Episode 077: 封緘台の空席
図を見た翌日に席が空くなら、それは偶然ではない。
朝の封緘台には、いつもならマレナがいる時間だった。だが椅子は引かれたまま、机の端にだけ封緘紐が置かれている。欠勤札も遅参札もない。人がいない時の紙が、何も出ていない。
アシュレイは台の前で立ち止まり、封の切れ端を見た。いつものマレナなら、端をきっちり揃えてから箱へ落とす。今日は切れ端が長いまま机脇へ押し込まれている。座っていた人間が違う。
《死簿照覧》が机板の木目をなぞった。代行。未登録。午前のみ。
代行にしては雑ではない。むしろ雑さを真似している。そういう時は、後ろに指示を出した机がある。
「来てないの?」
リーゼが低く訊く。
「来ていない、ではなく、座らされていない」
言ってから、アシュレイは封緘台の裏へ回った。足元の踏み板に、新しい泥が少しだけ残っている。庁舎の表土より黒い。封緘室の裏口側から入った泥だ。
表の交代表ではなく、裏から入った代行。
グラムは鼻を鳴らした。
「分かりやすい牽制だな」
「ええ。図を見た人間を机から外す」
封緘台そのものは今日も動く。だから表面だけ見れば「何も止まっていない」。だが、誰が見て誰が封じるかが変われば、同じ封緘台ではない。
そこへ若い女が、紙束を抱えて通り過ぎようとした。見覚えがない。肩章はなく、袖口にだけ細い灰色糸が入っている。臨時係だ。
「封緘係の代行ですか」
女は一度だけこちらを見た。
「今日はそういうことになっています」
「命令書は?」
「奥にあります」
言い切り方だけは早い。だが命令書を見せる気はない早さだった。
アシュレイはそれ以上追わなかった。今ここで揉めれば、単なる現場妨害へされる。必要なのは、マレナがいないことそのものを残すことだ。
リーゼが机脇の箱を覗く。
「封の束、数が少ない」
「今日処理が減った?」
「違う。外で先に閉じてる」
封緘台が空席で、封の束が少ない。つまり、封じる場所そのものがずれている。人を机から外す時、敵は仕事を止めない。仕事の場所をずらして、その机の意味を薄くする。
アシュレイは午前の帳をめくった。そこには代行の名も、交替の印もない。ただ、封緘済み数だけが先に書かれている。
「数だけ先にある」
セルマが眉を寄せた。
「それ、結果だけ置いて人を消してるじゃない」
「ええ」
役所はたいてい、結果だけあれば過程は何とでも言い換えられると思っている。だが今のアシュレイたちは、その逆を知っている。過程を切られる時ほど、結果の数字は信用できない。
昼前、ようやく一枚だけ紙が出た。欠勤でも異動でもない。封緘補助者一時振替。名前は伏せられ、期間は本日限り。理由の欄は空白だった。
アシュレイはその空白を見て、むしろ安心した。理由が書けないから空白なのだ。もし正当な異動なら、もっともらしい文句を入れてくる。
マレナ本人にはまだ会えていない。だが、もう十分だった。図面の後に最初に起きたことは、図を見た人間の机が空くことだった。
封緘台の空席は、脅しの始まりに見えて、実際には証拠の始まりでもある。人を切った瞬間、敵は「誰がいたべきだったか」をこちらに教えてしまうからだ。
アシュレイは振替紙の写しを取り、台の位置、封の数、泥の色をまとめて短く記した。
部屋の次は人だ。
その順番が明確になっただけで、次に守るべきものも明確になる。今はマレナの身そのものより、マレナがここに座るはずだったという事実を残すことが先だ。




