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月と魔術師と預言者と  作者: カザ縁
10.月へ至る暗闇の道
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動き出す全て 5


「何事ですか!?」


扉が勢いよく開き、武器を持った兵士が部屋に入って来た。

その兵士の目が、驚いたように丸く見開かれているのをエルヴィンはぼーっと見ていた。


「お、王女様!ヘンゼル様!」

「大丈夫ですわ」


グレーティアの声がすぐ近くで聞こえて、エルヴィンはようやく自分の立場に気づいた。

自分はヘンゼルとティアに覆いかぶさるように、長椅子に重なるように倒れていた。

ウルリヒがそれを守るようにさらに立ちふさがり、目の前にあったはずの背の低い机は、少しの残骸だけ残して消えており、在ったはずの位地の絨毯は黒く焼けて床が見えていた。

いや、その床すらも穿たれている。

エドヴァルドが振りかぶるように紅い光を翳した瞬間、エルヴィンは思わずヘンゼルとグレーティアに覆いかぶさった。


あれは攻撃魔術だ。


あの時…、学園で見たあの。

それよりももっと禍々しい狂気を帯びた力。

そう考えた時に自然と身体が動いていた。


「大丈夫か…」


ヘンゼルの声が聞こえて、エルヴィンは自らの手を見た。

小刻みに震えている。

ひとつに結んでいたはずの髪がはらりと肩から落ちて、エルヴィンはようやく感覚を取り戻した。

…何処も痛いところは無いし、異常は感じない。

手元に落ちていたのは髪を止めていたはずの紐で、それが切れたようだ。

あの時のように、抗魔力がエルヴィンを守ったのだろうか。


「ふ、ははは…」


乾いたような、それでも何処か愉快そうな声が聞こえてエルヴィンはそちらを見た。

ウルリヒの背中の向こう側に、こちらを見ながら愉悦に口許を歪めるエドヴァルドが居た。


「成程、無傷か…。そうか…。私は嬉しいぞ」

「何言って…」


突然エドヴァルドが右手を真横に上げた。

手の行方を追ってみると、剣を構えた兵士が妙な格好で止まっていた。

何時の間にか、列に加わっていた使用人達や神聖もいる。

そして端にはマリアンネが両手で口許を抑えて不安そうに瞳を揺らしていた。


「お、王女から離れろ…!此処からは逃げられんぞ…!」


兵士が震える切っ先をエドヴァルドに向けて言った。

エドヴァルドは横目でちらり、とそれを見たような気がした。


「そうだな。私もそろそろ飽きていたところだ」


エドヴァルドの外套の裾がひらりと目の端を掠める。

一瞬の行動にエルヴィンが驚くより早く、ウルリヒが目の前を通り過ぎた。


「マリー!」


叫ぶような声にエルヴィンはようやく反応した。


「さて。動かないでもらおうか。この娘が何者か、知ってるだろう?」

「あ…あ…」


エドヴァルドの腕が捕えていたのは、怯えて顔を引き攣らせるマリアンネだった。

エドヴァルドの非力そうな腕が、マリアンネの首に食い込む。

そのたびにマリアンネが苦しそうに声を出した。


「その娘を放せ!」


ウルリヒが彼らしからぬ形相で、そう喚いた。

エルヴィンはどうして良いかわからず、それでもエドヴァルドを此処から逃がしてはいけいなと思った。


「何をする気だ…アンタの狙いは王女だろ…」


エドヴァルドは一歩、また一歩と後ずさり、人の群れから離れて行こうとする。

しかしその背後には壁が迫っていた。

追うように兵士やウルリヒがにじり寄ると、マリアンネが苦しそうに呻いた。

そして右手に再び紅い光が集まりだした。


「止めろ!」

「私の狙いは月の解放だ」


エドヴァルドがにやり、と笑いながらエルヴィンに言った。

冷たい氷を呑みこんだように、身体の芯から冷えていくような心地がした。


「どうしてお前がその事を…。何の為に…お前は何者なんだ」


エルヴィンが絞り出すような声でそう言った。


「私が何故こうして“生まれ変わった”か。そしてお前が何故“生まれ変わった”か。…その意味を考えてみるのだな」

「え…?」


エドヴァルドがそう言うと、背後の景色が一瞬歪んだように見えた。

何も無い壁から突然現れたのは、紅い服を纏い、紅い剣を持った人だった。


「エルヴィン」


エドヴァルドの声が、頭の中から響いてくるように感じられた。

鼓動を打つ音が頭の中を支配していく。


「このままお前に逃げられてしまっては意味が無い」

「逃げるって…」

「月の解放が為されるまで、この娘は預かっておくことにしよう」


エドヴァルドがまた一歩下がった。

その途端背後の紅い人物が、紅い剣を振りおろした。


「ま、待て!」


エドヴァルドの姿が闇の中へと消えて行く。

怯えたような目で震え続けるマリアンネと共に。


マリアンネの両の瞳から涙があふれて、誰もいなくなった床に雫を残して消えて行った。


「マリアンネ…!」


ウルリヒが駆けよったが、そこに居たはずの人達はもういない。

力が抜けたように足から頽れてその場に座り込むウルリヒ。


「どうして…」


小さく呟いた言葉はエルヴィンの耳に届くが、何と言えば良いのかわかない。


月を解放しないとマリアンネを返さない?

返さないとどうなるのだ。

そんな事を言われても、エルヴィンにはその方法がわからない。

それに今、月を解放したらどうなる?


頭の中が次々と濃い闇に覆われていく。


それにエドヴァルドが言っていた事も気になった。

意味?生まれ変わった?…全然わからない。


視界がぐらぐら揺れる。

………吐き気がする。


どうしろっていうんだ。


きっと自分は今、制御出来ないくらいに混乱している。

そんな風に分析出来るほど冷静な自分も居る。


だけど答えは見つからなかった。




交渉は最悪の形で決裂、神聖教との対立が確定となった。

そして神聖教の頂点に立つ神聖君子が行った“人への攻撃”

それは神聖教が約定としての教義を完全に捨て去った事、神聖の力が人間に牙を向いた事を示すものだった。

王女が狙われた事で人々は神聖教への怒りをあらわにし、不安を憤怒に変えた。


すべてが嫌な方向に流れている。


「エルヴィン、ウルリヒ」


ライヒアルトが名前を呼ぶ声が聞こえて、エルヴィンはビクリと肩を揺らす。

今、彼の目の前からは逃げだしたい程だったが。

地面に張り付いたように足は少しも動かない。

ベッドに座るライヒアルトの姿をまともに見る事が出来ない。


「二人共、酷い顔をしている」


のろのろと顔を上げると、ライヒアルトの真黒い瞳と目があった。

しかし彼がどんな表情をしているのかわからなかった。


「…ごめんなさい、ライヒアルトさん…」

「君達が悪いわけでは無い。私が迂闊だった」

「でも…」


ライヒアルトはゆっくりと首を左右に振った。


「誰のせいでも私は自分を許せない。そして君達もそうなのだろう。だから…マリーを救う方法を考えよう」


ライヒアルトの力強い言葉に、エルヴィンはぎこちなく頷く。

まったくライヒアルトの言う通りだ。


「エドヴァルド殿は月を解放するまでマリーを預かる、と言ったのだな」

「はい…エドヴァルドは…今、行方不明、らしいです」


神聖教本部のフォルトゥナートにもエドヴァルドは戻っていないらしく、騒ぎになっている。

いったい彼は何処に消えてしまったのか。


「ならば、月を解放する道から探ってみよう。エドヴァルド殿を探す事は今は不可能だ」

「でも…じゃあ、月を解放しなくちゃ…ならないんじゃ」

「それはわからない。エドヴァルド殿がどう出るかだ…それに。前も言ったが、月を解放しても再び月を封印する手段があるかもしれない」


ライヒアルトが言っているのは希望的観測に過ぎない。

それでも、今はその道に向かって進まなければマリアンネを救えないのだ。


「エルヴィン…すまないな、君に重荷を背負わせてしまって」


エルヴィンはゆるゆると首を振った。

これはエドヴァルドの策略なのだ。

ライヒアルトが悪いわけでも、マリアンネが悪いわけでも無い。

それに、一番つらいのはライヒアルトのはずなのだ。

それなのに彼は気丈に自分達を励ましてくれている。

自分は何をやっているのだろう。


もう何も考えたくない、今すぐに逃げだしたい。


それでも逃げられない心は闇を覆ったまま。

視界がぐらぐら揺れて、吐き気がする。


「エルヴィン…助けよう」


肩に乗った手のひらの暖かさに、エルヴィンはハッとした。

ウルリヒの不安そうな、それでも力強い瞳がエルヴィンを射抜く。

一筋の光のように差した暖かさには、少しだけ心が軽くなって吐き気がおさまる。

そうだ、ウルリヒも一緒にいるのだ。

エルヴィンはようやく力強く頷いた。



翌日。

騒ぎの収まりきらない城に、エルヴィンとウルリヒは来ていた。

月の解放への道を探そうと心に決めたエルヴィン達を呼んだのはグレーティアだった。

昨日とは違う別の応接間に、エルヴィンとウルリヒ、そしてグレーティアとヘンゼルが向きあって座っている。

より警戒を強めた兵士らを強引に部屋から追い出して、グレーティアは人払いをした。


「話って何だ?」

「昨日の話ですわ」


グレーティアが眉を潜めて、ためらうようなに視線を逸らす。


「…月の解放…そう、エドヴァルドは言ってましたわね」

「あ、ああ…」


グレーティアはぐっと視線を上げて、射抜くような視線でエルヴィンを見た。


「もしかして貴方がたは、“約束せし者”ではありまんの?」

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