追跡追跡
「いや、カーディナルといっても僕みたいのは所詮はただの使い走りですよ。各地をまわってうろうろうろうろ…知らない間にどんどん老けていく…小さな街で司祭をやっていた時が懐かしくなるほどです」
「アヒムさんも大変なんですね~」
場所は港町から船で移動し、フォルトゥナートへは向かわずに離れ群島の町のひとつにやって来た。
離れ群島といってもフォルトゥナートへは一本の船で行けるのでそれなりに栄えている。
ついたころは夕方だったので晩御飯ついでに酒場に入ったら普通に酒を飲みだした僧侶とウルリヒ。
つつましく正しく未成年として弁えた生活を送っていたエルヴィンにはなんだか目に毒であった。
「…なぁ、アンタ達…酒とか飲んでていいのか?」
「自制さえ保っていれば良いんじゃないですか。エルヴィン君もどうです」
「坊主が未成年に酒を勧めるな!ウルも普通に飲んでるなよ」
ウルリヒはよくわからないどろどろした色合いの酒を普通に飲んでいる。
「別に誰にも迷惑かけてないからいいと思うんだけど…」
「そういう問題かよ。未成年は酒飲んじゃだめだって決まってるし」
「ああ、それ。言おうと思って忘れてた。わたしね、未成年じゃないからね!」
「…え?おまえいくつなの?」
「はたち」
聞き間違いでなければエルヴィンより3歳は年上ということだ。
軽く詐欺にあったような気分だった。
…それって信用していいのか。
「お前は俺をびっくりさせすぎだよ…それくらいは嘘だっていってくれ…」
「わたしは嘘なんてひとつもついてないけどなぁ」
だからこそ性質が悪い。
もし全部本当なら何を疑えばいいのか。
「君達なんて僕から見ればまだまだ若いもんだよぉ。青春すぎたら時の流れの早さにビビるよ」
アヒムはどうやらほろ酔い気分のようである。
そんなに強そうなお酒でもないしそんなに飲んでも居ない。
逆にウルリヒは怪しい色合いの大丈夫なのか、とこっちが心配してしまうような酒をかれこれ5杯は飲んでいる。
「あー、もういいよ、おっさん。それよりここに来た目的ってなんなんだよ」
「君達にまでおっさんって言われるほどの歳ではないけど…」
「だめだこいつ」
思わず口に出してはっきり言ってしまうほど駄目ぷりが出ていた。
それでもアヒムはなにやら愚痴ぐち言っている。
初めて酔払いのおっさんを相手にしたがとても手には負えないとエルヴィンは思った。
全然自制保ててないだろ、と言たい。
その後アヒムが酔いつぶれた後に宿屋の部屋まで運んで寝ることにした。
なんだかもしかすれば、とてつもない荷物を背負っているのではないか…と思わずにはいられなかった。
※
「…おはよー、エルヴィン。朝だよ」
「ん…ん?あぁ、おはよう…」
朝日とウルリヒの声で目が覚めた。
ウルリヒはすでに何かもぐもぐ食べている。
朝が早いやつなのだな、と思いつつ何気なく隣のベッドを見ればもぬけの殻だった。
「…あれ?おっさんは?」
「わたしが起きた時にどこかに外出するとか言ってたよ」
「どこかって?」
「聞いてない」
昨日酔いつぶれていたくせにやけに抜け目ない。
なんとなく何処に向かったのか気になった。
彼の密命に関することなのだろうが、気になる。
「それってさっき?」
「うん。割とさっき」
エルヴィンはカーテンを開け放して窓の下を見た。
すると路地の向こうの方に見慣れた法衣が消えていくのが見えた。
「追うぞ」
「ん?うん」
口の中にパンを放り込みながらウルリヒはエルヴィンの後に続いて走った。
その姿をちらりと見てからお腹が減っていることに気づいてしまった。
アヒムの後を追って朝日が照らす路地を進むと、長方形の箱型の水色と白の建物が現れた。
扉は開かれていて中から人の気配がうかがえる。
掲げられた看板の文字を目で追ってみた。
「…病院だな」
「病院?アヒムさん病気かな」
「あー…アル中かもな」
坊主なのにな、という冗談はともかくとして、エルヴィンは考えた。
カーディナルがわざわざ病院に厄介になるとは考えにくい。
病気や怪我なら教団が治してくれるだろうし、やはり密命に関わる事なのだろう。
入って問いただせばさらりとかわされそうである。
「んー…病院だしこっそり後つけるの難しいだろうなぁ。仕方ね、ここで待つか」
「そうだね…病院って事は…病気の調査かな」
「それか…派遣してる治癒術師の抜き打ち検査かなぁ…まぁ何にしても密命に関する事だろうなぁ」
「エルヴィン意外とデバガメだねー」
「うせ。気になるだろー聖君の密命とか」
神聖教団のトップの気にするところである。
その裏には何か隠されているはずだ。
立って待っているのもなんだったのでエルヴィン達は病院から死角になる位置に適当に腰掛けた。
「聞きたかったんだけど神聖教会ってさ…ウチの村には無かったからよくわかんないんだよね。結局どういうところなの?」
「前にも言ったけど…最後の神聖族が争わないための教えを残して作ったのが神聖教会。神聖の規律とあるべき姿を説くのが本質らしい」
われわれの力は神とその子達の為にある。
われわれの力とは神の子を護るべき力である。
われわれの力は神の愛すべき御子を包む力である。
「神の力を預かりし我らは慎み深く隣人を助けるべし…っていう感じだったかな」
「人のために力を使いなさいって事?」
「まあそういう事。神聖を統括するっていう役割も果たしている。この国では政治にも深く関与しているが、それは教会の普及率に伴う識字能力や統括能力を買われての事だ。ただ…」
神聖の異能力が落ちるたびに教会の影響力は薄くなっていった。
信者は今でも多いのだが、敬虔な、がつくとその数はとても少ないのだろう。
聖地である神聖学園の生徒ですら強い意識を持つ者は少ない。
エルヴィンもそんな生徒のひとりであった。
「…まぁあのおっさん見てればわかると思うけど…」
「確かに立派な僧侶って感じではないよね。でも偉い人なんでしょ?」
「偉いんだけどよ……そういえば今の聖君はもの凄い力を持っているらしいぞ」
少し前に就任した新しい神聖君子は今までのどの神聖よりも絶大な力を持っているという。
しかし月の無い現代でそんな力を持っているなんてエルヴィンには信じがたかった。
たとえ大きな魔力を持っていても月が無ければそれを発揮することは難しい。
なんて考えているとウルリヒがいつの間にか隣でまた歌っていた。
「暢気だな…そういえば俺はお前みたいなはぐれ神聖の方が珍しいと思うけど」
「ああ…そうなのかな…わたしの村にはわたしともう一人神聖が居たよ。隣村なんかにも一人くらいはいたけど。田舎だから仕方無いんじゃないかな」
「神聖教が出来たのは三千年も前なのになぁ…」
いったいどんな田舎から出てきたんだよ、とエルヴィンはツッコミたくなった。
それとも学園の入学依頼は無視できるのだろうか。
しかしウルリヒの言葉には訛りや言葉の違いが見られないのでそんなに遠くないのか。
しばらく雑談をしていると、アヒムが病院から出てくるのが見えた。
「お、出てきた。追いかけるぞ」
アヒムの後を付かず離れず追いかける。
住宅街に差し掛かるとほとんど片端から家を訪ねてなにやら話しを聞いていた。
遠すぎて何を言っているのかは聞き取れなかった。
「いったい何を聞いてるんだろうな」
「うん…」
どんどんと家々を渡り歩くアヒム。
時間もどんどんと過ぎて昼も通り越す勢い。
朝から何も食べていないという事を思い出してしまったエルヴィンは全身から力が抜けていくのを感じた。
しかし速度を落とすことなくアヒムは黙々と任務を遂行しているようである。
遂に町中の家々をまわったのではないかと思った時、アヒムはやっと足を止めてベンチに座り込んだ。
「…何なんだいったい」
「アヒムさんはお腹空かないのかな」
「空くだろ」
自分はとっくに限界超えたけどね、とエルヴィンは思った。
段々寒くなってきて痺れも限界にきそうだった。
アヒムの様子を伺うといつの間にやら彼のまわりに鳩がこれでもかというくらい集まっていた。
「…おっさん、鳩に襲われてるぞ」
「餌でもやったのかな?ちょっと面白そう」
糞とかつけられるだけだ、とエルヴィンは思った。
アヒムの足元どころか頭やら肩、腕やらに鳩が止まってまったりしている。
本人も動かないでじっとしている。
…10分。
……20分。
………30分。
「すごい。すごいぜ、ある意味。鳩が30分も無意味に人間に群がってる」
「鳩で見世物でもするんだったら見てみたい」
それは自分も見てみたい。ではなくて。
いくらなんでもこの状況は不自然すぎる。
もしかして動けなくなって、悪く言えば死んで…。
「うわ~俺、猛烈に気になってきた…行くぞ」
ついに辛抱の限界を迎えたエルヴィンは立ち上がると足早にアヒムへと近づいた。
鼻歌混じりのウルリヒもその後に続く。
群がっていた鳩達はエルヴィンが急接近した事によりいっきに飛び去っていた。
鳩の大群が目の前で飛び立っていく風景はかなり威圧的である。
羽が舞い散り鳩が飛び去った後に残ったのは首をコクリと下に向けたアヒムのみ。
「おい、おっさん生きてるか?」
「…」
なんだか生きている気配がしない。
ピクリとも動かないし鳩が飛び去っても、声をかけても起きない。
ウルリヒがおもむろに肩に手を掛けた。
「アヒムさん?」
「…んあ、はい?」
首をがばっと持ち上げる。
目が赤くて意識もイマイチはっきりしていないようである。
「寝てたのか?」
「いやぁ、まさか。そんな。良い大人がベンチで迂闊に昼寝なんて。もし泥棒さんにでもあったらどうするの」
よくバレバレの嘘がつけたもんだ。
目をぱちぱちとしてからアクビをひとつ。
完全にお昼寝だったようである。
「無事だったんですね。心配損だったようだよエルヴィン」
「なんで俺に振るんだよ」
それではまるで自分が心配していたようじゃないか。
色々と文句を言いたかったがウルリヒのニヤケ顔とアヒムの麗らかな笑顔を見ていると一発づつ殴りたくなった。
殴らない代わりに文句は心の内に仕舞っておいた。
「首が痛いし腰も痛いし肩も凝っているのでそろそろ宿屋に戻りましょうか…お勤めも終わりましたし」
気になる一言をいいつつアヒムは立ち上がり伸びをした。
「なぁ、結局アンタこの町で何やってたんだ?」
思い切って聞いてみた。
もちろん後をつけていた事は黙っていたが、1日行動を見張っていて更に疑問は深まった。
彼が1日したことといえば病院に行き、町の家々をめぐり、公園で昼寝である。
すてに陽は落ちようとしていてようやくまた空腹を思い出してきた頃。
「それは内緒ですよ。企業秘密です」
「…なんでだよ。言えない事なのか?」
「うーん…じゃあエルヴィン君達が今日1日何してたのか教えてください。交換条件です。フェアでしょう?」
その言葉にエルヴィンは詰まってしまった。
もしかして後をつけていたのがバレていたのだろうか。
昨日酔っ払ったくせに朝は早かったりなど意外と食えないところが多い厄介な人物だ。
アヒムの言えない事ですか?とでも言いたげな目が憎憎しい。
「あーもー分かった。突っ込まないよ。それより腹減ったからとっと戻ろうぜ」
「はい、そうしましょ」
諦めて宿屋に戻ろうとした時。
また鳩が目の前を飛び去っていった。
気がつくと近くに目深にフードを被った人間が三人立っていた。
人がこんなに近寄って来ていた事にまったく気づかなかった。
しかし視認してしまえばこんなに威圧感のある奴もいないというくらいだ。
急に恐ろしくなって一歩引いてしまった。
「…カーディナル・アヒム様」
紅い人間が一人呟いた。
体格や声からして男であるようだがその全貌は計り知れない。
「おや…御遣いの方ですか?どちらのご用件でしょう」
知ったような口調で対応するアヒム。
しかしエルヴィンにはこれがそんな暢気な状況には見えなかった。
教会の遣いにしては異様な風貌と威圧感である。
だがマントに堂々と刻まれるのはエーデルヴァィスに月の紋…教会の紋章だ。
唯一異質なのは白を詠うはずの花が赤い糸であしらわれている事だった。
ただそれだけの事なのにそれがとても不吉なもののような気がした。
「貴方の御力をエドヴァルド様に捧げて頂きたい」
抑揚もなく簡潔に言う紅い男。
「エドヴァルド…?」
ウルリヒが呟いた。
一体誰のことだろうか。
「僕に接近するとはエドヴァルド様も中々大胆ですねぇ…」
アヒムは苦笑しながら言った。
紅い男は何処を見ているのかわからなかったが、エルヴィン達などいない者のように振舞っていると感じた。
「答えは」
「残念ですが僕には無理な話です。お断りさせてください」
「…エドヴァルド様を敵に回されると」
「敵対するとかそんなじゃないですよ」
アヒムは笑いながら言う。
エルヴィンの胸中は黒いもので埋まりそうだったのに、アヒムはまったく怯んでいない。
「僕はあなた方のように赤に染まる事は出来ません…クロヴィスに誓って」
穏やかな声音で言うカーディナル。
紅い男はしばらく黙っていた。
そしてアヒムも何も言わない。
しばらくの沈黙の後に紅い男が口を開いた。
「では我々の取らせていただく手段はひとつ」
三人の紅い人間は初めて身体を動かした。
その時エルヴィンが見たのは、刀身が紅いつるぎであった。