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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【番外編3】 《南国の花嫁 編》
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4章 奇跡の花 外3-9

 砂埃が落ち着き、緑の領域内にまで飛んで転がっていた瓦礫を皆で片づけると、そこには膝丈ほどの草花が咲き誇る、静謐せいひつながらも生命力に満ちた美しい光景が広がっていた。


 空間に満たされた香りは甘く豊潤で、空間をゆるやかに流れる濃厚な魔力マナはあたたかく、洞窟の最奥から届く白い光は優しかった。緑の領域の広さは、王宮の中庭ほどはあるだろうか。入り口から奥までは、大声を張り上げなければ届かないほどに広い。


「地下空間に、こんな場所が存在していたとは」


 扇状に広がっている緑の領域は、奥へ向かってすぼまるように収束していた。最奥の行き止まりの岩壁は半透明に透けており、光はその向こう側から届いている。壁の向こうは距離の概念を喪失しているのか、こちら側から眺めているだけではさっぱり感覚として掴むことはできなかった。


「なるほど、あっちが幻精界に通じてるって言われても違和感ねえな。ここの花も現生界のものとはなんかちょっと違う気がするし」


 リューナは埃を払った手を腰に当て、ぐるりと周囲を眺め渡した。


「それが、ナルをここまでみちびいたってのか」


 彼の横に立つ幻精界の幼女が、蒲公英たんぽぽ色のワンピースの裾をぎゅっと握り、自身の小さな靴先に眼を落としたまま、ぽつぽつとこたえる。


「うん。居ても立ってもいられなくなったの。だって、ナルね、おねえちゃんのだいじなお友だちのケッコンシキ、とってもきれいでシアワセにしたかったんだもん……」


「あのなぁ、ナル。俺は怒ってるわけじゃねえったら。おまえのそういう気持ち、俺はすっげえいいことだと思うぞ。たださ、それならそうと言って欲しかったっつーのが本音だけどな」


 落ち着いた声音でゆっくりと語られたリューナの言葉に、ナルニエはきれいな弧を描く眉を寄せ、水宝玉アクアマリン色の目をまんまるに見開いた。いで、信じられないものでも見るような目つきになってリューナの顔を見上げる。


「いつもなら、すっごい怒ってゴツンしてくるのに……。どうしちゃったの? そんな優しいこと言うおにいちゃん、気持ち悪いよぉ」


「うるせえぞ、ナル! とはいえ、さっきトルテに、気持ちはきちんと言葉にしないと伝わらないものだって、何度も何度も言われたからなんだけどさ」


「なぁんだ。やっぱ、おにいちゃんにはおねえちゃんが居なきゃダメってことだよね。お似合いっていうか、『しりのしたにしかれてる』シアワセって、そういうことかあ」


「……どこのどいつが、そんな言葉、おまえに教えやがったんだ?」


「えっとねぇ、陛下かな」


 にぱっと笑いながら発せられたナルニエの言葉を聞くや否や、こぶしを握りしめ怒りの叫びを上げる寸前までいってしまったリューナである。けれどちょうど良いタイミングで、「リューナ、こっちへ来てください」というトルテの呼び声を耳にし、喉まで出掛かった言葉を飲み下したのであった。


「ったく、親父といい国王といいハイラプラスのおっさんといい……俺の周りにはまともな大人が居ないような気がするぜ。もちろん、トルテの父親は別だけどさ……」


 トルテは最奥に近い場所に立っていた。ぶつぶつとつぶやきながら歩いてきたリューナを見て、彼女は不思議そうにちょこんと首を傾げた。長い髪がさらりと揺れ、まろやかな肩を流れる。すべらかな頬、澄んだ瞳、かたちの良い鼻も眉も、リューナにとってはすべてが輝くばかりに好ましく瞳に映り、心地よく鼓動を速めてゆく。


 彼女の仕草ひとつで、リューナの不機嫌は微塵も残さず吹き飛んでしまった。横で、ナルニエがあきれた顔になって小さな肩をすくめたが、もちろんリューナには見えていない。


「どうかしたんですか? リューナ」


「いや、なんでもねえよ。それよりどうした、トルテ。何かあったのか?」


「はい。キュイちゃんが見つけたんですけれど、これを見てください」


 トルテが指し示したのは、入り口から見て左側の壁、最奥から数歩手前に設置されていた石碑だった。周囲の植物と同じほどの高さなので、注意深く見ていなければ気づかなかっただろうと思われた。古い文字が刻まれた鏡のような石の表面には曇りひとつなく、経年による劣化をまるで感じさせないものである。


「キュイちゃんは見つけるのが得意ですね」


 嬉しそうな鳴き声が、胸を張るように高らかに下から聞こえた。花に埋もれるようにして待機していたキュイの頭を、かがみこんだトルテが優しい手つきで撫でてやる。


 リューナは碑文を見た。彼の知識では読めない古代文字が大半を占めていたが、下の方に書き足されている文字は魔法王国期のものだ。過去世界で各種族の王として奮闘していた経験もあり、その部分はリューナでも問題なく理解することができる。


 文字に沿って視線を走らせたリューナは、思わず息を呑んだ。


「これは――そういうことだったのか。魔導による魔法陣があちこちに見える理由がようやくわかったぜ。メルリアーダ王……そしてエルフ族の歴代の王たちの名が刻まれてる。この場所の封印に関わっていたんだ」


 名の連なりの最後に記された懐かしい名前を見つめながら、リューナは言葉を続けた。


「トレントリアの都の地下には、太古の昔から幻精界と繋がっている場所が遺されていたのか。影響がでかいから、封じ込めるための魔法構造がある。度々引き起こされた精霊魔法の暴走……そうか、メリダの丘にも扉があったんだ。この土地もいろいろ複雑な事情を抱えていそうだぜ」


「気候や植生が変わっているのも関係があるのかも知れませんね。展開されている主要な魔法は幻精界のものですから、全体の修復はファリエトーラさんかルシカかあさまに相談しないといけませんね。けれど封印の維持魔法のほころびだけは、早急に直しておきませんと……」


「よっしゃ、トルテ! 直すなら全力で手伝うぜ。とは言っても、どうすりゃいいのかさっぱりだけどな」


 力強く発せられたにしては緊張感のないリューナの発言に、トルテが吹き出すように笑った。


「封印魔法は魔導の技によるものですから。おそらく、もともと構築されていた古代の魔法を護るために張られたのだと思います」


「ここは『封印』の魔導士である僕の出番かな? それに、この場所の真上にはたぶん、僕たちの家があるのだろうし、ここが崩れてしまっては困るからね」


 声に振り向くと、ディアンとエオニアが歩み寄ってくるところだった。その向こうでは、いつの間に離れたのか、ナルニエがピュイとともに緑と花の領域のあちこちを忙しそうに駆け回っていた。


「エオニアさんのお友だちは、代々この場所の守護を任されている特別な魔獣なのだそうです。魔法王国期には、使役される魔獣や幻獣が多く居たそうですから」


「岩の割れ目の隙間を抜けて、上まで遊びに出ていたみたいなの。私も成長したけれど、彼女も大きく育ったから、遊びに出てくることができなくなってしまったのね」


「彼女? あぁ、そうか。あの魔獣は母親なのか」


 リューナは緑の領域の外――崩落した天井や瓦礫のなかで、金属質の巨体をおとなしげに低めて待っている魔獣に眼を向けた。その周囲を、白い魔獣の幼体が少しの間もじっとしていないかのようにぐるぐると動き回っている。領域の守護者として、そして同時に子を護ろうとして、外からの侵入者に攻撃を仕掛けたのだろう。幻精界の住人や始原の魔獣たちとくれば、警戒されるのも無理はなかったのかもしれないと思い至り、リューナは唸ってしまう。


 幻獣の上位種スマイリーは、魔獣親子を刺激しないよう離れた場所で待機していた。


 ナルニエとピュイは何かを懸命に拾い集めていたようだ。リューナの視線を感じたのか、ナルニエがぱたぱたと慌てたように駆け戻ってくる。


「あ、あのね、これっ」


 ナルニエが捧げ持つようにしてエオニアに突き出したのは、周囲に咲いているものと同じ花々であった。淡色の花びらを幾重にも重ねた大輪のものや純白の泡粒のように繊細な花が、小さな腕いっぱいに抱えられている。


「さっき、岩が飛んだときに折れちゃったお花たちなの。かわいそうだねって、おねえちゃん言ったよね。だったら、きれいに飾るのに使ってあげて。こんなにすてきなんだもの。そのほうがお花たちも、えっとたいぎめいぶん? ほんもう、だったけ? そんな感じですっごく喜ぶから!」


「ナルちゃん……。そうだったね、私の結婚式のためにここまで探しにきてくれたんだったよね」


 幼子からの純粋な好意に感激したエオニアは、真紅の瞳を涙できらめかせながらかがみこみ、小さな背丈に目線を合わせた。にっこりと微笑みながら「ありがとう」と告げると、ナルニエの顔も嬉しそうに輝いた。


 けれど、その様子を見ていたトルテが胸を押さえ、悲しげな表情になったことにリューナは気づいた。


「トルテ、どうした?」


「あ、は、はい。あの……それが、ここの花たちは外に持ち出すことができないんです」


「えええっ、そうなのっ?」


 衝撃のあまり、ナルニエが素っ頓狂な声をあげる。


「石碑の前半に書かれているのです。ここの植物はみんな、遠い遠い昔、始原の時代にあった現生界から幻精界へ運ばれたものなのだと。魔力マナに満ちた世界に適応し、生き抜くために生命の在りようを変えたことによって、容れ物たる実体を失いました。この結界の外では、太陽の光を浴びたつゆのように蒸発してしまいます……」


 ディアンも書物を多く読み解いているために、古代文字も読めるのだろう。トルテが指し示した箇所を見て「そうか……」と呟いて肩を落とした。


「現生界へ移住しようと渡ってきた幻精界の住人たちが、心のどころとして携えてきた種たちなんですね。幻精界に護られた場所で咲く花たち。この地を去らねばならなくなったとき、夢と願いのしるしとして遺していったようです」


「ここも、移住を試みた場所のひとつだったのか。そういや、俺とトルテがフルワムンデの頂上で見た浮遊岩の土地……、あそこも願いや思い出を託された場所だったといえるかもしれないな」


「そうですね。大切な想いを伝える美しい花たち。だから、ナルちゃんの気持ちはとてもよくわかるのですけれど……」


 腕に抱えた花々をじっと見つめて、ナルニエもようやく理解したのだろう、大粒の涙がじわりと滲み出して水宝玉アクアマリン色の瞳が揺らめく。けれど彼女は、すぐにきっぱりと顔を上げた。何かを確信したような力強さを宿し、瞳を真っ直ぐにトルテに向ける。


「おねえちゃんならできるよ! だってナルも、スマちゃんもそうだった。それにここは光の領域とつながってるんだもん、おかあさんもきっと力を貸してくれる。ね、ピュイちゃんもキュイちゃんもがんばってくれたから。だから、だから、このお花たちだけでも」


 ナルニエは最奥の扉にも顔を向け、こいねがうように声をあげた。


「おかあさんも、どうかおねがい!」


「ナル、どうした急に? おまえ、まさかトルテの――」


 幻精界の存在でありながら実体をもつに至った、ナルニエやスマイリー。トルテの力の影響による変化なのかも定かではなかったが、統治者たちには何らかの確信があったのかもしれなかった。ナルニエの考えていることを理解したリューナは、思わずトルテの顔を見つめた。


 しかし、トルテの次元転換の力は未知数のものだ。自在に行使できているわけではない。だからこそナルニエは、幻精界でも最上位の力を有する統治者のひとり、ファリエトーラにも助力を願っている。だが、トルテの戸惑いもリューナにはよく理解できた。


 そのとき、幻精界へ通じている扉からの光が、唐突に強さを増した。魔導士である四人が思わず目をせばめたほどのまぶしさである。先ほどよりもさらに濃い魔力マナの風が、扉の向こうから押し寄せる。扉の先にファリエトーラのあたたかな微笑が見えたような気がした。


 リューナと同時にトルテも気づいたのだろう、ハッと息を呑む気配が伝わってくる。こくりと白い喉を動かした彼女は、傍らに立つリューナへ向けて問いたげに口を開き、不安に揺れる眼差しを向けた。


 リューナはすぐに何でもないことのようにニヤリと笑い、彼女に向けて大きく頷いてみせた。


「大丈夫だ。おまえならできるって! トルテ、俺を信じろ」


 トルテのオレンジ色の澄んだ瞳に、リューナの自信たっぷりの笑顔が映る。何度かまばたきを繰り返したトルテは、やがてゆっくりと花がほろこぶような笑顔になった。


「わかりました。あたし、やります。ナルちゃん、いきますよ」


 トルテは膝をつき、花束を抱えたナルニエの両腕に、自身の両手を添えた。深く呼吸を繰り返し、静かに瞑目する。


 魔導の技の行使前の精神集中にも似ているが、魔導特有の力場は微塵も感じられない。


 少女から広がったのは、あたたかな生命の気配――トクトクと脈打つような律動リズム、そして揺れ漂うような心地よい浮遊感だ。この世界のことわりが希薄となり、扉の向こうの気配と溶け合ってゆく気がした。


 トルテの体の内部から白い光が発せられているかのごとくまぶしく感じられ、リューナは目をせばめた。何かとてつもない事象が起こりつつあることだけは彼にもわかった。


 時間にしてみれば、短いものだったのかもしれない。たましいのみならず存在そのものに問い掛けてくるような聴覚を超える旋律が生じ、世界の憎しみや怒りを全てゆるしてしまえるような慈愛をもって周囲を圧倒する。天空を彩る虹というものが音楽を奏でていたら、このような感じに聴こえるのだろうか。


 そして突然、光も音も気配も全てが収束するかのごとく消滅した。あたたかな余韻のみが心の奥底に残る。


「いったい……どうなったんだい?」


 互いに支え合い、寄り添うように立っていたディアンとエオニアが誰にともなく問いかける。


 リューナはトルテの傍に膝をつき、すぐに彼女の様子を確かめた。目を閉じたままの細い肩を掴むと、ぐらりと首がのけぞりかけた。自分の胸に引き寄せるようにして細い体を抱きとめ、腕先で魔法陣を描き出す。トルテの体を包み込むようにして、先ほどとは色味の異なる白い輝きがひらめいた――魔導による癒しの光だ。


「トルテ」


 リューナが呼び掛けると、トルテはゆっくりと目を開いた。周囲から心配そうに覗き込んでいる友人たちに向け、安心させるように微笑みながら告げる。


「なんとか……成功しました。花たちはこの現生界に適応しましたよ、ナルちゃん」


「おねえちゃん……。ごめんね、こんなに大変だと思わなくて……」


「平気ですよ、このくらい。うまくできてよかったです。それから、力を貸してくださったファリエトーラさんから伝言を託されています」


 トルテの言葉は、目の端をぬぐったナルニエが継いだ。


「うん。おかあさんがね、ここのお花たちをよろしく頼みますって。おねえちゃんの力でこの場所に咲いてるお花のぜえぇぇんぶが、こっちの世界にぴったりになれたから。それで、ナルね、おとうさんに相談しようと思うんだ!」


 ナルニエの言葉の最後は、急き込むように嬉しそうな笑顔とともに発せられた。王宮の庭師として余生を過ごすバルバは、遠い過去の時代にファリエトーラと出逢って愛を知り、引き裂かれて時と次元を超え、現代のソサリア王国に生きている。


 愛する者と同じ世界に属していた花々――そして大変に貴重な始源世界の古代種である。花たちの伝える想い出もその種の価値も、きっと計り知れないものになるのだろう。


 ナルニエの腕に抱えられた花を受け取って嬉しそうに笑うエオニアと、その遣り取りを見守るディアン。キュイは踊るように周囲をぐるぐると動き回り、ピュイは脱力してどすんと座り込んだ。緊張が解けたことで腹が空いたらしい。


 ナルニエがそんな古代龍のくびに飛びついて頬ずりをする。「ごめんね、ピュイちゃんも。ナルこれからは、きちんと考えてから動くようにする」と声に出しながら。スマイリーは守護魔獣の親子とともに、こちらを見守るようにたたずんでいた。


「……贈り物、か」


 ソサリアに戻ったら、俺もトルテに花束でも贈るかな――リューナが嬉しそうな彼らの様子を眺めながらそんなことを考えていると、やわらかく心地よい感触を腕に感じた。ドキリと跳ねるようにして眼を向けると、トルテが彼に寄り添うようにして立っている。


「リューナ、あのね、さっきはありがとう」


「え、いや、俺はなんにもしてねえぞ。トルテの想いが通じたんだ」


 トルテは微笑みながら、首をゆっくりと横に振った。しとやかに髪が揺れる。澄んだ明るい瞳に揺るぎのない信頼を込めてリューナを見つめながら、彼女はゆっくりと口を開いた。


「支えてくれましたよ。あたしのぜんぶを。リューナが大丈夫だっていうと、本当にそのとおり大丈夫なんですもの! あなたは、あたしの勇気なんです」



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