⑧吟遊詩人エンドあるいは情熱があれば時間など飛び越える
とりあえず起きてはみたものの、私は途方に暮れていた。
「とりあえず、この陰気な雰囲気だけでもリフレッシュしよう」
私は大きく作られた窓を開けるために、のろのろと身体を動かす。すると、外から綺麗な歌声が聞こえてくる。
「これは……」
私が窓の下を覗くと、吟遊詩人が詩を歌っていた。
「マリアンヌ、おはよう」
吟遊詩人は私に気が付くとにっこりと笑って、朝の歌をまた紡ぎ出す。私は、窓を閉めて走り出していた。
「では、次は遠い異国の詩を」
吟遊詩人は私にたくさんの詩を贈ってくれる。散々、勝手なことを言って周囲をかきまわしたくせに繊細な時間を与えてくれる。私は、すっかり詩に魅了されていた。
「誰よりも過ごした時間は短くても、この尽きることのない情熱をあなたに」
めんどくさい男……昨日までならそう簡単に言えたのに、このすっきりした気分を体験した後だとなぁ。
「私はミカエル。あなたを想うそう意味のある名前です」
臭いのだが、吟遊詩人という肩書きなのでギリギリセーフ? 私はどう反応していいかわからず戸惑いぱなしだ。
「興味がないなら、言ってください。この想いが伝えられていないのなら私は吟遊詩人失格です。今すぐ去りましょう」
引き際は心得ていると吟遊詩人は自信たっぷりに押してくる。
押して、押して、押して。そして引く。
典型的な策だとは思うが私は見事にハマってしまった。
「もう一曲いかがです?」
「……そうね、お願い」
私は、よくわからないけれど離れたらもう二度と会えないという焦燥感を覚えてしまい、結局みんなと集まる時間を無視して二人で過ごしてしまった。
「マリアンヌ様、マリアンヌ――」
遠くからカミーユが私を探している声が聞こえる。
「いたか?」
「いいえ、あちらを探しましょう」
アロン王子も探しているようだが、カミーユは私を見つけたはずなのに別の場所へと誘導してくれる。
「なんで、急に場所を変える? あっ、もしやここに」
アロン王子が私たちのところへ駆け寄ってくる。そうすれば、それにつられてみんなが集合する。
「あんたって、こういう典型的なのが良かったのね」
レイラは私たちの関係を誤解している。私は別にミカエルを選んだつもりはない。でも、話はどんどん進んでいく。
「こんなに口は回らない……」
ゼラフィー王はなぜか戦々恐々している。どうしてかと思えば、なんとミカエルはドラゴンに遠い異国の乙女の話をして探しに行かせたという。
そして……
「あぁ、マリアンヌ。君に贈り物だよ」
唐突に私は小瓶を渡される。それは悪魔が封印されている小瓶だった。
「こ、これ……」
「知り合いの魔術師に頼んで封じてもらいました。あなたを困らせるものは排除しますよ」
誰も文句が言えない働きをしたミカエルに、心動かされなかったと言えば嘘になる。
「過ごした時間は短いが、一緒にいたいと思うならその気持ちを大切にしなさい。ただ、何事にも動じないように……」
私が結論を出す前に勝手に神が締めくくってしまう。
こうして、私は吟遊詩人ことミカエルと仲良く国に帰ることとなった。
「夜、眠るまで。朝は目覚めのために歌いますよ」
いつでも甘いミカエルと回避できない私は傍目から見れば迷惑イチャイチャカップルだろう。
だが、そんな甘い話ばかりではない。この男、厄介なことに嫉妬心の強いめんどうな男だ。
「護衛はカミーユがいるから――」
「なら、私はあなたを飾る華としてでよいのです。傍に置いてください」
ごく当たり前のように言う男を断ることはできなかった。
「今日は、レイラのところに行くわ」
「では、がーるずとーくとやらをしましょう」
そう言って、女装するのを止められな――いやっ、これは必死に止めた。
さすがに色々やり過ぎだ。これは誰もが思ったようで、最近はミカエルに対するみんなの評価が地に落ちている。ただでさえ、居候みたいなものだから印象良くないのに……。
私は、密か心配するが、当の本人はまったく気が付いていないので困る。
「身分違いもいいところだよ、ちょっと顔がいいからと取り入って」
「どこの馬の骨かもわからないのに、大きな顔しやがってな」
これ見よがしに聞こえてくる罵声に、ミカエルはびくともしない。
「私は顔だけじゃなくて、声も詩もいいのですけど」
これくらい大物なら、ミカエルはどこでも生きていけるだろう。だから、嫌になればいつでも出ていける……。本当に取り入っているだけかもしれない。
「……ミカエル、これからどうするつもり?」
私はだから、つい一言余計なことを口にしてしまった。余計なことと思ったのはいつもは何を言われても動じないミカエルが慌てたからだ。
「どうしたんです、マリアンヌ? あっ、そうだ詩はどうです?」
「う、うん。お願い」
私はミカエルの動揺を読みとってしまった。だから、すぐになんでもない風を装っていつも通りに接した。それなのに……数日後、ミカエルは私の前から姿を消した。
多くの者が私は捨てられたのだと同情し、ときに笑った。
「えっ、あの居候逃げたのか? 金を取って?」
「やっぱり、遊びだったんだよ。かわいそうに」
私は、ミカエルのように周囲の声を聞き流すことはできなかった。
「あんな地位もない男のことは忘れてください。ぜひ、国のためになる結婚を」
「そうです、パーティーに出席を」
「皆さん、マリアンヌは――」
「お父様、私は大丈夫です」
私に結婚を勧める者が多くなる。両親は私の意思を尊重してくれているが、いつまでも心配をかけるわけにはいかない。私自身、噂されるのはもうめんどうだ。結婚すれば、いつか話は風化するだろう。
私は、ミカエルが去ってぼんやりしたままの頭で考えられる最良の決断として婚約者を決めるパーティーへと向かった。
「まぁ、とても美しい」
「まるで、人形のようね」
褒め言葉はまったく褒め言葉になっていない。人形のような私は私ではない。
両親やレイラ、護衛してくれるカミーユも心配そうにしてくれているが私は張り付いた笑顔を浮かべることしかできない。
様々な求婚者が私の前に現れるが、誰一人頭に残らない。こうなったら、誰でもいいやと半ば自棄になり始めた。
「本当に美しい」
「まったく、噂にたがわぬ美人で」
褒めそやされる言葉に私は苛立ちを押さえられない。誰でもいいと言ったが嘘だ。せめて、苛立たない相手がいい。
それでも、私は誰の言葉を聞いてもイライラするばかりだった。
「もう、どうしていなくなったのよ!」
我慢できずに私が叫び出したとき、オーケストラの演奏をバックに一人の見目麗しい青年が入ってくる。
「いつまでも不安にさせられないと思ったので。これからどうするか、どうしたいかを考えて結婚できるように手筈を整えてきましたよ、私のお姫様」
「ミ、ミカエル? なんで、どうして?」
私の腰に腕を回し、ちゃっかりい抱き寄せてくるミカエルに私は止めるより先に疑問を投げかける。
「吟遊詩人は仮の姿。本当は辺境の地を守る伯爵の後継者だったのです。お忍びで旅をするのは、世の常識でしょう?」
茶目っけたっぷりにウインクされても笑えない。
ミカエルは次期辺境伯爵で、家に大人しく戻る条件として私に迎えるという提案をしたらしい。放蕩息子を家に戻すチャンスと伯爵家は頑張ったようで、目出度く本日ミカエルが求婚に来たらしい。
「マリアンヌ、私と結婚してください」
改めてされたプロポーズに私は一言言いたかった。
「めんどくさい男……」
「でも、好きでしょう?」
妙に自信満々に言い切られて、私は否定するのも馬鹿らしくなった。
「そうかもね」
辺境の要地を守る伯爵家の放蕩息子を更生させた愛の話
愛に溢れた伯爵とその妻のおかげで、その地は栄えた。今もその教えは代々引き継がれているらしく、かの地では挨拶すらも愛の言葉で溢れているという。
「アイシテルよ、マリアンヌ」
「……一体、どういう教育を受けたのよ、お父様に」
女性が花を差しだす子どもに戸惑いながら、青筋を立てるという器用な表情を浮かべる。
「そうだな。マリアンヌを一番に愛しているのは私だ」
「僕だ!」
「そうじゃない……」
愛ある言葉に囲まれて暮らす女性は肩を落としながらも内心で幸せを噛みしめていた。