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月と魔術師と預言者と  作者: カザ縁
11.太陽の影
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ウルリヒ 1

翌日、エルヴィンとウルリヒは準備を万端に整えて、待ち合わせ場所であるライヒアルトの部屋へと向かっていた。


「そういやウル、準備って何をやってたんだ?」

「ん、特別な事は何もしてないよ」


確かにいつもと変わったところは別段無い。

ウルリヒにとっては、里帰りするだけだからそれもそうなのだろう。


「少しだけ歌を思い出してたんだ」

「歌…?歌っていつもおまえが歌ってる?」


エルヴィンが思い出すように口ずさんでみると、ウルリヒはエルヴィンを見てにこりと笑った。


「ほんとうに覚えたんだね」

「まああれだけ聞けばな…」


ずっとウルリヒが口ずさんでいた歌。

ずっと側にいたのだからいい加減覚える。

ウルリヒがエルヴィンの口ずさむ歌を聞きながら、まぶしそうに目を眇めた。


「うれしいよ」

「うん?なにが?」

「君がその歌を覚えてくれて。だって、それは君がずっとわたしといてくれた事の証だから」


ウルリヒが軽やかに飛ぶようにエルヴィンの前に進み出た。

白銀の髪がひらりと揺れる後頭部を見て、エルヴィンは足を止めた。


「もしエルヴィンがわたしの事を忘れてしまっても、歌は忘れないでほしいな」

「え?」

「だって歌を覚えていたら、わたしが君と共にいた証も消えないから」

「…」


エルヴィンが足を止めた事に気づいてか、ウルリヒも立ち止まる。

振り返って不思議そうに目を丸めた。


「どうしたの?エルヴィン」

「…おまえは良いのか?忘れられても」


光を受けたウルリヒの灰色の瞳が揺れる。

しばらく黙ってウルリヒはエルヴィンを見ていた。


「…そりゃあ良くは無いよ。嬉しくない」

「…だよな」

「でも、今の君があるのは、過去の君が居たから。それは間違いない…それは忘れても、無くなるわけじゃないよ」


ウルリヒがそう良いながら柔らかく笑った。

つられてエルヴィンも少し口の端をあげた。


「…そうだな。ありがとう」


良いながらエルヴィンはまた歩き始めた。

でも、もし、過去の出来事をすべて忘れて、自分が今と全く違う自分になったら…。

誰の記憶の中にも存在しなくなったら…。

それでも無くなるわけじゃないのだと、言えるのだろうか?

そんな不安をエルヴィンは無理矢理押し込めて一歩を踏みしめた。



ライヒアルトの部屋を訪れると、すでにアーベルが居た。

そして珍しい姿…ちゃんと人間の形をしたアヒムがライヒアルトの側に立っていた。


「やあ、エルヴィン君、ウルリヒ君。久しぶりですね」

「…今日は鳩じゃないんだな」

「なんでそんな嫌そうな顔なんですか。しょうがないじゃないですか。アーベル君が剣を君に渡したら瞬間移動が使えなくなるでしょう。彼は簡単に帰って来れない。そうすれば誰が僕…の本体を守るんだい」

「知るかよ。勝手に死ねよ」


エルヴィンがぞんざいに返事すると、アーベルもため息をついた。


「そういう契約でアヒムに魔術を教わったんだ。それに今回はサポートしてもらう為に来たんだ」

「サポート?」

「俺はその…まだ未熟だから。補助魔術で手伝ってもらう」

「それって…だいじょうぶなのか?」


あらゆる意味で。

アヒムの事は全く信用していないのだが。

ライヒアルトが笑って応えた。


「アヒムの事は私が見張っていよう。何か怪しい動きがあればすぐに対応する」

「…その対応の内容が恐ろしいところですねぇ…ていうかヒドいです、皆さん。僕は単に他からのあらゆる影響を受けさせない為の結界を張るだけです」


言いながらアヒムが指さした床を見ると、大きな紙に茶色のインクで陣が描かれていた。

術式は確かに遮断と断絶を意味するものだ。

アーベルが紅い剣をエルヴィンに差し出した。


「それを持ってあの陣の中に入れ」

「…わかった」


アヒムはともかく、アーベルの事を信用している。

エルヴィンは剣を受け取って紙の陣の上に立った。


「良いですか、エルヴィン君。今からこの魔術を発動させると、君からはあらゆる感覚が断ち切られます。そして僕の声しか聞こえなくなります。僕の声に従ってください」


エルヴィンは一度ライヒアルトをみた。

ライヒアルトはいつものような力強い視線で頷く。


「わかった。始めてくれ」


エルヴィンがそう言うとアヒムも頷いて応えた。

そして自らの胸の前で、両手を握りあわせた。


その瞬間、足下からじわりと熱が伝わったかと思えば、まるで宙を浮いているなふわふわとした感覚に陥った。

暑くもないし、寒くも無い。

不快なわけでも、心地よいわけでも無い。

何の感触も感じないし、自分がそこにいるのかすらわからないような感覚だ。

まるで自分の“中身”だけがこの場所にいるような…そんな気分だった。


「目を閉じてください」


そう、頭の中で聞こえた気がして、エルヴィンはゆっくりと目を閉じた。




頬にちりちりとした感覚を感じて、エルヴィンは目を開けた。


「…ん?」


手にざらざらした触感を感じて見ると、砂が少し手についていた。

固いものに手が当たって見てみると、紅い剣が側に置いてある。

どこかに座っているのだと理解するのにわずかな時間を必要とした。


「だいじょうぶ?」


周りを見渡そうとすると、ウルリヒが顔をのぞき込んできた。


「大丈夫だ」


言いながらエルヴィンが手で払うと、ウルリヒが避ける。

目の前に広がった景色は、緑と青に覆われていた。

よく晴れた青空と、のびのびと天に向かう草原。

振り仰ぐと柱が見えて、伝う様に上へ上へと視線を持ち上げる。

それは白い精巧な造りの門であるようだった。


「…外か」

「外だね」


少なくとも最後の記憶の場所とは違うところにいる。

周りには見たことも無い景色が広がっている。

足元から見渡す限り青い草が生い茂って、目の前を覆うようなものは何も無い。

ただ点々と家のような質素で小さな造りの建築物がところどころに見えている。

よくみると轍のような、道のような僅かに足元の草が短い部分があった。


「…此処は…黒き翼の村?」


ウルリヒの顔を見上げると、にこり、と笑う目とあった。


「うん。そうだよ。成功したみたいだね」


言いながらウルリヒが手を伸ばす。


「ようこそ、エルヴィン」

「……ああ」


エルヴィンはその手を取って立ちあがった。


「あっさり成功したな」


ウルリヒの導きに応じて、二人は歩き始めた。

奇妙な浮遊感のまま目を閉じて、開けばすでに別の場所にいた。

なんとも不思議な感覚で、まるで夢でも見ているような気分だ。

しかし今までいたあの美しい水の都とは違い、現実的に目の前に広がるのは牧歌的な田園風景だ。

細い雲が何処までも続きそうな蒼い空に泳いでいて、足元には背の高い草が生い茂り、風の音と虫の声以外はほとんど何も聞こえない。

アーベルの魔術の効果も途切れたようで、身体は自由に動かせる。

帰りはまた別の方法を考えなければならないと思いながら、エルヴィンは心の中だけでアーベルに感謝した。アヒムにも少しだけ。

目の前の僅かな轍を、草を踏み倒しながら歩くウルリヒの背を追いかけた。


「静かな所だな」

「そうだね」


短い言葉でそう言って、ウルリヒは黙々と歩く。

何処かいつもと違うような声色に聞こえるのは気のせいだろうか。

通り過ぎ様、草に覆われた建物を観た。

木でできた小さな家にもみっちりと草が生えていて、扉の前まで草で覆われている。

大きな窓があったが、背の高い草や蔦に覆われているし、汚れているのか雲って中はよく見えない。

よく見れば家の下には割れた植木鉢や農具のようなものが転がっていたが、まるで人の気配は感じられなかった。


「此処は…廃墟なのか?」

「そうだね。其処には誰も住んでいないよ」

「…」


ウルリヒは振り返り微笑みながらそう言った。

だがエルヴィンは妙な違和感を覚えていた。


どうして此処はこんなに草が生えていて道すらないのだろう?


どんどんと進むウルリヒの後をエルヴィンは追いかける。


「…何処に向かっているんだ?お前の家か?」

「いや、少しだけ寄って行きたい場所があるんだ」


今度はウルリヒは振り向きもしなかった。

ウルリヒが歩いた後は、草が倒されていて歩きやすい。

だけどアルミーンや、あの壊れたクンツェルの街ですらもっと歩きやすい道が在った。

大きな木の傍にはまた家があった。

先ほどよりは大きな家だったが、やはり様子は同じで、とても此処から人が出入りしているとは思えなかった。 

傍にはよくみれば、道々に生えていた草とは違う種類の植物が生え伸びていた。

綺麗に区画されたように生えるその様子からして、此処はもしかして畑なのではないだろうかとエルヴィンは思った。


…どうしてこんな残骸が?


必要のない畑ならば他の誰かが手入れするか、潰してしまえば良い。

見て来た家々だってそうだ。

どうして此処には廃家が多いのだろう。

多いどころか、今まで見て来た建物はみんなそうだ。

大体よく通りそうな門からの道なんて、整備されていて当然じゃないだろうか。

そうでなくとも、人が通るならばこうしてウルリヒが通った後のようになっていて当然なのだ。


「…静かな所だな」


エルヴィンはもう一度呟いた。


「そうだね」


ウルリヒもまた応える。


「…静かすぎる…」


風の音、虫の声。


どうして人の声が無いのだろう?

どうして誰ひとり姿を見ないのだろう?


此処がたまたま人のいない場所だからだろうか。

エルヴィンはウルリヒが話していた村の事を思い出していた。

神聖の事を教えてくれた長老の事、ほのぼのしていた村の様子。


その話の舞台に自分は今立っているのはずなのに、登場人物には誰ひとり出会えていない。


突然じくり、と胸が熱くなった。


「なあ、ウル…村の人達って何処に住んでいるんだ?」

「…」


ウルリヒは何も答えない。

聞こえなかったのだろうか。

しかしエルヴィンはもう一度、同じ質問をする気にはなれなかった。


びくり、と手が震えた。


前を歩くウルリヒの姿が、彼では無いように思えた。

また廃屋の横を通り過ぎる。

そのたびにエルヴィンの心音はどんどんと激しくなっていく。

冷たい汗がじわりとこめかみを濡らす。


…これはもしかしてまだ夢なんじゃないだろうか。

まだアーベルの魔術の最中で、自分はきっと夢を観ているのだ。

早々簡単に魔術が成功なんてするわけない。

だからこれはきっと夢だ。

奇妙な感覚の、奇妙な夢。


「…着いたよ」


ウルリヒが立ち止まって、ようやくエルヴィンの方を振り向いた。

いつものように、口許には笑みを浮かべている。


「………」


エルヴィンの足はまるで凍りついたかのように、目の前に透明の壁があってそれ以上進めないかのように動かなかった。

手の先はきっと芯まで冷えている。

今、心臓は動いているのか止まっているのかもわからない。

頭が痺れて景色が歪む。


「今、みんな此処にいるんだ」


ウルリヒの呟きが頭の中で何度も反響する。

ウルリヒが話していた、長老の話、ほのぼのした村の様子。


「ここ…って」


エルヴィンの目の前には、無数の、名前の刻まれた石が並んでいた。


「墓地、かな。わたしが造った」

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