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月と魔術師と預言者と  作者: カザ縁
11.太陽の影
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ウルリヒ 2

等間隔に並ぶ岩や大きな石。

それに刻まれた名前のような傷。

エルヴィンは立ちつくしたまま、目の前の景色をどう受け入れて良いのかわからず、ただ茫然としていた。

唯一嫌なほど解ったのは、これが夢ではないという事実だ。


「…墓地?ウルリヒが造った?みんな此処に居る…?どういう…意味だ?」


ウルリヒの姿を観る事が出来ない。

息をするのも苦しくて、言葉が詰まる。


「そのままだよ。村の皆はね、死んだんだよ」

「…死んだ?みんな…?なんで…」

「エルヴィンはクンツェルの村を覚えているでしょう?」


クンツェルの村。

聖痕病に侵された人々が多く住んでいたあの村。

とても痛々しくて、痛ましかった。


「…あの村と同じ…なんだと思うよ。今考えると。みんな…突然死んじゃったんだ」

「突然死んだって…聖痕病で…全員…!?」

「うん…。そう…なんだと思うよ」


エルヴィンはようやくウルリヒの背中を見た。

それでも何故だか姿が捕えられないような気がした。

ウルリヒがゆっくりと歩いてエルヴィンから離れて行く。

エルヴィンはしばらく足を地面に縫い付けたままだったが、なんとか引き剥がして後を追った。

ウルリヒは墓地の一番奥で立ち止まり、そのまま屈んだ。

追いついて、その目線の先にあるものを見て、エルヴィンはまた息を呑んだ。


「それ…」


ウルリヒの目線の先にあったのは、ひとつの石。

これも他と同じく“墓石”なのだろうか。

そしてその墓碑銘には“ulrich”と書かれていた。


「これはね、“僕”のお墓」

「え…?」


ウルリヒが立ちあがり、エルヴィンの方を振り返る。


「僕は、死んでいるから」


灰色の瞳が、エルヴィンの真黒い瞳を捕えて離さない。

こんなウルリヒは、見たことがない。


「死んでる…ってお前…だって…生きてるじゃんか」


ウルリヒはゆっくりと首を横に振る。


「ねぇ、エルヴィン。“僕”の話を聞いてくれる…?」


穏やかに笑うウルリヒの瞳が、エルヴィンは少しだけ恐ろしかった。

それでも気がつけば、頷いていた。

それを見てか、ウルリヒは柔らかく微笑む。


「僕はね、かつてこの村に居たんだ…」


※※※






「黒き翼?」


ウルリヒが首を傾けると、皆には長老と呼ばれている村の長が、白い髭を揺らして笑った。

随分伸びて、ひとまとめにしたウルリヒの白銀の髪が背中で揺れる。


「そうじゃよ。この村の名じゃ」

「どうして黒き翼なんですか?」

「はて、どうしてじゃったかな」


長老はウルリヒが小さい頃から色々な事を教えてくれた。

昔からこの白い髭が生えていて、今いったいいくつなのか見当もつかない。

今日はその長老に呼ばれて、一応村で一番大きな家にやって来たのだった。

村の大人達が一同に会せる程…と言っても村人はそんなに多くは無いのだが、二人で使うには広い部屋で、ぽつんと向き合っていた。。

長老は木が組まれて一段だけ高くなった長椅子の上に座り、ウルリヒは絨毯変わりの布が敷かれた地面に正座していた。


「ウルリヒもあとひと月ほどで二十歳じゃろう。成人の義をせにゃならん」

「そういえばそうでした」


自分の歳を数える事はあまり無かった為に、ウルリヒは自分ももうすぐ大人の仲間入りするのだという事を失念していた。

何カ月か前に、フローリアンも同じように成人の義を行っていた事を思い出した。


「こう…アレですよね…?各家々をまわって…」

「なんじゃ、フローリアンにでも聞いたのか?」

「ちろっとだけ。各家々をまわって、花をもらうんですよね」

「そうじゃ。ウスユキソウじゃ」


ウスユキソウは、村の一番の特産物で、年中至る場所に生えている。

薬にもなるらしく、交流のある日には村の外でも売られている植物だ。

これが素朴で綺麗な白い花をつけるのだが、村では家々の庭でこの花を立派に育てあげ、こうして祭事の際に用いるのが習わしだった。

成人の義では、このウスユキソウを各家々から少しずつもらい、花冠と花束を作るのだそうだ。

そうして花で装い、成人の宣誓をするのだと長老は説明した。


「たのしそう」

「まあ、大した儀式ではないがのう」

「でも、みんなが僕の為に祝ってくれるのでしょう?すごく、嬉しい」


ウルリヒがそう言うと、長老は目を細めて微笑んだ。


「そうじゃのう…お前に…それにフローリアンの時も。村人は特に気合が入るじゃろ」

「どうしてですか?」

「そりゃ、お前達は“村の子”じゃからな」


もう十年になるのか、と長老は呟いた。


「お前達の両親が死んで…」

「そう…ですね」


ウルリヒの両親も、フローリアンの両親も、皆神聖であった。

だがどちらの両親も二人が幼い頃に死んでしまったのだ。

長老は悲しそうに眉尻を下げた。


「すまなかったのう…」

「どうして長老が謝るんですか?」

「うむ…お前達の両親はわしらの為に力を使い死んでいったようなもんじゃ…」


この村での神聖は短命だった。

それは力を使うたびにどんどんと弱って行くからだ。

まるで生命力をそのまま力に変えるかのように、異能を使うと病気が増え、体力が衰え、そして死ぬ。

それは神聖としての定めなのだとウルリヒは思っていたが、長老はそうではないと首を振った。

昔に会ったことのある神聖達は皆、力を使っても弱る事は無かったらしい。

だが両親は村の為や時には村の外の人達の為に力を尽くし、若くしてこの世を去ったのだ。

何故この村の神聖達だけそうなのかはわからなかったが、おかげで今ではこの村には神聖はウルリヒとフローリアンの二人だけとなっていた。

神聖から必ず神聖が生まれるわけではないし、人間から神聖が生まれる事もある。だが力を尽くして死んでいった神聖からは、またもその力をもった二人の子が生まれた。


「お前達はお前達の両親の忘れ形見…立派に育てる事が、わしら村人の恩返しなのじゃ…村の誰も皆、お前達の両親に感謝しておる」

「…僕は本当に神聖なのでしょうか…」


ウルリヒが俯くと、長老は途端に笑い声をあげた。


「ほっほっほ。そのあり得ない身体能力…人間であるはずなかろう。神聖でなくば獣の仲間じゃ。お前は人の形をした獣かのう」

「両親とも人間の形でした」

「じゃろう。そしてお前は月の存在すらも知らぬ幼き頃…月の解放を預言したではないか」


長老にそう言われて、ウルリヒは心臓を掴まれたような心地になった。

でも、それは、と小さな言葉だけが紡がれたが、続きは出なかった。


言えない。


皆がその預言に期待してくれていると知っているから。

恐る恐る顔をあげると、長老が歯をむいてニッと笑った。


「本当はな…わしらはお前が力の使えん神聖で良かったと思っておる」

「…どうしてですか?」

「お前達は優しすぎるからじゃ。力があれば使おうとするじゃろう。フローリアンめ…あやつもわしらの目が届かぬところで力を使っておるじゃろう」


長老がぎろり、と睨んだので、ウルリヒはあはは、と乾いた笑いで返した。

ウルリヒだって本当はフローリアンにこれ以上力を使って欲しくない。

だが、苦しんでいる人を目の前にして、そしてそれを目の前にしているフローリアンの心中を思うと止める言葉などすぐに失ってしまう。

自分が力を使えないから余計にそう思うのかもしれない。


「まぁ良い。ほれ、薬じゃ。フローリアンに届けてやれ」

「わあ、有り難うございます長老」


長老から麻袋を受け取ると、ウルリヒは笑って礼を言った。



「フローリアン!ただいま!」


飛ぶように村を駆け抜けて、村の入り口近くの家に飛び込んだ。

その小さな家はフローリアンの生家で、ウルリヒは勢いよくその扉を開いた。

小さな白い家の扉は、ウルリヒが何度も壊してしまって建付けが悪くてぎしぎしと鳴る。

流石に今では加減を覚えたが、その盛大に開かれる扉の音でフローリアンはウルリヒの来訪を知るのだ。

扉のすぐ横の小さな階段を駆けあがると、窓辺の寝床で横たわるフローリアンがにこり、と笑った。


「おかえり、ウルリヒ」

「…あれ」


フローリアンの傍の机に、一口の大きさに切り分けたサンドイッチが置いてあった。

それはいつもウルリヒ達にご飯を作ってくれる近所のおばさんが、フローリアンの為に作って、ウルリヒが持ってきたものだった。


「ごはん…食べなかったの?」

「ごめんね…どうしても食べられなくてね」


見るとほんの小さく、パンのカケラだけ齧られたような跡がある。

食べる努力はしたようだが、多分それはウルリヒやおばさんを気遣っての事だ。


「お粥の方が良かったかな…おばさんに作ってもらうよ」

「いや、今日はもう何も食べられそうにないから。おばさんにお礼を言っておいてくれないかな」


言いながらフローリアンは弱々しく笑った。

外に出なくなって何年が経っただろう。

足腰が弱って立てなくなってからどれくらいだろう。

年々青白くなって、痩せ細っていく彼の姿を見るのは苦しかった。

今では起き上がる事も難しく、食事もあまり出来ていない。


「あのね、長老に薬をもらってきたよ。それは飲めるかなぁ…」

「飲むよ」


フローリアンが起き上がろうと腕に力を込めたが、中々起き上がられない。

ウルリヒはフローリアンの肩を支えてなんとか起き上がらせた。


「フローリアン…」

「だいじょうぶだよウルリヒ。力さえ使わなければ、悪くなる事はないんだからね」


ウルリヒが水を持ってきて渡すと、フローリアンはなんとか薬と水を口に入れて飲み下した。

苦しそうに顔を歪めたが、しばらくすると静かに息を吐いた。


「だいじょうぶ…?」

「平気だよ。薬は効くみたいだから…今日は少しだけ体調が悪いみたいだけどね。それより長老の用って何だったのかな?私に聞かせて欲しいな」

「うん」


長老に聞いた成人の儀の事を話すと、フローリアンは嬉しそうに笑った。


「もうすぐウルリヒの誕生日だもんね。成人の義か…私もお祝いを用意するね」

「ほんと!うれしい!…あ。でも無理はしないでね…?」


ウルリヒが調子を伺うように顔を覗きこむと、フローリアンはくすくす笑った。


「大丈夫だよ。無理な事はやらないからね」

「うん…それなら良いんだ」


フローリアンが成人の義を行った時には、村人に肩を支えられて家を出たのを覚えている。

ウルリヒも肩を支えたかったが、未成年は儀式には参加できないのだ。


「僕も早く成人して、ウスユキソウを育てて、花をあげたいな…」

「そうだね…。村の人達に恩返ししなきゃね」


フローリアンが静かに窓の外を見た。

大きなこの窓からは、村の畑の一部や、子供達が元気に遊んでいる姿が見れる。

そして何より村から出入りする人々がよく見えた。

医者のいないこの村では、簡単に治らないような怪我や病気に罹ると、フローリアンを頼る事が多い。

村人たちが直接フローリアンに頼むのではない。

フローリアンを憚って怪我人や病人を運ぶ人達を、フローリアンが見咎めるのだ。

村外の近隣の街や村には医者がいるのだが、そこまで行くのに半日は要する。

その道中に怪我や病気が悪化するやもわからないし、患者をそこまで連れていくのは酷だと、フローリアンは力を使うのだ。


そしてフローリアンは疲弊していった。


ここまで悪化するのはあっという間で、フローリアンが力を使っても元気だった頃には村人はもっと気軽に彼を頼っていた。

そして気がついた時にはもう彼は自分自身の足では立てなくなっていた。

それからひとつ治すたびに、目に見えてフローリアンの容態は悪化している。


「私はね、ウル。君が私の分まで働いてくれて、本当に嬉しいんだ。私はこんな身体だから、仕事では役に立てそうも無いからね」

「そんな…フローリアンは力を使ってたくさんの人を助けたよ」

「そうだね。みんな喜んでいた。私は、嬉しいよ」


ウルリヒはフローリアンが“私”と言うのに憧れていた。

フローリアンは大人っぽくて、ウルリヒと違って落ち着きがある。

静かに優しく窓から見守る視線と、“私”と言う呼び方が彼の優しさ全てを表現しているようだった。

自分もそう言おうかと思って密かに練習していたりもしたが、中々様にならない。

それに今更変えるのも、なんだか気恥かしい。


「…そうだね、フローリアン。僕もみんなが喜んでくれたら嬉しいよ」


ウルリヒがそう言うと、フローリアンが優しい笑顔で微笑んだ。



フローリアンの家から出ると、ウルリヒは自分の家に向かって歩き出した。

そんなに離れてはいない距離を、ゆっくりと歩く。

昔からフローリアンとは一緒だった。

両親同士が仲が良かったと聞いていたが、兄弟のように育てられた。


フローリアンはこの間、木から落ちて大怪我をした子供を治して一度意識を失った。

あの時はウルリヒの心臓も止まったかと思うほど驚いた。

以来、フローリアンは一度も寝床を出ていない。

治した後の子供の笑顔を見て、フローリアンも幸せそうに微笑んだし、ウルリヒも嬉しかった。

それが私の幸せなんだ、とフローリアンは笑った。

ウルリヒも良かったと心から思った。


でも。


きっと次はもう。


「やっぱり僕は…」


ウルリヒは振り返ってフローリアンの家を見た。

そして、村の門を見た。


「…うん!」


ウルリヒは村の門に向って駆けだした。


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