カーディナル 1
女性に案内されたのは一軒の家であった。
他と比べても別段とくに変わりない普通の家。
その前で女性に言われて待っていた。
「…おい」
「なあに?」
「なんで承諾したんだよ…あんたバカじゃないんだろうし、何か考えあるんだろうな」
「考え?まだ何も話し聞いてないからわかんないよ」
笑顔でそういってのけたウルリヒ。
神子への懇願なんて大体その異能を頼りにされての事だ。
その異能の欠片ぐらいしかない自分達になんとか出来る事なのか。
「…じゃあなんで助けるって言ったんだよ」
「そんなの、助けてって言われたからだよ」
「出来なかったらとか考えないわけ?」
「出来なかったら考える」
前向き思考フル発進。
いっそ呆れてしまうくらい。
エルヴィンは憂鬱で溜息をついた。
「お待たせして申し訳ありません、神子様」
女性が扉の内側から出てきて二人を招きいれる。
どうにでもなれ、どうにかなる、と自分に言い聞かせながらエルヴィンはとぼとぼ歩いた。
そのまま二階に案内され小さな部屋に入れられた。
「私の妹なんです」
部屋の窓辺の小さなベッドに小さな女の子が座っていた。
傍の机の上には見事に色とりどりに咲き乱れた花が飾ってあった。
子供は透けるくらい白い肌はこのくらいの子供にしては不健康だ。
神聖学園の子供ですらもう少し日に焼けている。
「実はこの子は病気で…医者には不治の病だと言われています」
「…」
目の前の少女は丸い瞳でこちらを見つめている。
女性は話を続けた。
「神子様なら…預言者様なら治せるのではないかと思ったのです」
神子の中でも、預言者は高い治癒能力を持っている。
怪我どころか病気すらも治してしまう魔術だ。
しかし普通の魔術師にはそれが使えず、それを使う事が出来るのは預言の力を持つ者のみ。
エルヴィンは魔術師であるし魔術は使えない。
自称預言者であるウルリヒをちらり、と見たが何も言わずに黙っている。
代わりにエルヴィンが口を開いた。
「…教団の人には相談しなかったのですか?」
「しました…しかし、最近月の力が弱まっているせいで治癒能力も弱まっているそうです。そのせいで昔は治せたはずの病気も治すことが出来ないと聞きました」
「そうですか…」
確かにそういう話は授業でも幾度と無く聞いた事がある。
しかしそこまで力が落ちているとは予想外であった。
元々教会に頼っていた事柄が手におえなくなってきている。
「でも、やってみればもしかすれば…と、そう思ったのです。無理でもいいのです。やってみては下さりませんか?」
ウルリヒはやっぱり何も言わなかった。
「…すみませんが、少し相談させてもらってもいいですか?」
「は、はい。お願いします…!」
エルヴィンはウルリヒを連れて家の外に出た。
ウルリヒは何かを考えているようで視線すら合わせない。
「おい、ウル!どうした?」
「あー…ちょっと考え事してた。どうしよかなって」
「どうしようかなって何だ。お前預言者なんだろ?たとえ治すまて到らなくてもちまちま掛けたら病状遅らせるくらいは出来るんだろ?」
病気をいっきに治すことは出来なくても少しずつかけていけば病状を遅らせて人並みにする事ぐらいは出来る。
教会がそれをやらないのは教会お抱えの神聖が人一人にそこまでする程人数が足りていないためであろう。
月の影響が強かったころはかければ一発で治る病気の方が多かった。
助けたい、と言っていたウルリヒの事だからそれくらいはやるだろうと思っていた。
「まぁ、普通の預言者なら出来るだろうね…」
力なく笑ってみせるウルリヒ。
と、言う事は…自分には出来ない、そう言っているのだろう。
「どういう事だよ…」
「いやぁ、わたしね…他人を治癒する事は出来ないんだよ」
「え?預言者なのにか?」
「治癒術って元々神聖が神聖のために使っていた術っていうのは知ってるでしょ」
「あぁ…」
元は他人ではなく自分を護るための力であったらしい。
しかし神聖が滅んだ頃に自分を護るためであった力は退化して、その代わりその力は他人を癒す力に変わった。
「わたしの場合それが逆で…自分を護ることだけに特化してしまっているんだよ」
「…え?」
「自分の怪我や病気なら放っておいても勝手に治っちゃうってこと。それだけじゃないよ。わたしが凄いパワーを発揮できるのもその力のおかげ。まぁ先祖帰り?みたいな」
猛烈ジャンプや牢屋での暴走行動のことか。
こんな身体でそんな力が、なんてレベルじゃないくらい人間離れしていた。
その力にはそんなヒミツがあったのか。
そう考えると、昔の神聖族はみんなあんなパワーがあったのかと思うと…怖い。
「…つまり他人の治癒は出来ないと?」
「そういうこと」
「いちお言っておくけど俺は魔術は一切使えないぞ」
「知ってるよ」
だとすれば出来る事は何もないではないか。
エルヴィンは頭が痛くなるのを感じた。
「あーもう~じゃ、どうすんだよ」
「うん…だから今それを考えてるんだよ」
「…諦めねーの?」
「まだ何もやっていないしね」
諦めるもなにも、とでも言いたげだった。
しかしエルヴィンの頭の中には残された手段はない。
教団が一度手を貸さないと決めたのなら覆すのは不可能に近い。
覆せるだけの根拠が思いつかない。
「考えるたってなぁ…医者もだめ教団もだめ勿論俺達もだめ。治しようがないよ」
「うん…せめて、月を早く解放できればいいんだけど…」
「あぁ…」
旅の目的、旅の終わり。
それまでどれくらいの時間がかかるのだろう。
それは途方も無いような気がして目の前が暗闇に染まりそうになった。
「あ~あ。考えすぎたらお腹へってきたなぁ」
「…お前案外のんびりしてんなぁ」
本当に疲れたように壁に背を付いてへたりだすウルリヒ。
相変わらず突拍子も無いというか、考えが読めない。
「……が、いればなぁ」
「え?」
ウルリヒはぽそり、と呟いた。
よく聞き取れなくて聞きなおしてみた。
「誰がいればって?」
「…えへ。あのね、わたしの村にはすっごい治癒力をもった預言者がいたんだよ。その子がいればなぁってね」
「お前の村まで行けってか…」
「あはは。その子は今、村にはいないよ。でも…その子くらいの力があればあの子も助けられるんだろうなって思っただけ」
その子、という事は同年代か下くらいの人なのだろう。
しかしいない、となれば頼る事もできない。
「他には知り合いとかいないのか?預言者のさ」
「んー…いないなぁ…あれ?」
ウルリヒは前の方をじっと見つめたまま止まった。
かと思うと、突然とてとてと歩き出ししゃがんだ。
そしてまた戻ってくる。
手には何かを持っている。
「なんか拾った」
「お前は犬か…あ」
ウルリヒが持っているのは紋章のようなものだった。
描かれているのは満月を囲うように咲き乱れるエーデルヴァイスの花。
気高き白と唯一満月を戴く事を許された紋。
間違いなく神聖教会の証である。
そして花と月の紋の紋章の下に身分を記す結ばれた紅いリボン。
さらに紋の真ん中に光る青い石。
「あれ…これは確か」
「知っているの?」
エルヴィンはそれが何を示すものか思い出していたが、それが何故こんな場所に落ちているのか理解できなかった。
「なんでこれがこんな所に…」
まわりを見渡して持ち主を探してみた。
簡単に見つかると思っていなかったが…白い法衣をまとった怪しい人物が下に目線を向けながらうろうろとさ迷っていた。
人物は段々とこちらに近づいてきて凝視していたエルヴィンと目があってしまった。
その人は案の定こちらへ近寄ってくる。
若いのか歳くってるのかよくわからない微妙な男だ。
あとなんだか凄く気弱そうに見えるが。
「あ、あのー。すみませーん。ちょっといいですかねぇ」
「…はぁ」
「このあたりで、教団の紋様が入った紋章拾いませんでしたか?」
ウルリヒは手に持っていたものを差し出した。
「あ、もしかしてこれですか?」
「ああ!それそれそれです!うわ~良かった良かった」
「ちょっと待て」
エルヴィンは嬉しそうに手を伸ばそうとする男を制した。
なんだかとてもチャンスな予感。
「……アンタ、教会のカーディナルだろ」
「え」
男はなぜか必要以上に笑顔が引きつっている。
「なんでカーディナルがこんなところにいるのかわかんねぇけど…アンタがカーディナルならひとつ頼まれてくれないか」
「いや、あーあのねー。僕は…カーディナルじゃないよ!」
「嘘つけ」
この紋章を持つことが出来るのは教団の中でも上級位のひとつ、カーディナルのみだ。
もちろんただの司祭や一般人が持てるようなものではない。
男のやたらと綺麗な法衣を見ても明らかだとエルヴィンは思った。
大事な紋章を落とすなんて随分間抜けなカーディナルもいたものだ。
「あー…あの。…僕がここに来たって事は黙っていて欲しいんだけど」
「いいけど、取引」
「…紋章を返して欲しいんだけど」
「いいけど、取引」
男は困ったような笑顔で頬をかいた。
「ああ…じゃあとりあえず話を聞かせてもらえるかな?」
「実はこの家に病気の女の子がいるんだが…治癒してやってもらえないか?」
「ん、んー…僕は魔術師だから治癒は…」
「カーディナルは治癒も魔術も両方出来るんだろ」
男の顔がまた引きつった。
なんというか、とてもわかりやすい人である。
「君詳しいねぇ、ひょっとして学生さんかな」
「…どうでもいいだろ、やらないなら喋るし紋章返さないってだけだ」
「うーん…カーディナルを脅迫とはなかなかやる子だ」
男は暫く悩むように目線を逸らせた。
ウルリヒは何も言わずに成り行きを見守っていた。
「…うん、まぁいいですよ。人助けも僕の仕事ですしね。でもこんな手段にでちゃうって事はその子相当やばいのか、教団に断られたのかでしょう。そうなると僕には完治してあげることは出来ないと思うけどいいのかな?」
「ああ…少しでも病気を遅らせてくれればいい」
今までの態度とは違いはきはきとしだしたカーディナル。
やはり曲がりなりにも枢機卿なのだろう。
「…この人は魔術師なわけ?」
ウルリヒが呆けたような声を出した。