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月と魔術師と預言者と  作者: カザ縁
9.約束の街
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約束の街 7

何にも臆する事なく悠然と歩み出るヴィルフリート。

ウルリヒの側を通り過ぎた時、間近で見た横顔はいつもと変わらずに研ぎ澄まされていた。


「ヴィル。来ていたのか」

「はい…アーヘンバッハ様。この場を少しだけお借りしてもよろしいでしょうか」


アーヘンバッハは頷いてから、進路をヴィルフリートに開けた。

騎士隊長がヴィルフリートを見てから眉根を寄せる。


「貴方は…裏切り者の貴方が一体何の用か」

「私は神聖教に忠誠を誓ったりしない。私の主はライヒアルト様ただひとりのみ」


まっすぐと騎士たちを見つめてヴィルフリートは言い放った。

彼の揺るぎない、汚れない忠誠心がまっすぐと心を射抜くように響く。


「それで?神の庇護が在る、と宣うのだから何か意味があるのだろうな」

「当然だ」


ヴィルフリートは一度だけちらりと振り返り、それから再び正面の騎士たちに向きなおる。

すう、と耳に届くくらい大きく息を吸い、胸に溜めた。


「我らはエドヴァルドを神聖教の正式な神聖君子とは認めず、教会に対する反乱とし、我らがライヒアルト様こそがクロヴィスを継承する正式なる神聖君子、及び神聖教とする」


ヴィルフリートが宣言するように言ったその言葉がウルリヒには一瞬理解できなかった。

しかしその場にいた騎士も民衆も、一斉に声を出して騒ぎ始めたのを聞いてただ事では無いと悟った。

特に騎士たちの同様は激しいようで、狼狽えるような声が切れ切れに耳に届いた。


「妄言を!エドヴァルド様は教会に正式に認められた神聖君子である!」


騎士隊長がざわめきを治めるように激しい口調で言った。


「正式な神聖君子であったのはライヒアルト様だ。そのように空になった教会の聖君など、認められるはずが無いだろう」

「貴様こそ何を言っているのかわかっているのか!ライヒアルト様は反逆者。それを神聖君子としてたてるなどと」

「冤罪だ。ライヒアルト様は陥れられた」

「そんな事、誰が認めると言うのだ。貴様が勝手にライヒアルト様を神聖君子として立てているだけではないのか」


騎士たちのざわめきはさらに大きくなっていく。

ヴィルフリートはその様子を静かに見回した。


「神聖に仕える騎士たちよ!どちらが聖なる王か、見れば歴然であろう!」


ヴィルフリートが騎士たちに言うと、再びざわめきが広がった。


「世迷い言を!貴様の言うことが真実であるという証拠はどこにある!」


騎士隊長が飲み込まれそうな空気を押し返すように喚く。


「証人ならばいる。ライヒアルト様の代人だ」


ヴィルフリートが振り返る視線を追うと、いつの間にかウルリヒの隣に誰か立っていた。

その人も、ヴィルフリートがそうしたように、ゆっくりとフードを脱いだ。

長い艶やかな黒髪がウルリヒの目の端を掠めた。


「エル…ヴィン」


髪をおろしているせいか、いつもより際だって見える黒。

エルヴィンはウルリヒをちらりと見て少しだけ笑ったように見えた。

だけどすぐにまっすぐと騎士たちを見て、ゆっくりと歩み出た。

通り過ぎる時に見た横顔は、見たことも無いくらい怜悧そうで、冷たいほどに美しかった。


まるで彼が歩く場所から、聖なる風が吹くように。

ざわめいていた人々が一人、また一人と口を閉じていく。

星明かりを受け止めた夜空のように輝く艶やかな黒髪に、どんな絵画よりも完成された美しさを湛える横顔に、如何なる宝石よりも魅力的に煌めく瞳に、人々は惹きつけられるように見つめた。

エルヴィンがこんな風に見えるのは初めてだ。

彼の顔を見慣れていたはずのウルリヒでさえも、その美しいなんて言葉では収まらないほどの姿に、恐ろしささえ感じた。

そう、彼は自分とは違う世界の住人なのだと。

その背中を追いかけたいのに、近づくことさえ許されないような気がした。

彼こそが神の使者なのだと、立ち姿だけで誰もに思わせた。


「彼はライヒアルト様の名代、エルヴィン殿だ」


ヴィルフリートが紹介すると、ようやく空気が現実に戻ってきたように感じた。


「この…少年が?」


騎士隊長が掠れた声で言った。


「はい。私がライヒアルト様を真の神聖君子と認めます」


エルヴィンが清らかな声音でそう言った。

騎士隊長はおそらくエルヴィンを観察しようとしたのだろうが、叶わずに不自然に視線を逸らした。


「何者だ」

「ヴェンデルベルトの系譜を継ぐ神聖です」


古の英雄を継ぐ者としてエルヴィンは名乗った。

ヴェンデルベルトは教会の理念を作った教祖。

その彼に連なる者が、ライヒアルトが真の神聖君子であると認めた。


「彼が偽物だと疑うか?」


ヴィルフリートが問うと、騎士隊長は言葉に詰まったように僅かに口を開いただけだった。

エルヴィンを直視したまま反論することができないらしい。

力を見なくても、彼が古の英雄に連なる者だと言うことを誰も疑わない。

彼に反論する事それ自体が罪であるかのように感じた。

こんな少年に支持されるライヒアルトはまさに神に選ばれた者なのだろう…そう思わせるような空気が在った。


「それに王国も神聖教の行為を認めず、これ以上の侵入は侵略と見なすと貴族員は決定しました。つまり…王国もライヒアルト様を真の神聖君子だと認めたという事です。いずれ王国から正式な通達がくるでしょう」


エルヴィンが張りつめた声で言うと、ざわりと空気が泡立つ。


「ライヒアルト様を聖君と認める神聖達も既に王国に集まっている」


ヴィルフリートの言葉に場にざわめきが飽和して、耳に入る言葉が混沌とする。

ヴィルフリートが振り返り、アーヘンバッハを見た。

今まで黙っていたアーヘンバッハが軽く頷き、前に進み出る。

そして右腕を高らかに上げた。


「神聖教に忠誠を誓う騎士たちよ!真なる聖君はライヒアルト殿だと認めるならば我に続け!エドヴァルドを恐れるな!神聖を恐れるな!」


アーヘンバッハがよく響く声音でそう言うと、一斉に民衆達が歓喜するかのような雄叫びをあげた。

慟哭が大地を揺らすようにその場の空気を塗り変えていく。

そしてその熱に浮かされたように、騎士の何人かが取り憑かれたように、ふらふらと足を動かす。

そのうち波のように、騎士たちの何人かががこちら側へと向かってきた。

騎士隊長は何も言わず動かず、ただ前を見て、何かをこらえているように見えた。


そうして騎士達のおよそ半数が民衆に迎合した。


完全に分かたれた後、騎士隊長は小さな声で退避を命じると、残った騎士達は皆背を向けて去って行った。


その様子を見て、完全に騎士を退けた事を理解した民衆達はワッと歓喜の声をあげて喜び合った。

王国の事、ライヒアルトの事を口々に言い合って自らの健闘を称えた。

皆気が抜けたように笑い合い涙する様子を見て、ウルリヒもようやくホッとした。


場の空気は完全に崩れて、寝返った騎士達はヴィルフリートの元に集まり、民衆達はアーヘンバッハの元へと集った。

ウルリヒはエルヴィンの背中を探したが、人混みに紛れてしまって見つからない。

背の高いアーヘンバッハやヴィルフリートの姿なら見つかる。

しかしあの存在感溢れていた少年の姿だけが見つからない。

わざと隠れているのでは無いかと思うくらいだ。


「あ」


うろうろと視線をさまよわせていると、ウルリヒの目の中にレネの姿が映った。

しかし気づいたと同時に、もの凄い早さでウルリヒの脇をすり抜けた。

その横顔は獲物を見つけた獣のように鋭利で、殺気に満ちていた。

ウルリヒがびくりと身体を震わせるほどの鬼気を帯びて、腰から剣を抜いて迫るその先にはアーヘンバッハが居る。

びくりと心臓が震えたような気がした。


「…」


高い音が響きわたり、刃物が突き刺さる。

アーヘンバッハが目を見開いたその先に、レネが居た。


「レネ…」


ウルリヒが駆け寄ると、レネの足の下で誰かが転がっていた。

その手元の地面には刃が突き刺さっている。

どうやら気を失っているようだ。

レネは冷めた瞳でその男を見下ろしていた。


「アーヘンバッハ様!お怪我は!」


セリムが駆け寄ると、アーヘンバッハは両手を上げて無事を示した。

アーヘンバッハに向かって振り上げられた凶刃を、レネが折ったのだ。

ウルリヒはセリムが“気をつけろ”と言った事を、今更思い出していた。

だがレネは、アーヘンバッハを守り抜いたのだ。


「気抜きすぎじゃないの?」


レネが嘲笑しながら言ったが、アーヘンバッハはなぜか満足そうに微笑んだ。


「…そうだな。だが、後ろをおまえに任せていれば、恐れるものなど何も無いだろう」


アーヘンバッハの言葉に、レネは目を見開いた。


「よく、信頼に応えてくれたな」

「…」


レネは目を見開いたまま何も言わずにアーヘンバッハを見つめていた。


「…信頼?」

「そう。でなくば、おまえは何故、私を助けた?」


アーヘンバッハが少し意地悪く言うと、レネはふいっと視線をそらせた。

瞳は真っ直ぐと地面を見つめていて、自分でも答えを探しているように見える。

それも当然だろう。レネは考えるよりも早く感覚のままに動いているように見えた。

それは超人的な感覚を持つウルリヒよりも素早かったのだ。


「…さあ。でも…じゃあそれって、オレの勝ちってことで良いわけ?」

「ああ、認めるなら構わん」


アーヘンバッハがそう言うと、レネはしばらくぼうっと地面を見ていたが、ふいっと顔をあげた。


「じゃあ、オレの勝ちってことで」


いつものように何処か人を馬鹿にしているような、それでも満足そうにレネは笑っていた。

その顔からは、先ほどまでの不機嫌さと凶悪さが消えていた。


「…そっか、レネが欲しいものは“全部”だったんだね」

「なんだよ、それ」


ウルリヒの台詞に、レネは眉根を寄せて訝った。

それに対してウルリヒはへらりと笑う。


「レネは、街を棄てたアーヘンバッハさんに怒ってるって言ったけど、取り戻したかったのはその全部だったんだなって」


初めから彼はアーヘンバッハが…セイファートがこの街を取り戻す事を望んでいたのだ。

消えかけたと思われていた信頼関係は、ずっとレネの中でくすぶっていただけなのだとウルリヒは思った。


「あんたお得意の妄想、お疲れ」


言いながらレネは背を向けたが、何も否定はされなかったので、ウルリヒはそういう事なんだな、と理解しておく事にした。

彼がその事に気づくまで、きっとそう時間はかからない。


色々と安心したウルリヒは、再びエルヴィンの姿を探した。

先ほどまであんなに存在感に溢れていたのに、煙のように消えてしまった。

何故か置いて行かれた迷子のような不安な心地になって、ふらふらと足を動かしていると、突然誰かがウルリヒの肩を引いた。


「ウル」

「…エルヴィン!」


再会に喜んでウルリヒが声を上げると、エルヴィンは訝しげに眉を潜めた。


「…おまえ、何変な顔してるんだよ」

「…ううん」


顔をごしごし擦って再びエルヴィンに向き直った。

なおも不思議そうな顔をするエルヴィンは、いつもと同じ彼のように思える。


「エルヴィンいつもと様子が違ったから…」

「…言うなよ。めっちゃ緊張してたんだよ…」


罰が悪そうにそう言うエルヴィン。

あれは緊張していた、なんて態度では無いように思っていたから、ウルリヒは思わず吹き出した。


「笑うなよな…俺はあれで精一杯だったんだよ…」

「うん、凄かったよ!きっと神様の使者がいるなら、あんな風なのだろうね」


ウルリヒが思ったことを率直に答えると、何故か叩かれた。


「それよりどうして此処に?ライヒアルトさんのおつかいって…」


ああ、と言いにくそうにエルヴィンは再び言葉を濁らせた。

実はウルリヒは此処までの展開にあまりついていけていない。

ライヒアルトを神聖君子として認める、とはどういうことだろう。


「話すよ。けどヴィルフリートさんは…」


エルヴィンはそれだけ言うと、はっと息を呑んだ。


「…居た!」


エルヴィンが走り出したのでウルリヒもその後に従った。

エルヴィンの目指す先にはいつの間にか群衆の中から抜け出したヴィルフリートが居た。

何処かに向かって走り去る彼の後を、二人は追いかけた。

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