所柄、キャビンアテンダントが多いのだろうか――警察庁特別広域捜査班・第一班所属の“須川 渉”巡査部長は、アゴに手を当てて真剣に考えていた。
「須川さん! こちらです! 会ってくれるそうです!」
二階に上がるための細い外階段。その上から須川の上司、警察庁特別広域捜査班・第一班・班長“有村 陽子”警部補が呼びかけていた。
「ハ、ハイ! 今、行きます!」
スチール製の階段を一段飛ばしで駆け上がる須川だった。小気味よい音が響く。
「糀谷出版社」
西向きのドアに掲げられたアクリル製の白いプレート。黒い文字は日に焼けて、消えかかっていた。そのドアを開く。
須川が入った時には、有村と社長の名刺交換は終わっていた。小さなテーブルに、お互いの名刺が並ぶ。社長は、二人をソファーに座るようにと薦めて来た。
狭い室内。出版社という割には、紙の資料は殆ど置いて無かった。
地方の土産物? 天井近くには大仰な熊手が飾ってあった。酉の市で買った品だろう。
古いブラウン管テレビの上には、鮭を咥えた木彫りの熊が置いてある。その隣には鳴子のこけしが林立していた。壁に貼られた観光地のペナントは、錆びた画鋲で固定してある。東北地方の観光地が多い印象だ。
座る須川のすぐ右隣には、右手を挙げた金色の招き猫が存在した。赤い座布団の上に鎮座している。この室内では一番の主張をしていた。存在感を放っている。
右手だと確か金運を招く――須川は思い出す。
「この本なのですけど……」
須川の左隣に座る有村警部補が話し出す。二人が座るのは、スプリングの壊れたソファーだった。革製の表面には透明な粘着テープで補修がしてあった。お尻を動かすだけで、ギシギシと五月蠅い音を立てている。
「どれ……」
老眼鏡を掛けた糀谷出版社社長の“今村 庄一”が本を受け取りながら、有村の顔を上目遣いに見上げる。蒸し暑いこの時期に、黒いニット帽を被っていた。薄くなってしまった頭髪を隠しているのだな――須川は推理する。
「こちらの『人生に必要なのは問題解決能力と営業力!』の本を、今村さんの会社で出版されたのが五年前。その時に、この本の原稿を持ち込んだのが、この男ですね」
有村は写真を見せて確認をする。写っていたのは、故・西宮 和也巡査部長だった。警察官の制服姿である。
「えーと、どれどれ……」
今村社長は老眼鏡を上げ下げしながら、写真を近づけたり離したりして確認をする
西宮の写真は、かなりの若かりし頃だ。三十歳台前半の頃合いだろうか。十年は前の写真である。
「そうだね。この人だね。で、刑事さん。この人が何かやったの? 確か、聞くところによると警察官……」
地声が大きいのか、狭い室内に声が響く。羽田空港に近い立地。騒音対策で窓は二重になっている。蒸し暑さのために稼働しているエアコンの作動音の方が大きかったが……。
「ええ……」
有村は苦笑する。初老のこの社長は「あの一連の事件」を知らないのだ。
「ところで、何が聞きたいの? この人が、犯罪に関わったの? ウチは、持ち込まれた原稿の体裁を整えて、校正して、印刷所に送るだけだからね。自費出版と云っても、内容にまでは関知しないワケ。で、公序良俗に反した内容だったりするの?」
有村に顔を近づけて話し出す。幾ら自費出版だろうと、責任の幾ばくかは被るだろうに――と思う須川だった。
「粗茶ですが……」
社長の奥さんだろうか? 優しくて気がよさそうな老婆が、二つの湯飲みを客人の前に差し出す。
湯飲み茶碗も一級品で、しっかりとしていた。素焼きの上に白い釉薬が掛かった素朴な焼き物ではあるが、値段は高そうだ。須川はお茶を一口啜る。濃く入れてあり、茶葉も割と高級そうだ――須川は冷静に分析をし、お茶を入れてくれた彼女に感謝の意を表す。丁寧に頭を下げた。
「アチ……。あら、美味しいです……おばあちゃん」
相変わらずの猫舌の有村は、そう言って老婆に笑顔を向けた。息を吹き掛けて二口目を口に送る。
「ありがとう。喜んでくれて嬉しいわぁー。静岡の親戚が送ってくれたお茶の葉でしてね……。売り物にはならないけど一流品なの。庄一も、このお茶が好きなのよ」
上品な老婆はシワの多い顔を更にシワだらけにして笑っていた。
「お母さん! もう歳なんだから引っ込んでなよ!」
母親かよ! 須川は突っ込みそうになる。
「一人息子のことは、今でも心配なのですよ……」
そう言って、お盆を大事そうに抱えた老母は外に出ていく。一階へと下りる足音がゆっくりと響いていた。
「えっと……何処まで話したかな……。そうそう、この本が警察としてはお気に召さないの? 出版禁止になるの?」
眼鏡を額の上にあげて有村を訝しげに睨んでいた。隣の須川も睨みつける。
「イエ、そういうワケでは無いんですが……」
須川は堪らなくなり、言葉を挟む。居心地がすこぶる悪い。相手は警戒心で溢れかえっていた。後ろめたいことも多々あるんだろう――須川は、再び狭い室内を眺める。「暴○団追放 不当要求防止責任者選任済之証」の警視庁のステッカーが貼ってあった。
「今回こちらにお伺いしたのには理由がありまして、この本の巻末にある……著者『近原 光二』の作品一覧ですか……原稿を探しているのです。オリジナル稿などは残っていないのですか?」
有村陽子警部補は、作品群を人差し指の先で指し示す。マニキュアなど塗られていない小さくて細い指だった。巻末一覧の中に「シリアルキラーの作り方」が認められる。
「あ、ああ、これね。西宮さんからは、過去に色々と面白い原稿を預かりましてね。それをリストアップしただけですよ。どれも、出版までには至っていませんな。だって、売れ筋のこの本で、やっと五百部を印刷しただけだからね」
今村社長は、そう言って有村が持ってきたハードカバーの本をバンバンと叩く。
「その原稿は、何処に保管してあるのですか?」
ゆっくりと有村が尋ねる。
「倉庫を借りてるからね。そこにあるでしょね。ここは狭いでしょ。お客さんから預かった原稿やら、出版しても引き取り手のない本とかね。正直、困るんですよ。自費だ、自己責任だ――と散々断っているのに、売れないから返金しろだの、返品するだの。全く困るんだよね。商売になりゃしない」
「そう云うものなのですか……」
少し同情しようとした須川が、余計だった。
「そうなのよ! ウチは元々は、小さな業界誌を出してる弱小出版社なのよ。少しでもの足しにしようと、お付き合いのある印刷所に自費出版の仕事を回そうとして、こうなのよ! 世の中、そんなに甘くは無いね。痛感したね」
急に、熱く語り出す今村社長だった。
「で、その原稿は、その倉庫にあるのですか?」
有村が堪らず聞いていた。
「いやぁーどうかなぁー。古いヤツは、端からドンドン捨てるからね。倉庫の賃料もバカにならないのよ」
なんとも心許ない話だな、頼りない話だな――須川は思う。
「では、すぐにでもその倉庫に向かいましょう!」
有村の言葉に、頷くだけの今村社長だった。
「ガラガラ」
軽めの音を立てて、シャッターが上がる。
倉庫と聞いて、大規模な建物を想像していた須川はあっけにとられていた。場所は出版社の二軒隣。元々中華料理屋だった場所が、出版社の倉庫になっていた。外には看板が「来々軒」と、昔のままの姿で出ていた。
先ほどの今村社長の母親も付き添っていた。シャッターを開ける作業を見守っている。
「お母さんは、不動産屋の方の留守番をしててよ!」
言われて、有村と須川に礼をして立ち去る老母。出版社の下の不動産屋も、彼が社長を務めているのだった。いや、出版社の方が片手間の仕事なのだろう。
「不躾な質問ですけど、お母様はお幾つなのですか?」
ホコリっぽい倉庫内。口と鼻をハンカチで押さえながら有村は尋ねていた。店の奧に入り込む。床には青いビニールシートが敷かれ、その上に包装紙に包まれた本が摩天楼のように林立していた。何段にも積まれた本の山を、崩さないように注意して歩く。
「今年で九十歳!」
そう言った社長は、中華屋のカウンター席だった場所から、何やら引っ張り出してきた。
「へーお元気で、長生きで、良かったですねぇ」
有村は、終始呑気に構えたままだ。
「元気すぎて逆に五月蠅いよ。あ、そうそう。この辺のが、全部そうかな。西宮さん。あの刑事さん。五年前頃には色々と出版の打ち合わせで、ウチに頻繁に来ていたからね。何かと原稿を動かしていたけど、揃ってるみたいだね」
茶色いクラフト紙で包装されて、紙紐で十字に縛ってあった。その大きめの書類の束を差し出して来た。汚い字で表面に「近原光二先生作品」と書いてある。
「これらを見せて貰って構いませんか!」
爛々と輝く目で見つめ、社長の手を握る有村警部補。
「あ、ああ、どうぞ。多分使わないだろうから、持っていって構わないよ。何だったら貰ってくれるかな」
「是非!」
有村は悪い顔をして笑っていた。
◆◇◆
僕の告白
二年三組 梨田樹里
ある日僕は、真理亜の机の中のノートの存在に気が付く。
水色の表紙のありふれたノート。
真理亜は授業中も休憩時間中も、空いた時間には積極的に記入していた。
それも、赤いボールペンだった。
真理亜が風邪で休んだ、ある日の放課後。
僕はそのノートを開く。
最初から全てを読む。
それは、彼女の日記でもあり、彼女の半生を記録した自叙伝でもあり、彼女の希望が書かれた、夢の詰まったノートだった。
僕にはイタズラ心が芽生える。
僕のペンケース。四色ボールペンの中から赤色を選んでノートに記入をする。
真理亜の言葉に返事をする。返信を送る。
真理亜は、僕の筆跡を知っているから、利き腕とは違う左腕で文字を書く。
この技術は、アノ組織で拾得をした。
アノ組織。
恐れてはいたが、何とも無かった。今は様々な格闘技を教えられた。体を動かすことが好きな僕には、苦にはならなかった。
今度は銃の撃ち方を教えてくれるそうだ。楽しみだった。
翌日。
登校した真理亜が、嬉しそうに、本当に嬉しそうに、ノートを広げて読みふけっていた。
僕に笑顔を向けて来た。始めて見せる屈託のない笑顔。
「どうしたの?」
僕が尋ねると、
「返事が来た! 神様の言葉!」
無邪気に喜ぶ姿は、子供のようだった。真理亜を失望させてはならない。そして、真理亜の望むことは叶えなければならない。
ノートの中の真理亜の望み。
それを実行していく僕。
真理亜は神の存在を確信する。
小さな事から大きな事まで。
通学途上、真理亜に吠え付いた犬を始末する。
真理亜に言い寄った男子を、遠ざける。
彼女が排除を望む巨悪の存在。
僕にはまだ対抗しうる力が無かった。
早く強くならねば!
心に誓う。
明日19時に、続きを更新します。




