事件報告書File.05「広域操作」-2/2
◆◇◆
「カードが使えない!」
コンビニエンスストア設置のATM前で、西原真理亜が小声で叫んでいた。彼女名義の銀行のキャッシュカードが使用不可として吐き出されてきた。
「コッチのカードは?」
オレは、財布から取り出した自分名義のキャッシュカードを見せる。
「やめましょう。コレで居場所がばれたと、考えるべきね」
彼女は、後ろを振り返り言った。昼過ぎのコンビニは客足も途絶えている。男女の二人組の店員が、オレ達に注目しているのだ。
結局、コンビニではおにぎりを二つ買って外に出た。現金も無く、それしか買えなかった。オレのリュックには飲みかけのミネラルウォーターがあるから、それでノドを潤そう。
「警察の仕業だわ! 兵糧攻めね。いたいけな高校生を干上がらせて、どうするつもりかしら!」
憤懣やるかたない――そう云った表情の真理亜だった。
「逃走資金を絶つ目的だろ。オレの家が近いから、そこに行こう。手付かずの現金が多少はある」
見慣れた大きな道路に出ていた。オレの自宅は歩いて十五分も掛からないだろう。
「うーん」
アゴに手を当てて思案する彼女。
「何もかも手際が良すぎるわ。全てに対して先手が打たれている。昴と一緒に学校から逃げ出したのだって、目撃をされているし……昴の家も警察の監視下にあるはず」
真理亜は、くるりと回れ右をする。
「え? どうするの?」
「戻りましょう! 学校へ!」
意外な言葉だった。
「学校? それこそ警察が待ち構えている!」
「夜中に忍び込むの……忘れ物もあるし……」
忘れ物? ハテ?
同じ道を逆に辿って、また神社に出た。
途中、余所の家猫で遊んでいた真理亜だった。時々、本当に子供っぽくなる。
鳥居の先、灯籠に書かれていた神社の名前をオレは確認する。
この神社は創建されてから、さほど経っていない印象だ。鳥居も灯籠も、まだ新しい。
「星神社……」
オレは呟く。
周囲を囲む生け垣には、小さな看板が掲げてあった。この神社の祭神の名前は「牽牛星」と「織女星」とある。「けんぎゅう」と「おりひめ」だ。七夕の神様なのか?
「アルタイルとベガね……そして君はスバル……プレアデス星団ね」
真理亜は遠い目をしていた。そして言葉を続ける。
「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか? オリオンの綱を解くことができるか?」
神々しい表情だった。威厳を湛えていて近づきにくい。しかし、どういう意味なのだ?
「星神は服従させるべき神、まつろわぬ神……。ああ! この場所だったんだ!」
突如、涙を流す真理亜。両目から頬に掛けて滝のように流れている。そして、走り出した。祠に向かう。
「どうしたの?」
真理亜は祠の木製の扉を勢いよく開ける。彼女の突然の行動にオレは驚いていた。
丁重に祀られているご神体は石碑だった。銘を見る。三人の人名があった。そして、六つの星が彫られていた。
「すばる! お姉ちゃんだよ!」
突如名前を呼ばれて、オレは彼女を見た。お姉ちゃん? 何だ? 石碑に向けて叫んでいた。
オレは真理亜の背中越しに、石碑を見つめる。右から「横田星彦」「沙織」「すばる」とあった。「すばる」の横に六つの星が刻印してある。
石碑の表面に日付があった。九年前だ。これは……彼女の怪我と関連があるのか?
「そう! この場所! この場所!」
真理亜は再び走り出し、神社の外に出た。周囲を見渡す。
「ああ! 思い出した! どうして今まで気がつかなかったのかしら!」
そう言った彼女は、神社隣の民家の入り口……古くからある家の木戸の前に立つ。掲げられた表札を下から見上げていた。
「九年前は、この辺りは畑ぐらいしかなかった……この家は、その地主さんなの……」
確かに、古い家だが構えは立派だった。オレは表札を見る「菅野」とあった。表札からして豪華だった。漆塗りの上に金箔で文字を押し出していた。
「菅野さん!」
木製の引き戸を開けて、石の土間で出来た大きな玄関に踏み入る真理亜だった。
「菅野のおばあちゃん!」
屋内に向けて大声で叫ぶ。
「はいはい……どちらさんですか?」
上品な老婦人が玄関まで出てきた。地味目だが、高そうな和服を着込んでいた。大島紬だと思う。
「絹子おばあちゃん! 変わらないわ……。私の事、覚えてます? 真理亜です。横田真理亜です!」
「横田……」
オレがつぶやいた時に、“菅野 絹子”の表情が変わる。驚愕していた。まるで、幽霊でも見るかのように……真理亜の顔を見つめていた。
「ま、真理亜ちゃん! あの、真理亜ちゃんなの?」
そう言って、後ずさる老婦人だった。
「そうです。隣に住んでいた、横田真理亜です」
にこやかに微笑みかける真理亜。婦人は遂にお尻を突いてしまう。腰が抜けたのだ。
「な、な、なんまんだぶ……南無阿弥陀仏……」
菅野絹子はうろたえて、真理亜に向けて手を合わせ、念仏を唱えていた。
「た、立ち去れ! あ、悪霊! 真理亜ちゃんは九年前に死んだ! 死んだんだ!!」
和服の袂に入れてあった数珠を真理亜に向けてかざす。
「ヤダな、絹子おばあちゃん。真理亜はこの通り生きてますよ。俊郎おじいちゃんは、家の奧ですか?」
玄関に上がり込み、腰の抜けた老婆を立たせてやる。
「ほ、本当に真理亜ちゃんなの? お顔は西原さんにそっくりね……」
抱きかかえられた絹子さんは、真理亜の頬に手を当てた。
「ね、ホラ、暖かいでしょ。生きてるよ。幽霊なんかじゃ無いよ!」
絹子さんの皺だらけの手を握る彼女は、励ますように叫んでいた。
「本当に真理亜ちゃんなんだね……」
老婦人は涙を浮かべていた。
「そうですよ。で、おじいちゃんは? 散歩?」
家の奥の方を見つめていた。
「連れ合いは、二年前にポックリと逝きましたよ……」
菅野絹子は肩を落として、真理亜の顔を見る。
「チーン」
仏壇の前。老人の遺影に手を合わせる真理亜だった。鈴の音が響いている。
オレも隣に座り、手を合わせる。横から二人を見守る老婦人と目が合い、軽く会釈をする。
「ま、真理亜ちゃん。隣の男の子は誰なの?」
「え? 何です? そんな子は居ませんよ」
真理亜はそう言って、周囲をキョロキョロと見渡す。
「え!」
オレは驚いて彼女の顔を見る。
「え!」
絹子おばあちゃんも叫んでいた。
「嘘ですよ。昴も、ゴメンネ」
老婦人に頭を下げ、オレの肩をポンポンと叩いた。
「す、すばる君なの?」
再び、驚愕の表情で俺を見る絹子さんだった。
「ヤダな、コッチの昴は違いますよ……でも、私の運命の人……」
そう言って顔を赤らめた。そういえば運命の人ってどういうことだったんだ? 聞けていない。
「そうか、あの真理亜ちゃんも、いい人が出来たのね。結婚式には、わたしも招待してね」
真理亜の手を取っていた。いや、結婚とか無いから!
「あの柿の木も懐かしいですね」
仏間の開け放たれた窓から、庭の細い木が見えた。柿の木なのか? 緑の葉の中に小さな白い花が見えた。
「真理亜ちゃんは柿の実を取ろうとして、おじいさんに叱られていたわね……」
懐かしげに思い出を語る。亡き夫の面影を浮かべているのだろうか。
「えへへ。弟のすばるを置いて逃げたから、そっちの方でおじいさんに酷く叱られました……」
頭を掻く真理亜。優しい顔をしていた。弟? これこそ姉の顔をしていた。
「真理亜……事情を説明してくれないか? 横田……さん? 弟……すばる?」
オレは痺れを切らして、そう言った。
「そうね……」
「グゥ……」
真理亜の声よりも、彼女のお腹の虫の方が主張が大きかった。
「お昼、まだだったの?」
絹子さんが尋ねて来た。
「ばあちゃんのお昼の残り物で良ければ出してあげるよ」
「ハイ! 是非!」
遠慮もなく真理亜が言った。確かに、懐も胃袋も寂しくなっていた。
◆◇◆
――午後二時三十分。
渡辺昴の自宅マンション、二○一号室。
「ピンポーン」
インターホンの呼び鈴が一回鳴った。リビングのソファーに座り、渡辺昴のノートパソコンをのぞいていた有村陽子警部補は、立ち上がりインターホンの受話器を取り対応する。
「ハイ」
「え! 誰か居るの!」
ドアの外の相手は大層驚いた声であった。中年男性の声だ。
「鍵は開いています。どうぞ、ご自由にお入り下さい」
躊躇せず、堂々と話す有村だった。
「僕が向かいます」
須川は立ち上がり、玄関へと向かった。
「違う駒が動いたか……」
有村はソファー前のテーブルに乗ったノートパソコンに向き直す。ゲームをやっていた。「マインスイーパ」は、24×30の大きなマスだ。地雷が五百個もあった。
「そちらこそ、誰なんですか!」
須川の大きな声が聞こえた。訪問者と言い争っている。
「何だと若造! コッチは神奈川県警本部の生活安全部の刑事だ! お前の所属と階級を言え!」
一喝されて首をすくめる須川だった。
「こっちは、け、警視庁……」
「警察庁特別広域捜査班・第一班所属の須川渉巡査部長です。私の部下が何か?」
須川が本当の所属を言い出しそうになったのを、有村が遮っていた。玄関の男と対峙する。
男の方も背が低くて、真っ直ぐにらみ合っている。
「ケッ! 特広警察の刑事さんかよ!」
男は吐き捨てるように言った。あまり関わりたくないと云う表情だった。悪意を込めて「特広警察」と呼んでいるのだ。戦前の秘密警察「特別高等警察」略して「特高」に掛けている。地方の警察組織からは、蛇蝎のごとく忌み嫌われている存在。特に県警の本部所属では致し方ない。
「私の所属は特別広域捜査班です。略称などはありません。第一班・班長の有村陽子警部補です。部下が失礼な態度を取ったならば、謝ります」
有村は丁重に頭を下げる。
「神奈川県警本部・生活安全部・生活保安課主任の“西宮 和也”巡査部長だ! 警部補さんが、こんな場所で何の用だい? 特別広域捜査班が出張って来てるのは、込み入った事件なんだよな!」
顔を近づけて西宮巡査部長が捲し立てる。唾が飛んでいるが有村警部補は怯まない。
「今は、秘匿事項です。西宮巡査部長が生活保安課所属と云うことは、風俗関係事犯や外国人労働者雇用関係事犯ですね。どういった用件で、この家に?」
須川を押さえつけて有村は続けた。須川自身も、自分が黙っているのが得策だと感じる。彼は西宮を有村の後ろから睨みつける。
「コチラも秘匿事項だ。言えないね!」
プイと横を向く。子供のようだと須川は思っていた。
「神奈川県警察本部長の“町田 大吾”警視監は、父の大学の後輩であり私の先輩でもあります」
キッパリと有村警部補は言い切った。
「あ、有村とか云ったな……。じゃあ、現・警察庁長官“有村 政義”氏の身内か何かなのか?」
西宮巡査部長は少し腰を引く。
「ええ、ですから父です」
須川が「有村」の名前に聞き覚えがあったのは、これだったのだ! 警察庁長官は、○大法学部出身のはずだ。娘の陽子もエリート中のエリートだ。畏れ多い存在だったのだ。
「うーん……」
神奈川県警本部の西宮巡査部長は、腕組みをして考える。相手が悪いと判断を下したのだろう、ゆっくりと喋り出す。権力には勝てないと、諦め気味な顔だった。
「俺たちが追っているのは、大規模な売春組織だ。その組織に、あの……バラバラにされた西原麻由美が関係している。もう知ってるぜ! あの子の両親も殺された。残る姉も、男と逃げている……売春組織の連中がやばいんだ。殺しなんて厭わない! 早く保護しないとな」
西宮は、馴れ馴れしくも有村の肩を抱いて話し出す。少し腹立たしいと感じていた須川だった。
「横浜市内では、外国人売春婦が殺されたり大怪我をしたり。もしくは行方不明になっている事件が多発してますね。アナタは、その線でこの家に行き当たった。私たちは別口でここまで辿り着きましたが、事件の見解は違います!」
肩に乗せられた手を振り払い、毅然とした口調で西宮巡査部長に話し出す。
「見解が違う?」
下卑た笑いを顔に貼り付かせた西宮が、不思議だと云う表情で有村に聞く。
「神奈川県警本部は、売春組織内でのいさかいが発展しての殺しだと考えているそうです。しかし私には、もっと大きな別の事件が関係していると思えるのです」
「何だい? そりゃ?」
西宮は呆れた声を出す。
大がかりな売春組織。それが関与している以上の事件があるのか? 須川は二人のやり取りを聞いて、一つの考えに思い当たる。
「連続幼女殺害事件……」
ボソリと須川が言った。西宮の顔色が変わる。一気に赤くなった。
「……あはは。何を言い出したかと思ったら……確かに、未解決の大物中の大物事件だが……誇大妄想にも程があるぜ!」
西宮は笑っていたが、無理した乾いた笑いだと須川は思った。
「どうして、そう思うんですか?」
不思議だと、そんな顔を西宮に向ける有村だった。
「いやな、俺は六年前の事件の捜査にあたっていた」
彼はボサボサの頭を掻きだした。
「六年前の時は、横浜市の海浜公園でしたね。砂浜にあった公衆トイレの男子個室で、全裸遺体で発見されたのですよね?」
右眉を少し上げて有村が尋ねる。
「そうだが、あの時の事件の犯人は違うと思うんだがな。別の変質者だよ」
「え? どうして?」
有村は西宮に顔を近づけた。
「いやな。年頃のお嬢さんの前では言いにくいが……」
西宮は、顔を離して頭を掻きだした。
「少女の遺体からは発見されていないのですが、個室内から犯人と思われる精液が見つかっています」
有村は須川に向けて顔色を変えずに言った。言葉を続ける。
「ところが、そのDNA情報が問題だったのです」
「え?」
須川は上司の顔を見る。続けて西宮を見た、コチラは大層憔悴した表情だった。
「これ以上は、最重要の秘匿事項です」
そう言ってノートパソコンのゲームを再開する。地雷を踏んでいた。一斉に爆発が連鎖する。
◆◇◆
――午後七時四十分。
横浜市港北区「菅野家」
「おばあちゃん。すっかり夕食までご馳走になって、すみませんでした」
西原真理亜は、菅野絹子に丁重に頭を下げていた。
オレと真理亜は、すっかり暗くなるまでこの家にお邪魔していたが、真理亜のプライベートな話は聞かされることは無かった。二人の女性は、意図的に避けていたように思われる。取り留めのない世間話を六時間以上聞かされる身にもなってみろ!
「いいのよ。久しぶりにお喋りができて楽しかったわ。また、来てくれるわよね」
名残惜しい。そんな感じで真理亜の手を握る絹子おばあちゃんだった。
「暖かい手ですね」
老婆の右手を両手で優しく握り、自分の胸の前に持ってきた。
「それじゃあ……」
オレは真理亜を即す意味で、そう言って玄関を出る。
「それじゃあ、おばあちゃん!」
真理亜は何度も振り返りながら、老婆に手を振っていた。目的地は夜の学校だ。忍び込んで何をするつもりなのだろうか? 忘れ物と言っていた。何だろうか?
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――午後七時五十分。
横浜市港北区「菅野家」
「あら、あなた。お久しぶりね。今日は色々と懐かしい顔が見られるのねぇ」
菅野絹子は、訪問者を自宅に招き入れる。笑顔だった。
「まあ、入って入って……」
訪問者は手袋を嵌めた後ろ手で、木製の引き戸を閉じた。
不定期更新です。