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事件報告書File.01「考察死体」-2/2


 ――そして三日前。

 ゴールデンウィークが終わった五月初旬。


 登校したオレに、珍しく西原真理亜の方から話しかけて来た。

「渡辺君さ、アノ女の事が好きなの?」

 隣の席にまで体を乗り出して聞いてくる。顔が間近に迫っている。彼女の息遣いを感じた。オレは慌てて体を引く。

「あ、アノ女……って、お姉さんのことだよね。幾ら妹さんでも、その呼び方はあんまりだと思うんだ」

 彼女たち姉妹の関係性は知らない。多分、仲は悪いのだろう。でも、赤の他人のオレに対しても、その呼び方を変えないのは不遜すぎると思ったのだ。


「昴君は、お姉ちゃんの事が好きなのリュン♪」

 オレをバカにしたような態度で『リュン♪』と語尾に付けていた。四月から始まった深夜アニメの登場キャラ。その口調を真似しているのだそうだ。ネットでは大人気だと……アニメとかに興味の無いオレにはちんぷんかんぷんだった。これは、後に知った話。

 それに昴と呼ぶな! 馴れ馴れしすぎる。はなはだ距離感の掴めない女性だった。

 ただ、そう言った時の彼女と目が合った気がした。分厚いレンズ……いや、今日は彼女の目がハッキリと見えた。二重のまぶたの睫毛が長かった。つぶらな瞳だった。銀縁の眼鏡であるのは変わりないが、印象は一変した。


「め、眼鏡を変えたんだ……」

 この言葉がいけなかった。

「そうなのよ! 私、コンタクトレンズに変えたの! でも恥ずかしいから……」

 真理亜は眼鏡の縁に右の人差し指を当てる。そしてフレーム内部に指を突っ込んでコチラに向けて動かした。レンズは無かった、伊達眼鏡なのだ。

 連休中にイメージチェンジを図ったのか。

「気が付いてくれたのは昴君が始めてなの……嬉しい!」

 オレの右手を両手で強く握ってきた。飛び切りの笑顔だった。可愛いと思った……けど……。

 朝早い時間なので、登校した生徒はまだ少なかった。しかし、皆がオレ達に注目している。慌てて自分の右手を引っ込めていた。


「す、昴と呼ぶのはやめてくれないかな。そんなに親しくはないし……」

 オレは顔が赤くなっていただろう。熱さを感じていた。年頃の女性と親密になった事は無かった。

 真理亜は極端過ぎると思う。オレの握手を一度は拒絶したクセに、今度はコッチの懐深く踏み込んで来た。

 アレ……この手法は?

 そうだ。アノ本に書かれていた。『営業力』の一つ……「人との距離感は難しいのですが、多くの人はいきなり親愛の関係になっても、あまり不快には感じないのです」その文面を思い出す。そうか、そう云う方法もあるのか。


「ね、昴君はガールフレンドとかいないの? 君は、こんなにも素敵なのに!」

 再び顔を近づけて来た。

「い、いないよ……」

 オレはぶっきらぼうに言う。いやさ、君のお姉さんに片思い中なのだよ。

「じゃあ、私と付き合わない? お姉ちゃんも紹介してあげるよ」

 悪魔の囁きだ。確かにメリットはある。妹と仲良くなり、あわよくば姉とも……。だが思う……何故、オレと仲良くなろうとするんだ? 急すぎる。不審にも思っていた。


「何が狙いなんだ?」

 オレは小声で言った。

「好きな人を知りたいと思う気持ちは自然でしょう? だからお付き合いしたいのよ」

 彼女は顔を赤らめていた。恥ずかしげに目を伏せる仕草が愛おしいと思ってしまった。

「好き? 俺の事を? 何で?」

 彼女に質問する。答えが知りたかった。

「だって……私の運命の人だから……」

 オレの目を真っ直ぐに見据えていた。目をそらせなかった。綺麗な瞳にオレの心が見透かされている。運命の人? 益々分からなくなった。


「おい! 朝のホームルームを始めるぞ!」

 担任教師が入ってきて、見つめ合う二人の邪魔をする。丸めたプリント用紙でオレの頭を軽く叩いてきた。

 既にクラスの全員が揃っていた。皆は一様に二人に注目していた。



「渡辺君……西原さんと何かあったの?」

 クラスメイトの梨田樹里が休み時間に聞いてきた。二時限目と三時限目の間の休み時間は、他の休み時間より五分長い。

 この時間には、決まって西原真理亜は教室の外に出て行ってしまう。彼女の不在を狙って樹里が話しかけてきたのだ。

 そういえば、授業中に樹里の視線を感じていた。まさか……オレに気があるのかな?


「いや、別に……」

 オレはそれだけを樹里に伝える。

「彼女に深入りするのは、ホントにやめた方がイイわよ。中学時代に西原さんと付き合っていた男子が酷い目に遭わされたの……」

 声が小さくなる。樹里はオレの耳元に手を当てて囁いてきた。

「……警察沙汰にまでなったのよ……」

 ――その時。


「何をしてるの! この泥棒猫!」

 オレの背後から声がした。教室中に響く大声だった。

「ど、泥棒って……」

 目の前の樹里が、オレの背後に立つ人物を驚愕の表情で見つめる。

「そこから、どきなさいよ!」

 椅子に座るオレの頭の上に手が伸びていた。樹里の胸元を掴んでいた。クリーム色のカーディガンが伸びている。

「ま、待ってくれ西原さん! 梨田さんは関係ないんだ」

 オレは立ち上がり振り返る。二人の間に割って入って、真理亜を押さえつけた。

 すると、真理亜はオレを強く抱きしめてきたのだった。

「昴君は誰にも渡さないんだから!」

 それだけを大声で叫ぶと、満足したのか自分の席に戻り座ってしまった。

「あ……」

 梨田樹里は何も言えないでいた。彼女も自分の席に戻る。クラス中の視線がオレに向く。痛かった。


 ――昼休み。


 オレは学食に向かう為に教室を出る。この学校にはかなり充実した学生食堂がある。値段も安くて味もまあまあだ。今日は何を食べようか、日替わりのランチがパッとしなければきつねうどんでいいや。

「ねっ! 昴君、学食に行くの? 私も一緒でいい?」

 廊下に出たオレの背中を、勢いよく叩いてきたのは真理亜だった。

「う、うん」

 オレは大人しく従うことにした。反抗の気力も無かったのが真実だ。教室から出る時に、梨田樹里が哀れみの表情でオレを見ていたのが気になっていた。



 豪華な中庭が見える窓際の席。二人が対面で座るこのシートは、生徒達から「カップル様席」と呼ばれている。だからなのか、全部で三組が座れるが今は誰も腰掛けていなかった。学食はこんなにも賑わっているのに……。

「昴君、あそこに座ろう」

 食堂は初めてだという真理亜は、スタスタと歩きその席に座ってしまう。彼女はいつも弁当持参だった。テーブルの上に可愛らしいランチボックスが載っている。

「いや……あの……」

 オレは、トレイに乗せたきつねうどんを持ったまま逡巡していた。


 その時。


「真理亜、渡辺君が困っているでしょう」

 助け船を出してくれたのは、西原麻由美だった。真理亜の姉、美人の生徒会長……オレの片思いの相手。学食で食事中だったのだ、立ち上がり歩きながらそう言った。

 彼女は妹の前に立つ。堂々としていた――それよりもオレの名前を覚えてくれていた方が感激だった。「ほんの少しの記憶力を働かせる事で、人心を深く掌握できるのです! 営業力となるのです!」本の文言を思い出していた。


「なに? 邪魔しないで!」

 ずっと明るかった真理亜の顔が急に不機嫌になる。四月の頃の彼女に戻っていた。

「急に色気付いたと思ったら、彼が原因だったのね……」

 麻由美は振り返りオレを見た。

 姉の言葉に真理亜は顔を赤くする。耳まで赤くなった。激高する! そう思った。姉との激しいやり取りが――口喧嘩が始まると思っていた。

「いいでしょ……」

 口を尖らせて小声で言った。意外な反応だった。少し慌てながら弁当箱を包んでいるハンカチを解こうとしている。手が震えているのも、可愛いと思ってしまった。


「渡辺君、アッチでアタシ達と食べる?」

 麻由美が指さしたテーブルには生徒会のメンバーが並んでいる。書記の三年生の女子がオレに向けて手を振っている。副会長の三年男子は冷たい目をオレに向けていた。

 せっかくの申し出だが……居心地は悪そうだ。

「すみません……西原会長。彼女と約束をしたので……」

 オレは真理亜を指さす。

「そう……。困ったことがあったら、相談してね」

 そう言った麻由美はゆっくりと自分の座っていた席に戻って行った。


 オレは、真理亜の目前の席に座った。

「明日は、昴君のためにお弁当を作ってきてあげるね♪」

 明るい笑顔になっていた。良く通る大きな声だった。学食中から注目されていた。

「う、うん」

 そう言ってから、オレはうどんをすする。すっかり伸びきっていた。



 ――二日前。


 アノ西原真理亜と付き合っている男がいるって! 渡辺昴とか云う物好きらしいぞ! 

 噂はあっという間に広まった。二年生だけでなく学校中に拡がっていた。教師達も授業中に物珍しそうにオレの顔を見物していた。見世物じゃないんだぞ!

 付き合ってなど断じてない! 皆の前で大声を張り上げたい気持ちだった。


 中学の時の真理亜の悪行が次々と耳に入ってきた。姉の麻由美に告白しようと考えた中学二年生男子。ラブレターが間違って真理亜の手に渡ってしまった。その奪還中にハプニング的に妹の方と付き合い出したそうだ。

 何だ、今のオレと同じ状況じゃないか! アハハハハ……ハァ……。


 嫉妬深い真理亜は、付き合った男に近づく女性達に悉く牙を剥く。ある日、彼の妹をガールフレンドと勘違いして、一年生女子の制服をハサミでビリビリに切り裂いてしまった。教師に相談しても取り合って貰えなかった兄妹の両親が、度重なる暴虐に業を煮やして警察に駆け込んでしまった。

 器物破損で補導された真理亜。この時は厳重注意で済んだが、彼女には誰も近づかなくなったのだ。

 梨田樹里がオレにメールして知らせてくれた。ただ、もう真理亜には関わり合いたくは無いそうだ。オレとは話もしないとメールの文面にあったぜ。残念……。


「あーん♪」

 学生食堂のカップルシートは、オレと真理亜……二人だけの空間だった。独占をしていた。恥ずかしげも無く、弁当のおかずのミートボールを小さなフォークに刺してオレの口元に差し出して来る。

「は、恥ずかしいだろ」

 オレは、真理亜の作ってくれた弁当のタコさんウィンナーを自分で口に放り込む。可愛らしい弁当箱で、付属のプラスチック製の箸は妙に短くて使い難かった。

「もう……照れ屋さん……今度は、昴君の家にお料理を作りに行ってあげるね♪」

 確かに彼女の作る料理は美味しかった。ただし、それで自宅に上げさせるのかは別だ。多分、なし崩し的に彼女の思うままにされてしまう。オートロック付きのマンションである事実には感謝する。

 さて、この問題を――オレはどう解決する? 好きでもない女に付きまとわれている。時間が長引けば長引くほど、既成事実として周囲に認定されてしまう。

 クラスの誰も俺の味方をしてくれないのだ。


 コチラを見ている生徒会長の麻由美と目が合った。オレの事を終始心配してくれている印象だ。

 オレは無言で立ち上がった。


「どうしたの? 昴……」

 遂に呼び捨てにしていた。オレは無視して生徒会のメンバーが並ぶテーブルに向かった。

「何だい、キミは?」

 副会長の“長谷川はせがわ 幸介こうすけ”が、黒縁の眼鏡を上げてオレをいぶかしげに眺める。

「あ、あの西原会長!」

 オレは彼女の前に立つ。

「どうしたの渡辺君、アタシに用事なの?」

 少し小首を傾げる。彼女の何気ない動作だったが、オレの心を射貫いていた。可愛い!

「オ……いや、ボクは西原麻由美さんの事が好きです! 大好きです! 妹さんとは仲良くさせて貰っていますが、付き合っているつもりは決してありません!」

 生徒会長の前で言い切った。目の前の彼女だけではない、生徒会の連中と学食に居合わせた生徒達……そして何よりも、背後で座っている真理亜に向けて発した言葉だった。

 真理亜がどんな顔をしたのかは知らない。いや、見ることは出来なかった。

「そうなの……」

 麻由美は驚いた顔をする。そして、オレの後ろの席を一瞥した。妹の表情を確認したのだろう。会長は笑顔に変わった。

「あの! 西原麻由美さん! ボクと付き合って下さい!」

 オレは深く頭を下げて右手を差し出した。

「ところでさ、君と付き合うとアタシにはどんな利益がもたらされるのかしら?」

 目を瞑っていたオレは片目を開けて、麻由美を見る。両手を胸の前で組んでいた。オレを値踏みしている。絶賛審議中だ。

「麻由美さんを楽しませる事が出来ます! 今は一人暮らしだから、ボクの家を自由に使って貰って構いません!」

 差し出した右手を更に長く伸ばす。


「キミ! 会長に対して失礼だろう!」

 副会長が立ち上がる。興奮していた。多分、会長のことが好きなのだ。


「いいのよ長谷川君。それより……」

 学生食堂が大きくざわついた。オレの右手に暖かくて柔らかい感触が……。

 オレは両目を見開く。彼女の小さな右手がオレの手のひらを握っていた。

「じゃあ!」

 オレは格別の笑顔であったに違いない。


「ヨロシクね。渡辺君」

 彼女も笑顔で答えていた。

「か、会長!」

 副会長は会長の裁定に不満であったが、これ以上は彼女の決定に口を挟めないでいた。

「何だか面白そうだしね」

 オレに向けてウインクして来る。

 そうだ! 妹の真理亜はどうした? 周囲を見渡す。既にいなくなっていた。



 ――そして、最初に戻る。


 生徒会長の西原麻由美の「絞殺死体」をもう一度見る。制服のネクタイを使い、首を絞めての窒息死だ。そして、下半身の下着が脱がされていた。生前にせよ死後にせよ陵辱を受けたのかは分からない。まさか確認するわけにはいかないだろう。

 これだけを見れば、犯人は男だと誰しもが思う。


 時間だけが無為に過ぎていく。死体発見から通報までの時間が掛かりすぎるのはマズイ! やはり警察に電話をするのだ。何しろオレはやっていない! そもそも動機がない。

 動機のある人間……一人だけいた! 西原真理亜だ!


 ――午後四時二十六分。


「ピンポーン」

 自宅玄関の呼び鈴が鳴った。一回だけだった。二回鳴った場合は、オートロックの外からの連絡だ。つまり、訪問者は玄関直ぐ近くに居る!

「!」

 オレは気が付く。玄関の鍵は開けっ放しだった。今から戻って閉めるか? いや、このままやり過ごそう。宅配便の業者かも知れない。彼らは他のフロアの住人にマンション内部に入れて貰うことが可能だ。

「ピンポーン」

 もう一度呼び鈴が鳴る。オレは息を殺す。気配を消してやり過ごそう……。

「ガチャ」

 玄関の開かれる音だった。靴を脱ぐ音に続いて、廊下を歩く足音。真っ直ぐにコチラに向かってきている。

 マズイ! ベッドの上の死体を隠さねば! しかし、麻由美を隠す為の掛け布団は彼女の体の下にあった。

「ガチャリ」

 部屋のドアが勢いよく開いた。


「昴君! いたんだ!」

 制服姿の西原真理亜だった。オレは手に持っていた自己啓発本『人生に必要なのは問題解決能力と営業力!』を床に落としていた。

 足元を見る。ページが捲れていた。巻末の著者作品一覧が見えていた。

 “近原光二”の作品群の中に――『シリアルキラーの作り方』――その文字が見えた。


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