神聖の一族 2
神はまず大地をつくり、植物をつくり、風をつくった。
そこに大地を乱し、植物を乱し、風を乱すものをつくった。
次に神は大地を正し、植物を正し、風を正す力をつくった。
それらをすべてひとつ手でつくった神は、太陽を住処とし眠りについた。
神に依ったそれらの反応はさらに無限のものを生みだし、神の手に依らないもので世界は埋め尽くされていたされていった。
さて、太陽で眠りについた神が目覚めると世界はあらゆるモノに満ちていた。
しかしあらゆるもので乱し、正された世は、混沌としていた。
神はこの世が安寧を迎えるように、新たな神を作ることにした。
そして神は自らの似像をつくったが、これは失敗であった。
姿だけは神に似ていたけれど、神にできることはほとんど何ひとつできなかった。
“ヒト”と呼ばれた似像をたくさん神はつくったが、ほとんど代わり映えしなかった。
後から神の力を加えると、ぼろぼろと崩れてしまう程に脆かった。
加えて口を聞くことすらもままならなかった。
神は自分自身だけはつくることができなかったのだ。
繰り返し似像をつくり続けた神は、ある時少しだけ神の能力を持つ似像をつくり上げることができた。
“彼”は神の言葉を理解することができた。
神は“彼”を次の神にしようとしたが、足りなかった。
神は今度は“彼”の似像をたくさん作り出した。
できあがったのは“彼”より能力が劣るものであったが、“ヒト”よりは神に近かった。
神が“彼”とそれに近い“似像”が、それぞれバラバラに神の力を受け継いでいることに気が付いた。
そこで神は“彼”と“似像”の核を組み合わせていけば“神”に近づくことに気が付いたのだった。
“彼”は「クロヴィス」という名を与えられた。
クロヴィスと力を分け与えられた“似像”たちを、“ヒト”とは隔離して世に住まわせた。
神は与えられなかった分の力を月へ移し、いずれ“神”が完成すれば、その力すべてを与え完全なる“神”を作り出すことに決めた。
そうして、神聖族は生まれた。
以来神聖族は神の仰られた通りに、いずれ世を支配するものとして預言の力を備え、神の力の欠片を備えた。
精錬を繰り返した“核”…魂は何度も何度も精錬されていき、次にクロヴィングの長の夫婦の間に生まれる子こそが“そう”であると、数々の人々の預言に上った。
そして預言通りに生まれた子。
「エルヴィン」という神聖族に生まれた少年は、「クロヴィス」の核…魂を引き継いだ存在であり、いずれ“完成された神の似像”に至る者であった。
神の姿をみた者は誰一人いない。
それでも、神聖族はその神話と約束こそが絶対であると、信じ続けていた。
※
「ぼくは大きくなったら、かみさまになるの?」
黒い瞳が、アウリールを見つめている。
アウリールは笑みを浮かべながら深くうなづいた。
「そうだよ。君が成人すると、“神の似像”は完成する。だからエルヴィン、君は立派になるんだよ」
「うん…!ねえ、にいさま。ぼくが神様になったら、みんなずっとずっといっしょにいられる?」
幼い質問に、アウリールは弟の黒い髪を撫でながら答えた。
「エルヴィン、君が望むなら、望む人といつまでも…」
無邪気に笑う姿は、限りない未来への仄かな灯火だった。
※
「神聖族がなぜ、“預言”という力を備えているか、わからないお前ではない」
いつものように憮然とした態度のエドヴァルドの言葉に、アウリールは首を傾げた。
「神様が与えてくれたからでしょう?」
「なぜ、神が我らにその力を与えたかが問題だ」
エドヴァルドはアウリールの頭を軽く小突いた。
アウリールが彼の期待する返答ができなかった時は、いつもこうして窘められる。
長い廊下を並んで歩きながら、アウリールは小突かれたおでこをさすった。
「わかっているよ、エド。いずれ神聖族が神に成るため、って言うのでしょう?」
「神としてヒトの行動を定め、あるいは解することは重要だ」
エドヴァルドは神聖族神話を深く信仰し、いずれ神聖族は人間を支配するものだという考えを強くもっていた。
その考えは神聖族の大半が信仰する基底の思想である。
「預言が当たれば当たるほど、神聖が神に近づいてく…か」
「神の意に近づくことができる。この世の安寧のために」
エドヴァルドはアウリールの知る限り、昔からずっとブレずにこの信仰と自らの使命を全うする意志を強く持っていた。
毅然として、剛毅なその態度はアウリールをいつでも支えてくれていたし、尊敬もしていた。
「でも人間って見たこともないもんなぁ…支配するって言われてもピンとこないよね」
「神話を信用していないのか?言葉を解さず、大半の力も無い者たちだという」
「でも、記録にたびたび残っている人間はみんな言葉を話せたと言うよ」
「言葉を与えた神聖族がいた」
過去、何度か神聖族が人間と邂逅したという記録はあった。
たびたび神聖族のこの聖なる領域に迷い込む人間がいるのだ。
彼らには神聖族がいくらかの知識と知恵を与え、人間世界に返したのだと言う。
それでは神聖族が人間から与えられたものはなにも無かったのだろうかと、アウリールは考えたことがあった。
しかし当世には既に人間と見えたことのある神聖族は誰一人いない。
「人間に知恵を与えすぎてはいけない」
「どうしてだろう?」
アウリールの素朴な疑問にエドヴァルドは鼻に皺を作った。
「当然だ。神聖族のような力を持たぬ人間が、知恵のみを授かり神聖族に近づいたと思いこみ、増長する。神聖族の神なる力の畏れを理解せずに妬むかもしれん」
「本当にそうなのかなあ?」
「知らん」
はっきりとエドヴァルドがそう言ったので、アウリールは苦笑した。
それでもエドヴァルドは神の言葉とされる古の文言を熱心に信じているという事だった。
アウリールも信じていないわけではない。
何か理由があるからこそそうした言葉が残っているのだろう。
迂闊に犯してはならないものであることは理解できた。
だが一度抱いた違和感を簡単に拭い去ることもできなかった。
※
「ただいま、エルヴィン。母様」
エドヴァルドと別れて屋敷に戻り、祭壇の間の扉を開けると、幼い弟の
エルヴィンと母であるエーデルトラウトがいた。
部屋中に置かれた百の炎の灯火は、神への祝福を現す順列に並べられている。
神域の真っ白な石を切り出して造られた巨大な祭壇には、ゆらゆらと炎の光が反射している。
その祭壇には、神への捧げものとそれを支える美しい細工の器がたくさん置かれていた。
不規則な階段のように連なった祭壇は奥へ奥へと続き、対照的な美しい造形を成している。
これらを管理し、神への祈りを捧げ続けるのが巫であるエーデルトラウトの役目だった。
この部屋への入室が許されるのはクロヴィングの血族のみで、仕事が終われば家族は皆まず此処に集まっていた。
大きな屋敷では様々な人々が出入りしている為に、寝室以外は誰でも自由に出入りできたので、家族水入らずの時を過ごせるのはこの祭壇の前だけなのだ。
「お帰りなさい、アウリール」
神聖族の至宝と謳われる美しく艶やかな黒髪と、被るような睫に覆われた黒い宝石の如き美しい瞳を優しく細めて、エーデルトラウトは微笑んだ。
アウリールの実の母親であるが、その美しさへの賛辞はまったく惜しむ必要も無いほどだ。
エルヴィンは確実に彼女の血を受け継いでいて、ただ椅子に腰掛けてじゃれ合う母子の姿が神々しくさえ見える。
エーデルトラウトは腰を浮かして両腕を広げ、アウリールを抱きしめた。
エーデルトラウトの足下まで伸びた黒髪が、地を浚う風のように揺れる。
「今日もお疲れさまです、アウリール」
「はい、母様も」
そうするとエルヴィンも駆けてきて、無邪気にアウリールの腰あたりに抱きついた。
「おつかれさまです、アウリール兄さま」
「はい、エルヴィンもお疲れさま」
頭をなでるとエルヴィンはうれしそうに笑う。
これが帰宅時の挨拶で、アウリールは毎日こうするのが大好きだった。
「あのね、兄さま!母さまがね、新しい笛をつくってくれるんだって!」
「本当?」
小さな輪を描く家族分四つの椅子の中で、定位置であるエルヴィンの右隣に腰掛けた。
エルヴィンは小さな身体には見合わない大きな椅子の肘掛けから身を乗りだして、興奮気味に話し出した。
「ほんとう!ねえ、かあさま」
「ええ。この間の演奏会、とても素敵でしたよ。上手に笛を吹けていたので、新しい笛を作りましょう」
エーデルトラウトの言葉を聞き、エルヴィンは更に笑み崩れてアウリールのほうを見た。
その顔を見てアウリールもつられて微笑む。
「兄様の言うとおりだったでしょう?」
「うん!やっぱりにいさまは、すごい預言者!」
預言では無いのだが、瞳を輝かせてそう言われるとなにも否定できない。
エーデルトラウトが愛おしそうにエルヴィンの頭を撫でた。
「今度は二度と壊れない笛をつくりましょう」
「え…ほんとうに?」
「ええ。エルヴィン。あなたが大人になってもずっと使えるように、大人の大きさのものを作りましょう」
「おとなのふえ!」
エルヴィンが更に身を乗り出し、瞳を輝かせた。
「じゃあぼく、大人になったらそれを吹けるように、いまからいっぱい練習するね!」
「私の笛を上手に吹いてくれるのを楽しみにしているわ」
身を乗り出しすぎて落ちそうになるエルヴィンを支えて座り直させながら、エーデルトラウトは微笑んだ。
あんなに泣いていたことを思えば、アウリールまでうれしくなった。
「アウリール」
名前を呼ばれて振り返ると、優しく微笑む母と目が合った。
「貴方にも何か」
「ヤだなあ、母様。私はもう子供じゃないんですよ」
「子供ですよ」
にこり、と微笑んでそう言われれば、なにも言えない。
確かに自分はこの人の子供なのだから。
「でも、私はエルヴィンがこうして笑っているだけで幸せだから…」
「まあ、貴方は本当にエルヴィンのことが好きね。嫉妬してしまうわ」
口元に手を当てながら清廉な声音で微笑むエーデルトラウト。
クロヴィングの正統な血筋を受ける、神聖族で一番清らかな女性だ。
「では、貴方には私の歌を教えましょう」
「歌…。ああ、母様の子守歌ですか?」
「ぼく、あの歌だいすき!」
そのエルヴィンの一言で、アウリールは母の歌を受け継ぐことが決まった。
※
それからしばらくすると、父も帰って来て一連の挨拶をした。
父であるヴェンデルベルトは、神聖族の中でも特に強い力を持ち、他の家族と同じく真黒い髪と瞳を持っている。
身体能力も優れていて人々の尊敬を一心に集める存在で、例外なくアウリールも一番尊敬する人であった。
「動物がね。迷い込んでしまったようなんだ」
優しげな声音で少し笑って肩をすくめてみせたヴェンデルベルト。
人々から尊敬の念を抱かれる父であったが、本当は誰より優しい人物である事がアウリールは嬉しくて、誇り高かった。
「神域の動物ですか?」
「外界の動物みたいでね…まだほんの小さな子供で。だから領域に迷い込めたようなんだけど…」
神聖族の領域は、完全な封印で守られている。
この封印を守る事が、父やアウリールの一番大切な仕事だった。
神域を含む広大な神聖族の領域を守る封印は、たまに綻ぶ事があった。
そこから外界のモノが侵入してしまうのだ。
産まれたばかりの動物など封印の影響を受けづらく、古い部分の封印からはよく迷い込んでしまう。
外界へ返そうと思えば、封印を壊して外に出すしかないために、そのまま領域の中に入れてしまう事も多かった。
「でもね…すぐ近くに親がいる事に気づいて。だから封印をちょっといじってしまってね」
言いながらヴェンデルベルトは苦笑いした。
封印を守る立場にあるのに、封印を壊してしまったという事だ。
「怒られたんだけどねぇ…。そんな事じゃ動物一匹も従える事はできないって」
ヴェンデルベルトの従者にそう言われたのだろう。
しかしアウリールは優しい判断を下したヴェンデルベルトの行いを称賛した。
「父様にはできないですよね、迷子の親子を引き離すなんて」
「はは、責任を持って封印は早急に修復する事にするよ」
「私が行きますよ」
アウリールが名乗り出ると、ヴェンデルベルトは目を丸くした。
「でも私がやった事だし…」
「行きたいんです。駄目ですか?」
「うーん、そうだね。じゃあアウリールにお願いするよ…そっちの方が確実だろうしね」
言いながら苦笑いするヴェンデルベルト。
しかし本当は一番頼りになるのが父である事をアウリールは知っている。
だいたい古から続く封印を故意に破壊するなんて、父ぐらいにしか出来ない事である。
修復にはそれだけ時間がかかるため、そんな父の役に少しでも立ちたかったのだ。
「とうさま!あのね、かあさまがまた新しい笛をつくってくださるんだって!」
空いた間をついて、エルヴィンが再び身を乗り出してそう言った。
ヴェンデルベルトはそんなエルヴィンの頭を撫でた。
「良かったね、エルヴィン。君の笛の音はとっても素敵だから、私も楽しみにしているよ」
「うん!」
満面の笑みで頷くエルヴィンと、さらに釣られたように微笑むヴェンデルベルト。
エルヴィンが願う永遠…、それごと守りたいとアウリールは思った。