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春(上)

 埼玉県の郊外に建つ、森沢病院。看板こそ掲げてはいないが、ここが精神病院であるということは周知の事実である。私、斉藤敬は、その森沢病院に勤めている。今年で二年目だ。

 私は病院の長い廊下をゆっくりと歩いていた。ほのかに薄い青色で塗られた壁や床は、病院の白というイメージを裏切るものであるが、実は青色には精神安定の効果があり、白よりもいいのだと院長が言っていた。他の精神病院にいったことがないので他は知らない。

 しはらく歩き、廊下の途中にある扉の前で立ち止まった。上に院長室と書かれたプレートのある部屋の扉を、敬は軽くノックする。

「入ってくれ」

中からの声を合図に、私は扉を開けて中に入った。

「失礼します」

部屋には白衣を着た、見た目40代後半といった男が扉に背を向けて立っていた。私が入ってきても振り向くことなく、窓から外を眺めている。

「何のご用でしょう、院長」

「実は、君にこの子の主治医になってもらいたくてね」

そこでようやく院長はこちらに顔を向けた。院長は私に一枚のカルテを差し出した。私は近づいてそれを受け取る。

「紫藤、香住」

「その子は少し特別なんだ。なかなか合う人間がいなくて、君の前の主治医もやめてしまってね。お願いできないか」

私はもう一度カルテに目を通した。写真に写っている少女は一見幸せそうに笑っているが、その笑顔はどこか不自然であると思った。

「私に拒否権はあるんですか」

「残念だけどないな」

そうして、私は紫藤香住の主治医となった。 



 「香住」の病室にいく道すがら、院長は「香住」について話して聞かせた。

「香住は四年前、養父母を殺害したとして裁判にかけられた。その時の精神鑑定で精神異常と診断されて、うちの病院に入院することになったんだ。それ以来、香住はずっとこの病院で暮らしている。まあ、かなり変わった子だが、悪い子じゃない」

「そうですか」

普通なら。普通なら、「何故」とか、「どうして」なんて、ありきたりな言葉を人は言うのだろうが、私はそんなありきたりな言葉さえ出てこなかった。そうか、としか思わなかったので、口を開けば素直に「そうですか」としか出てこなかった。

「いいんですか」

私の先を歩く院長に、ぽつりと声を投げかける。

「なにが」

「その子『壊れてる』んでしょ。いいんですか、『壊れてる』私を主治医にして」

院長は、私の言葉の終わりと同時に立ち止まった。どうやら「香住」の病室についたようだ。院長は扉に手を掛けながら、笑っていった。

「ちょうどいいのさ。壊れてるくらいが」



 その病室は、他の病室とは違っていた。ほかの病室が薄い青で塗られているのに対し、この部屋の壁には、薄いピンクに一面の花が書かれていた。私が少々面喰っていると、どこからかくすくすという可愛らしい笑い声が聞こえてきた。見ると、病室に一つ置かれたベッドに腰掛けていた少女が手を口に添えて笑っていた。

「やあ、香住。調子はどうだい」

院長は、気さくに「香住」に話しかけると「香住」は笑いを引いて首を振った。

「ダメ、今日はあんまりよくないの。だって、今日もあの人たち、私のこと否定するんだもん。だからまた殺しちゃったの……」

「香住」は心底残念そうに言った。院長は苦笑して私の方に向いた。「香住」に聞こえないように、唇だけで伝えられる。

(気にするな、ただの夢の話だから)

(はい)

「そうだ香住、今日はお前に会わせたい人を連れてきたんだよ。斉藤君だ」

私がベッドに近づくと、「香住」は驚いたように目を丸くして、次の瞬間にはとてもうれしそうに顔を綻ばせた。

「あなた、きっと私から離れられない」

そう言いながら、「香住」は手を伸ばして、私の腰に抱き着いた。

「やっと見つけた……」

こうして、私と「香住」は出会った。出会ってしまった。


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