望むこと
ひとつだけ勘違いしている事があった。
ただそれはとても酷い勘違いだった。
謝る事が出来るのならばすぐさま君の元へ行きたい。
だけど君はそれさえももう許してはくれないのだろう。
せめて有難うと言えたなら。
それが君への手向けになることを願って止まない。
でも。
もしそれすらも、勘違いであるのなら。
君はいったい、何を望む?
君はいったい、何を望む?
※
「おやま。酷い顔」
目の前に差し出されたコップからは白い湯気がたっていた。
甘い匂いが鼻先を擽ったが、気分が上がったのはほんの一瞬だけだった。
コップの中でセピア色の液体がふわりと揺らいだ。
「…ひどい、顔してます?」
「はい。とてもヒドイ顔です。1日中泣き崩れて、疲れて、眠って、それでもまだ悲しいって顔してます」
「泣いてはいないですけど…」
エルヴィンが盗賊達に攫われてから半日ほどたった。
すでに陽は落ちていて月のない空には星だけが輝いている。
すぐにでも助けに行きたかったウルリヒだが、夜は暗くて仕方ないというアヒムの言う事にしたがった。
結局一足先にフォルトゥナートの入り口へと着いた二人はすぐ宿屋に入った。
「…エルヴィン君が心配ですか」
「はい…」
「心配しても仕方ないですよ」
聖職者の割りには随分と淡白な物言いだ。
しかしそれが悪いわけではなく、ただこの人は落ち着いているだけだろうとウルリヒは思った。
だがいくらそう言われても、今のウルリヒの気分が持ち上がることは絶対になかった。
今ウルリヒの心が欲しているのはただ一人の言葉だけ。
その人はいま、ここにはいない。
「はぁ…わたしなんだか、エルヴィンに悪い事をしてしまったみたいで…」
「攫われたのは君のせいじゃないですよ?」
「うーん…そういう事じゃなくて…エルヴィンはわたしなんかに助けられたくなかったのかなぁ…と」
あの時。
ウルリヒはエルヴィンを護ろうと必死になっていた。
力のないエルヴィンを連れまわしているのは自分なのだから、そんなことは当然だと思っていた。
しかしエルヴィンは…必死そうな顔で“やめろ”といった。
あれは敵ではなく、自分に向けられた言葉なのだとウルリヒは思った。
「なんでですか。エルヴィン君が護ってもらう事を止める理由がありますか」
「わたしもそう思ってたんですよ…。でもエルヴィンは怒ってたんですよ。あれは怒ってました。怖かったです」
「うーん…もしエルヴィン君が君に対して怒っていたのだとしたら…ワガママですよ。気にする事ないです。彼はほら、まだ若いですから」
「そうだとしてもわたしが彼を傷つけてしまった事はたぶん間違いないだろうし…」
もし、ウルリヒの行為によってエルヴィンが傷ついたなら謝らなければと思った。
しかしそうする事で心の安静を得ようとする自分に少し腹が立った。
彼を助けたいという気持ちは事実なのに。
「…僕も君の戦いは見ていましたが、もし僕がエルヴィン君のように護られる立場であったなら…」
「はい?」
「腹が立つというよりかはイライラしますね」
にこり、と笑いながら軽い調子で言うアヒム。
この人のこうゆう顔は何か裏に隠してそうな気がした。
それよりもイライラの意味を知りたかった。
「…イライラ?」
「はい。エルヴィン君は残念ながら力が無い子ですからね。使い方を知らないと言ってもいいかもしれませんが…まぁ持て余しているわけですよ。
君は凄い力で敵をバッサバッサと倒していく」
「倒してはないですよ」
「そこが問題なんですよ」
アヒムがびしり、と人差し指をタイミングよく出した。
少し驚いてしまった。
「自分には無い力を持っているのに使わない。それ故、自身を追い詰めている。しかもそれが自分が力の無いせいだと思えばどうですか?」
「…イライラします」
もし本当にエルヴィンがそう思っているなら…さぞ苛立っただろう。
ウルリヒとしては、敵といえども人を傷つけるのは嫌だった。
エルヴィンが傷つくのはもっと嫌だったが、それがエルヴィンのせいだとは思わない。
確かに少々苦しかったがそれも全て自分のワガママだと思っていた。
しかしワガママに振り回されていたのはエルヴィンの方だった。
「嫌われたら立ち直れそうに無い…」
「そこで君までマイナスモードになってどうしますか。平気ですよ、多分。ただの癇癪ですよ」
「お気遣い有難う御座います…」
「…そこまでズッパリ気遣い、と言われてしまえば僕も少し切ないです…。ウルリヒ君はエルヴィン君とケンカするの初めてですか」
「はい…エルヴィンとは出会ってそんなに経っていないので」
アヒムが意外そうに目を丸めた。
思えばアヒムとの付き合いもエルヴィンとの付き合いも時間や日々に直してしまえばほとんど違いはない。
「そうなのですか…とても仲良しに見えたので親友か何かかと思ってました。幼馴染とか」
「いや、日にちにするならバリバリの初対面に近いです。わたしもビックリなくらいエルヴィンと馴染んでましたが」
人見知りするようなタイプではないとは思っていたがエルヴィンとは波長が近いのか妙にテンポが好い気がする。
元々小さな村の田舎ものなのであまり人と接した事はないのだが。
アヒムよりかはエルヴィンと仲良くなる自信があった。
「じゃあ平気ですよ。仲良しですから」
「…分かりました!でも早く誤解は解きたいのでさっさと助けに行きましょう!」
「また明日ですね」
勢いにノせて行ってしまおうと思ったが、結局アヒムののほほんとした言葉にその日のうちの救出は諦めるしかなかった。
悩んだ割には快眠できたウルリヒは次の日の朝にはなんとなく心が軽くなっていた。
しかしそれでもやっぱり悩みは尽きる事は無い。
そわそわして待っていたら用事があると言っていたアヒムが戻ってきた。
「何処に行ってたのですか?」
「本部に連絡を。さて、エルヴィン君を助けに行く件ですが…」
「はい、さっそく!」
「僕は行けません」
期待しいてただけにショックな言葉がアヒムから発せられた。
※
「なんで…俺が…こんな…」
刃物を持った手が酷く震えた。
目の前の景色が歪んで見える。
出来る事なら今すぐこの場から走り去ってしまいたかった。
「これが盗賊の仕事なのか…?」
「そうよ」
ロマンがキッパリと言い放つ。
エルヴィンは感情のすべてが冷え切っていくような心地がした。
「……なんで俺が……俺が料理なんて作らなきゃなんないんだよ!」
「だってあなた戦えないし肉体労働は出来ないし…料理もしたことないだなんて…神子って学校で何してるの!?」
「勉強だよ。悪かったな役立たずで」
とにかく役に立たないと言われまくり追い立てられたのは調理場だった。
毎日毎日こんな苦労をして料理を作っているとは思わなかった。
長時間火を見続けて頭がくらくらする。
使った事のない包丁でうまく野菜も切れずに怒られる。
いったいどうやって使うのかわからない器具ばかりだ。
ここはロマンの仕事場であるようで、彼女はエルヴィンを叱りながら生き生きとしていた。
「もう俺グレそう…」
「だったら盗賊団に入りなよ!」
一瞬ぐらりと揺れかけた心を払拭するために頭を振るった。
汗が目の中に入って痛い。
「嫌だよ…」
「ホント強情よねぇ~。でもここに居たら居心地良くて居座り続けたくなっちゃうわよ!」
「…」
それはないだろう、とエルヴィンは思った。
なんせロマンはともかく他の男の盗賊達はエルヴィンを仇のような目で見ている。
自分は何もしていないのにあんまりだ、とエルヴィンは思った。
考えれば理不尽な事ばかり起きているが、いい加減慣れてきた。
「でもエルヴィンって結構器用よねぇ。包丁も教えたらすぐ使えるようになったし」
私ほどじゃないけど、と最後に付け足した。
「褒めても俺は靡かねぇぞ」
「イチイチ嫌味ね…神子ってみんなそうなの?」
「俺が捻くれてるんだよ…」
こんなに理不尽でこんなに言いたい放題言われまくれればもういっそ何でもござれだ。
自信なんて上から下まで綺麗に崩壊してしまった。
神子というのはやたらとプライドが高いやつ等が多かったが、エルヴィンのような目にあえば誰だって崩壊する。
火の加減を見ながらエルヴィンは野菜を煮込み続けた。
「どうして神子が旅してるの?」
「…誘われて」
「そんな軽い理由!?」
「ああそうだよ…なんか面白いかもーって思ったんだよ悪かったな」
投げやりな気分で適当に答えると、ロマンが疑いの目で見てきた。
しかし本当の事なんて言ってやる気はさらさら無い。
微妙な反抗心である。
「なんか怒ってるよね」
「…はッ」
「なんで鼻で笑うかな」
当たり前すぎて肯定するのも否定するのも嫌だった。
「別に殺したり傷つけたりはしないわよ」
「最初はしようとしてきたクセに…そういえばあれってどういう事だ。なんでわざわざアヒムを狙った?なんでアヒムが金持ってる事知ってるんだ?」
ロマンが少し笑いながら切った材料を鍋に入れた。
「あぁ…あれはね。私達がよく使う手で、船の中で魔石を売った商人…あれは私達の仲間なのよ」
「…なるほどな」
つまりあらかじめお金を持っている事を確かめるために適当な物を売りつける。
しかしそれは“本物の値打ちのあるもの”でないとならない。
その後買った奴を狙えばお金は無くても当然品物は持っている。
品物を回収してしまってついでに金も奪ってしまうという算段だ。
あくどい、とエルヴィンは思った。
「ヒデェ商人…絶対損はしねぇよな」
「下調べはだいじよ」
「お前が言うと腹立つ。しかしお前ら義賊を名乗ってるんじゃねーのか。あくど過ぎる」
「段々怖くなってきたわね、あんた。あくどいのは金持ちの方よ。こんなに簡単に大金動かせるんならもっと苦しんでる人に少しくらい分けてあげてもいいじゃない」
苦しんでる人々を非難するわけではないが、だからと言ってあくどい手を使うのはいかがなものだろうか。
実は苦しんでいる人々が必死で溜めているお金とかだったらどうするのだ。
エルヴィンが愚痴のような非難を言うと、ロマンが何故が自信あり気に笑った。
「だから“魔石”なのよ」
「…どういう意味だ?」
「魔石っていうのは数が決まっているし、一般人が持っていてもただの石ころに過ぎないわ。あんなものを買うのは神聖に恩を売りたい貴族か金持ちか或いは神聖自身よ」
「アレ、本物か?」
「さあ?」
ロマンは意外と簡単な言葉で返した。
「アレは私の家に代々伝わるモノなの。でも本物かどうかはわからないわ…ただ一度も偽物だと言われた事はないから…本物じゃないの?神聖ならわかるんでしょ?」
エルヴィンはあの不思議な石の輝きと学長に渡された石を思い出した。
「さあな」
「教えてくれてもいいじゃない」
「なんで教えてやんなきゃならねぇんだよ」
くれてやるものは一切無い、とエルヴィンは思った。
ロマンは不満そうな顔をしたが追求はして来なかった。
「いつまで煮込むんだ?これ」
「ん?あら、結構いいじゃない。さてーご飯にしましょうか!」
さっきの態度とはウラハラにロマンは嬉しそうに言った。