ウルリヒ 4
「みんな…?」
ウルリヒが長老の家の広場まで行くと、扉は開いていた。
しかし中を覗くのがなんだか怖い気がしてためらってしまった。
「…ウルリヒか?」
中から声が返って来た。
その声は間違いなく長老だった。
やっぱり此処にいたんだと、安堵してウルリヒは扉を開けて中に入った。
「ちょ…」
中に入って足を踏み入れた途端、何かがかつんと足に当たった。
目で追うと、それは長方形の人程の大きさの箱だった。
「…おかえり、ウルリヒ」
長老の声が響いたが、ウルリヒは聞いていなかった。
目の前には、人程の大きさの箱が無数に並んでいる。
中には子供程の大きさの物もあって少しだけ形が歪で、荒い造りの箱。
記憶の中で見たことがある、死んだ父と母が入って眠った箱。
「…こ、これ…は…長老…」
「それはのう…柩じゃよ」
「柩って…誰が…入ってるの…?」
長老は何も答えなかった。
ウルリヒは恐怖をこらえて、震える手で柩の箱を開けてみた。
「…!!お、おば…さ…」
それはフローリアンの面倒を見ていてくれたおばさんだった。
ウルリヒは次々に柩の蓋を開けた。
中に入っているのは、みんなウルリヒが知っていたはずの人々ばかりだ。
「し、知らない…こんな顔…知らない…」
だけど誰もがきつく目を閉じて、青白い顔のまま動こうとしない。
「おきて!ねえ…おきてよ!」
一人の子供の身体を持ち上げても、ぐったりとウルリヒの腕の中で横たわったまま、だらりと力なく首が傾くだけだった。
「し、死んで無い…よね」
「…」
長老は何も言わなかった。
だってそんな事があるわけない。
少し前まで、この村の人達はみんな活き活きと暮らして、笑って、話して。
それなのにまるで糸の切れた操り人形のように、皆一斉に活動をやめてしまうなんて。
そんなおかしな話、あるわけないじゃないか。
「嘘だよ…うそだよ…う、うそ…」
何度も口の中で繰り返しても、腕の中で眠る子供は目を開けて微笑んでくれる事は無かった。
「ああ…あ…あ…」
遂には言葉が出なくなってしまった。
ただ茫然と、嘘だ、そんな事があるわけない、と頭の中でぐるぐると言葉が廻る。
「…ウルリヒや」
どれだけの時間が経ったのかウルリヒにはわからなかった。
ただ、自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、ようやく振り返った。
そこにいたのは、痩せ細って目が落ち窪んだ、凄まじい形相の長老だった。
顔や手足には黒い染みのような物が浮き出ていて、かつての姿は留めていないように感じられた。
しかし声はいつにも増して酷く穏やかで、それが長老なんだと理解できた。
「ちょう…ろう…どう…して…こんな…こんなこと…に」
「…ある日、村の者の身体に黒い斑点が現れる者が出てきた…黒い斑点ができた者は…数日ののちに動かなくなったのじゃ…」
「な、なんなんですか…それは…」
「わからぬ…疫病か…それともまったく別のものか…呪いかもしれん。とにかく…今、此処にいるのは…わし一人。残った者達でなんとか柩を作ったが…これが限界のよう…じゃ」
長老は口は動かしているはずなのに身体はぴくりとも動かなかった。
黒い染みがじわりと長老を呑みこもうとしているように思えた。
「長老!僕が…僕が病院に連れていく…!だから…!」
「駄目じゃウルリヒ…お前は…お前とフローリアンだけは逃げるのじゃ。村の大切な子等…」
「ふ、フローリアン…フローリアンは何処に…?家にはいなくて…」
ウルリヒがそう言うと、長老の眉が僅かにぴくりと動いた。
「なんじゃと…。フローリアンは初めてこの病の者が出たとき、治癒を施し再び意識を失ったのじゃ…だから外になんて出れんはずじゃが…」
「そんな…」
ではフローリアンは何処に行ったというのだ。
彼は生きているのか、それとも。
ウルリヒの不安を察したのか、長老は僅かに唇を引き攣らせて笑ったように見えた。
「安心せいウルリヒ。お前とあの子は特別なのじゃ。ああ、わしらは矢張り、お前達を育てるために居たのじゃ…ウルリヒ…月の解放。それがお前の使命なのじゃ。お前の…運命の…魔術師に…会いに行きなさい」
「でも、僕、僕本当は…!本当は預言なんか…!」
「だいじょうぶじゃ、ウルリヒ」
長老の目は既にウルリヒを見て無かった。
いや、最初から見えていなかったのだろう。
瞼が重そうに段々と下がって行く。
「お前は…お前達はこの村の…わしらの誇り…最後の神聖。生きなさい。お前は…この村人とは違う…か、神の子…いくんじゃ、ウルリヒ…幸せに…」
「ちょ、ちょ…う」
長老の目が完全にふさがり、口は何も言わなくなった。
肩を揺さぶり話しかけたが、こくりと首が垂れて身体は地面に沈み、それからぴくりとも動かなかった。
「いやだ…いやだよ…こんなの、いやだよ…!」
ウルリヒの声は、もう誰の耳に届く事は無かった。
※
ぼうっとする頭と、定まらない足取りでウルリヒは村をさまよった。
未だにこれは夢に違いないと言う想いと、現実なんだよという理解が渦巻く。
精神がずるずると渦に引きずり込まれる。
もう前に歩いているのか、後ろに歩いているのか全くわからない。
「フローリアン…フローリアンどこにいるの…」
それでも立って歩かないといけない気がして、ウルリヒは歩き続けた。
ただひとつの希望、フローリアンを探して。
いつの間にか外は暗い闇に覆われていたが、ウルリヒはそんな事にも気づけなかった。
しばらく歩き続けていると、星灯りの中で、ひとつの人影が現れた。
村の入り口の門柱の傍だった。
あれは生きてるいるのだろうか、とウルリヒはぼうっと思った。
その人影がぐるりとこちらを振り返った。
「…!フローリアン!」
その顔を見てウルリヒは思わず駆け出した。
だが、その足は一瞬で固まったように止まってしまった。
「…フロー…リアン?」
彼が今まで一度も見せたことの無い表情をしていた。
冷たい視線に、得体の知れない笑みを口許に浮かべて、まるでウルリヒの目の前に立ち塞がるかのように立っていた。
いつもの優しい笑みと穏和な瞳の彼では無い。
姿かたちは確かにフローリアンなのに、何故かウルリヒは彼を認識できなかった。
「アウリールか…はは、私は始めから信用されてなどいなかったというわけか」
「あ、アウリール…?」
彼の口、彼の声で発せられたのは全く聞き覚えの無い言葉だった。
ウルリヒが困惑していると、彼の瞳がこちらを向いた。
「私はこんなにも姿が変わってしまった…なのにお前は、どんなに時を経てもほとんど姿を変えないのだな。…さすがはあの方の血族だ」
「なに…何を言っているの…?フローリアン…」
ウルリヒがそう言うと、彼は奇妙な笑い声をあげた。
「ふふふ…フローリアンか。私はフローリアンでは無い」
「だっ…だって…」
「私の名はエドヴァルド」
言いながらエドヴァルドと名乗った男はウルリヒに背を向けた。
「フローリアンは死んだよ」
「…!」
その言葉がウルリヒの心を闇で締め付ける。
だけど目の前で動いているのは、確かにフローリアンの姿なのだ。
「嘘だ。僕はそんなの信じない」
「無理に力を使い切って死んだ。お前たちの親と同じだ」
「違う!」
「何を根拠もなく…あの気高く美しいアウリールの台詞とは思えないな…」
「僕はアウリールじゃない」
「アウリールだ」
冷たい声がウルリヒの言葉を全て否定する。
男はぐるりと顔だけこちらに向けた。
「月は…どうあっても解放してもらう。お前の目的は達した。次は私の番だ…」
「え…?」
それだけ言うと、男は門の方へと歩いて行った。
「ま、待て!この村をこんなにしたのは…あ、あなたなの!?」
「…どうして私がそんな事をしなくてはならない」
「で、でも」
「嫌ならば月を解放しろ。それで解決される事だ。まあ…命失われたモノが蘇る事は無いがな…それが出来るのは神のみだ」
フローリアンの姿をした男はそれだけ言うと門の外へと歩いて行った。
「まっ…待って!」
追いかけようとウルリヒは手を伸ばしたが、門の外へと進むことが出来ず足を止めた。
そしてどうする事もできず、その場にへたりこんだ。
「ど、どうして…どうすればいいの…?」
月を解放すれば良い?
そんな事、どうして良いのかウルリヒにもわからない。
村の人は誰ひとりとしていなくなってしまった。
ウルリヒの事を知る人も…ウルリヒの名を呼んでくれる人も、もう誰ひとり、いない。
「どうすれば…どうして…」
どうしてみんな、僕を置いて行ってしまったの。