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相見た君も空火照り

「今日は本当に飯塚君と仁村君には迷惑をかけた。振り回してしまって、本当に申し訳なかった。」

そういって薫さんは頭を下げた。あまりにも突然のことだったので仁村ともども面喰った。

「な、なんなんですか薫さん!い、いきなり!」

「こっちの完全に内輪のことに君たちを巻き込んだんだ。謝らずにはおれないよ。

特に飯塚君は仕事帰りだったんだろ?家に帰って着替える間もなかったんだよな、それ…申し訳ないにもほどがあるよ」

「でも、緊急事態だったんですから、謝ってもらう謂われはないですよ。

逆にこっちこそ何かあった時に助けてもらえたらありがたいですよ。な、仁村!」

「え、あ、うん。家賃滞納したときとか…」

「っておい!それだけはちゃんとしろ!」

漫才のような掛け合いをしている自分たちを見て、薫さんはようやくくすっと笑った。

今までこの世の終わりのような暗い表情をしていたから、少しでも表情に変化がある分マシに見えた。

しかし、もう一人――薫さんにそっくりな顔で、表情までそっくりな亨君のほうは依然暗いままだ。

何しろ、自分が原因で妊婦がぶっ倒れて、そして父親である薫さんに公衆の面前で怒られたのである。

表情が晴れないのは当然のことだろう。

仁村の真横に座って、じっと息をひそめるようにしている。

薫さんが大家さんと結婚した直後に生まれて、今は何故か親元を離れてどこかで暮らしているという。

立ち入った事情が大内家にあることは十分に察せられる。

しかし、それに関して全く持って関係がないはずだったのだが、

どうしてだか、巻き込まれることになるとはこのときはまだ、考えつきもしていなかった。


そのあと、4人で鎮静剤を打って寝ているという大家さんの病室を見舞った。

ベッドの空きがない昨今、大部屋に寝かされていた大家さんは、ぐっすりと落ちついた表情で眠っていた。

少し顔が普段よりも白く見えたが、おおむね異常は見受けられない。

倒れた直後の悲惨なほどに蒼白に染め上がった表情で、指の先まで細かく痙攣していた大家さんを介抱した仁村は

『本当に大事にならなくてよかったよ…』

と安堵の声を漏らしていた。それを間近で見ていた自分もにべもなく同意できた。

もう片方のベッドサイドから大家さんを眺めていた薫さんは、汗でべとついていた大家さんの額にかかった髪を

起こさないように優しくかきあげていた。

ちらりと見た表情は、本当に何事もなくてよかったと、心の底からほっとしたといった感がありありと浮かんでいた。

そんな中、やはり居心地悪そうにしていたのは亨君だった。

じいっと大家さんを見てはいるものの、何かをするというだけでもなく、ほんの微動だにしない。

今時の子にしては、えらく落ちつきがある子だなということは、アパートで出くわしたときから感じていたが

さらにこの状況で強まったような気がした。

確かに、呵責の念を感じていて暗く沈んではいるけれど、それで自分を見失っているほど動揺しているようには見えない。

ひたすら、この現状を真正面から受け止めて、どうしようか考えているように見えた。

薫さんは、普段はぐーたらで、いつも大家さんとDV気味な夫婦喧嘩を繰り返しているが、

本当はとても頭の回転が速く、大家さんに対する感情のフォローは細やかすぎるほどだ。

それなりの職についていることからも、薫さんの聡明さはわかる。

亨君が容貌だけでなく、その性向も濃く受け継いでいることは、明白だった。

だが、今は陰を潜めている、亨君の母親の血はいったい誰なのだろうか。

薫さんは昔、遊び人だったということもあって、不義の子という可能性が一番高い。

父親恋しさに薫さんに会いに来たというのも、それを見て酷くショックを受ける大家さんも理解ができる。

しかし、亨君は大家さんと結婚した後に生まれたという。

結婚して15年は経つ大家さんが倒れたという一報を聞いて、凄まじい剣幕で病院に駆けつけてくるほど

大家さん思いの薫さんが、果たして結婚後に浮気することなんてあるのだろうかと、考えてしまう。

きっと、万が一そういうことがあったとしても、補ってもなおあまりある誠意で大家さんに対してフォローを

尽くしたに違いない。

そして、大家さんは亨君の存在はおそらく認知していたと言える。

例え存在を知らされていたとして、薫さんそっくりだとはいえ、一瞬で亨君のことを薫さんの隠し子だと見抜くことはできない。

疑いかかったとしても、確証を得るためには薫さんまたは亨君に確認を取るのが普通だろう。

しかし、そんなこともせず、大家さんは一目見ただけで気絶するほどの衝撃に見まわれたのだ。

ならば、亨君の何によって大家さんはそれほどまでに衝撃を受けなければならなかったのか。

疑問は尽きることがなかった。

「さて…そろそろ面会時間も遅いから家に帰るとするか。」

「え、大家さんの付き添いはしなくていいんですか?」

日がどんどん傾いて陰ってきた病室で、てっきり一晩付き添うのだろうと思っていた薫さんが帰ると言いだしたので面喰う。

あれほど慌てふためいていたのに、いいのだろうか?

そんなことが顔に出ていたのか苦笑交じりに薫さんは言った。

「ここ、完全24時間の看護体制が整ってるから、付き添い体制はむしろ迷惑、ってなもんらしいよ。

患者がまだ子どもだったりだとか、遠方から来てるだとか、

急変の可能性があるだとか、手術が長引いてるだとか、

そんな特段の事情がない限りは、特に大部屋の場合は他の入院患者に迷惑がかかるだとかなんだで帰ってほしいらしい。」

「そうなんですか。なんか厳しいですね。」

「まあ、一回家に帰って明日由香里が帰ってきても不自由ないように準備しとかないと、

あとでどれだけどやされるかわかんないからな。」

そう、笑みを張り付ける様にして薫さんは気丈に言ってくれたが、やはりその顔には憔悴の色が見えた。

十分、俺と仁村もこの一件では混乱を期したとはいえ、

一番混乱の渦のど真ん中でぐるぐる回されているのは他でもないこの薫さんである。

無理をしてるんだろうなと思いながらも、4人連れだって1階にまで向かう。

面会時間ぎりぎりだが、あまり他の面会に来ている家族は見受けられない。

産婦人科病棟とはいえ平日はこんなものなのかと逆に感心してしまった。


タクシーが数台止まっているロータリーにまで来た。他にタクシーに乗る人間は見受けられない。

見舞いには大半が車かバスで来るのだろう。昨今はタクシーは割に合わない乗り物として不遇の憂き目に遭っている。

「で、男4人でタクシーぎゅうぎゅう詰めはいくらなんでもキツいから二手に分かれようか。」

「えーっと、どういう組分けにしますか?」

「んじゃ、仁村君と亨」

え?と疑問に思う分け方だが、当の仁村は

「あいあいさー」

と答えてさっさとタクシーに乗った。

終始無言だった亨君と、案外子供の扱いが上手いということが判明した仁村の組み合わせは確かに難がないが、

どうして亨君と薫さんが親子で乗らないのだろうと、微妙な問題を口に出しかねていると

「飯塚君、さあ、乗ろうか」

と薫さんがさっさと乗車していたので、仕方なく後部座席に二人収まることになった。

運転手に薫さんがアパートの住所を告げて滑らかにタクシーは動き出した。

病院の目の前の幹線道路は夕方の帰宅ラッシュで混雑している。

右ウィンカーを随分長い間点滅させながら、車が途切れる間合いを測りようやく他の車と同じくして軌道に乗ったt機、

それまで黙っていた薫さんが口を開いた。

「今日は本当に飯塚君を巻き込んでしまった。改めて申し訳なかったし、ほんとうに、ありがたかった。」

「い、いえ!ほんと気にしないでください!それよりなんで俺と乗車したんですか?仁村なんかと亨君を乗せちゃっていいんですか?

積もり積もった親子の会話とか、そんなのしたほうが…」

「それは家に帰ってからでもなんとでもなる。ただ、飯塚君、君に事情を説明しておいたほうがいいと思った。

…これから少なくとも、君は巻き込まれていくと思うし…」

最後のぼそりと薫さんが呟いた一言は聞き取れなかったが、

「どうして自分なんかにそんな大事なことを?家族のことなんですから無理して事情説明しなくても…」

とつっぱねたが、薫さんは強硬にも首を振って

「いや、俺や由香里や亨と関わったからには、知っておいたほうがいいんだ。」

そんなふうに主張した。そんなに大したことが3人の間にあるのだろうか、と訝りつつ、薫さんがこれだけ言うのならと思い

「わかりました、そこまでいうなら聞かせていただきます。」

と聞くことにした。

薫さんはどこか遠いところに視線を向けてぽつりぽつりと語り始めた。

「亨の生みの母親は由香里だ。

確かに亨は俺そっくりだが、万一DNA鑑定をして俺の血を引いていなかったとしても、由香里の腹から出てきたことには違いない。」

と薫さんがきっぱりすっぱり断言した。なら、由香里さんが以前言っていた発言は嘘になる、ということだ。

「でも、薫さん、由香里さんはうちには子どもはおらへんって何回も言ってたのはどういうことなんですか?

亨君はなんで、二人と一緒に暮らしてないんですか?」

「それが今日起きたことと直接関係することなんだけどな…」

と前置きをして薫さんは疲れた顔をして言った。

「由香里の父親が、目に入れても痛くないぐらい由香里を溺愛していたって前に一度言ったよな?

下宿していた俺ですら目にも触れさせなかったんだ。それくらい男対策を徹底してたのに、だ。

夜逃げ同然で駆け落ちしたんだ。見す見すな。

それからしばらくして、由香里に子供ができたのをあいつの父親が知ってしまったんだ。

そのあとは、もう怒涛の展開だったよ・・・

由香里の家は、由香里の駆け落ちで、後継ぎが無くなってしまったんだ。

生業を是非由香里の婿に継がせようと思ってた親父さんは面目丸潰れだ。

それこそ、俺みたいなどこの馬の骨ともしれないただのサラリーマンに、大事な娘をかっさらわれてしまったんだからな。」

ここまではよくある話に思えた。

大事に大事に育ててきた箱入り娘が、突如、駆け落ちするだなんて、親にとっては青天の霹靂もいいところだろう。

大家さんの家がどんな生業なのかはあずかり知らないが、もしも何代も続く商いをやっているような店の主だとしたら

後継ぎがいないことは頭の痛い問題だ。

親にとっては大事な娘を失っただけでなく、家業の存続までも危ぶまれる事態に陥ったのだ。

しかし、ここから薫さんの話はおかしな方向へ行き始めた。

「だから、親父さんは俺ら夫婦に二択を迫ったんだ。

一つは、離婚して由香里と亨ともどもを連れ戻して再婚させる。

もう一つが、亨を親父さんの養子にして家業を継がせる。

どっちも俺らにとっちゃ到底受け入れられなかったし、由香里にしたら亨を養子に出すぐらいなら離婚した方がマシだったんだろ。

俺もこうまでなったなら離婚していいかと思ったんだがな・・・

結局再婚したら、相手方と由香里に子どもができたら亨が蔑ろにされるのは目に見えてる。連れ子だからな。

そうなったら由香里だけではどうにもならない。亨の不遇は女親じゃどうにもならない。

結局、亨に日の当たる処を歩かせるためには、亨を親父さんの養子にすることだけだった。」

「ちょ、ちょっと待って下さい、おかしくないですか!?どうしてそんな強硬なことを…!?」

「飯塚君、血筋、って知ってるかい?」

「え?」

突然話が脇道にそれたので、すっとんきょうな返事を返す。

こちらの戸惑いをわかってるのか、その容貌にくすっと笑みを浮かべて薫さんは続けた。

「世界中どこにでも、そんな凝り固まった考えが蔓延ってるんだ。

何代も続くことで『奇跡』が続いているという錯覚を催すんだろう…

もれなく、由香里の家も血筋が大事だった。

例え女でも、妾腹の出でも、由香里の家では大事な血筋を作る成員として見なされる。

特に、由香里の父親は糖尿を比較的若い頃に患ってから子供が作れなくなってな…由香里以外に子どもがいなかった。

だから、由香里をどんな男の目にも触れさせず、来る時が来たときに、相応の人物をあてがうことで、

後世に正統な血筋が続けさせることを由香里の父親は画策してたんだ。

それを由香里と俺はぶち壊したんだそうだ。

ただし向うにはひとつだけ助かったことがある…亨の存在だった。

亨さえ養子に出せば、俺たち二人には手を出さないという交換条件を突きつけてきたんだよ。」

「…いくら親だっていっても、そんな非常識で非道なことがまかり通るわけ…」

「彼らの世界では通るんだ。非常識で、非道なことも。」

たたみかける様に薫さんが遮った。そして、残酷な言葉を紡ぎ出した。

「由香里の実家はな…神戸に拠点を置く、暴力団組織の6割を構成員に収める国内最大の指定暴力団組織の会長が当主に就いている。

…簡単にいえば、由香里の父親は、暴力団の一番頂上にいる男だ。」

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