Episode 067: マレナの不在札
マレナが来ないこと自体は、今に始まったことではない。
封緘側の人間が何度も監査小屋へ出入りすれば、それだけで首が近づく。だから彼女が姿を見せないのは自然だった。
だが、その日届いたのは「来られない」ではなく「不在」の札だった。
封緘机の外札に、午前から午後まで同じ札が掛かっている。不在。理由の欄は空白。封緘の机で理由を空白にするのは珍しい。たいていは他机応援か、計数棚再点検か、査閲補助か、何かしらの名目が付く。
アシュレイはその札の写しを、昼前に見ていた。
「わざとですね」
そう言うと、グラムは短く返した。
「見せ札だ」
「マレナ本人の?」
「本人の意思かどうかは知らん。だが、今日は『不在』を見せたいんだ」
不在を見せる理由は一つではない。
切り離した。消えた。いないことにする。どれでも使える。だからこそ嫌な札だった。
リーゼは別の角度から見ていた。
「不在札を表に出すってことは、机自体は動いてる」
「なぜそう思う」
「本当に止まってるなら、閉じ札にする。わざわざ不在にするのは、誰かが代わりに動いてるから」
それも正しい。
不在札は、仕事が止まっていない時にこそ使いやすい。人だけ抜けたように見せて、中では別の手が続ける。
アシュレイは午後、封緘側の廊下を遠くから見張った。
マレナの姿はない。代わりに、見慣れない痩せた男が二度、紐束を持って出入りした。歩幅が狭い。封緘の人間ではなく、帳合机から借り出された手だろう。
その男は封緘室へ入るたび、必ず左袖を引き上げる癖があった。そこまで観察してから、ようやくアシュレイは気づいた。左袖の裏に、配給小舎の粉が付いている。封緘室へ入る前に、別机を回っている。
「配給側から借りてる」
グラムが隣で鼻を鳴らした。
「逆だ。配給側に流してから戻してる」
順番の違いは重要だった。
借りてくるなら人手不足。流してから戻すなら、手順の接続だ。封緘と配給は別局の顔をしていて、裏ではもう同じ線で動いている。
日が傾くころ、監査小屋へ一枚の小さな紙が届いた。
封緘紐の切れ端に包まれ、中には二行だけ書かれている。
明日、旧倉庫側の戸は空になる。
不在札は私ではなく、棚の方へ出る。
マレナの字だった。
急いで書いた字だが、数字を書く時の癖がそのまま残っている。偽る余裕はない。
「空になる」
セルマが紙を読み返す。
「人をどこへ」
「まだ書いてない」
「書けないんでしょうね」
アシュレイは紙の裏を見た。何もない。だが《死簿照覧》は、封緘紐の擦れで一度だけ強く震えた。棚移送前。
部屋を消す前に、棚の方を「不在」にする。つまり、物と人の順番を一度ばらすつもりだ。
リーゼが低く言う。
「もう待てない」
「ええ」
「今夜?」
アシュレイはうなずいた。
明日では遅い。明日には「もともとそこには何も無かった」顔が完成してしまう。
それでも一つだけ迷うことがあった。
マレナをどう扱うかだ。今ここで彼女からの紙を使えば、向こうは不在札と結びつけてすぐに辿る。使わなければ、こちらは動く時刻を失う。
グラムが先に言った。
「字は使うな。時刻だけ使え」
それが最善だった。
紙そのものを出せばマレナが死ぬ。だが時刻を知っているだけなら、こちらは別の観察から辿ったことにできる。
アシュレイは紙を火鉢の火へ近づけた。完全には燃やさない。文字が読めなくなる直前で止め、灰ごと包む。存在は消すが、届いた事実だけは自分たちの中に残す。
マレナの不在札は、彼女が消えた印ではなかった。
誰かが消される前に、最後に寄こした時刻表だった。




