事件報告書File.07「怪楽殺人」-1/2
事件報告書File.07「怪楽殺人」
◆◇◆
夏休みの思い出
一年C組 近藤 浩二
中学一年の夏休みに、僕は旅に出た。初めての一人旅だった。お父さんに買ってもらったピカピカのサイクリング用の自転車。六段変速のギヤをトップに入れて川越街道を埼玉方面に向けて走る。走れるところまで走る。そのつもりだった。
背中のリュックサックには、お母さんの作ってくれたお弁当と冷たい麦茶の入った水筒がある。そして、おばあちゃんから貰ったお小遣いで、ア○横で買った「アーミーナイフ」も入っている。無敵の武器を手に入れて、僕は上機嫌だった。
国道254号は大型のトラックがひっきりなしに走っている。自転車の僕は邪魔なのか、何度もクラクションを鳴らされる。黒い煙をまき散らして、僕を追い越していく無数のトラック。死ねばいいのに。みんな、死ねばいいのに。
途中、雨に降られた。雨がっぱを持ってくるのを忘れていた。本当は悔やまれる事だけど、僕は神様に感謝した。
駄菓子屋の軒先を借りて雨宿りをする。その時、一人の小学生の女の子に出会った。名前は鈴木 梨花ちゃん。彼女はプールの帰り、雨に降られてこの店に寄ったのだそうだ。
小学五年生の梨花ちゃんは、目がクリクリしてとっても可愛い女の子だった。話すと、受け答えも丁寧で、とっても頭の良い子だと思った。
あいにくと、駄菓子屋のお店は閉まっていた。二人でしばらく話す。取りとめのない会話。梨花ちゃんの学校の話、僕の学校の話。僕がにこやかに微笑むと、顔を赤くして照れていた彼女。
僕の心の中で、何かがわき上がる。彼女を、梨花ちゃんを、どうにかしてしまいたい……。突如わき上がるこの気持ち。
雨がやんだ。
川の向こうへ行こう! 僕が誘うと梨花ちゃんは断らなかった。自転車を押して長い橋の歩道を歩く僕。その後ろをゆっくりとついてくる彼女。
僕は彼女を好きになる。彼女も僕のことを好きになったのかも知れない。
橋の下、僕はナイフで彼女を脅して服を脱がさせる。全てを脱がさせる。日焼けした肌の水着の白い跡が、とっても印象的だった。今でも、思い出に残っている。
僕は奪った服を全部リュックサックにしまい込む。彼女はひどく驚いていた。そんな、裸の彼女のお腹にナイフを突き立てる。何度も突き立てる。最後には動かなくなった彼女。
ナイフも僕の体も彼女の身体も血で汚れてしまったので、川の水で洗う。
丁寧に洗う。川の水は思ったよりも綺麗で良かったと思う。泥水だったら、ナイフも僕の体も彼女の身体も汚れて可哀相だから。
お腹が空いたので、お母さんが作ってくれたお弁当を食べる。梨花ちゃんの裸を眺めながら、麦茶を飲み干す。氷を入れておいたのに、ぬるくなっていた。
つまらなくなったので、僕は家に帰る。梨花ちゃんは、誰かが見つけて捨てておいてくれるだろう。
自転車にまたがったときに、パンツが気持ち悪かった。ヌルヌルした何かが、パンツの中にあった。僕は急いで川に引き返して、パンツを洗った。
それが、夏休みの思い出。
来年は、どこに行こうか?
今から、楽しみだ。
◆◇◆
――午後一時三十分。
横浜市港北区 私立大倉山学園 視聴覚教室。
すっかり、人と物が増えてしまったな――須川渉巡査部長は、教室の最後尾から全体を見渡し思っていた。隅で小さくなっている。
「ご苦労様です」
教室入り口に立つ制服警官が二名、入ってきた人物に敬礼する。警視庁捜査一課・第九強行犯捜査・殺人犯捜査第13係・係長の古田 宗治警部が入ってきた。
「ご、ご苦労様です!」
制服警官達が一層緊張する。敬礼の動作も大げさだった。古田係長に続くのは“水谷 隆”警視正だ。警視庁刑事部捜査一課の課長で古田の上司も上司である。
須川も滅多に顔を合わす機会など無い。現場への激励などでは決して無いのが判る。叱咤だけが待っている。そんな予感がしていた。
「三井寺君、状況はどうかね」
水谷は、ジロリと警察庁特別広域捜査班・第一班班長・有村陽子警部補を見てから、部下の警視庁刑事部捜査一課・第一特殊犯捜査・特殊犯捜査第1係・管理官の“園城寺 司”警視に声を掛ける。
園城寺警視が「三井寺」と呼ばれているのは、兄の“園城寺 鏡”警視長の存在がある。警視庁刑事部の部長と弟を区別するために、彼らの郷里の寺の名前で呼ばれている。
園城寺警視が管理官を務める、警視庁刑事部捜査一課・第一特殊犯捜査・特殊犯捜査第1係は「誘拐事件」を専門とする部署だ。
「送られてきた指の指紋は、西原真理亜の右手小指と一致しました。生活反応が認められたので、被害者が生きている間に切断されたと考えられます」
須川は思わず、自分の右手小指を押さえていた。
「彼女は、一連の殺人事件の重要参考人なのだろう。偽装誘拐の線もある」
水谷課長はそう言って園城寺管理官の肩を叩いた。
「西原真理亜は右利きです。いくら偽装とは言え、利き腕の指を切り落とすでしょうか?」
教卓椅子に座っていた有村は立ち上がり、猛烈に抗議をする。
「脅迫状の分析はどうなっている? それと、犯人からの直接連絡はあったのか?」
有村の言葉を無視して、水谷は続けていた。
「脅迫状は、宅配便として『西原トラベル』社長室に届けられていました。そして、未だに犯人からの身代金の受け渡しに関しての連絡はありません。人質の安否も確認されていません」
古田警部が答えていた。彼自身が本社社長室に出向いていたのだ。
「西原真理亜と渡辺昴の足取りは、昨日の夜八時以降から途絶えています。その直後に拉致されたと考えても、本日の早朝に『西原トラベル』社長室に指が届けられているのはおかしいと思います。早すぎます!」
有村は自分の考えを主張する。今日の午前九時には、この場所で誘拐の報を聞いた。
タイミングと手際が良すぎるのだ。
「古田さん! 詳しい状況を説明願います。脅迫状と指は同時に届いたのですか?」
有村警部補は、古田に向き直り食い下がる。
「社長室で、秘書の藤島氏が脅迫状を確認したのが、出社後直ぐの朝八時だった。メール便だそうだ。配達されたのは今日の朝七時。差出人名は『西原真理亜』……。で、連絡があって、我々が駆け付けたのが八時三十分。その時に、他の郵便物に混じっていたのが小さな箱だった。同じく差出人名が『西原真理亜』だったので、急いで開けて指を発見した」
古田は有村に圧倒されたのか、一気に捲し立てる。必死にメモを取る須川。
「古田さんの他に、同行した捜査員は?」
有村がやや興奮して尋ねる。
「神奈川県警本部の西宮 和也巡査部長が同行していた。彼が、指の入った箱を見つけ出したのだ」
西宮が? 不思議そうな顔を古田に向ける有村巡査部長だった。
「オイオイ、彼を派遣したのは君だろう」
古田は有村の顔を見る。
「私は、そんな命令など出していません!」
有村の顔が驚いていた。
「そうです! 有村班長は、今朝の時点で西宮巡査部長に、この場所に出頭するように電話をしています。時間は午前八時五十分」
須川はメモに記入した上司の有村の行動を古田に聞かせた。それを聞き、水谷と園城寺は顔色を変える。
「その捜査員は、確かに西宮和也と――言うのだな」
園城寺が須川と古田の二人に確認をする。
「確かにその時間に、西宮は携帯電話に対応していた。だが、その後も社長室に留まったままだぞ。今も居る筈だ」
古田が指摘する。
「西宮か……」
警視庁刑事部捜査一課長の水谷警視正がつぶやいた。それを聞き逃さない有村だった。
「神奈川県警本部・生活安全部・生活保安課・主任の西宮和也巡査部長をご存じなのですか? 父の話だと、水谷課長はずっと東京本店勤務で、埼玉県警から途中移動して神奈川県警察本部所属になった彼のことを、どうしてご存じなのですか?」
「うむ……」
水谷は押し黙る。東京本店とは、千代田区の桜田門前にある東京警視庁の事だ。警視庁幹部の水谷が、地方の一捜査員に過ぎない彼の事を知りうるのはおかしい――須川は感じていた。
「私の権限は、今は各都道府県の警察本部長より上位にあります。お話願えますか? 人質の少女と友人が危ないのです。既にこの事件で五人が亡くなっています。もうすぐ、連続幼女殺害事件の被害者の数を超えます! お願いします。水谷課長!」
有村は深く頭を下げた。長い髪の毛が顔に掛かっている。
「三井寺君。お願いするよ……私は今から警察庁に出向くことになっているのでね、ここらで失礼する。君の父上から叱責を受けると思うがね」
水谷捜査一課長は、有村に顔を向いて視聴覚教室を出る。
「園城寺管理官!」
今度は彼に頭を下げる有村だった。
「私は、刑事部の特命捜査対策室・特命捜査第5係も兼任していてね。有村君なら知っているだろう」
「はい! 未解決事件の継続捜査の特命係です」
体を傾けたまま、顔だけ上げる有村だった。須川も存在だけは知っている。
「君は、二十年前に起こった幼女誘拐殺害事件を知っているかい?」
意外な事件名が上り、須川は驚いて園城寺の顔を見た。自分も有村もまだ、小さな子供だった時分の事件だ。だが、有名すぎる事件だ。当時は日本中を震撼させ、センセーショナルを巻き起こしたと聞く一件。
「はい、よく知っています。埼玉県の地方都市で幼い女の子が誘拐された事件です。当初は行方不明事件でした。そして、東京都の奥多摩で一人の男が別の幼女へのわいせつと誘拐未遂で逮捕されました。東京都区内の男の自宅を捜索したときに、埼玉で行方不明になった幼女の遺体の一部が発見されたのです」
須川も、その辺の事情はよく知っている。異常すぎる事件なのだ。
「男の犠牲になったのは、その子だけではありませんでした。男の自宅の庭、そして冷蔵庫の中から、捜索願が出されていた他の二名の女の子の遺体の一部が見つかりました。そして、もっと驚くべき事実は、男の部屋から発見され押収されたビデオテープにあります」
ここからは、須川もよくは知らない話だった。
「ビデオの中には誘拐された幼女達が映っており、その子達の生前・死後の両方に陵辱をされた場面が撮影されていたのです。口にするのもおぞましい程の行為だったと、父と兄から聞かされました。そして、遺体を損壊し遺棄した場面と……」
これ以上は、喋れない有村だった。遺体の一部が冷蔵庫から発見されたと聞いた。想像するだけで身の毛もよだつ――須川は感じていた。
「快楽殺人」「サイコパス」「シリアルキラー」マスコミの大きな見出しが新聞・テレビで躍っていたと聞いた。そんな人物が日本国内に存在したのだ。
「その時に、ビデオテープの確認作業に駆り出された捜査員の中に、当時、埼玉県警に所属していた新人警察官の西宮和也巡査が居たのだよ。彼はその後に、精神に変調を来して一年間休職をしている」
園城寺は、そう言って椅子を回し後ろを向く。
「彼がその後、どのように関わってくるのですか?」
有村は園城寺管理官の背中に語りかける。
「これは、トップシークレットの項目だよ。心して聞きなさい。古田君も須川君もだ。他言無用でお願いしたい」
「はい!」
大きな声で答えた須川は、静かな場にそぐわなかったと顔を赤くする。
「九年前に横浜市港北区で起こった『一家四人殺害事件』その現場から、犯人と思われる人物の精液が見つかっている」
「精液が? どこから? そんな情報はどこにも……」
有村が食い下がる。
「だから、トップシークレットなのだよ。見つかったのは被害者の長女の体の中からだ……」
園城寺の肩が少し上がる。彼自身も怒りの感情を隠していないのだ。
「長女の名前は横田真理亜。その子は当時九歳。その時に犯人に強姦されている」
管理官の肩が震えている。彼の娘は、今は十八歳だと聞いた。真理亜の境遇を自分の娘に置き換えると、決して許せないのだ。
「それは、初耳です……」
有村警部補も顔を赤くしていた。怒りの感情に支配されている。
「そして、六年前の横浜市の海浜公園の事件。遺体の発見されたトイレの個室内に落ちていた避妊具……その中から発見された精液のDNA情報……」
管理官はそう言って深くため息を吐く。
「それは、知っています。そのDNA情報が、当時捜査に当たっていた捜査員と一致したのですよね」
それこそ一大事だ! ――須川は思う。その事件は「連続幼女殺害事件」の中の一つだ。
「そうだ……。その捜査員の名前が西宮和也なのだよ……」
園城寺は絞り出すように、苦しげに語っていた。
「え……」
有村は絶句する。
「西宮巡査部長は、不可思議な供述をしたのだよ。事件が起こったと推定される時間に、彼のアリバイは無かった。そこを当時の上司が追求する。そしたら、捜査中に自分の使用済みのコンドームを落としてしまったと言い始めたのだ。何とも不思議な話だろう。確かに西宮巡査部長は捜査にあたっていた。だが、どうして使用済みの避妊具を持ち歩く? そして、そのDNA情報が問題だった。先ほどの『一家四人殺害事件』の長女から見つかった精液のDNA情報と、一致をしたのだよ」
「え!」
今度は須川が声を出す。古田警部も彼の顔を見た。
「じゃあ、一連の事件は解決じゃあないですか!」
須川巡査部長は続ける。
その時、園城寺警視長は振り返った。
「ここで、警察庁上層部から圧力が掛かる。横やりが入る。西宮巡査部長は、見事栄転して神奈川県警本部の所属となる」
園城寺は有村の顔を見た。
「君の父上が命令した。いや、もっと上からの政治的な指示だった」
管理官の言葉は、政治家の関与を臭わせる意味合いだった。有村の父親も所詮は官僚に過ぎない。現役捜査官が一連の事件の真犯人だった。それは、隠したい大スキャンダルなのだろう。
「だが、西宮を逮捕できなかったのは、それだけが理由ではない。彼には『連続幼女殺害事件』の最初の三件が発生した時の、明確なアリバイが立証されている。幼女が行方不明になり遺体が発見された期間、西宮は警察官として勤務中だった。同僚にも多く目撃されている」
「逆に、それ以降の事件ではアリバイが無いのですよね?」
有村が園城寺に尋ねる。
――その時だった。
「おう! また殺しだ!」
教室のドアが激しく開く。渡辺昴の自宅に出向いていた戸部警部が、帰ってきての第一声だった。低く大きな声が、お腹に響く。昼食も取れず、空腹を感じていた須川はお腹を押さえていた。
明日19時に、続きを更新します。