動き出す全て 8
「俺がアーベルです。初めまして、ライヒアルト様」
紅い剣を手に現れたアーベルは、ライヒアルトを見るとすぐに跪いてそう言った。
エルヴィインがアーベルに挨拶しようとするより早いその行動に、肩透しを食らった気分だ。
それでいてなんとなく無視されたような気もして何か空しい。
「初めまして。私がライヒアルトだ。今は…まあ、神聖君子を名乗っている」
「俺もライヒアルト様に従います」
「有り難う。君に協力して欲しい事があるのだが…エルヴィンから言った方が良いかな」
ライヒアルトの視線がエルヴィンの方を向くと、アーベルも立ちあがってようやくエルヴィンを見た。
相変わらず何処か不機嫌そうに眉を潜めている。
でもその顔をしているのは多分、エルヴィンを見ている時だけだ。
「協力って…エルヴィンに?」
「嫌なのかよ」
つい、嫌味的な言い方をしてしまった。
特定の人物に対しての言い方が妙にキツイというのは自覚している癖だ。
案の定アーベルはむっと眉間の皺を更に深くした。
「嫌とは言って無いだろ」
「…じゃあ、協力してくれないか?」
我ながらこの頼み方は無いだろう、と思う。
冷静に、と自分に言い聞かせてじ、とアーベルの目を見た。
「…協力?どういう事だ?」
アーベルの目が僅かに細められ、茶色の瞳に陰が差す。
エルヴィンはアーベルに今までの話を全てした。
※
エルヴィンの話が終わるまで、アーベルは適当な相槌と的確な質問以外は黙って話を聞いてくれていた。
「それで…つまり、紅い剣の力でその村まで行けないかって話だな?」
「そう。出来るか?」
「…」
アーベルは何も言わずに、瞑目してしばらく黙っていた。
考えているのだろうか。
しばらくしてアーベルはライヒアルトに振り返った。
「あれは剣を媒体に術を発動させるのでまず第一に剣を持つ者しか使えません。それから、同行者は術者に従うので、術者と同じ場所にしか行けません」
「ではまず試して欲しい事がある。その剣の力で君自身が“黒き翼の村”へ行く事が可能かどうか」
「明確にその場所を知っている同行者がいれば可能です」
「ではウルリヒと共に今すぐに行けるかどうか試すのは可能か?」
ライヒアルトがそう言うと、ウルリヒが立ちあがった。
アーベルも鞘から紅い剣を抜いて両手で持って構えて見せた。
「やってみます」
アーベルが瞑目し、紅い剣を上から真っすぐに振りおろすと、アーベルの足元から黒い影のようなものが現れた。
一瞬だけ黒い影がアーベルの全身を覆ったかと思ったが、黒い影は霧が散らされて空気に混じるように消えた。
「…無理ですね。まるで見えない壁が目の前に立ち塞がってるみたいで…」
「結界を破れなかったのだな。では、その剣はエルヴィンが使う事は可能か?」
「…エルヴィンは魔術が使えません」
「理由はわからないだろう?やってみよう」
ライヒアルトがにこりと笑うと、アーベルはぶっきらぼうにエルヴィンに紅い剣を突き出した。
「…これを持て」
「あ、ああ…」
アーベルから剣を受け取ると、思ったよりもズシリと重いその重量に手から滑り落としそうになった。
なんとか受け止めて改めて見ると、手先が僅かに震えた。
紅い剣が目の前にある…。
エルヴィンはアーベルがそうしていたように、柄をぐっと両手を握りしめて構えた。
「こ、こうか?」
「…ぶっ…くくくははは…へっぴり腰…!」
アーベルが耐えきれないと言った様子で、突然噴出した。
今までの仏頂面は何処にいったんだ。
流石にちょっと腹が立ったので言い返そうと思った。
「確かに凄い腰引けてるよ、エルヴィン」
ウルリヒがエルヴィンが何か言うより早く笑いながらそう言った。
エルヴィンはなんだかもの凄く恥ずかしくなってきて、顔に熱が集まるのを感じた。
「うううるさいっ。剣なんて持ったことねぇんだよっ。いいからやるぞ」
「わかった。じゃあまず、同行者を見ろ」
言われてエルヴィンはウルリヒを見た。
へらりと気の抜けたような笑顔を返すウルリヒ。
「それから…」
アーベルの言葉を聞いて、エルヴィンは頭の中で術式を組み立てる。
それ自体は学園で無意味な程繰り返してきた。
もしかすると魔術が使えるかもしれない…。
そう思うと心臓を打つ音がどんどんと速まって行くのを抑えられない。
緊張で手先が震えて、手に汗がにじむ。
それでも学園でずっとそうしてきたように、術式を頭の中で再現する。
剣を持つ手に一段と力が入った。
アーベルがそうしたように、縦に剣を振りおろした。
「…どうだ?」
「どう…って。別に…何にも…」
特に何もおこらない。
身体の状態は平常、やや心拍数が高い。
ウルリヒも目を丸くしてエルヴィンを見ている。
「…やっぱ無理か…」
期待はあまりしていなかったが、いざ失敗すると矢張り何か空しい。
緊張していた分アホらしさも割増だ。
「…元々、この剣は持ち主にしか使えないようになっていた」
剣を返す時にアーベルがぼそりと言った。
「じゃあなんでわざわざやらせたんだよ」
「…別に。その話本が当かどうかわからなかったし…それに、エルヴィンなら出来るかもって思っただけだ」
アーベルは剣を受け取りながら、ぶっきらぼうにそう言った。
何の為にこんな事させたのか、と少し腹を立てていたが、そう言われてなんだか怒りも収まった。
言い方には相変わらず険があるが、言っている内容はエルヴィンを信じてくれたという事だ。
学園で魔術が使えない神聖だと言われたエルヴィンでも、魔術が使える可能性を信じてくれた。
「…うん、有り難う」
「…ああ」
アーベルは目を丸くしてながらそう返事した。
それから少しだけ目を伏せて、剣を鞘に戻した。
「この方法でも駄目か…」
ライヒアルトが呟いた。
確かに今試した事が全て駄目なら、どうする事も出来ない。
他に方法を探すか、全く別の手段を考えるか。
探せば剣を介さずとも瞬間移動できるような魔術もあるかもしれない。
アテは全く無いのだけど。
ライヒアルトに聞いてみようかとも思ったが、知っていればライヒアルトは当然思い至っていただろう。
アーベルをわざわざ呼び寄せて聞いてみているのだから、他にあてが無かったのだろう。
今も目を落として考え込むように視線をさ迷わせている。
当然ウルリヒはいつものように呆けた顔をしているし、アーベルも目を伏せて立ったままでいた。
そしてエルヴィンもとにかく知識や知恵を総動員させたが、妙案が浮かんでくる事はなかった。
「もうひとつ試せるものがありますよ」
声に反応して振り向くと、ふくっと羽毛に空気を含ませて鎮座する鳩が居た。
まだ居たのか。
「試せる事ってなんだよ」
「教えて欲しいですか?」
すくっと立ち上がった鳩は、片翼をサッと上げながら調子良さそうに言った。
何とはなしにイラッとする。
「…そりゃ、教えて欲しいけど」
「けど?けど何です?」
絶対調子乗ってる。
エルヴィンは思わず鳩をわしっと両手で掴みあげた。
鳩がバタバタと手の中で暴れて、羽毛がベッドの上にはらはら落ちた。
「僕だってそんな簡単に情報教えられないよ」
「なんでだよ、教えろよ。何ならアンタが代わりにやってくれてもいいんだぜ」
鳥の細い首をきゅっと締めるように持つと、ぐえっと潰れたような声が聞こえた。
あまりやり過ぎると鳩を殺してしまうので、もちろん手加減はしている。
けど手加減の方法はイマイチわかっていない。
鳩はわさわさと羽根を震わせている。
「そうか」
ライヒアルトが突然声を上げて、思わずエルヴィンは鳩から手を離した。
鳩はぺとりとベッドの上に転げおちて変な声を出した。
「そうか…それは試してみる価値はあるな」
「え?どういう意味ですか…?」
エルヴィンが問うとライヒアルトは軽く笑った。
そしてライヒアルトの足元付近に転がる鳩に目を向けた。
「エルヴィンが剣を持ち、魔術を使うのは別の者。そういう事だろう」
「う、うぅ…なんで今のでわかっちゃうんですか…」
「貴方の得意な魔術だろう」
ライヒアルトは今度はエルヴィンを見た。
「このアヒムの得意魔術は、人や動物の身体を意のままに操る事だ」
「それは何処かで聞いた事ありますね…」
実際、こうして鳩が奇妙な程ぺらぺら喋っているのはその魔術に依るものだろう。
確か鳩と相性が良いのだと言っていた。
「自分の声や行動、更には感覚まで他のもので再現できるが、それは魔術にも当てはまる。つまり…のっとった対象を媒体に、魔術を発動できるという事だ」
「そんな事が…」
鳩はまた偉そうに立ちあがった。
「そうですよ。以前僕がエルヴィン君を助けてあげたじゃないですか。鳩の姿で魔術で」
「え…」
そんな事あったっけ。
イマイチ思い出せないのだが、その魔術自体は使える。
つまりエルヴィンが剣を持って、身体を操ってもらえば良いという事だ。
だがそれにもまだ問題は残っている。
「でも…剣はアーベル以外は使えないって」
「出来る」
エルヴィンが言いかけると、アーベルが鋭い声音で遮った。
「できる…と思う」
「できるって…アヒムのあの魔術を?」
アーベルは真剣な表情のまま深く頷いた。
「僕がアーベル君に魔術を教えたんだよ。頼まれたからね。アーベル君には一度助けてもらったし良いよって」
「なっなんでそんな事…?」
鳩の言葉に驚きを隠せないままエルヴィンはアーベルを見た。
アーベルはついっと顔を背けて、目線を落とした。
「…役に立つ強い魔術を使えるようになりたかった。それで少しでも…」
言葉は最後まで紡がれずに途絶えた。
アーベルがどのような想いでそうしたのかは完全にはわからない。
しかしエルヴィンの下を去って、わざわざアヒムに高度な魔術を習ったアーベルの気持ちが、少しだけ伝わったような気がした。
「でも…そんな高度な魔術、使えるのか?おっさんでも人間を完全に操るのは難しいって言ってたぜ」
あの時の人の数はたくさんいたが、人一人ですら完全に操るのは難しい気がする。
「逆らう意志が無くて…同調すれば。エルヴィンが完全に俺を信用してくれならできる。魔術も、剣の力に頼るから、そんなに難しくないはず」
「…アーベル」
アーベルに同調して完全に信用する?
そんな事が簡単にできるだろうか。
もちろんエルヴィンはアーベルに対して不信感など今は無い。
しかし、人に自らの身体を差し出す事は、とても恐ろしい事のように感じられた。
「…わかった。やってみよう」
だが、立ち止まっている暇は、無い。