神聖の一族 3
「甘いことだな」
アウリールの話を聞いたエドヴァルドは、無感動な口調でそう言った。
壊れた封印を直しに行くための道中で、エドヴァルドと並んで歩きながらアウリールは苦笑する。
「父さまも同じ事言われたって」
「だろうな」
「父さまはお優しい方だから…でも私も同じ事するだろうなぁ」
「だろうな」
矢張り無感動な声でエドヴァルドは淡々と返す。
アウリール達の後ろを翼を畳んだ天馬のフィリップが付いてきている。
それをちらりと確認しながら、アウリールは話を続けた。
「父さまは元々、長だなんて人じゃないからね」
「あのお人柄ではそうだろうな…だが、エーデルトラウト様が長らくお一人で長を務めておられたからな」
「母さまもとてもお優しい人なんだけどね」
元々長をしていた母に代わって、父ヴェンデルベルトが現在のクロヴィングの…神聖族の長になった。
慈悲の心が勝ち過ぎて、甘いと言われる事はしょっちゅうだ。
そんなヴェンデルベルトが誰からも尊敬されている理由は、その特殊能力にあった。
「父さまは人をよく見られる方だから…誰が何を求めているのかすぐにわかるんだって」
「なるほど…その力で以て人々の望みを叶えられるのか」
「そんな大層なものじゃないって父さまは言ってたけど、諍いが少ないのはそのおかげだって皆言ってくれるよ」
争いの火が大きくなる前に、その火だねを見極めて消してしまうのが父の特技だった。
人々の求めている事がわかるので、何事も事前に察知したりすぐに対処してしまうのだ。
元々神聖族は争いを嫌う人が多いが、それでも現在の神聖族は昔よりずっと問題や諍いが少ないらしい。
「神に近づいてきている証拠だな…さすがはクロヴィングの一族だ」
「確かに…私にはそんな凄い力なんて無いんだけどね」
アウリールが呟くと、エドヴァルドはちらりと横目でアウリールを見た。
「天馬がいる」
「フィリップか…って、私、それだけ?」
「今はな」
言いながらふっと、笑うエドヴァルドにつられてアウリールも笑った。
※
「思ったよりも大きな穴だね」
ヴェンデルベルトが破壊したという封印の現場に訪れると、大きな穴が開いていた。
常態では見ることはできないが、魔術を見る魔術によってその封印を確認することができる。
何人もの神聖族が何年にもわたって張り続けてきた結界だ。
幾重にも何種類もの複雑な術式が張り巡らされている。
「これだけ厳重に張り巡らされた場所だから、いっきに力を込めて破壊するしか無かったんだろうね」
「古の神聖族を凌駕する力か…」
エドヴァルドは感嘆したように呟いた。
「さて、じゃあひとつひとつ直していくね」
「直すか…それもまた凄いことだな。この術式をすべて理解していると言うのか」
「まあ、カンなんだけどなんとなくね」
言いながらアウリールは、拾った木の棒で地面に命令式を書き出していく。
より効率的に魔術を使うためだ。
神ならば何の代替も無しにこれくらいのことはやつてしまうのだろうが、神聖族の魔術は常に“なにか”を代わりとしている。
その大きさを少しでも抑えるために、命令式や術式は必要なのだ。
力が大きければ大きい程、自らの力を代替とするから術式は必要が無い。
それに自らの死後も術を残すには術式が必要だった。
エルヴィンくらいになれば、ほとんどそんなものは必要無いのだろうなと、アウリールは思った。
「ん?」
内側から一層一層結界を直していたアウリールの手がふと止まった。
張ろうと思った封印が何かに拒まれ、術式の完成を阻んでいる。
「…生き物の気配がある」
結界の周辺を監視していたエドヴァルドが瞑目しながら言った。
「また?珍しいね」
「どうやら、ヴェンデルベルト様は相当深く封印を削られたようだな」
エドヴァルドが嘆息して、アウリールが苦笑いした。
「場所は?」
「深き森の果て、崖の途中」
「そんな遠くに」
深き森を一周するには、神聖の足でも半日ほどかかるくらいに広い。
周辺は絶壁で、深い谷底になっている。
間違っても生き物が入り込まないようにさらに幾重にも封印を施しているのだ。
「じゃあ私がひとっ走り様子を見てくるよ。フィリップならすぐだ」
「頼む」
言いながらアウリールが天馬に跨ると、天馬は一度嘶いて飛ぶように駆け上がった。
そのまま空高く白い翼を広げて走っていった。
※
神聖の森は常に静かだった。
ただ種々様々な植物が高く生え伸びていて、風が木や草を揺らす音だけが耳に入る。
此処の植物は神聖族の力に依って生きている、神聖族の結界のひとつでもある。
森に迷いこんだ生き物は延々とさ迷い続け、神聖族の里にはたどり着けないのだ。
だからこそ迷い込んだ生き物は、探し出して外へと送り返す必要があった。
「このへんだね…」
生き物の気配を感じ取って、アウリールが呟いた。
天馬はその声を聞いてか、ゆっくりと降下していく。
アウリールが天馬の背から降りてその鼻面を撫でると、一度蹄いた。
「少し待っていておくれ」
そう言い残すと、アウリールは天馬に背を向けて歩き出した。
その感覚はなんだか不思議なものだった。
いつも感じる迷子の気配とは全く違う、濃密な“気配”を感じた。
明確にアウリールの頭のなかに、救援の声が届くようだった。
アウリールは心が感じたことの無い不安で揺れているのがわかった。
風が早く早くと、アウリールを急き立たせる。
「あ…」
何かの陰が、崖のそばにあるのが見えた。
服の裾と、長い白銀の髪を翻してアウリールはその陰の側へと急ぎ駆け寄った。
「…この子供は…」
それは、ヒトの姿をした生き物だった。
だが明らかに神聖族とは違うと、ひと目でわかった。
何が違うのかと問われれば、明らかに違うとしかアウリールには答えられない。
神聖族と同じであれば、それは10歳ぐらいの女の子の姿をしていた。
粗末な服を着ていて、それは土で汚れている。
きつく閉じた目のあたりも茶色く汚れていた。
だがアウリールの目を最初に奪ったのは、白い足から流れる赤い血だった。
ざっくりと裂けたその場所は、土と血の汚れがべったりと張り付いている。
「だいじょうぶかい?」
少女の肩を持ち上げて、アウリールは声をかけてみた。
ふわりと暖かい感覚がして、まだ生きているということがわかり、ほっとため息を吐く。
髪がはらはらと顔から落ちて、少女の睫の先がわずかに動いたのがわかった。
「もしかして人間…?」
アウリールは崖の上を眺めた。
そこから先は、何も見えない。
背の高い森の木々に遮られている。
アウリールはとりあえず少女の足を治療することにした。
治療しながらこの子供をどうするべきか考えていた。
このあたりに人間の集落は無いと聞いている。
だが、いつの時代の情報かはわからない。
もし子供を外に戻したとして、この子を助けてくれる者がちゃんと存在するだろうか。
子供をこのまま戻しても、誰も助ける者がいなかったら…。
「…」
足の治療はだいたい終わったが、子供の顔色が戻ることはない。
よく見れば、まだ身体中に傷がある。
人間と神聖では勝手が違うのかもしれない。
とにかく何処かで回復させねばと、アウリールは考えた。
アウリールはそのまま子供を抱き上げて、天馬の元へと戻った。
抱き上げた子供の暖かさが、なぜかアウリールの心を癒してくれた。