Episode 078: 遅番表の書き換え
人を机から外す時、役所はたいてい「今日は元からそうだった」と書き換える。
夕刻、アシュレイは州庁舎の裏廊下で遅番表を見ていた。壁へ貼られた紙は、昼を過ぎるとたいてい誰も気にしない。だが一日を振り返る紙だからこそ、後から手を入れやすい。
今日の表には、封緘補助の欄だけ薄い上書きがあった。朝見た時は空欄だった場所に、今は別の名が入っている。しかも墨の乾き方が他の欄と違う。
リーゼが肩越しに覗く。
「朝と違う?」
「ええ。昼過ぎに書き足しています」
墨の縁がまだ若い。紙の繊維が押し潰れていない。急いで埋めた字だ。
アシュレイは、前に州都で見た改竄を思い出していた。完全に書き換えるのではなく、空欄を「もともと埋まっていた」ことにする。これが一番安くて、一番効く。
《死簿照覧》が遅番表の右端を示す。交替未届。補記。後付け。
つまり、正式な交替届けは出ていない。壁の紙だけが先に整えられている。
庁舎の石壁は夕方になると急に冷える。昼のあいだ人で温んでいた空気が、退庁前の気配と一緒にすっと引くのだ。こういう時間帯に壁紙を見ると、書き手の焦りまで浮いて見える。定時前に辻褄だけ合わせたい人間の字は、どこかに急ぎ足を残す。
グラムは廊下の端で人の流れを見張っていた。
「長く立つな。見られる」
「写します」
アシュレイは表全体を写すのではなく、時刻欄と補助欄だけを控えた。全部写すと、見つかった時の言い逃れが減る。必要な線だけ持つ方が良い。
そこへ、台車を押す老女が一人通った。庁舎の掃除番だろう。彼女は遅番表の前で一瞬だけ止まり、鼻を鳴らした。
「また増やしたね」
独り言のように言う。
アシュレイはすぐに視線を向けた。
「何をですか」
「名前だよ。朝いなかった名前を夕方に増やすのさ。帳面が賢くなるわけじゃないのにね」
掃除番は笑いもせずに言い、台車を押して去った。
役所で長く働く人間は、書き換えを異常としてではなく、天気の変わり目のように見ている。そこが恐ろしい。異常が日常に溶けると、誰も驚かなくなる。
リーゼは紙の下端を見ていた。
「この紙、朝はもっとまっすぐだったよ」
「覚えているんですか」
「見張りは暇だもの。目の前の紙くらい読む」
退屈しのぎでも見られたという事実が大きい。立派な監査が見ていなくても、掃除番や見張りや使い走りの記憶が残る。役所の改竄は、そういう細い記憶に弱い。
セルマが低く言った。
「名前を足しただけなら、まだ弱い?」
「単独では弱いです」
「でも朝は空欄だった」
「ええ。それを証言してくれる目が増えれば強くなります」
今必要なのは、紙一枚の正しさではなく、同じ違和感を見た人間の数だ。リーゼ、グラム、掃除番。そして朝の空席そのもの。
アシュレイは控えを書き終えた後、表の下端にある差替責任欄を見た。通常なら印がある。今日はない。つまり、壁に貼るところまでが先で、責任者の印が追いついていない。
敵は急いでいる。
それは悪いことではない。急いだ改竄は、どこかに必ず素肌を残す。
廊下の窓から見る空はもう暗く、雪がやみかけていた。こういう夕方は、役所の紙が一番雑になる。退庁前に辻褄を合わせようとして、必要な印や順番を飛ばすからだ。
アシュレイは控え紙を折りたたみ、袖へ入れた。
遅番表の書き換えは地味だ。誰も死なない。誰も倒れない。だが、図を見た人間を消すには十分な一歩だ。椅子から外し、名前を後で足し、最初からそうだったことにする。それを許すと、次は施療院でも門でも同じことが起こる。
だから、ここで止める。
部屋を守る戦いが、いつの間にか人員表を守る戦いへ変わっていた。そのことを、アシュレイはもう疑っていなかった。




