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月と魔術師と預言者と  作者: カザ縁
11.太陽の影
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別れの歌、約束の唄 2

「おい、起きろよ!」


ウルリヒの肩を揺さぶっても、がくりと首が項垂れるだけで、彼の意志を感じる動きは一切見られなかった。

灯りがちらちらと映す頬が青白く熱を失っているのがわかる。

しかしエルヴィンの手も氷のように冷たくなって震えていた為に、本当に熱を持たないのはどちらかわからない。


「ウルリヒ…!」


どうしてこんな事になってしまったのだ。

どうしてこんなにあっさり。


ウルリヒが死ぬはず無い。

エルヴィンは嗚咽と息使いの合間にウルリヒの名前を呼び続けた。

頭が痛くてぼうっとする程なのに、涙は未だに止まらない。


「わかった。俺がお前の代わりに笛吹いてやるから…なあ?」


ウルリヒがエルヴィンに託した銀色の笛。

いつも彼が手にしていたそれをエルヴィンは拾い上げ、乱暴に拭った。

つい先ほどもウルリヒが口にしていたあの歌。

そんなに好きなら、きっと聞けば喜ぶだろう。

ウルリヒは何度も何度もあの歌を唄っていた。

だからエルヴィンもその旋律を自然と奏でられるほどに“歌”に馴染んでいた。

これは共にいた証なのだとウルリヒが言っていた。

だから、エルヴィンが側にいることを知らせたかった。


「エル…ヴィン…」


マリアンネが泣きながら名前を囁く。

エルヴィンは収まらない嗚咽を必死で制御して、笛に息を吹き込んだ。

切れ切れの旋律は、それでも風に乗って音を届ける。

曲とも呼べない同じ旋律を、エルヴィンは吹き続けた。


この曲が綺麗な旋律を奏でた時、ウルリヒは目覚める。


そんな想いを抱きながら。


それでも高ぶった感情を抑えきる事は出来ずに、エルヴィンは荒い息と嗚咽と涙に苦しんだ。

ぐちゃぐちゃの心と感情は、冷静であった頃なんて忘れてしまっている。

震える指先を動かして、安定しない音を出し続けた。


「…いつまでやるつもりだ」


冷たいエドヴァルドの声も、エルヴィンの耳には入らなかった。

ただどうやってうまく奏でようか、それしか考えられない。


「これでも足りないのか」


エドヴァルドがエルヴィンの背後へと近付いた。

その手には紅い剣を持って。


「教えてやろう。お前の正体」


エドヴァルドは紅い剣を振り上げた。

紅い刀身がぎらりと輝く。


「エルヴィン!」


エルヴィンが奏でる旋律が、風の音と共に一瞬揺らいだ。


「…斬れないだろう」


紅い剣は風を裂きながら横薙ぎにエルヴィンを襲った。

しかしエルヴィンは何も感じていないように、黙々と笛を吹き続けている。

旋律は段々と安定してきているが、それでもまだたまに揺らぐような音を鳴らす。


「どう…して…?」


マリアンネが目を見開いてエルヴィンを凝視した。

エドヴァルドは紅い剣を一度見てから、ぞんざいに放り投げた。

剣が土を叩く音が笛の音に混じる。


「これは人と神聖の絆を斬るためのもの…そう言ったはずだ」

「どうして…?エルヴィンは神聖…なのに」

「純粋な人は斬れない。斬っても意味がない。逆もまた然り」


二人の会話はエルヴィンの耳には入って来なかった。

ただあの旋律を奏でて、音色が安定していくと共に、エルヴィンの精神も静かになっていっていた。

笛の音が水滴が水面に落ちるように聞こえて、旋律は風が通り抜けるように聞こえる。

いつの間にか涙も嗚咽も収まっていた。

ぐちゃぐちゃにかき混ざっていたエルヴィンの感情は、糸を解す様に少しずつ和らいでいく。


そうして…、エルヴィンの心が凪いだ海のように静まり返った時、旋律は真っすぐと平らかに、それでも震えるような激情を孕んだ風のようにその場に響き渡った。


「…もう、良いよ」


夜闇を打ち砕く澄んだ声。

エルヴィンは笛から唇を離して、のろのろと顔を持ち上げた。


「よく頑張ったね」


あんなに名前を呼んでも、起き無かった彼。

それが今、目の前で柔らかく微笑んで瞳に光を灯している。

マリアンネが息を呑む声が聞こえた。


「ありがとう、エルヴィン」


風に浮く短い白銀の髪、爛々と輝く濃灰色の瞳。


ああ。


戻って来たんだ。


「ウ…」


感情が溢れ出して、その名前を呼ぼうとした瞬間。


「エルヴィン」


名前を呼ぶ、声。

それはウルリヒの声だった。


でも。


心臓が全身を打ちつけるように感じた。


「あ…お、俺…」


その瞬間、エルヴィンの思考はいっきに過去へと遡った。


エルヴィンの欠けていた“全て”が、いっきに頭の中へと帰って来た。

いや、違う。


閉じ込めていた欠片。


それらはずっとずっと其処にあって、それが今、解放された。


「お、おもい…出した」


ずっとずっとエルヴィンの傍にいて、いつでも支えてくれていたユーリエ。

学園にいる頃はずっと一緒で、時折見せる優しい笑みが好きだった。


幼い頃飽きるほどに遊んでいたアーベル。

学園中を探検して、それを笑顔でユーリエに話していた。


エルヴィンを学園まで連れて来てくれたエト。

まるで父親のように厳しくて、頼り甲斐があって、優しかった。


「俺は…俺は…!」


エルヴィンは両掌を地面につけた。

壊れてしまうのではないかという程に、鼓動は速度を増していく。

それなのに全身の感覚は何処かへ行ってしまった。


今はいったい、“いつ”だ?


妙に頭がぼうっとするのは、涙と笛のせいだろうか。

眩暈がしそうなぐらいの長い長い時間。


その時間を自分は失っていたのだ。


エルヴィンは土ごと拳を強く握りしめた。


「……思い出したよ…俺…全部」


ぽろぽろぽろぽろ。

涙が地面へと染みをつくっては消えていく。

またウルリヒに笑われてしまう。

だけど今は、先ほどとは違う感情がぐるぐると渦巻いて溢れていた。


悲しさ、寂しさ、絶対に戻らない過去。

隔たるのは厚く長すぎる歴史という壁。

虚無感と、絶望するには大きすぎる現実。


頭の中で繰り返し聞こえる血脈の音。


その血はいったい何だった…?


「思い出したか?エルヴィン」


エドヴァルドの声がして、エルヴィンは力無く頷いた。

そして、大切なひとりひとりの顔が思い浮かんだ。


「リーン…リーンハルト…」


最初の神聖君子の名を呟いた。


「…ヴェンデルベルト…父さま」


古の英雄の名を呟いた。


「エーデルトラウト母さま…」


最後の神聖族の名を呟いた。


そしてエルヴィンは顔をあげて、目の前に座る人物を見つめた。


「………アウリール兄様」


彼の手が伸びて、エルヴィンの髪に触れた。

そしていたわるように優しく髪を撫でる。


「…辛い思いをさせてしまったようだね」


大切な人達の顔を鮮明に想い浮かべた。

それは今では、伝説と言われる人々ばかり。


だけどエルヴィンにとっては現実の家族で、現実の友達だった。


「俺は…三千年前の神聖族の…生き残り」


エルヴィンは自分の正体をようやく思い出した。

英雄ヴェンデルベルトの子にして、賢者アウリールの弟。


クロヴィスの継承者、エルヴィン。


そして、大切な事も。


「月を封印したのは…俺だ」



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