事件報告書File.01「考察死体」-1/2
事件報告書File.01「考察死体」
一つ! 人は、リスクを恐れていてはダメなのです。進んでリスクを取り、起こった問題を解決していきましょう。自分一人で解決に導けない場合には、上司・同僚・友人・家族の協力を仰ぐのです。こうして作られる人脈と対人交渉術が、将来のアナタの生活にも役立つのです。
これが『問題解決能力』なのです。問題を事前に回避しているばかりでは、仕事を始めとする人生のスキルは上昇しません!
二つ! 人は、自分の利点・長所を他者に広くアピールしなければなりません。その為にも営業する力を身につけましょう。企業の営業担当だけが必要な能力ではありません。恋愛にも応用できるのです。好きな人に自分と付き合えばどんな良いことが有るのかを『営業力』を持ってして訴えなければなりません。
『問題解決能力』と『営業力』は一見かけ離れているように思えます。しかし、表裏一体の存在なのです。自分の魅力を『営業力』を持って多数の人間に訴えた場合、問題が発生する場合があります。これらを自分の持つ『問題解決能力』で解消していくのです。
さあ! 皆さんも本著を読んで、短い人生を謳歌しましょう!
オレが拾った自己啓発本『人生に必要なのは問題解決能力と営業力!』その、最初のページに記されている文章だった。それをもう一度読み返す。
拾ったって云ったけど、ひと月前の四月初旬、新学期の早々に家のドアの前に立てかけて置いてあった。ただ、それだけ……。
誰が置いたのかは分からない。自宅はオートロック式のマンションだから、住人の仕業かも知れない。
著者名も聞いたことがない。定価千五百円のハードカバーの本。拾った時点で中身をパラパラと検分したが、古本では無いと判る。ページを捲るときに、紙で手を切りそうになった。新品の本のインクの匂いもした。
オレの身に突如降りかかった問題。その原因を遡ると、この本なのかも知れない。人間万事塞翁が馬……ホンの二日前は、オレの人生は絶頂期だったのだ。
風薫る、五月の初旬。
一日目。
――午後四時十九分。
ベッドに横たわる彼女を見つめる。彼女の名前は“西原 麻由美”。麻由美は神奈川県内の私立高校の三年生。そこの学校の生徒会長をしている。
成績優秀、眉目秀麗、彼女を褒め称える言葉は、彼女を知る誰からも発せられるだろう。
スタイルの良い体を見つめる。胸も大きかった。
実家も大金持ちで、父親は娘の通う学校のPTA会長を務めている。母親も事業を行っていて、夫婦揃って別々の会社の社長までしているのだ。夫婦共に某国立大学を卒業していると聞いた。オレなんかとは育ちから頭の中身までまるっきり違うのだ。
麻由美の服装を確認する。高校の制服姿だった。ウチの高校は……あ、遅くなってしまったな。ここらで自己紹介をしておこう。
オレの名前は“渡辺 昴”。麻由美と同じ高校の二年生。彼女の一つ年下です。
そうそう話を戻す。ウチの高校は女子生徒の制服が可愛いと評判だった。胸に学校のエンブレムをあしらった茶色いブレザーと、青を基調としたチェックのスカート。白いシャツの首もとには赤いネクタイをしている。三年生が赤で、二年は青、一年は緑と色分けされている。
その他にも赤いリボンがあったり、チェックのスカートに赤バージョンがあったり、クリーム色のニットのセーターやカーディガンに、同色のベストには夏に着る仕様まである。
組み合わせだけでも多種多様有る女生徒用の制服なのに、男子の方は紺のブレザーにグレーのズボン。ネクタイの色は青のチェックで、女子のスカートの柄と一緒。端布なのかな?
話が逸れてしまった。麻由美……本来なら「さん」付けで呼ばなきゃいけない存在なのだけど、そんな彼女がオレの部屋のベッドの上にいる。高校生の男子ならば興奮モノのシチュエーションなのだが……。
今は、彼女だった‘物’がベッドの上に置かれている。
三十分前。
――午後三時四十九分。
「あ、開いてる?」
学校から帰宅したオレは、玄関ドアが少し開いていたので用心しながら自宅に踏み入った。
鍵は、確かに掛けた記憶がある。泥棒? 空き巣? 何にせよ侵入者と遭遇してしまう可能性は高い。玄関に護身用に置いてある頑丈な鍛造の3番アイアン……オヤジの形見のゴルフクラブを持って玄関から見える廊下とリビングを眺めていた。
この家で、オレは現在一人暮らしをしている。2LDKの築十年のマンション。入り口はオートロックだし、平日の午前八時から午後五時には管理人も在中している。各所に監視カメラがセットしてあるので、警備は厳重なはずなのだが……。
何にせよ自宅玄関の鍵が掛かって無くてドアが開いている状況は、不審者の存在を疑うよね。オレも最初はそう思ってた。そして、同時に変な好奇心があったのも事実だ。強盗を返り討ちにして新聞にでも載れば……マスコミに取り上げられて一躍有名人になれる! 二日前に、やっと彼女になった西原麻由美にも自慢できるのだ……そう思っていた。
屋内には変化は感じられない。家具などの調度品が殆ど無いのも原因だけどね。リビングやダイニングキッチンにも人が入った形跡はない。
家族は居ない。半年前に両親が事故で死んだ。ローンが残っていたこのマンションだったが、両親の生命保険と事故の賠償金とでオレ一人が暫く暮らすには困らない大金が手に入っていた。
だから、それを狙った強盗犯だと思っていた。リビングの向かいのトイレとバスルームも確認する。誰も居ない。朝にオレが使用したそのままの姿であった。
細い廊下を、足音を消して歩く。次は両親の部屋だった場所だ。一番広い部屋……。亡くなった時からそっくりそのままの形で残してある。内部を詳細に調べた、ダブルベッドの下もクローゼット内も確認した。誰も居ない。母の洋服ダンスには宝石類もあるが、鍵は掛かったままだった。
拍子抜けした。オレの勘違いかな……と思う。いや、思うことにした。
オレは、玄関の鍵を掛けたときには指さし確認をしている。電車の車掌や運転手が確認ミスを無くすために行う有効な方法。自己啓発本を読んで早速生活に取り入れたのだ。
残されたのは自分の部屋。ここには更に何も無い。六畳程度のフローリングの部屋には、ベッドと机が有るだけだ。小さな収納スペースには吊すほどの服もなかった。机の上には買って二年経つノートパソコンが無造作に置いてある。OSのバージョンアップもしていない。
本当は学習用に父親に買って貰ったのだが、メールとインターネットをするのが関の山……他の金目の物は、祖父に高校の入学祝いに貰った国産の自動巻の時計……今は携帯電話があるので机の引き出しの中に入ったままだ。
この時は、緊張感は無くなっていた。侵入者などいないのだ。手に持ったゴルフクラブを肩に担いでいた。
自分の部屋のドアを開ける。
ベッドの上に人がいた。横たわっていた。寝ている?
制服姿だった。オレの高校の女子の制服。ドアを開けて見えるのはそれだけ、頭がコチラを向いている。黒髪が見えた、長さからも見知った人物で有ると判断した。少し安心する。
でも、どうやってオレの家に入り込んだんだ?
「あ、あの……」
ベッド越しに恐る恐る声を掛ける。生徒会長の彼女は、しっかりしている様に見えてもお茶目な部分もある。合い鍵を何処からか入手して、オレを驚かそうとしたんだな。でも、待ちくたびれてオレのベッドで寝てしまった……そんな所だろうと想像する。ドジッ子さんなんだ。
しかし、様子がおかしい。
ベッドの横に移動する。彼女の全身が見えた。青いチェックのスカートがめくれ上がっている。下腹部が剥き出しだった。黒い陰毛……それが、綺麗に揃えられている。余計な部分は手入れして剃っているのだろう。丸見えだ。彼女の下着が右の足首にまで下ろしてあった。
やっと顔を見る。麻由美は目を見開いたままだった。青白い顔だった。
首には赤いネクタイが巻き付いている。
そう――
生徒会長の西原麻由美は――現在のオレの彼女は――オレの部屋のベッドの上で死んでいた。事切れていた。
手に持ったゴルフクラブを床に落とす。ゴトリと重い音がした。
さて……どうしよう……。
大好きな彼女が失われてしまった。でも、不思議に悲しみの感情は沸いては来なかった。
ブレザーの内ポケットに入れた二つ折りの携帯電話を取り出す。何処に掛けるのだ? 110番? 119番? 既に死亡しているから、警察だけで良いだろう……。
これだけの結論を出すのに、携帯電話の時計の表示は三分ほど進んでいた。
数字の1を押す。携帯電話の液晶画面に「1」と表示される。その後は淡々と残りの数字を押せば良いだけなのだが、手が止まる。
待て! 待て待て! この状況はオレにとっては不利すぎる!! 麻由美は彼女とはいえ彼氏彼女の関係になったのは、ほんの二日前なのだ。そんな彼女が、彼氏の自宅ベッドの上で死んでいる。疑いの目は100%オレに向けられるはずだ!
ヤバイヤバイ! どうするよ? この状況をどう打開する?
――で、冒頭に戻る。
――午後四時二十五分。
オレが開いたのは、自己啓発本だった。机の上に立てかけて置いてあった。この本のお陰で彼女が出来ました! 嘘みたいな本当の話。
突如、自分の身に降りかかった問題! 解決に導くための方法を本で探っていた。
――話は四日前に戻る。五月の初め。
時間が飛び飛びになって、申し訳無い。
少し事情を説明したい。
休日に暇だった俺は、アノ本を熟読する。最初は軽い気持ちだった、表紙にデカデカとタイトルの文字が並んでいた。『人生に必要なのは問題解決能力と営業力!』著者名は「近原光二」聞かない名前……しかし、本の何処にも執筆者の写真も自己紹介文も無かった。
流し見をしていたら引き込まれてしまった。ビジネスマン向けの文章だとしたら少し拙くてフランクな文体だった。え? 俺が文章に関して偉そうだって? コレでも本は読むのは好きだから、様々な分野に手を出している。学校の図書室だけでなく近所の公立図書館にも足繁く通っている。
好きな分野はミステリーかな……推理小説とは少し違うんだ。探偵や警察以外の一般人が事件に巻き込まれて右往左往する様が、見ていて読んでいて心地よいのだ。
「生徒会長に告白をしよう!」
本を読んで出した結論だった。
一度きりの人生、当たって砕けろだ! 一目惚れだった。
一年前。四月の初旬。
入学式の後の、生徒会主催の歓迎会で彼女を見た。
当時、二年生の彼女は副会長職だった。しかし、実質的に生徒会を仕切っていたと直ぐに気が付く。気の弱そうな三年生の男子生徒会長を思いのままに操っていた。参謀と云うよりは黒幕のタイプだった。
それから一年の間、彼女――西原麻由美を追っていた。丹念に観察していた。
一年先輩だから目にする機会は少ないし、学年で校舎のフロアが違うので出逢うチャンスも無かった。生徒会活動に専念するためとかで、彼女はクラブ活動にも所属していない。接点は全く無かった。
彼女を目撃できたのは、全校の学校行事や生徒会主催のイベント程度だった。
成績は学年のトップだったし、美人で頭の良い麻由美は学校中の男子の憧れの的だった。何人かが告白したが、全て討ち死となったと聞いた。
かなり年上の社会人とお付き合いしている……そんな噂もあった。でもオレは諦めなかった。
彼女は計算高くて抜け目のない性格だが、時々信じられないようなミスもする。そこが人間くさくて妙に魅力的だった。
そんな彼女と接点が出来た。深い関わり合いを持つ機会が訪れた。
それは――オレの両親の死が原因だった。
――半年前。昨年の十一月。
旅行先の海外で、二人の乗った小型機が墜落した。
偶然だった。両親が利用した旅行会社は、麻由美の父親の経営だった。かなりの大手で有名な会社だ。両親が加入した保険会社は彼女の母親の会社が取次会社だった。
両親を亡くして落ち込む男子高校生。負い目も有ったのだろう……想像に難くない。
彼女は学校代表として、オレの自宅を何度も訪れて励ましてくれた。
葬儀の時も率先して彼女が仕切っていた。オレの親戚は遠隔地に住んでいるので、葬式の手配は彼女の父親の会社が行っていたのだが、交渉の相手は麻由美だった。
その時は、姉のような感覚でオレに接してくれていた。益々好きになっていた。
――そして今年、四月。
新学年の新学期初日。
二年生になったオレに、更に運命の女神は微笑んだ。クラス替えの結果、西原麻由美の妹“西原 真理亜”と同級生になった。彼女と親密になり、姉とまで仲良くなるのだ。
しかし、その淡い希望は無残に断ち切られる。
「と、隣の席になったね。お、オレ……渡辺昴です。これからも宜しく!」
勇気を振り絞り真理亜に挨拶した。握手をするために右手を差し出す。
「何で?」
オレを一瞥だけして、彼女は自分の作業に戻る。授業開始前の休み時間、ノートを開いていた真理亜は、何事かをブツブツと呟きながら記入していた。
変わった奴だ――オレの初対面時の感想だった。
「アハハ……」
差し出した右手を自分の後頭部に当てる。その場は、笑うしかなかった。
隣で作業に没頭している彼女を見る。美人の姉とは対照的だった。長い黒髪を後ろで大きく一本の三つ編みにしている。今どき珍しいまでの古風さだった。髪の毛の手入れには興味は無いのか、編み込んだ部分からは枝毛が幾本も飛び出している。
姉の麻由美の長い黒髪は、手入れが行き届いているのか常に艶やかでサラサラだった。昨年の体育祭の時の後ろで束ねたポニーテール姿が美しかった。白い鉢巻きをしていたので、少年剣士の様な凛々しさを湛えていた。
勿論、しなやかな肢体とグラマラスな胸とに夢中になっていた。
再び真理亜を見ていた。目が相当に悪いのか、レンズの厚い銀縁の眼鏡を掛けている。
時々、思い出したかのように顔を上げるが、度の強い眼鏡に阻まれて表情は良くは解らない。
ノートに細かい字で記入していた。しかも赤いボールペンで……。教科書も参考書も開かれてはいない。彼女が書いている文字列の正体はいったい何なのだ?
「何?」
オレの視線に気が付いたのか、オレの方に顔を向ける。冷淡な声だった。真理亜の顔を丹念に見る。やはり、姉と血が繋がっているようには思えなかった。パーツ単位では似ているのだろうが、全体から醸し出される雰囲気が全く違っているのだ。
「必死に書いているみたいだけれど、それは何なの?」
オレは彼女のノートを指さした。話の切っ掛けを探る。
「神様の言葉……」
そう言って真理亜は、再び作業に戻っていた。
「そ、そうなんだ……」
オレはこれ以上追求しないことに決めた。直ぐに教師も入ってきた。そして授業が始まる。
「ね、渡辺君……西原さんとは関わらない方がいいよ」
授業が終わると女子生徒が話しかけてきた。一年生の時にも同じクラスだった“梨田 樹里”だった。
「え?」
机のオレは、彼女を見上げていた。樹里は顔を近づけてヒソヒソ声で話しかけてくる。
隣の席の真理亜は、授業が終わると直ぐに教室から出て行ってしまった。トイレなのだろうか?
「彼女、変わってるでしょ……同じ中学だったから知ってるのよ。それに、西原さんは一人も友達いないし」
確かに真理亜は変わっていた。先ほどの授業中もノートへの筆記作業を続けていた。数学の授業だったが、相変わらず教科書も出していなかった。
教師の記入する黒板さえ見ることは無かった。そんな様子に気が付いた数学教師だったが、彼女を注意する事をしなかった。
「ヤッパリ西原さんは変な人なんだ。お姉さんとは違うね……」
オレは、梨田さんに向けて話したはずだったが、彼女はいつの間にか自分の席に戻っていた。
「私が姉と、どう違うの?」
背後から声がした。真理亜の声だった。オレはゆっくりと後ろを向く。
「に、西原さん……」
何も言えなかった。オレは黙って次の授業の用意を始める。教科書を出す。
「ねぇ! どこが違うのかハッキリと言いなさいよ!」
彼女の声が教室中に響く。生徒達がオレの方を向いていた。梨田樹里は自分の席で済まなそうに顔をうつむいていた。どうやらオレは真理亜の地雷を踏んでしまったようだ。
仕方が無い。自分が感じている、ありのままの事を正直に話す。
「お姉さんは明るくて社交的だし、とても魅力的で素敵だと思うよ」
真理亜の眼鏡の分厚いレンズ。それを見ていた。
「ハァ? アノ女が素敵? アハハハハ! アンタはアノ女の何を知ってるの! アハハ! アハハハ!」
大きな声で笑い出していた。それは、オレにとって恐怖でしか無かった。
妹から姉にアプローチするルートは完全に絶たれてしまった。その時のオレはそう思っていたんだ。