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月と魔術師と預言者と  作者: カザ縁
10.月へ至る暗闇の道
102/126

動き出す全て 1


「君に頼みがある」


小さな声でそう囁いたライヒアルトの顔をエルヴィンは見た。


「頼み…ですか?」


こくり、と軽く頷くライヒアルト。

皆が街を取り戻す為に戦いに行くと決めた後、足手まといの自分はどうしようかと思っていた所なので、たとえどんな内容であれ断る理由は無いだろう。

しかし、皆がいなくなった今この状況で、他でも無いエルヴィンに頼みがあるというライヒアルトに少しだけざわりと心が騒いだ。


「俺にできる事であれば…」


ここでなにがなんでもやる、と答えたいところだったが、自信の無さと少しの不安が無難な言い方をさせた。

ライヒアルトは軽く微笑む。


「君にしかできない事だ」

「何ですか?」

「私は再び神聖君子になろうと思う」


さらりと放たれたライヒアルトの言葉を一瞬理解できなかった。


「どういう意味ですか?」

「言葉通りだ」

「それは………正式に…てわけじゃいですよね…」

「神聖教会に、という意味ならば少し違うかもしれないな」


ライヒアルトの言葉ひとつひとつをかみ砕きながら、エルヴィンは頭の中で彼の言いたい事を組み立てた。


「つまり、エドヴァルドに対抗する、という事ですか」

「さすがに理解が早いな」

「教会とは別に神聖君子を立てるという事ですね」

「そうだ」

「それは…教会の神聖君子…つまりエドヴァルドが不正な神聖君子であり、それを奉る神聖教それ自体を正当なものでは無いと批判するって事ですか」


エルヴィンの問いに、ライヒアルトは深く頷いた。


「そうだ」

「…神聖教を二つに割るんですね」

「…そうだ」


なんとなくライヒアルトの顔を見る事ができなかった。

神聖教、それ自体の対立。

それはエルヴィンの考えには無かった。

だけどライヒアルトはずっと考えていたのだろう。


「…人間を守る神聖…ですか」

「彼らに大義名分が必要なら、私がそうなろう。実を言えば、教会が信じられず、道に迷った神聖達から相談を受けていた。もちろん私は教会が強硬手段に出なければ、こんな事をしようと思わなかっただろう。だが…今の神聖教会を牽制するには、同等以上の力を持つ抑止力が必要だ」

「確かに…でも…」


エルヴィンは今回ばかりは、ライヒアルトに全面賛成できなかった。

もちろん人間を守る事には大賛成だが、神聖同士が対立してしまうという事が、肯んずる事ができない。


「わかっているエルヴィン。私とて自分が何をしようとしているのか。新たな争いの火種を生もうとしているという事が。だが…このままでは人々がただ闇雲に神聖を恐れて、死んでいく」

「…はい」

「簡単に戦をせさるつもりは無い」


ライヒアルトの力強い言葉に、エルヴィンはようやく顔をあげた。

真黒い、底が見えないのに澄んだような瞳がエルヴィンを射抜く。


「私は盾だ。神聖の脅威から人々を守る為の」

「盾…」


心臓をきつく捕まれたような心地になった。

なんだか涙が出てきそうになって、エルヴィンは浅く息を吐いた。


「でも…一番危険なのは…ライヒアルトさんです…」

「わかっているさ」


エルヴィンを安心させる為か、ライヒアルトが穏やかに微笑んだ。

この対立の最前線に立たされるのは、他でも無いライヒアルト自身。

こんなに弱りきっているのに、敵意と非難の矢面に立たされるのだ。


「大司教達はこれを恐れていたのだろう。どうせなら姿を現してやろうというだけだ」

「ライヒアルトさん…」


快活に笑ってはいるが、痩せた頬とか細い指が彼の衰弱を示している。

だが、エルヴィンにはどんな言葉で説得すれば、どんな妙案で打開すれば良いのかわからない。

ライヒアルトの穏やかな視線の中に、決意が見えた。


「………わかりました」


エルヴィンは小さな声でなんとかそれだけ言った。

自分だけ逃げるわけにはいかないのだ。

少しでもこの状況を好転させる事ができるなら、自分の身が傷つく事を恐れている場合では無い。

それでも心から血がどくどくと溢れてきているような心地だ。

頭がクラクラして、身体が熱くなる。

なぜ自分でもこんな想いになるのか、もはやわからない。

しかしこのままでは、ただ事態は悪化していくだけなのだ。


「大丈夫か、エルヴィン。すまないな…君に辛い想いをさせる」

「いいえ…一番辛いのはライヒアルトさんのはずです。俺に少しでも手伝える事があるなら…」


それは本心だった。

まさかライヒアルトが虎視眈々と神聖君子の地位を狙って対立しようとしているなどとは思わない。

事実彼は、盾となる為にそうなるのだろう。

ならばその盾の一部に自分もならなければならない。


「でも、どうするんですか?一度教会に有罪を言い渡されて、神聖君子の地位を退かされたのですよね」

「徹底的に冤罪を主張する。そのうえで私が真の神聖君子であると主張し、認めてもらう必要がある。それは私に味方してくれる数々の神聖らがそうしてくれるであろうが…君の力が大きくなるだろう」

「俺ですか?」


自分は魔力も使えない唯の元学生だ。

教会に関しては何の権力も無い。


「君はかの英雄ヴェンデルベルトの系譜を継ぐ者だ。ヴェンデルベルトは教会の理念の祖。つまり教祖。その系譜を継ぐ者が認める神聖君子、神聖教こそが真理だと主張する」

「ヴェンデルベルト…」


ざわりと泡立つのを感じる。

今まで意識した事も無かったが、英雄ヴェンデルベルトの系譜を継ぐ者。

その名がどれだけ重いものかと理解させられる。


「でも…本当にそんなことで?」

「教会の正当性の主張など、そんなものだよ。もちろん、それだけでは納得できない者も多い。これは一種の儀式なのだと考えてくれて良い」

「儀式…じゃあ他にも何かあるんですか?」

「王国に味方について頂く」


言いながらライヒアルトは、ベッドのそばの小さな小物入れの抽斗を引いて、中から蝋で封をされた手紙を取り出した。


「国王に宛てた親書だ。王国は今まさに神聖教の脅威にさらされ、行動を決めあぐねている。こちら側についてもらうには今しか無い」

「こちらの味方につきますかね?」

「多少痛みは伴うかもしれないな…」


ライヒアルトは僅かに目を伏せた。

きっとまた何かを背負おうとしているとエルヴィンは思った。


「この手紙を、国王に直接届けてもらいたい」

「お、俺がですか?」

「不可能か?」


ライヒアルトの問いに、エルヴィンは考える。

頭に浮かんだのはヘンゼルとグレーティアの二人の王族だった。

あの二人に託せば…いや、直接届けて欲しいと言ったのだ。

頼めば、国王に直接会えるだろうか。


「…わかりました、やってみます」

「ああ、頼んだ」


手紙を受け取って、エルヴィンはそれを大切に仕舞った。

重大な使命を帯びてしまったのだ。


「俺がライヒアルト様を神聖君子と認めると、直接国王に進言すれば良いのですか?」

「ああ、そうしてくれ。それと…彼らが行った街にも。戦いを止めてくるんだ」


それが抑止力としての最初の使命なのだろう。

エルヴィンは頷いた。

果たして自分にどこまでできるかわからなかったが、震えて立ち止まっているわけにはいかなのだ。

部屋を出ようと立ち上がると、ライヒアルトが声をかけた。


「エルヴィン………頼んだ」


エルヴィンは深く頷いて、部屋を後にした。



皆が街に戦いに向かった頃、エルヴィンも動き出した。

以前のようにグレーティアの城に向かい、謁見を頼んだ。

すぐにグレーティアとヘンゼルがでてきて、それからどうなったのだと矢継ぎ早に聞いてきた。

彼らは無事に脱出した事、それからライヒアルトの事を二人に伝えた。


「…本気か、ライヒアルト殿は」

「もちんろ本気だよ」

「確かに神聖が味方してくれると言うならこれ程心強い事は無い…が」


ヘンゼル達も複雑な想いを抱いているのだろう。

エルヴィンは国王に親書を直接届けたいという旨を、二人に伝えた。


ヘンゼルとグレーティアが身分を証明し付き添う事を条件に、貴族員に出席する事を許された。

そこでエルヴィンは直接、王にライヒアルトの親書を託して、ライヒアルトが正式な神聖君子である事を認めると伝えた。


そのあと貴族員会議は紛糾し、結論が出るまでの間エルヴィンはグレーティアの城で待たされる事になった。

答えが出るまで、エルヴィンは悶々とした時間を無為に過ごしていた。

こうしている間にも、彼らは戦いの準備を進めているのだろう。


陽が落ちる頃に、ヘンゼルとグレーティアは帰ってきた。


「王国はライヒアルト様を真の神聖君子であるという主張を認め、支持する事にした。エドヴァルドを抑止するにはそれしか無いだろうと」

「そうか…それは良かった」

「そうでも無い」


ヘンゼルは難しそうに眉を潜めて首を振った。

どういう意味か問いただすエルヴィンに応えたのはグレーティアだった。


「その代わり、ライヒアルト様は我が王国で護らせて頂く事になりましたわ」

「それって…ライヒアルトさんを人質にとるって事か?」


グレーティアが済まなそうに重々しく頷いた。


「王国はライヒアルト殿を信用しているわけでは無い。その保証、だそうだ」


人質があれば味方となる神聖も動かせやすいだろう、とヘンゼルは言った。

ライヒアルトの言っていた痛み、とはこの事だったのだろう。

エルヴィンにはそれを拒否する事も、交渉する権利も無い。

ただ彼の元にこの話を持ち帰るしか無いのだ。


「君はこれからどうするのだ?」


ヘンゼルの問いに、これから街へ行ってこの事を伝えるのだと答えた。

それをやらなくてはならない直前になって、突然不安が心中を覆った。


「俺の話なんてみんな聞いてくれるかな…」


つい弱音を吐いてしまったエルヴィンに、ヘンゼルの眉がぴくりと跳ね上がる。


「そんな心配をしようがしまいが、やらなくてはならないのだろう」

「…うん、そうだな」


今ここで不安に思っていても致し方無い。

だが自信の無さはどうにも埋めようが無かった。

そんなエルヴィンの心中を察してか、ヘンゼルはびしりと指を突きつけて言った。


「良いか、話を聞いて欲しい時は、視線を集めろ、口を閉じさせろ」

「そんな事どうやって…」

「無視できないような格好をするのだ。君にはその素質がある。神聖の英雄の系譜だと言うならば、そういう雰囲気を作り出せ。まずは胸を張れ。それから優雅に、ゆっくり堂々と歩くのだ。それから表情は見せるな。何を考えているのかわからない程感情を殺せ。君が何を言うのかと、聴衆に期待させるのだ」


さらりと言ってくれるがそれはとんでも無く難しい事のように思えた。

だが意識してやってみる価値はあるかもれない。


「それから…そうだな…髪は下ろした方が良い。そっちの方が神秘的だ。あと服は上質なものを着ろ。色は黒が良い」

「そんなもん持ってるかよ」

「ボクが貸してやろう」


言うが早いが、ヘンゼルは部屋を飛び出して何処からか、上質な生地で作られた立派な外套をもってきた。

よく見ると細かいレース編みと刺繍が施されていて物凄く高価そうだ。


「…相変わらず偉そうなヤツだな」

「偉いんだよ、ボクは」


そう言ってフン、と鼻を鳴らすヘンゼル。

しかし確かに、今回ばかりはヘンゼルに色々助けられた。

彼のその自信を少し分けてもらいたいと思っていたが、彼自身もそれは虚栄心なのかしもしれない。

それでも態度を崩さないのだからそういう所を見習って行こうと思い、少しだけ自信が湧いた。


「ありがとう、ヘンゼル。グレーティア」

「ああ」


ヘンゼルはそっぽを向けて手を振ったが、グレーティアは何故か頬に手を当てて、あら、と言った。


「何、その反応」

「いえ。成程って思っただけですわ。これは仕方無いですわね」

「どういう意味だよ」


いいえ、と何故か満足げに微笑むグレーティア。

なんだかもやもやしたが、お陰で不安は少しだけ払拭された。


ライヒアルトに王国の決定を伝えると、王国の要求を全て受け入れると言った。

すぐに王城で軟禁される事になり、マリアンネとユーリエが付き添う事となった。

エルヴィンは不安だったが、誰もいないアーヘンバッハの屋敷よりかは安全だというライヒアルトの言葉を信じるしかない。

だが確かに、王国がライヒアルトを利用しようとしている限りは守ってくれるだろう。

エルヴィンはヘンゼルに借りた服を着て、ユーリエとマリアンネに見送られ城を出た。


「…エルヴィン様。お気を付けくださいませ」

「あぁ、有り難う」


ユーリエの気づかいの言葉にお礼で返すと、ユーリエは少しだけ笑ったように見えた。

最初は無表情な人だと思っていたが、なんだか少しだけ表情が解るようになってきたような気がする。

記憶を失う前の自分に近づけたようで、少しだけ安心できた。


「あ、あの…エル…ヴィン」

「なんだ?」


少し疲れたような顔でマリアンネがエルヴィンの服の裾を掴んだ。

こんな積極的なマリアンネは珍しい。


「あ、あの…ウルリヒに…皆で…無事に帰ってくるって言ってた…約束したから」

「ああ、安心しろよ」


多分、マリアンネも気遣いのつもりで言ったのだろう。

そしてウルリヒの事が心配でたまらないのだろう。


「すぐに帰ってくる。その為に俺は行くんだから。お前達もライヒアルトさんを頼むな」


マリアンネは何度もこくこくと頷き、ユーリエは軽く頭を下げた。

その様子を見てから、エルヴィンは歩き出した。


街の外の船着き場に出た所でエルヴィンは地図を取りだした。

どうやって其処まで行こうかと考えてるが、妙案は浮かばない。

駅馬車か、商売に行く行商人ならば近くを通るかもしれないが、神聖守護騎士がうろついているような場所に迂闊に行くわけには行かないだろう。

それはエルヴィンとて同じだった。

どうにか街の中の人と連絡を取る方法は無いかと思っていた時だった。


「エルヴィンか」


聞き覚えのある声に振りかえると、馬に乗ったヴィルフリートがエルヴィンに近づいてきていた。


「ヴィ、ヴィルフリートさん…!どうしてこんな所に…」

「まあ色々な。話は聞いた。街までは私と共に行こう」

「聞いたって誰に…」

「ライヒアルト様の協力者だ」


何だか釈然としないと思ったが、願っても無い事だったので、ヴィルフリートの操る馬に乗ってエルヴィンは街に向かったのだった。


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